33.血風
「死にぞこないが…。お前の首も貰うぜ?」
ヘラヘラ笑いの下には、微かなイラつきが見えた。
プロレス選手のような太い腕を盛り上がらせ、男は巨大な斧を掲げて振り上げた。
筋肉の鎧を纏った大男だ。
纏うのは風の属性を帯びた霊力だ。銀河はそれを知っている―――感じたのだった。
先日の銀河とはまるで違う。敵の身体から漏れ出すそれで、大体の迫力というか、相手の格も感じ取れるようになっていた。先生には及ばない―――それは分かっていた。
しかし先生には一度も痛打を与えられたことはない自分である。
どこまでやれるものか。
しかしグズグズしている時間もない。やれる限りをやるだけである。
銀河はただ闇の中に、間合いを保って立っているだけ。
男の周囲に闘気が集っても、しかし銀河は狼狽えない。先生からそんなものは見せられている―――驚くには値しない。
瞳の裏側に映る景色を見て、銀河は冷静に対処する。
相手が斧を振りかぶる、その軌道が見えていた。
先日と違うのは、その軌道に伴って―――斧の周囲に纏わりつく、巨大な風の塊のようなものが見えることだった。
先日は、あれが『見えなかった』のだ。
だから斧本体の直撃は免れても、風の塊にブン殴られた。
鍛錬不足だったからである。
しかし、今は見える。見切ることが出来る。あの風の塊にも、『当たり判定』がある。
斧本体にも劣らぬ攻撃力がある風の塊である。
それが、横殴りの軌道で銀河は襲ってきた。
「…」
銀河は冷静だった。
地を蹴り、跳ね上がるように飛び上がった。
月に届けとばかりに飛びあがる。身体の下を、烈風の塊が掠めてゆく。靴底を掠る風の圧力。強化もしていない身体で殴られれば、あっけなくそれは吹き飛ばされて瀕死だろう。
辛うじて先日は助かったが―――。
しかし二度目は喰わない。
銀河は宙で鋭い蹴りを放つ。リーチは届かない。
銀河が蹴ったのは、自らの下を掠める、風の霊気そのものであった。
相手の実力と、自分の実力を図るための一閃であった。
強化された銀河の脚が、容易く風の霊気を切り裂く。プールの水を脚で切り裂くのと似た感触。無理矢理に風の流れをこじ開けて脚を振り抜く。
銀河に切り飛ばされた風の流れが、細いカマイタチになって、男の顔面横を掠めた。
男の髪の毛が幾らか切れて闇に舞う。
最初の一撃を回避した銀河は、姿勢を全く崩さずに駐車場に降り立つ。先生に殴られ飛ばされてゆく黒服たちを横目に、銀河はただ立っていた。
咲月さんや先生の言う通りだった、と銀河は思う。
―――予知を使うまでもなく、男のこの男の動きは自然と見切りやすくはなっている。
予知があるから確実に決められはするが、それは補助でいい。
構えを取る銀河に、男はへらへらと相変わらずの笑いだった。
「少しは腕を上げたみてえだなあ」
「…」
「だが板金代は俺にとっても痛いからなあ」
痛いのは勘弁しろよ?と男は言ってから、今度は上段から斧を振り落としてくる。
銀河は、男が本気になったのを悟った。
上段から落としてきてから、そのまま二回目の横殴りの軌道、三回目の袈裟懸けの軌道までもが瞳の裏側に見えたからである。
迅い。
巨体に似合わない攻撃速度だった。
だが見えていればどうということはないし、先生の滅法素早くて重い動きに比べればさらにどうということはない。先生の拳よりもはるかに攻撃範囲は広いが、難しいのはそれだけだ。
身を翻して一回目を回避し、二回目の横殴りの軌道に合わせて飛び込んだ。
三回目は袈裟懸けの軌道。
その風圧のギリギリのところを掠めるようにして、銀河は飛び込むようにして男に襲い掛かる。
男は、大きい得物であることも災いして、機敏な銀河に対応が出来なかった。
全ての軌道が、銀河に見切られていた。
その差であった。
「―――ちいッ!?」
男が歯を食いしばり身を引こうとするが、既に遅い。
銀河は強化した手刀を一閃していた。
まるで刃物のようであった。
その手刀が、男の胸に斜め一条の傷をつけ、そのまま繰り出される脚が、男の腹に突き刺さっていた。
「…ごあッ!!」
手ごたえ。
男の強化を突き抜けて、確実な手ごたえを感じ取る。よろめいた男に向けて、銀河はさらに追撃の構え。
宮原銀河は、強化といっても、全身を刃物のように扱う動きが得意だということを、見つけたのは陽太であった。
脚でも、手でも、霊力で鋭く強化して振るえば―――凄まじい『切れ味』が出るのである。
相手の霊力や強化の装甲を『切り裂く』ことに向いている能力であった。
力を一点集中して、その場所の何らかを破壊する―――それが銀河の持ち味であった。
「…」
銀河は冷静である。一拍の間を置きながらも、瞳の裏側に映るものがないかに気を払っている。
案の定、よろめいた男が斧をかなぐり捨てるのが見えた。近接戦である。巨大な斧はむしろ邪魔になる。男との格闘になることをそれは示していた。
巨大な拳が真正面から、風を纏ってやってくるのが見えた。
ならば―――。
銀河は微妙に間合いを調節する。ほんの少しだけ、後ずさった。
男が予想通り、斧を捨てて、正拳を繰り出してくる。不意打ちにも似た動きだったが、銀河には読めている。
手刀を振り落とすように繰り出した。
相手と拳を交える気はない。
狙いは、男が正拳と共に繰り出した、烈風の伴う闘気であった。
正拳と同時に湧き起こる凄まじい風の圧力。たとえ直撃を回避出来ても、風に当たれば吹っ飛ばされる―――その風の砲撃に向けて、銀河は手刀を繰り出したのである。
風が上下に、真っ二つに裂けた。
その風の流れを、銀河は見た。
風の圧力を切り裂く。そして、突き出されて伸び切った手に向けて、空いている左の拳を突き出したのである。
相手と真正面から打ち合っても、多分パワー的にやられるだけだ。あんな大斧を振るう相手である。真正面からぶつかってもこちらが不利。
だが、相手のパワーが0になったトコロに打ち込めば―――相手にダメージが入ることは確実。
硬直した相手の拳に向けて、左の拳を叩きこむ。瞬の瞬間を狙った一撃。鋭い衝突音と手ごたえ。
コンマ数秒の戦闘であったが、タイミングは絶妙であった。
男は歯を食いしばりながら、突き出した拳を引っ込めていた。指の皮膚が裂け、数条の血が滴っていた。
銀河の刃物のような拳が、男の霊力の装甲を切り裂いて、衝撃と共に相手の皮膚を裂いたのである。
骨にダメージが入っていればいいのだが、と銀河は思いながら再びの構え。
男は舌打ちをしていた。
既に笑いは消えていた。
赤黒い髪が逆立っている。巌のような筋肉の塊―――腕や肩が盛り上がって、いくつもの筋を浮かび上がらせていた。
アレと真正面からぶつかっても不利なだけだと銀河は改めて思う。
風の圧力それ自体を裂くことは出来るし、相手の皮膚や肉を断つことも出来る。
しかし、相手の腕そのものを斬り落としたり、破壊したりできるだけの破壊力は―――今のところ自分にはなさそうだ。
ダメージは入るが、決定打にはなるまい。
先程ので、相手の腹や右手にかなりのダメ―ジを与えたが、相手の体力を推し量るに、それほどダメージの比率としては大きくなさそうだ。
「―――」
どうするかだけを銀河は考えている。思考は驚くほど冴えていた。
男が問いかけてきた。
「…名前、なんてんだ」
「…」
「無視かよお。折角覚えてやろうと思ったのによ」
ペッ、と男は唾を吐きながら、忌々しげに銀河を睨んだ。片目に傷が入っているから、隻眼である。先日の自分にならば、圧力を伴って感じられた眼光だが、今はそうでもない。
「…一応名乗ってやるぜ。氷鉋風馬ってな」
「…氷鉋」
「覚えておくんだな。本気で行かせて貰うぜ」
そう言うや、男、風馬の纏う霊気が圧力と密度を増した。風は最早肉眼でも見えている。空間が歪む程の流れ。風馬は改めて斧を担ぎ上げる。
銀河は口を開いた。
「氷鉋…それが跡部の執事の名前か」
「いや…俺は執事のようだと思われてるようだが、違え。ただの傭兵さ」
ニタリ、と風馬は笑う。
「傭兵として雇われて数年経つから、執事みてえに思われているけどよ。ま、アレだ。こちらの世界も不況なんだ。分かるかいボウズ」
「不況…?」
「専用の執事とかを常に侍らせておけるだけのカネがある家は、今は少ねえのさ」
ハッ、と男、風馬は笑った。
「実力があるなら、神林や雨宮に雇って貰った方がカネはいいしな。…ま、俺はアレだ。神林に雇われるのも嫌な感じのフリーランスでよ。その代り給料は安っすい、いわば裏世界の派遣だハケン」
「…派遣だからカネか」
「おうともよお」
風馬は笑っていた。
「クルマを板金送りにされりゃあ財布が大泣きだ。てめらの首を刎ねればボーナス確定だ。だから頑張るって寸法よ。何かてめえは急に手強くなったから、今のうちに始末しておかないと後々チャンスもなくなりそうだ」
そう言って、風馬は斧を振り構え。
「お前とソコの男の首刎ねて、そのままどうせ廃車なら爆弾詰ませててめえのお屋敷とやらに突っ込ませてやるよ。そのままお嬢様まで連れ戻せば、まあ、元は取れるだろ」
「そうは問屋が卸すものかな」
「へっ、卸させるのが俺の仕事ってやつで」
言うや、男の隻眼が見開かれる。
男が突っ込んできた。
予知で、瞳の裏側に、その軌道が見えた。
「へっ、―――てめえの莫迦にズバ抜けた反射神経はもう知ってるんだぜ」
「…」
「ならこれならどうだ?」
―――なるほど、してやられた、と銀河は思った。
男は、凄まじい風の圧力を伴って、タックルを仕掛けてきたのである。単純至極、力任せの体当たりである。
ただの体当たりなら飛び退けば躱すことは出来る。
しかし男は大斧を横に構え、さらに風の闘気を広く纏っていた。風の気のカバーする範囲は、男の広い体躯の数倍は軽くある。
巨大なダンプが数台並んで突っ込んでくるかのような勢いである。
男、風馬は既に気づいている。
銀河の反射神経の良さに。
速度と切れ味は既に上を行かれている。
しかし純粋なパワーなら遥かに勝る。
―――ならば、近い間合いから、巨大な質量を持った力任せのタックルである。
見えていたところで、避けようがない攻撃。それには、予知能力は、全くの無力なのである。
銀河は既に先が見えていた。
ブッ飛ばされて、血反吐を吐く自分の姿が見えたからである。
―――ならば。
先が見えているならば、今のうちに、それを利用した策に頭を巡らす。吹っ飛ばされることが確定ならば、ひたすら防御に身を固めるのみ。どっちみち回避はムリだ。
ならば―――。
銀河は腕をクロスさせる。
真正面から、男のタックルを受け止めた。
覚悟はしていたが―――凄まじい衝撃が銀河を襲った。
吹っ飛ばされた。
一直線に吹っ飛ばされる。黒塗りの高級車達の上に飛び込んで、廃屋のシャッターを突き破って奥に突っ込んだ。
店のものだったらしい空き棚やテーブルを薙ぎ倒しながら、壁に半分突き刺さって銀河の身体が停止する。
脳震盪でグラグラする頭が数秒で回復したのは―――やはり、そういうことなのだろうと思いつつ、しかし激痛に歯を食いしばる。
腕が二本ともイッたか―――。
痛みの度合いから、そんな感覚を感じ取る。
銀河は動かない。
ただ瞳を廃屋の闇の中に巡らせて、夜目を全開に利かせながら、注意力を総動員していた。
「…おーおー、うまくいったな」
呑気な声をあげながら、巨体が一つ、廃屋の中に入ってくる。のそりのそりと、大きな斧を引っ提げながら。
風馬は会心の笑みを浮かべていた。例のニヤニヤ笑いが浮んでいる。
「少してこずったが、ま、こんなモンか。あとはあの男だな…」
その視線が、廃屋の中を眺め渡す。そして、壁に突き刺さって動かない銀河の身体を見て、苦笑を浮かべていた。
「ちっとブッ飛ばし過ぎたか。まあいい。あの男もちと厄介そうだから、ま、質には取っておくか…」
生きてはいそうだからな、と風馬は銀河の突き出た足に右手を伸ばしかけた。
瞬間だった。
銀河の足が、回転するように閃いた。
素晴らしい切れ味だった。
風馬の右手の指三本が千切れ飛んだ。
何が起こったか分からない風馬の目の前に、穴から身を起こした銀河が、目を輝かせていた。
風馬が唖然とした顔をしていた。
「…て、てめえ、気絶すらもしてねえのか…!」
―――相手は油断する。
それを銀河は知っていた。
作戦がうまくいったという会心。そして自分の能力への自信。―――そして俺が、余り防御には長けないことは、相手もこの攻防でそれとなしに知っているだろう。何せ二度目の戦いだ。
しかし、俺が―――馬鹿な回復能力を持っているということを、相手は知らない。
だから、必ずや、死んだフリをしていれば、トドメを刺そうとするか、このように人質に取ろうとかして、無防備にやって来るのではないかという推測はしていた。
どちらにせよ近くにまで、不用意には近づいてくるのではないか。
そこに、銀河は脚撃を喰らわせた。
狙いは手。
先程拳を合わせた時に、弱らせておいた指である。それもあって、千切り飛ばすことに成功した。
利き手の指を削ぎ落とした。
これだけでアドバンテージは相当のものだった。
銀河は血の一条を垂らしながら、ニヤリと笑む。
風馬が防御の構えをする、その隙を許さない。
両腕はまだ使えないが、脚が使えた。既に蹴りも熟達している。銀河の蹴りが三日月の軌道を描く。
風馬の左手の手首に傷が走る。動脈狙いの一撃である。噴き出す鮮血。
続けざまにもう一撃。狙いは腹。ここも先程ダメージを突き入れておいた場所。
二撃目。
一撃目では軽いダメージでも、もう一撃ブチ込んで、より深いダメージを―――!
「ぐああッッ!?」
効いた。
風馬が後ずさりしたのは数歩、そのまま思わず廃屋の中から飛び出す。
月光溢れるドライブイン跡地は、既に血の匂いであふれていた。
黒服達が蹲り、呻いていた。
血の溢れ出す両手を見ながら、氷鉋風馬は舌打ちを一つしていた。
「…チ、しくったぜ」
「おーおー、ずいぶんと宮原にやられたようだなあ」
そう言って、呑気に声をかけてくる声に、風馬は振り向く。
月光の中に、飄々とした顔で、小菅陽太が立っていたのだった。
無傷であった。
「おたくの黒服全員ノックアウトだぜ」
「…みてえだなあ」
「どうするよ?」
「退かせて貰うぜ」
「ま、そうしな。深追いはしねえ」
ニヤニヤと陽太は笑う。風馬はその隻眼で陽太を睨んだ。怒りを湛えた眼であった。
「…てめえ。そこの坊主含めて、覚えておけよ」
「言っておくが、てめえの執念よりも、そこの宮原の成長速度の方が早い。悪いこた言わねえから、挑むならマジで修業してくるんだな」
「ほざけ。てめえらの首を刎ねるためなら、手は選ばねえよ」
「…手を選ばなさ過ぎて、余計な怒りを買い過ぎるんじゃねえぜ」
一般人に手を出すなんてこた、論外だからな、と陽太は笑い。
そして、氷鉋風馬は、黒服達を、ボロボロの高級車に押し込めて、何とか峠を下っていったのであった。
その時には、既に腕を腫れ上がらせた銀河も、廃屋から出てきている。
制服が破けてボロボロであるし、腕もまだ散々に痛んではいるが―――それでも、退けることには成功した銀河だった。
月の光の下、陽太が肩をすくめる。
「…宮原。俺だけじゃなくて、今度からは俺以外からも色々教えて貰え。あの男とやり合う一つにしても、俺一人だけじゃ技も足りねえだろう」
「はい」
「とりあえず帰るぜ。アイスくらいオゴってやるよ」
くはは、と笑う先生は、相変わらずの不敵な笑みで。
「―――初めてにしちゃ、よくやったじゃねえか。冷静だった。及第点だ」
その言葉に、銀河は初めて、笑みを浮かべることが出来た。
―――人に褒められること。
努力が報われること。
それが余りなかったからこそ、宮原銀河は、こそばゆくも―――それが、嬉しかった。
だから、この土地が、好きだった。




