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星の降る町  作者: 笹霜
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26/42

26.氷川

咲月は、ぽつりぽつりと語り始める。


どこか璃絵の表情を、静かに伺いつつであった。


「そうね。…なら、最初に、お銀も気になっているでしょうから、璃絵ちゃんがらみの、陰陽師の家の云々について話しましょうか」


銀河の頷き。璃絵は完全に箸を止めていた。先生の言葉に何かあったら、即座に応じられる構えであった。


それを察してか、メイが素早く璃絵の茶碗にお茶を継ぎ足す。いつでも口を湿らせられるように。


「…陰陽師というのは、割と日本の異能者の中では、人口が多いし…多少でも扱えれば、名乗るのは割と勝手なの。資格なんかもないし」


「そうなんですね」


「私も、強いて言うなら陰陽師って感じなのよ」


咲月さんはそう言って苦笑した。璃絵がぼそりと、


「先生は…陰陽師っぽいですけど…」


「まあ、あれだけで璃絵ちゃんは確信持てないわよね。実際、他の術も結構扱えたりするからね」


だから、『強いていうなら』という形容を使ったのだと咲月さんは言った。


「璃絵ちゃんもどっちかというと陰陽師というより道士、方士といった方がいいのだけれど、今はその境界も曖昧だし、元から大雑把なのがこの国なのよ。そういうもの」


璃絵が頷く。銀河もただ相槌を打っていた。


「そんな陰陽師は、まあ、色々なのだけれど…。野良の場合もあるし、組織に所属している場合もある。陰陽師だけの組織というのもまあ色々あるのだけれど、色々というのはそれこそ本当に八百万の神と同じくらいあるのよ。大抵はその土地に密着した拝み屋さんとか、神職さんが…裏の顔がそういう人って場合が多いわね」


だから、個々としては、本当に小さな地域コミュニティが多いのだという。


「でも、それらのコミュニティも、ゆるやかな連合というか、派閥に属していたりもする。主に陰陽師の旧家、いわば古い名門を軸とした連合体ね」


「お寺みたいですね」


「まあ、イメージとしてはそんなものね。総本山があって、根っこのお寺が地域にある的な」


でもお寺の宗派よりも縛りはもっと緩やかかしら、と咲月さんは言って、茶碗を傾けた。


「多いのは、土御門(つちみかど)、そしてそれに加えて五大の家」


「土御門?」


「陰陽師、安倍晴明を祖とする陰陽師の家よ」


咲月さんはそう言った。


「名目上は、陰陽師世界のボスみたいなモノね。まあ今は、陰陽師向けの大学とかやってたりするわ」


「…それって…土御門大ですか…?」


「そうよ」


咲月さんはそう言って笑った。


土御門大といえば、銀河も知っている。


進路の時にたびたび話題になる―――大学の一つ。


「普通の人は知らないのだけれど、そういう師弟向けに専用カリキュラムとか組んであってね。大学も高校もあるわ。主に今はそちらに力入れてるみたいな気配だけど。ちょっと出来る陰陽師の師弟はそこにいくし、璃絵ちゃんもゆくゆくは、そういうことを考えられていたんじゃないかしら」


その言葉に、璃絵は身を竦ませたが、すぐに目を逸らした。


少しの沈黙があった後に、璃絵はただ頷いた。


銀河は話題を逸らすように、相槌。


「そうなんですね」


「そして土御門の下部…というか、それには一段劣るようにせよ、名門とされる五つの家があるわ」


咲月は言った。


「それが、金本、子安、氷川、玉川、玉枝。併せて五大の家。どれも裏世界への影響力を強く持つ、というけれど…最近はそうでもないわね」


「璃絵の言葉だと、なんかやたら強いイメージでしたけど…」


「そりゃそうよ、一人二人で普通はどうにかなる相手でもないわ」


咲月は銀河の言葉に苦笑した後で、


「でもそんな五大の家といっても、名門…なのに変わりはないけれど、それでも陰陽師世界だけではない裏世界全体を見渡したら、微々たる影響力しかないってこと」


「…微々たるといっても、かなりの戦闘力がある」


璃絵はそう言った。


「私の家は、跡部…。五大の家、玉川の控え」


「五大の家、玉川の連枝…枝分かれした分家筋よ」


かなり、家の中でも重要な家で、やはり名門の類であることは疑いない。


「…普段は、氷川屋敷程ではないけど、使用人もいるし、いざとなれば、あの執事達を呼ぶことも出来る、それくらいの力は普通にある」


お嬢様だったのか、と銀河は改めて思う。咲月さんほどの気配を感じはしないが…。


「さすがに神林財閥や雨宮組にはとても及ばないけれど」


「神林と雨宮は別格だからね」


「神林って、あの神林財閥…?」


「そうよ」


咲月の肯定に、銀河は唸り声を上げていた。


神林財閥といえば、銀河も知っている。―――明治頃から勃興した日本の大財閥である。『メイド喫茶から水素爆弾まで』なんていうのは割と見かける冗句だが、実際それくらい手広くなんでもやっているし、銀河も神林の文房具の一つや二つも持っている。


GHQの財閥解体をも潜り抜け、重工業を中心にITだろうが兵器だろうが何でもござれ。系列にファミレスや文房具まで当然のように揃っていて、銀河もその製品には世話になっているしこれからもなるだろう。


だが―――。


「神林財閥、裏の部門―――千進会は、裏世界最強の軍備と人員を誇っていて、今は数を減らしたけれど…三個師団くらいはいたかしら」


「師団…!?」


「数万人規模の異能者を軍隊組織にしていて、全国各地にも支部を持っているわ」


それで、大体の裏世界の揉め事は片付けてしまうのよ、と咲月さんは言った。


「何かあったら神林に頼れば、大抵のことは解決してくれるわ。圧倒的な力があるもの。それこそ利益があると踏めば、五大の家くらい軽く敵に出来る。その代り、その後色々口を出されることにもなるから、煙たがられるけど」


「なるほど」


「今回の璃絵ちゃんも、神林に泣きつけば、多分あっさり解決はしてくれるわ」


咲月は苦笑した。


「その代わり、千進会に引き抜かれるでしょうけど」


「…そんな気はないです」


「でしょうね。あそこが似合うとは璃絵ちゃんにも思えないもの」


咲月さんは微笑した。


「今、学校に潜り込んでいるスパイというのも、大方その、神林とかそこらへんでしょう」


「…あの、先生は、その…」


「?」


だが、その璃絵の言葉に、咲月は首を傾げて。だが、璃絵は、どこか言いにくそうであった。


「…その、神林とかに、腹を探られるような、何かが?」


「何がって言っても」


咲月は苦笑していた。


「この星嶺は元々そういう勢力に靡かない土地だし。そんな土地の学園に、…まあ、私が集めた先生達だけれど、それなりに出来る異能者が集まっている気配があれば、不審には思うでしょうね。元々神林の人達もいるし」


「そうなんですか」


しかし咲月も気になることがあるらしい。話題を一旦打ち切って、「ところで」と璃絵に水を向けた。


「…私の当てずっぽうは、本当に合っていたのかしら?」


「当てずっぽうという割に、確信を持っていたみたいでしたけど、先生」


「当てずっぽう?」


「璃絵ちゃんの実家の件よ」


銀河の質問に、咲月はそう答えてから、


「…追試も折角頑張ったのに、いきなり連れ戻しに来るとかね」


その優しい言葉に、璃絵は唇を悲痛な色にして、それから小さく頷いた。


そうだ、と銀河は思い出していた。


―――あれほど、こいつは、追試を頑張って、切り抜けたのに、そこにこの仕打ちであった。実家にしては関係ないにしろ、璃絵としては、やりきれない気分だろうと思う。


「…お姉ちゃんが、昼間、来たんです」


「緋鞠から聞いたわ」


「こっそり来たみたいでした。両親が、連れ戻しに誰かを差し向けるから、逃げろと」


その言葉に、咲月は少し意外そうな瞳だった。


「お姉ちゃんは味方してくれるのね?」


「はい、そうだと思います。私が家を出る時も、反対しませんでしたし、一緒に父と母を説得してくれました…」


「でもそれを嗅ぎつかれたみたいでした」


昼間の、執事との会話を聞いていた銀河がそう付け足していた。咲月は頷いた。


「…璃絵ちゃんの御両親が、璃絵ちゃんを連れ戻すキッカケは、分かっていないのかしら?…まあ、話したくないなら、」


「玉川のお嬢様が、今、お付きを募集しているみたいなんです」


その言葉に、咲月は「ほう」と唇を歪めた。


その笑みが、凶悪なものであることに銀河は気づいた。メイも悟も祀も、璃絵もそうだった。その場全員が、咲月の気配の変化に気づいたのである。


それくらい禍々しい気配が、一瞬漂った。


先程まで、穏やかな気配だっただけに、それは全員を戦慄させるに十分だった。


その気配はすぐに引っ込んだが…全員の背筋に、冷や汗を残すには、十分だった。


璃絵は半分震えながら、上目遣いで先生を見ていた。


「…両親が、それで、安請け合いしてしまったらしくて」


「うちの次女を、ということね?」


「はい」


「事情は分かったわ。まあ要は、主筋の御機嫌を取るためのダシに使われようとしていると…」


咲月はそう言った後、いつも通りの、いや、いつも以上の優しい微笑みに戻っていた。


「不快な思いをさせてしまったわね。良く話してくれました、ありがとう、璃絵ちゃん」


「…私は、先生にも、不快な思いとか、させたくないですから…」


「じゃあ、喧嘩ね」


「え?」


咲月は笑っていた。相変わらず穏やかな微笑みだが、言っていることは物騒極まりない。


「強引とはいえ、一度認めて貰った星嶺暮らしでしょう?なら、御両親と一度喧嘩して…何としてでも、撤回させるしかないわね。御両親には、玉川に頭を下げて貰うしか手がないわ」


「…うまくいくでしょうか」


「うまくいかせるしかないのよ」


咲月は苦笑。


「そのためには、力を貸すわ。もっとも、昼間お銀に言った通り…。喧嘩するのは、璃絵ちゃん自身」


そうでなくては、意味がない、と咲月は言った。


黙っていた祀が、はじめてそこで「うむ」と力強く頷いていた。


「自らの運命は自らで切り開くものぞ。他人に頼っていては、他人のモノになってしまうからな。だが、その決意正しからば、余もまた背中を押してやろうぞ」


「…祀様?」


「余は反逆の神である故な」


そう言って、星宮祀はニヤリと笑った。


「理のある反逆であれば、余は力を貸そう。ただの反抗期風情に力を貸す程暇でもないが、璃絵やお銀は十分にその資格があると見えるからな」


祀様は歯を見せて笑いながら、もう既に楊枝を手に取っている。


「決意固まらば、余が社に願うが良い。余の神徳、余の神話、余が星の神であること、仮にも星嶺に住まう陰陽師であれば、璃絵も耳にしておろう」


「…はい」


「余は待っておるぞ」


それだけだった。それだけで意志は伝わる。土地神様が味方してくれる、その事実に璃絵は頷いた。


それから初めて、ようやく璃絵は箸を取った。


既に璃絵の前には、冷めたおかずが取り分けられている。話をしている最中に、メイや悟が気を利かせたのだった。


咲月は、


「…話は戻るけれど、でも、璃絵ちゃんもこのままだと私のところに入り浸り…というか、少し働いて貰う形になってしまうのだけれど」


「…?」


「千進会は嫌だけど、私のところはいいのかしら?」


少しからかうような言葉だったが、璃絵は頷いた。既に、躊躇いのない頷きだった。


「先生に、絵を、教えて貰いたくて、私は星嶺に来ました」


「…」


「…絵を教えて貰うためなら、何だってします」


その言葉に、咲月はどこか苦笑していたが、その笑みは暖かだった。「本当に馬鹿な子ね」といわんばかりの笑みで、その言葉が実際聞こえてきそうだった。


「分かったわ。―――少なくとも御両親を、交渉のテーブルにつかせるだけの力と、そして絵を教えてあげる」


「先生…」


「交渉というのは、対等な力関係がなくては成立しないわ」


その言葉に、祀も頷いて、


「その通り。力がなくば搾取されるのみ。お銀も璃絵も、既に良く知っているのではないかな?」


その言葉に、銀河は頷いていた。


そう。


令嬢のところで働かせられている時もそうだったし。


何より、今日の、あの時、俺は思ったのだ。


力が欲しいと。


力があれば―――そう、相手を凌駕出来なくても、相手をてこずらせられれば、交渉のテーブルにつかせることも出来るのだ。


そのためには力が必要だ。


―――あいつらに抵抗出来るだけの、力が。出来れば、こちらに有利な条件を引き出すくらいの―――こちらが上回れる、力が。


「ところで、お銀に訊きたいのだけれど、」


「はい」


「昼間の戦いを、私は少し見たわ」


その言葉に、銀河は頷いた。それは予見していたが、咲月さんの言葉は何かを探るようだった。


「…お銀には、何が見えていたのかしら?」


「はい?」


「少し気になるわ」


真面目な雰囲気だった。碧の眸が、探るように俺を見て来る。だが俺は、既に隠し事をする気分でもないし、その気も無かった。


ありのままに話すことにした。


瞳の裏が焼けつくように熱かった感覚。


相手の行動が『見えた』こと。


そしてそれを信じて、相手の攻撃を回避して―――攻撃を叩きこんだこと。


それをありのままに話すと、一同の雰囲気が変わっていた。


メイが口をぽかんと開け、悟が愕然とし、璃絵でさえ箸を取り落とした。祀もいつものドヤ顔を顔面から消している。何やら思慮深い表情。


咲月はそれを聞いた後、「そうね」と言った。


「…お銀が、ああいうキッカケで、何らかの能力に目覚めてしまうことも、人避けの結界に入り込んでしまうことも、想像はしていたし予期もしていた。だから折鶴も持たせていたのだけれど、想像以上のことになっていたわね…」


「…咲月さん、俺に何が?」


「一言で言うと、お銀は既に異能に目覚めているのよ」


完全に割り切った一言だった。銀河は「えっ」と言葉を上げていた。そういうものは―――今後、教えて貰えるのかも知れない、という程度に考えていたのに、いきなりの宣告だった。


「あの時、河原の中には、璃絵ちゃんが張った人避けの結界が張られていた。璃絵ちゃんは初め、多分驚いたでしょうね」


「…はい」


璃絵は頷いた。


「お銀君がいきなり入ってきたので…。一般人だと思っていました」


「私の屋敷の霊気に中てられて、多分潜在的な能力が目覚め始めていたのね」


「そういうこともありますな」


言ったのは悟。祀が頷く。


「確かに、花月の霊気と、この山の空気…。こんな屋敷内で一ヶ月も暮らしていれば、そういう素養がない者も下手したら感知出来るようになるだろうさ。お銀の場合は素養が恐らく潜在的にあったから尚更だな」


「そのような気配は感じていましたからね」


「やはりか、花月」


「ですから、折鶴を持たせておいたのです」


その言葉に、銀河はポケットの中から、渡された折鶴を取り出した。


その瞬間、驚いた。


折鶴はグシャグシャに破けていたのである。


あの戦いで破れたのか?と思う間もなく、咲月さんは、


「あの戦いの時に、貴方の傷を引き受けたのよ。身代わりになるように、私が術を仕込んでおいたからね。…あとは、お銀に何かあったら、私に通報が行くようになっていたわ」


「そんな機能が…」


「新しいものを今度渡すわ」


銀河が卓の上に置いた折鶴を、咲月は懐に仕舞いながら、


「いずれにせよ、お銀は能力に目覚め始めていた。だから人避けの結界内に無自覚に入り込んでしまった」


「…」


「あそこは特殊な結界内でね。そうなるとあそこで戦いがあっても、一般人は気づけないし、近づけもしないのよ」


そういうものだ、と咲月は言った。


「…そしてそこでお銀は戦った…目覚めたばかりの能力を使って」


「はい」


「はじめ、私は、強化か何かの能力かと思ったわ。オーソドックスだし、武道の心得があるのは聞いていたから、無自覚にそれを使いこなしてるんでしょうと」


「…」


「でも、何か違和感があって、最後、ダメージを受けた瞬間に確信になったわ」


咲月は滔々と続けていた。自分の中で考えをまとめるように。


「強化の術を使っているなら、あの瞬間に、あれほどまでのダメージを受けない。私が折鶴を渡してなかったら間違いなく即死のダメージだったわ。すなわちその時、お銀は強化の術を使っていなかった。それにも関わらず、反射神経は異様に上がっているように見えたし、全ての攻撃を見切っていた」


「…強化すれば、反射神経も強化されますからな。私はお銀さんはそうだと思っておりましたぞお嬢様…」


「私もです…」


悟にメイの言葉。


だが咲月は違っていた。


そしてそれは案の定。


「でも私は強化じゃないんじゃないかと思っていたし、だからこそあそこで割り込んで正解だったわね」


「…お嬢様、お銀さんは何なのです?」


「悟にも想像がついている通りじゃないかしら」


咲月は言い、祀は湯呑を手にしながら、鋭い眼をしていた。


「予知、か」


「…」


沈黙が食卓に降りた。悟とメイは何も言えず、璃絵もまた箸を止めてしまっていた。


口を開いたのは、当の、銀河だった。


どこか、呟くような口調で、


「予知…」


「何故皆が呆然としているかというと、滅多なことでは裏世界にその能力者はいないからよ」


咲月さんはそう言った。


「予知、あるいはそれに似た能力者は、何人か、裏世界にいるけれど―――使いこなした能力者達は、誰も彼も相当にレベルが高いわ」


「お嬢様、お銀さんの分析はいかがなさいますか?」


「予知にも色々あるけれど、場合によってはとんでもないことになるわ」


咲月はそう言った。


「祀様には言うまでもないですが、璃絵ちゃん含めた全員に命令を出すわ。この件に関しては緘口令。決して漏らしてはならないわ」


「ヘタをこけば、花月自身が大暴れをすることになるな?」


祀のからかうような笑みと口調に、咲月は不敵に笑っていた。


「…望むところです、祀様」


「咲月さん」


「お銀。詳しくはまだお銀自身にも伝えないわ。何より色々と確信が持てない。璃絵ちゃんも何か知っているかも知れないけれど、お銀には言わないコト。現時点では確証が持てないわ。少し探りを入れてから、私自身からお銀に話す」


それから咲月は、逆に銀河に問いを向けた。


「お銀、これは正直に答えて頂戴。…たとえ嫌でも、出来ることなら」


「はい」


「お銀は両親の顔と名前が分かるかしら。実の両親の名前と顔、出身地とか」


その問い。


しかしその問いに、銀河は首を振っていた。


―――これに関しては、正直なところ、銀河は分からないのである。


孤児院暮らしだった俺なのである。


物心ついた時には、両親の顔なんてものはなくて、宮原銀河という名前も、便宜のものだ。


本名もどこにあるか分からない。


だからこそ―――あの絵と、歌に惹かれてしまったような俺なのだ。


だから、と銀河は言い、口に出したところで、咲月は頷いていた。


「孤児院は?」


「新京です」


「ハンニャ、ケゴン!出てきなさい。聞いていたわね」


その瞬間、咲月が命令を下し、どこからともなく、襖の隙間から、するりと何かが入り込んできた。


茶色の、オコジョに似た動物が、二体である。


それはトコトコと駆けてくると、咲月の脇で礼儀正しくちょこなんと座った。黒いくりくりした瞳が、主を見つめている。


悟が「おお」と声を上げ、メイが「これはお珍しい」と声を上げた。璃絵が目をぱちくりさせて、


「管狐…!」


「くだぎつね?」


「妖怪。多分、先生の式神」


「先程私が言った式とは別ですが、何度かお見掛けした程度ですが…」


メイと悟も、この二体については良く知らないらしい。ただ物珍しげな瞳で、二体のオコジョのような、イタチのような、可愛らしい二体の毛玉を見つめている。


咲月は素早く、


「ハンニャは新京に。京山(きょうやま)神社は…後でいいわ。ひとまず孤児院に潜ってきなさい。ケゴンは大師匠様へ伝達。私が新京に探りを入れること、想音(そうね)さんへ釘を刺すことを頼んできて頂戴。もっとも、大師匠様だから、私の一挙動なんて容易くお見通しなんでしょうけど、それでも挨拶よ。あと近況報告をお願いね。跡部の次女のこと、あとお銀のことは重々報告してきてね」


二体は「ふにゃん!」という、猫とも狐ともつかぬ鳴き声を上げて、ふっと姿を消してしまった。


璃絵が呆然とした口調だった。


「…先生、管狐まで…」


「師匠筋の一人から譲られた式神よ」


咲月は笑っていた。


「良く働いてくれるわ。特にこういう遠方へのお使いとなったら便利でね」


「管まで使うか、花月」


祀がどこか褒めるような口調だった。祀も初めて見たらしい。


「管は何匹いる?」


「四匹です」


「流石だな。いやはや、お前は手数も相当のものだな、人手不足の割には」


そう言う祀は笑ったままである。咲月は改めて銀河に目を向け、


「お銀、後で話すわ。考えや調査結果がまとまったら」


「分かりました」


それが主の意志ならば、俺はそれに従うだけだと銀河は思った。この人はそういうところを間違えはしないのだ。―――俺に話せないというのは、話せないなりの事情があるのだろう。


理の通っている、事情が。


気にならないといえば嘘になるけれど。


信頼はそれを超越する。


一段落したような雰囲気。璃絵はもそもそとご飯を口にするが、心なしかその速度は先程よりずっと早いように思われた。何かしらの整理が、心の中でついたのではないかと銀河は思う。


しかしそれでも喋りたいことがあるらしく、青椒肉絲を呑み込んでから、「先生」と声をかけた。


「何かしら?」


「あの、祀様の言葉で、一つ気になったことが…」


璃絵の質問は、かつて、銀河がしたものと同じだった。


「花月」の名前についてであった。


早花咲月という名前であるのに、祀様は彼女を花月と呼ぶ。


しかしそれについて尋ねると、祀は「ああ」とドヤ顔であった。


「先程、花月が小さい頃にここに居たという話はしたろう」


「はい」


「その頃にはこいつは花月と呼ばれていた」


本名かどうかは伏せておくがな、と笑う祀。だが璃絵は神妙な表情だった。何かを考えているようであった。何か喉元に引っかかるような表情を作っていた。


咲月はどこか優しいが、諦めたような雰囲気を作っている。


それが銀河には気になった。


「…何か気になっているのかしら?」


「…ここ、氷川屋敷というのは…?」


「私が陰陽師五大の家、氷川家に連なっている縁で、この屋敷を手に入れたのよ」


だがその事実は、銀河にとっても、―――いや、悟やメイにとっても初耳であったらしい。


お茶を注いで回っていたメイが目を丸くする。


「左様なのですかお嬢様!?」


「そうよ?陰陽師五大の家、氷川の家に縁がある誰かさんが私」


「…でも、氷川家は全滅しているはず…」


だが、璃絵の追い討ちをかけるような言葉。銀河は「そうなのか?」と声をかけ、璃絵は頷いた。


「陰陽師五大の家、金本、子安、玉川、玉枝は普通にあるけれど、氷川家は、二十年以上前に、お家騒動で、分裂してバラバラ…」


「本家は内部の抗争で全滅、分家などもほとんど死に絶えていて、派閥としては完全に有名無実、全く機能していないわ」


咲月の言葉。


だが氷川閥、氷川家という名前だけは未だ残っているのだという。


「旧氷川閥…つまり氷川派の影響を残す陰陽師の家はあるけれど、血統的には物凄く遠かったり、単なる部下の生き残りだったり」


「…それでこの屋敷も?」


「ええ、それで荒れ放題に荒れていたのを、旧氷川の私が手に入れてるというだけの話なのよ」


だから、私は今は実質どこにも属していないも同然、と呟いた咲月。


「学園も、もともと氷川がやっていたのを、―――まあ、流れで引き受けたというだけ」


「氷川花月…」


だが、そこで、そうつぶやいたのは、璃絵だった。


信じられないような眼を見たといった顔をしていた。咲月の口元が、不敵な笑みを形作っていた。咲月さんにしては珍しいが、今日としては珍しくない―――そんな笑みであった。


「…余り知られてないはずの名前なのだけれど…。跡部の次女なら、聞いたことはあったかしら?」


「…先生、先生、氷川花月…ということは…あの」


「そうよ。私は氷川花月よ」


笑う。


氷川花月、という名前を銀河は初めて耳にしたが―――それを確かに記憶の中に仕舞い込む。


咲月さんの名前の一つ。


咲月は笑みを浮かべていた。


「ちょっと隠しておくつもりだったのだけど、気づいてしまったなら、もういいわ。でも他言無用よ。こんな屋敷に引きこもっているくらいなのだから、私が余り前に立ちたくないことは分かっているだろうし、その理由も璃絵ちゃんは重々心当たりがあるのでしょうけど」


「…」


「分かったかしら?私の力も。信頼して貰っていいわ。責任を持って貴女の身許は引き受けるわ。この氷川花月が…最後の氷川の生き残りが」




そう言って、咲月は、悠々と、メイドからの酌を受けた。

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