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星の降る町  作者: 笹霜
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29/42

29.学長

休み時間も、うまくトイレに出たり、早めに次の教室に移動したりして、うまく二人を撒いた。


あの二人は人気者だからそう捕まることもないが、近くにいるとともすると捕まる。


これからは心なしか会話の機会それ自体を減らしたい銀河だった。不自然にならない程度に。


だから昼休みも、弁当を持ち、教室を出る。


アテはない。


だが、気づけば、美術室の前に立っている自分がいた。


銀河は一人苦笑した。


璃絵が居る訳でもないのに、自然と足が向くとは―――まあ、一種のそういう習慣にもなっていたのだろう。


引き戸を開ける。


当然、誰もいない。


かと思いきや、意外な先客が一人、窓際に佇んでいて、銀河は驚いた。


振り返ったその顔は、銀河にとっても既に顔馴染み。


「や、お銀君か。来るんじゃないかなあとは薄々思ってたけど本当に来るとは」


「先生でしたか」


朱鞠内緋鞠だった。


チビでも吸血鬼な先生は、白衣を翻して、紅眼を煌かせて笑っていた。


「お疲れ。昨日は色々あったみたいじゃない?」


「こちらこそ、ありがとうございます、昨日は」


「んにゃ。御礼を言える子は好きだぞ」


ふんぞり返りながら、緋鞠先生は唇に人差し指を当てて笑う。にこやかで、邪気がなくて、明るい笑顔は良く似合っていた。湿気がない、という言い方がぴったりだろう。


「さて、その顔は、無意識に来てしまったと見えるが、教室は少し居心地が悪かったな?」


「御明察ですが、凄いですね先生」


「大体のことはお姉先輩から聞いてるもの。すぐに演技が出来るほどお銀君は猫かぶりじゃないようにも見えるし」


そう言って、緋鞠は笑う。その笑顔に救われるが、


「…先生、俺ってそんなに顔に出やすいですか?」


「顔に出やすいというよりかは態度に出てるかな。ちょっと見てたけど心なしか硬いように見えたし」


「…見てました?」


「気付いてなかった?なかったか、気配消してたし。ちらちら見てたよ。昨日の今日だから心配になったし、他の先生達も割とそうだったと思う。お銀君に気づかれるような野暮な気遣いじゃないと思うけどネ」


ニヤリ、と朱鞠内先生は笑う。


「でもまあ、しょうがないか、昨日の今日でね。だから璃絵ちゃんは休んだくらいだし」


「俺も休むべきだったんでしょうかね…」


「それもなんか不自然だし、別にいいでしょ。ま、とりあえずご飯食べない?」


それもそうである。


だが、早速に空いている椅子を引いた銀河を、緋鞠は「チッチッ」と悪戯っぽく笑って制した。


「チッチッチ、ちょい待ちお銀君?」


「…何です?」


「ん…」


その時、銀河は窓の一つが開いているのに気づいた。


軒先の日陰を滑るように、一匹の真っ黒なコウモリが、すいっと美術室に入ってきたのだった。


驚く銀河の前で、銀河は緋鞠の肩に止まり、靄のように消えた。


緋鞠は笑って、


「じゃあ行きましょ」


「行くって…あとさっきのは?」


「ご飯食べながら説明するわ」


歩き出す先生。銀河も後に続いた。


校舎の中をずんずん歩いて、やってきたのは、生徒には殊更縁のない区画だった。


並ぶのは、事務室、用務員室、教頭室、そして学長室―――先生や事務員用の部屋ばかり。それ専用の一区画。


普段生徒は用事もないし近寄りもしない。逆にトイレは空いているので、非常時となればここに駆け込むのが良いとされているような一角であった。


緋鞠はずんずん歩いて、一際一番奥に歩を進める。


重そうな木の扉がある。



『学長室』。



そう書かれている、扉。


普段は誰も開けないし、開いていることを見たコトもないし、開いている気配もない部屋である。


だがその扉を、緋鞠は躊躇なく開けた。


広い部屋であった。


絨毯が敷かれ、手前には大きな黒革のソファが対面式に据えられている。


部屋の右脇にはトロフィーや優勝旗の並んだ棚。


左脇には分厚い本の並んだ棚。


真正面には馬鹿でかい机と椅子。


その上の壁には、額縁にかかった書―――ではなく、日本画が掲げられているところが、いわゆる一般的なイメージの校長室とは少し違っていた。


そして、椅子に腰を下ろしている人物は、銀河も良く知る人物で。


彼女の優しい微笑みに、銀河は腰を折っていた。


「お疲れ様です、咲月さん」


「お疲れ様。おかけなさい、お銀」


早花咲月であった。


机には、書類が平積みにされている。仕事をしていたらしい。少し疲れたような顔で、万年筆を回す仕草が不思議と絵になっていた。


緋鞠が笑いながら、ソファに身を投げ出す。


「仕事貯めてたでしょお姉先輩」


「まあね。一時間で片をつけたらまた屋敷に戻るわ。璃絵ちゃんを待たせてるし」


「璃絵ちゃんどんな感じです?」


「とりあえず午前中は細かいテストをしていたわ。だいぶお疲れみたいだから、午後は少しデッサンの指導でもしようと思っているけれど」


「お姉先輩甘々だ」


「緋鞠は暇があったらお銀をお願いね」


「分かってますって」


その言葉に合わせるように、扉が開いた。


銀河が目を向けると、そこには、モジャモジャ頭を掻きむしる担任教師の姿。どこか眠たげであるらしく、目をしきりにこすりながら、学長室に入って来る。


咲月は笑って、


「小菅先生どうしたの?眠そうな顔をして」


「実際眠てえんだよ。朝っぱらから校門張ってたせいでな…」


「当番じゃない」


「そらそうなんだが」


ふわ、と欠伸をする先生に、緋鞠は、


「今日はお姉先輩、コーヒー淹れてきてくれたって」


「お、そら僥倖だ。目が冴えるぜ」


「今皆に水筒回すから飲みなさい。さすがにお弁当を作って来る暇はなかったけれど」


そう言って銀河に水筒を差し出す咲月。銀河は謹んでそれを受け取った。執事の仕事であれば喜んで引き受ける銀河である。


先生方のコップに注いで回る仕草に、陽太は「ほー」などと感心の声を上げて、


「お嬢様から聞いてはいたが、確かに仕草がサマになってやがるな」


「ありがとうございます」


「ま、今日はこれからドンパチの方も仕込んでサマにしてやるからな。…ま、見たトコロ武道はしてるっていうし、実際身体は出来上がってるから、基礎的な動きは心配しなくて良さそうだが。そこは俺としても助かるぜ」


そう言って陽太は「頂きます」とコーヒーを一口。その顔がまるでビールにありつく酒飲みのようだった。


「く~っ、寝ぼけた五臓六腑に染みるぜ」


「大袈裟な…美味しいですけど」


緋鞠のジト目。咲月も笑みを浮かべていた。


銀河も腰掛けながら弁当箱を開ける。本日はメイさん謹製の幕の内。


そして、担任教師が、購買のパンをかじりながら、野良犬のような眼でその弁当を見ていた。


「…うまそうな弁当食ってやがるな」


「俺はどうしたらいいんでしょう」


正直な本音が銀河の口から洩れる。「いやしんぼ」と緋鞠がボソリと呟く傍らで、学長の声一つ。


「お銀。明日から小菅先生の分のお弁当持っていって頂戴。メイか悟に作らせるわ」


「やったぜ」


「いいの、お姉先輩…」


「お銀見て貰うボーナス代わりよ。いつも碌でもないものしか食べてないんでしょうし」


呆れ顔に近い咲月。担任教師はまるで年頃の少年のような会心の笑顔であった。料理出来ないのか、と思う銀河である。


担任教師は現金な笑顔である。パンをむしゃむしゃ呑み込みながら、やる気に燃え立つ瞳をしていた。


「っしゃ、これで気合も入るってもんだぜ」


「現金ですよねー小菅先生ー」


「男は美味いメシがありゃ大体エンジンかかるんだ」


だが銀河も何となくそれは分かる節があるだけに笑うしか出来ない。


そんな銀河も幕の内を綺麗に平らげてゆく。


咲月も一段落を終えたらしく、自家製カフェオレの入ったマグカップを手にしながらソファまでやってくる。そのカップを見た緋鞠が口を尖らせた。


「あ、カフェオレにしてる。お姉先輩ズルい」


「自分で作った品にズルいも何もないでしょうよ」


「お姉先輩、私もカフェオレ」


「緋鞠、配分知ってるでしょ…」


「お姉先輩のお手製がいい」


駄々をこねる緋鞠はまるで保健室教諭の姿ではなかった。まるで小学生同然である。咲月は溜息をつきつつ、何だかんだで緋鞠のマグカップを手にして冷蔵庫まで。


牛乳を注ぎながら、


「まるで生徒指導と保健室の先生の態度じゃないわね…」


「学長ー、俺もカフェオレ飲みたいっス」


「やかましいわね…」


まるで高校生の運動部員のような口ぶりの陽太に青筋を立てつつ、何だかんだで全員分のカフェオレを仕立ててしまう咲月。


銀河は自分の前にもマグカップが出て来たのを見て驚いた。


「えっと、咲月さん俺…」


「嫌いじゃないでしょう?」


微笑まれる。


でも俺がそんなこと―――というのは、禁句だと気づいた。少し前に言われたことだ。こういう場合の謝罪は必要ないのだと、はっきり言われている。


だからただ頭を下げた。


「ご馳走になります」


「お銀だけのけ者にするのは主義じゃないからね」


「お姉先輩優しい、甘々」


「言っとくが俺は甘くしねえぞ?」


カフェオレをずずずと啜り込みながら、やる気満々のスパルタな気配を漂わせる担任教師。咲月がすっと恐ろしい笑顔を浮かべながら、


「小菅先生、厳しくするのはいいけど、怪我なんかさせた日にはお弁当抜くからね?」


「ッす、配慮するっス」


「超現金」


緋鞠のジト目。銀河も同感。


胃袋を握られた男、かくの如し。


緋鞠がカフェオレに御機嫌になりながら、銀河に改めて視線を向けた。


「そいえばお銀君、怪我はすっかり大丈夫みたいね」


「昨日のですか?」


「そ、そ。まあ大丈夫だとは思うけど」


銀河は自分の両手足を見つめる。すっかり異常はない―――というか、昨日、お屋敷に帰る時には既にもういつも通りだった。破けたのは制服くらいだが翌朝には元通り…というかスペアが多分大量にあるんだろうと思う。


小菅先生は髭のカフェオレをぬぐいながら、


「朱鞠内先生の治癒だろ、まず間違いねえ…というか、今でも効果あるくれえじゃねえのか」


「お姉ちゃんならともかく私だと12時間くらいが限界だと思いますけど」


「12時間でも十二分に過ぎるわ」


そう言ったのは咲月さんである。じゃがいもの煮つけを頬張りながら、


「24時間以上効くようだと、今日の小菅先生のテストにも障るわ」


「ま、必要以上に耐久されても困るトコっすからね」


「耐久?」


銀河の質問。陽太は銀河をちらりと見て、


「宮原は朱鞠内先生が吸血鬼だって知ってるんだっけな」


「聞いてます」


「なら話は早え」


陽太は頷いた。カフェオレのマグカップを置いてご馳走様をしてから、銀河を見やって、


「朱鞠内先生の『吸血』だ。先生に血を吸われると、そいつは一時的にとんでもねえ自己再生力…いわば自己修復力、回復力を得ることが出来る。直接回復させることが出来る訳じゃあねえが、要は能力の付加だな。あとは身体能力が全般的に強化される」


「さっきも言った通り、12時間くらいだけどね」


緋鞠は言って笑う。


「うちはそういう一家でね。お姉ちゃん二人はもうちょっと強いんだけど私はこれで限界。血を吸えば吸うほど吸った人の能力も強化されるんだけど、その分私の眷属化…いわば使い魔のグールとかになりかねないから、そこにならないギリギリのラインていうのも確かにある」


「やろうと思えば、人噛んで容易くそいつを使い魔に出来るのが吸血鬼だからな」


「今時流行らないしやらないのが私の一家だけどね。何もトクないし」


そう言って笑う緋鞠先生。


「昨日のもそう。ちょっとお銀君の血吸って、お銀君の治癒能力を超強化したの」


「なるほど」


「緋鞠、お銀の血の味どうだった?」


しかしそこで、さらりと咲月がそう言ったものだから銀河は驚く。そんなことを聞くものなのかと、しかしその表情を見る限りシャレや冗談でもなさそうな雰囲気。


そして緋鞠先生もごく真面目に、


「いいもの食べさせてますねお姉先輩。至って健康体、まあ怪我した直後でしたからちょい高め数字ありましたけど問題ナシ」


「霊気の度合いとかは?」


「まあソコソコには。でも現時点ではソコソコですね。一般人よりかは確かに上ですけど異能者平均の並下って感じで」


「そういう鍛錬してねえのに並下か、すげえな」


そう言いながら先生が解説してくれる。


「朱鞠内先生は、血飲んだら大体の健康具合が分かるらしい」


「…本当ですか」


「本当」


朱鞠内先生は朗らかに笑っていた。


「うち、三姉妹だけど姉二人はだから医者なんだよ。私は出来損ないだから保健室の先生なんかやってるけど…」


「出来損ないなんて言わない。だからうちで働けてるんだし」


「あはは、確かに。お医者ならお姉先輩のトコで働けないですもんね」


「姉貴二人のお使いさせられてるかも知れねえぞ?」


「それもそれでなあ、嫌なんですよねえ」


そう言いながら緋鞠は溜息だった。


「お姉ちゃん二人優秀だから、私は金魚のフン扱いだし。まあコレならコレで差別化出来るか…」


「技のキレは姉貴に劣らねえんだろ朱鞠内先生?」


「ま、一応お姉ちゃんの技は…というか私達姉妹全員お母さんから技直伝ですから姉に使えて私が出来ない技なんてないハズですけど」


劣るのは学力だけ、と緋鞠先生。


そして銀河に目を向けて、


「さっきの技もそう。コウモリとかね」


「あんまりコウモリ飛ばさないの緋鞠」


咲月は少し咎めるような眼を向けていた。


「割とどこで見られてるか分からないわよ」


「お姉先輩はともかくとして、私が朱鞠内の末っ子だってのは割と有名じゃないですか。何を今更」


「全く…」


咲月は呟いて、弁当の最後の一口を口に運んだ。


「それはそうと、小菅先生、改めて放課後お願いね」


「あいよう。神さんへの手配は済んでるんだっけな?」


「手配済よ」


「承知したぜ。まあとりあえずやってやらあよ」


そう言って、腕を回しながら立ち上がる小菅陽太。壁にかかった時計が、お昼がだいぶ過ぎたことを示していた。


咲月も学長の椅子に戻りながら、銀河に背を向ける。視線だけが、彼の方に向いていた。


「お銀、午後も頑張ってらっしゃいね」


「はい」


それだけを銀河は応えた。ニヤリと陽太が笑い、銀河の背をポンと叩く。その腕の力強さも、仄かに何となく嬉しかった。



午後が始まる。

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