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星の降る町  作者: 笹霜
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35.妖鎧

猿山悟は、屋敷の門…瓦屋根の上に立ちながら、考えを巡らせていた。



『日ノ本最強』。



そう土地神様は、かの女性を呼んだ。


その名は、少し実力のある妖怪化生ならば、誰もが知っている名前である。この日ノ本の異能者の間でも、一定以上の実力がある者であれば、その名を耳にしない者はないだろう。



鷺山葵(さぎやまあおい)、と名乗っているが、葵の方、と呼ぶ奴もいる。



悟は初めて会ったが、噂は十分に耳にしている。


いつから生きているかはまるで判然としないが、妖怪である己よりもさらにもっと上であろう。


自分が物心ついたころには、既に日ノ本にはその名前は知られていたのだ。


妖怪であろうと言われているが、さりとて妖怪だとしても、何の妖怪であろうかも判然としない。


ある人は天女だとも、仙女だとも言うが、それも正解ではあるまい。たとえそうであったとしても、それがあの人物の弱点になりえるようなものではない。


行動原理は非常に気まぐれであることでも知られていた。


気に入った人物には加護を施す一方で、敵と認識すればまるで容赦が無い。非情さでもまた有名でもある。


数年前の異能者間の戦争に参加し、数万人を容易く屠ったというのも、割と最近の血なまぐさい話で、事実であるという。


ずば抜けた実力と、胡散臭さと、妖怪らしい薄情さ。


その実力も、素晴らしく高いのは分かるのだが、異次元過ぎてとても把握の出来るものではない。


今回もそうである。


悟は思うのである。


お嬢様にも、自分にも気づかれず、屋敷の中に容易く潜入してみせた。


しかもソレをギリギリまで悟られなかったばかりか、お嬢様の剣を受けてまるで平然としていて、その太刀筋の甘さを指摘した挙句、その心までをも見透かした発言である。


アレは技とか術とか、そんなモノではない。


もっと異次元の何か。及びもつかない何か。


誰かが言っていた噂話を思い出した。


葵に向けて雨が降ると、雨が葵の周囲だけ勝手に避けてゆくとか。


はたまた、地獄に顔パスで入れて、閻魔大王と友達だとか。


いずれにせよ異次元亜次元極まる。


常人の想像の及ぶ範囲ではない。



―――あんなバケモノに、お嬢様は師事していたのか。



となれば、自分なんぞまるで及ばないのもまるで納得する悟である。


自分はただの妖怪なのである。


それは多少は出来るかも知れないが―――あんな異次元と一緒にされても困る。多分アレは平然といるだけで物理法則とか世界の法則を曲げる類なのだ。寿命なんてたぶん存在しないだろう。


故に『日ノ本最強』と呼ばれ。


長きに渡り、この国の最高神でさえも犯せない不可侵領域であり続け、多分この先もそうであろう。この国の原始の神よりも古くてもおかしくはない。


それがアレなのだ。


まあもっとも、この国の最高神とか、帝と呼ばれる人物は―――ここの星神様一つでも手に負いかねるのだから、それほど買いかぶるものでもないのかも知れないが。


悟は溜息をついて、門の上から、嶺の下まで続く道を眺め渡した。


街灯がぽつりぽつりと灯って、青く黒く染まりゆく道のはるか先―――嶺の下まで続いている。


基本的に一本道だ。


迷うはずもない道。


しかしこの道を、登って来られない者がいることは、悟にも、薄々風の気配で感じられてきた。


主の仕掛けた、幻惑の結界である。


普通は、異能者が、一般人向けに張る結界である。


その結界に足を踏み入れようとすると、途端に迷ってしまう。足の向きを無意識に逸らされたり、道を誤認させられたりする。


いつまで経っても同じ道をぐるぐる巡るだけになってしまう。


しかし今回のものはお嬢様謹製で、異能者相手でさえ通用してしまうという。


これを突破してきた者だけ、相手すれば良いとの主命。


悟はそのつもりであった。


漆黒の忍者装束。眼鏡だけを煌かせて、執事は敵を待ち受ける。


一つの足音が聞こえてくるのに、それほど長い時間はかからなかった。


まだ空は暗くなりきってもいない。


屋敷の目の前までやってきたのは、一人の大柄な男であった。


僧形であった。


頭を布で覆い、僧衣の上から鎧を重ねている。


まるで武蔵坊弁慶のような…僧兵のような恰好であった。腰には分厚いだんびらを二つ引っ提げている。

明らかに剣士と知れる男であった。


しかし、男がただ一つ、変わった点があるとすれば、両目の上から、サラシを巻いていることであった。


男はサラシを取り払う。


眉が太く、細い瞳の男であった。


その瞳が門の上の忍者装束を見据える。


太い唇が開いた。


「…案の定、幻惑の結界であったか」


「良くぞ抜けて来られましたな」


「苦節の末に心眼を得たこの身だ。眼を封じねば歩いても来られなかったあたり、強大な結界であったが…」


「『それはおぬしの仕業か?』と問おうと思いましたな?」


「…」


男は唇を引き結び黙った。


沈黙が降りた。


さやさやと木の葉が風に揺れる音。夜の木々が、天からの風にさざめいている。木の葉が舞った。影も舞う。


「ま、私の仕業ではないのですがな」


「では…」


「『幻惑を張った者に、良き結界であったと伝えておけ』と言いたいのですな?」


「…」


男は黙ってしまった。微かな戸惑いの感情が、寡黙な男前の顔面に浮いてきていた。


悟はニヤニヤ笑う。


いつの間にか、悟はその眼鏡を外していた。


「『何故それを知っている?』と思いましたな?」


「…」


「『こいつまさか』と思いましたな?」


「…」


「『心を読むのか』と思いましたな?」


「…」


「『(さとる)』だと思いましたな?」


「…」


「『どのように逃れるべきであろうか』と考えましたな?」


「…」


「『ひとまず足を動かさねば』と思いましたな?」


既に男は悟の術中にあった。


何かを考えようとすると、すぐに悟に先手を打たれてしまう。考えている傍から口に出される。


足を動かそうと思っても、そのことを即座に言い当てられると、思わずその足も止まってしまう。


全て読まれている。


「『伝えねば』」


「…」


「『深呼吸を』」


「…」


「『何も考えないようにしなければ』」


悟の言葉は魔力を帯びていた。


一言一言が放たれるたびに、男の行動を束縛し、力を奪い、封じてゆくのである。


悟がトドメの一言を発しようとした時であった。



「お邪魔虫ですな」



悟は腰から刀を抜き放った。


流麗な刀であった。


特に何か特別なトコロがある刀ではない―――しかし極めて頑丈に出来ている、悟の愛用の刀。主から与えられた一本。


男の目の前の石畳が唐突に割れて、無数の岩弾―――そうとしか形容しようのない無数の礫が射出されてきたのである。


だが悟は冷静であった。


刀を使い、その全ての岩弾を捌き弾き飛ばす。


視界を埋めるような弾幕が終わった後、男の目の前に、もう一人の敵が出現していた。


武者装束であった。


烏帽子型の兜である。普通ならば顔が見えるのだが、頬当てで顔を隠していた。


しかし、頬当の中に見えるのは、明らかに人間ではない皮膚であった。


土と岩で出来た身体であった。


ただ、瞳の中には二つの眼光が揺れている。意志の波動、気配はハッキリと感じるコトが出来た。


漆黒のマントを羽織っている。


刀を一本帯びている以外に武具はないが、それだけでも十分なのであろうと悟は感じる。


新たに現れた土の甲冑武者は、呆然としている僧兵の男を見やった。


「退くが良い。十分にやった。この相手、貴様には荷が重い」


重厚な男の声音であった。その声を受けて、僧兵武者ははっと我に返ったようであった。


「い、今のは…」


「いいから退け。この場に貴様がいると足手纏いになる…。かえってひとまず報告せよ。この結界、破ってくるには骨がいる。十四人いながら、突破が俺一人、貴様一人のみは心もとなすぎる」


戦力の充実を要請せよ、と甲冑武者は言った。


僧兵の男は暫し無言であったが、やがて頷き、山を下っていった。


悟と甲冑武者はその間、ただ向かい合っていた。


甲冑武者は失笑に似た笑い声を洩らした。


「ふっ、覚か。…今の異能者は精神修養もおざなりだ。貴様は荷が重かろうな」


「おぬし、式神でありますな?」


「然り」


甲冑武者はマントを翻した。爛々と燃えるような瞳だけが悟を見据えていた。


「土精の式神だ。…人間と違い、俺の心は読めまい、覚」


そう。


(さとる)


妖怪である。


人の心を読むと言われているし、実際悟にはその能力がある。


眼鏡がなければ、銀河や璃絵の心も読みたい放題だ。


ただ、―――メイや葵、祀といった妖怪神様相手は無理だし、散々修行を詰んだ咲月のような人物が相手でもそれは同じである。


心が読める人物に対しては、先程のように、考えていることを言い当てていき、しまいには何も考えられなくしてしまう。



―――そして、廃人にしてしまうのだ。



覚に心を読まれ続けるということは、心、精神力を喰われてゆくのと同義なのである。


そして覚も、人の心、それ自体を食物としている。


そういう妖怪なのである。


猿のようであるとも言われているが、人間に化けるとも言われている。


悟は、元々、星ヶ嶺に住む妖怪であった。



―――それを咲月が、式にしているのである。



今は忠実なる、咲月の部下であった。


「見たところ、この屋敷に数名いるようだが…」


ちらりと甲冑武者は屋敷の門を見やる。


「貴様を屠って余力があれば、攻め入るも悪くはないか」


「私の実力を、然程過小評価している訳でもなさそうですな」


「仮にも人間を喰らう、山の古けき妖怪だ。侮って良い相手ではなかろうよ」


土人形の鎧武者は、悠々とした態度であった。


悟にも、徐々にその強さが分かって来る。


それなりの手合いであることは事実らしい。


急造で出来た、間に合わせの土人形なぞではない。中の土塊ならずや、鎧そのものも年季もので、相当使い込まれ、不気味な霊力を発している。


既に悟の眼からは笑みは消えている。


門から降りたって、鎧武者と間合いを保って向き合った。


「…おぬし、然様な実力がありながら、跡部の式神でありますか」


「我が主の意志ゆえにな」


「我が主…」


「これから死ぬ貴様には関わりのないことであろうが、俺は跡部の式ではない」


土精の式神である甲冑武者はそう言った。


「氷川屋敷に住む貴様には告げておこう。俺は氷川の式だ」


だが、その時、悟は一つの違和感と疑問を表情に浮かべていた。



―――氷川の式?



「…陰陽師氷川派は全滅したと聞いていますぞ?」


「否、全滅してはいない」


だが式神はそれを否定する。執念の宿った瞳が悟を見据えていた。


「ただ一人の生き残りのお嬢様がいらっしゃられる」


「…」


「俺はされど放逐を受けた身」


「放逐?」


「そうだ…」


静かだが、執念…燃えるような意志の燈火を感じる声であった。静かにガスの炎を灯すかのような声であった。


「…俺がここに立っているのは、その、氷川のただ一人のお嬢様に許しを請うためだ」


「…?」


その言葉に、悟の脳裏に、一つの名前が過る。


祀様が、主を呼ぶ名。


そして、かつて、璃絵が、ぼそりと呟いていた名前。



『氷川花月』。



だがその名について考える前に、目の前の甲冑が一歩を踏み出した。


「氷川に戻るため…」


重い足音が響いた。


「…俺は、玉川へと、さらにその部下の跡部へと、いわば出向を命じられた身…」


「左遷、でありますか」


「そうだ…」


黒い鎧は静かな声で、ゆっくりと歩みを進める。


そして、あるところで、歩みを止めた。



射程距離。



互いに一歩でも動けば、―――その腰の刃が交わる、そんな射程距離内であった。


「…俺が戻るには、ただ一つ…軍功立てるのみに限る…」


「そのためには、手段を辞せぬ、という訳でありますな?」


「然り…。主に仕える者なれば、貴様にも分かろう」


悟は応えなかった。話の通じる相手ではなかった。それが理解出来れば十分であった。ただいつも猫背である背筋を伸ばして、敵を真正面に見据えているだけであった。


氷川がどうとか、玉川がどうとか、そんなコトは後回しでいい。


ひとまずは、目の前の敵を討つ。


それだけであった。


月が叢雲に翳った瞬間に、閃くように開戦していた。


電撃烈風の如くの脚を繰り出したのは悟であった。


マッハの弾丸の如き一撃の先制。顔面を狙ったその一撃は、銀河のものよりも遥かに速い―――悟の本気であった。


そして式神はそれを受けた。


真正面から喰らった。


手ごたえはあった。


しかし決定打ではない、と悟は瞬時に理解する。


喰らいのけぞりながら、甲冑の土霊の動きは機敏であった。


自らの顔面―――頬当に食い込む悟の足首を、右手でがっしりと握り込む。あえて喰らった―――それが分かる挙動であった。


その左腕が閃く。


しかし腰の刀に伸びた甲冑の手首に、一つのクナイが突き刺さって、一瞬後には紅の爆炎を吹き上げた。


その衝撃に出来る一瞬のスキ。そのうちに立て続けに右腕右手首にも食い込むクナイ。


甲冑がその腕を振りかぶって、クナイを抜き払った直後に、そのクナイもとびきりの爆炎を上げた。


悟の脚は解放されていた。解放せざるを得なかったのである。


そうでなければ、右腕も炎上していただろう。


左手首は炎上したせいで、黒い鎧が溶けかかっていた。


黒い甲冑は瞳の色を強くしていた。


「…俺の鎧に傷をつけたか」


「火剋金、どうやら効くようですな?」


「ならば」


今度仕掛けたのは甲冑からであった。


悟は飛び跳ねた。


石畳を突き破って、鋭い三角錐を描いた土の槍が、土中から飛び出してきたのである。


くるくる舞いながらそれを避けて、降りたとうとした悟の着衣位置目掛けて、さらに次の槍が飛び出す。

人二人分の高さはあろうかという鋭い三角錐の槍。


しかし悟の身のこなしは、甲冑の上を行っていた。


悟は、槍に突き刺されることもなく、その鋭い槍先に、すっと着地をしていたのである。


さながら忍者の動きであった。


槍先に立った悟は、月を背後にニヤリと笑う。


「…私は元々妖猿の類の妖怪。身のこなしを忘れたのですかな?」


だが、黒い甲冑も悠然としたものであった。


ただマントを翻し、指揮官のように腕をかざす。


「…土礫襲葬式」


甲冑が腕をかざすと、今度は無数の石の弾丸―――それも先端が尖った石の短い槍の如きもの―――が土中から飛び出して、悟を一声に狙う。


その全てが、ミサイルのような追尾弾道を曳いていた。


弾幕となるそれの前に、悟はうろたえない。


刀を抜き払い、前面に展開するその弾幕を全て一つ残らず弾き飛ばす。


それでいて、足場は欠片も乱さない。槍の上で、その姿勢に欠片も揺らぎはない。


抜群の身体能力であった。


しかしその足元がふらりと揺らぐ。


「…忘れたか。それは俺が作った足場」


土霊の甲冑は静かな声であった。


「全周囲、土礫襲葬式」


崩れる足元、落下する悟。そこに向けて、今度は360度全ての角度から土の礫が撃ち込まれる。


しかも落ちるであろう足元には、ごく短いながら―――槍衾のような土の槍。それが絨毯のように広がる。


自由落下する悟に、それを回避する術はない。




巨大な爆発が、氷川屋敷の目の前の石畳を吹き飛ばして、門の周りを土煙で覆った。

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