25.世界
「何やら爆発が起こったから、何があったのかと思うたぞ」
夕食の席で、神様はふんぞり返って、お箸を手にしながらそう言った。
ちなみに本日はメイさん謹製の中華メニュー。
食卓に並ぶのは麻婆豆腐を中心として、青椒肉絲や焼売。水餃子入りのスープや、ミニラーメンなども並んでいる。
なかなかの贅沢なメニューだが、一同はまだ先程の戦いの余韻を引きずっている。誰も彼もが落ち着かない様子だった。
咲月と祀だけが、悠然と構えているのである。
咲月はいつの間にか狩衣ではなくいつもの着物姿。膝の上には一匹の猫が丸まって寝息を立てている。子猫と見えるが、その身体つきからすると、どうやら成獣であるらしい。
真っ白な猫のようであるが、何故かグリフォンのような翼が生えていた。
咲月は、寝ているそんな猫の喉元をくすぐっている。猫は寝ながら上機嫌な声を上げていた。
祀はいつものように巫女服の上から黒いローブだが、そのローブをひざ掛けのようにして、帽子は礼儀正しく卓の上に載せている。
璃絵と祀の自己紹介もそこそこに、咲月が祀の目の前の御猪口にお酒を注いだものだから、「頂くぞ」なんて神様は言って食べ始めてしまった。
慌てて頂きますの挨拶の一同だが、すぐに箸が進むような雰囲気でもない。
神様は空気を読めない…というか、あえて読んでいないようにも銀河は感じた。
しかし神様は呑気に焼売を頬張りながら、
「ふむふむ、しかし、まさか咲月が術を使うとはなあ。余も驚いたぞ。滅多に感じぬからな、誰かと思うたくらいであった」
「驚かせてしまいましたか?」
「驚くに決まっておろう。神無に負けず劣らず手の内を見せぬお前が」
そう言った神様の悪戯っぽい目つき。咲月の瞳の色が、少し変わったように銀河は思う。
「お母さんも、そうだったんですか?」
「そうだぞ。ま、流石に事が荒だって来てからは出し惜しみはせぬかったが、手の内を滅多に見せぬ女だったぞ、お前のようにな」
母に似たか?と祀の表情。
咲月は、仄かに嬉しそうに唇を微笑ませる。
メイが目をぱちくりさせ、
「…お嬢様のお母様を、御存じなのですか祀様?」
「ま、そだな。良く働いてくれたぞ。花月がここに住んでいるのも、その縁だな」
ふんぞり返る祀。咲月はこくりと頷いた。
「そうよ、メイ、悟。私がここに居を構えたのは、母がかつて縁があったからね。もっとも、母もここの住人、というくらい長居をしていた訳でもないのだけれど」
「その頃には花月は赤ん坊であったからな」
「私も、数か月くらいはかつて居候していたのよ。…記憶はほとんどないけれど」
咲月はうっすらとした微笑み。悟は眼鏡を押し上げながら、「はあ」と感嘆の溜息。
「…昔からの知己でありましたか」
「良くもまあ、いい女に成長したな、貴様も」
「光栄です」
素直に、神様からの酌を受ける咲月である。その瞳が、銀河と璃絵のそれぞれを見て、優しげな形を作っている。祀がニヤリと笑って、スープを一口口にして、
「ところで花月、そこの道士見習いも居候か?」
「私は、そうさせたいところですね」
「なんだ、決定ではないのか?」
「本人の口からは、言葉として聞いていませんから」
「ほぼ決定事項みたいなものだろうに」
そう言ってニヤニヤ笑いながら、祀は今度は悟からの酌を受けた。並々と継がれた酒を飲みほしても、その顔に赤みが差す様子はない。
だが咲月は涼やかな、何食わぬ顔。
「…決めるのは、璃絵ちゃん次第」
「先生…」
「少なくとも、先程の戦いで、私が十二分な実力を持っている、それは理解出来たと思うけれど…」
そう言って、咲月は、杯を卓に置いた。微かに酔った色の息。穏やかな瞳だった。
「私に、心配をかけるとか、そういうことは、改めて思わなくても良いわ。私が好きで、貴方達を…その才能を買おうと思っただけ。その責任は、私が持つ。それだけの、話」
その言葉に、銀河も、璃絵も、以前聞いた話を思い出す。
『あの人は滅多に人を買わない』。
そう―――自分達は、能力を買われたのだと、その時二人は思い出している。
認めて貰って、いわば、見込んで貰っているのだと、それを確信していた。
銀河がそこで、口を開いていた。
「あの、一つ…いいですか」
「何かしら?」
「…俺を買ったのは、その…能力だけですか」
「そうね」
咲月はそう言った。微笑んでいた。不思議な眼だった。穏やかな瞳は、先程の戦いの時の気配など、欠片も残していない。―――二面性をそこに銀河は感じた。
「縁があったというのもあるし、能力を買ったというのもあるけれど、それでお銀は納得しないでしょうから…。まあ、正直なところ、私にも要因はあるわ」
「要因?」
「まあ、人が足りないという、それだけね」
単純に、人が足りない、と早花咲月はそう言った。
「お金はあるのよ。土地も組織もあるけれど、ちょっと今、人手が足りないわ。当座、何か目的がある訳でもないけれど…何をするにせよ、人が足りないの、今」
咲月はそう繰り返した。どこか遠くを見るような瞳だった。
「この屋敷のお手入れだってそうだし、学校の方もそうよ」
「学校?」
「先生は、皆私が見込んだ人達を配置しているのだけれど、正直、先生ばかりじゃなくて、生徒にも私が見込んだ子を置いておきたくてね」
それに、色々理由はあるけれど、と咲月は言った。
「まあ、表だったコトを言うのならば、いじめの気配とか、そういうのを嗅ぎ付けて貰えるだけで、私は大変ありがたいし、何かアドバイスをくれるとそれだけで助かるわ。そういうことは、教員の目からも見えにくいし」
そこで、璃絵が何かを考えているような表情をしていた。
それに咲月は気づく。銀河もその主の視線に気が付いた。
視線を受けて、少し璃絵が頬を染めたような表情をした。咲月は微笑んでいた。
「…言って御覧なさい?」
「…あとは、スパイですか、先生」
「御名答」
スパイが必要なのね、と咲月は言った。璃絵は既に真面目な顔だった。
「…学校に潜り込んだ、異能者達への探り…」
「璃絵ちゃんは気づいていたのね」
「知る限りでは二名、知り合いに」
それだけで二名います、と璃絵の報告。咲月は笑っていた。だがその微笑みは表面上のものだけで、気配はどことなく鋭い。
「多分、向こうも、璃絵ちゃんのことを悟って近づいているんでしょうね」
「…先生も御存じ…」
「璃絵ちゃんやお銀の周りには気を払っているからね。向こうも私が臭いとは分かっているでしょうね」
まあ、それ以上踏み込むことは許さないけれど、と咲月。間抜け面の銀河に向けて、璃絵はどこか睨むような瞳を向けた。
「…お銀君。これからは軽々しくお屋敷のこと、学校で喋っちゃ駄目」
「えっ?」
「お銀には、私の能力のこと、知らせていなかったし、無闇に口に出すとは思っていなかったけれど、いよいよそうも言ってはいられなくなったわね」
咲月も腰に手を当てた。祀は頬に麻婆豆腐を引っ付けながら、
「ま、これまではお銀が素で何も知らぬからこそ、相手も油断していたのだろうがな」
「相手…?」
「ほのかとエリス」
だが、その銀河の間抜け面に、璃絵は二つの人名を叩きつけた。
銀河も言われてすぐにそれは分かる。
クラスメイトの名前である。
丹羽ほのかと、鞘堂エリスである。
それがどうしたと?
しかしそう顔に書いてある銀河はさておいて、璃絵はどこか伺うような瞳で先生を見た。先生は言った。
「どうぞ、憶測でもいいわ?」
「あの二人は、先生のお知り合いではないんですね」
「ないわね」
「…この土地の能力者?」
「ではないな」
それに答えたのはあろうことに星宮の祀様であった。もしゃもしゃと青椒肉絲をおかずにご飯を頬張りながら、
「二人とも余所者だ。それは土地の神たる余が保証しよう。二人ともアパートを借りているぞ」
「そうなのか…」
「ということは…二人とも、星嶺学園を偵察するために、他の異能者組織から放たれた、スパイ?」
その璃絵の言葉に、咲月はこっくりと頷いた。銀河は今度こそ驚きであった。
二人が異能者である―――そのことにも驚きであったし、スパイなどという不穏当な言葉が出て来ることもさらに驚きであった。
璃絵は続けて、
「先生達は皆先生のお知り合いなんですね?」
「それは保証するわ。あの宴会の席に居た通りよ。全員私がスカウトした人達」
先生方は皆味方よ、と咲月は言った。銀河はまさか、とばかりに口を開く。
「…じゃあ、先生方も、もしかして…」
「半数以上は異能者ね」
…マジかよ、というのが銀河の心中であった。璃絵は溜息だった。銀河に呆れているらしかった。
「…お銀、緋鞠先生のことは前から知っていたくせに」
「…小菅先生とかも?」
「なかなかの男でしょう?」
咲月がどこか悪戯っぽく笑う。
「出来る男だから、頼っていいわ。そのように、頼んであるし。二人のことは特に、緋鞠や陽太には特に重々に頼んであるから、何かあったら頼りなさい」
そして咲月はそれから、
「…でも、お銀。クラスメイトには、余り、屋敷のことはお喋りしないようにね」
そう釘を刺した。銀河はとりあえず頷くが…しかし、いきなり、今まで昨日の今日で普通に喋っていたクラスメイトを、敵性認識とするのも、難しいようにも思われた。
そんな銀河の心中を、咲月も璃絵も悟ったらしい。
祀様が白米のお代わりをメイに要求しながら、
「ま、なら良い機会だろう花月。お銀に一通り説明してやったらどうだ、この世界のことでも」
「そうですね」
「この世界…?」
「この日ノ本の裏世界の話ね」
それは、この、魑魅魍魎とかがいる、化生のいるような世界の話―――という訳でもなさそうであった。そんな話、覚悟であったら、だいぶ前からしていることだ。
璃絵がぼそりと呟くように、
「…妖怪はともかく、異能者だって、組織や派閥がある。そういう、知識の話」
「璃絵ちゃんの所属している、陰陽師の世界の話も含めてね」
「神にだってあるのだが、まあ、それはおいおい余からしてやろう。ここで話しても腹がくちくなってしまうであろうからな」
そう言って笑う神様は、山盛りの銀舎利のお代わりを受け取る。自分でも咲月の説明を心待ちにしているような、悪戯っぽい表情であった。




