23.戦闘
眼を覚ました俺が感じたのは、のっしのっしと踏み歩いてくる足音―――。
ヤバイと頭を起こしかけたその瞬間の激痛。
そしてその瞬間、
「何ッッ!!??」
そんな声と共に、大男が飛び退いたらしい。河原の石を蹴散らす音、そして執事達の動揺する声。
同時に首筋に痛みが走った。
声がする。
「お銀君、少し待ってなさい」
厳しい声だった。だがその声に聞き覚えがある。首筋に走った痛みはだがごく小さなもので―――だが、声は聞き覚えのある、安心出来るものだった。
「…こりゃ酷い。強化しないままであの男の斧喰らったわね…」
「緋鞠。お銀のことは任せていいわね?」
「お任せだよお姉先輩。朱鞠内家直伝の治療の腕前の見せ所だし」
笑う声。
やはりすぐには起き上がれないが、銀河は全身の痛みが急速に引いてゆくのを感じていた。
「…せ、先生…?」
「ハイまだ喋らないお銀君。すぐに回復するとはいえ結構荒療治だからね」
「…先生、一体…それに咲月さん…」
だが、早花咲月はそれには答えなかった。
ただ、霧雨の河原に、もの凄まじい笑みで立っているだけである。
普段の儚い笑みはどこへやら。余裕と悪意の詰まった、魔王じみた笑みを浮かべていた。実際、傍に居たメイも、その笑みに、背筋をぞくりと震わせたレベルであった。
執事達と向かい合うのは、悟である。
件の真っ黒な忍者装束で、やたら長い腕にクナイを挟み、男に負けず劣らずのニヤニヤ笑いであった。
一方で、突然の乱入に面食らったのは男達である。
大男―――風馬は、大斧を改めて構え直し、忍者装束に身を包む悟を目の前に構えを取る。
「…お前は相当出来るようだな」
「ま、素直に撤退をお勧めするところですぞ」
ニヤニヤと悟は笑う。眼鏡を不敵に押し上げて、
「私は決してそこらへんの三下ではないですからな?」
「…」
「かと言って、ここで撤退すれば、お嬢様を連れて帰るという目的は見事に未達成!雇い主は御冠でお飯のくいっぱぐれ!というところでしょうかな?」
馬鹿にするような―――しかし思い切り図星―――の挑発だった。
風馬は声を張り上げる。
「俺はこの忍者を引き付ける!お前達でそっちを相手に出来るか!」
だがそれに被せるように、怜悧な口調の命令が下った。
「悟。命令するわ」
「はッ」
「貴方一人で全員退けなさい。それくらいは出来る筈だし、私がそのようにしているわ」
咲月だった。
咲月は、いつもの着物姿ではない。
痛みに耐えながら立ち上がった銀河は、初めてその姿を見た。
はじめて見る―――凄まじい迫力の、早花咲月だった。
橙色の狩衣姿である。
前垂にあしらわれた意匠は、金色の彼岸花に、揚羽蝶の舞っているいる意匠である。
袖口には、北斗星と南斗星の意匠。
首元には桜色のマフラーを巻いて、それが―――霊気の風に緩やかに靡いているのだった。
いつもの咲月さんとはまるで違う。
一言で言うと、覇気が漲っていた。凶悪で不敵な笑みが、口元には浮んでいる。
ふてぶてしいことこの上ない笑みであった。
咲月さんは、金襴の扇を広げて、口元を隠しながら、
「本来私が出るような幕でもないのだけれど、まあ、貴方の修行の成果を見るにはいい機会ね。採点するから、気張りなさい」
「はッ、仰せのままに」
「貴さm」
「遅いですぞ」
礼をした悟の背後で風馬が斧を振り上げた次の瞬間には、悟の後ろ回し蹴りがその顔面を捉えていた。
銀河のものとは比べものにならない攻撃力であった。
鋼鉄の硬さを誇ったガードはあっけなく破壊され、その鼻面に爪先が食い込んで歯を折り飛ばす。いともあっけない攻防。
攻撃力も、速度も、まるで比べものにならない。
咲月は笑っていた。
「出力50%を許可するわ。眼鏡を外すことは許可しない…外すまでもないでしょう」
「仰せのままに」
クナイが宙を切って飛んだ。その全てが、残り三人の執事たちに命中していた。凄まじい速度だった。
防御出来た執事も居たが、防御した瞬間にクナイは爆裂して爆炎を吹き上げ、三人を火だるまにしたのでまるで意味が無かった。
「…!!!」
鼻骨を砕かれ、歯を折り飛ばされながらも風馬はそれでも諦める気配がなかった。
斧を振り上げる。
だが悟の動きの方が早かった。
凄まじい速さで間を詰め、風馬の首筋に手刀を浴びせていた。
勝負アリであった。
一瞬で膝を折り崩れ落ちる風馬。悲鳴を上げながら逃げ去ってゆくその他執事。
咲月は笑みを浮かべたままであった。
「…悟、出力10%でも良かったわね。跡部の執事も大したことはないものね」
「お姉先輩、さっすが」
「緋鞠、ちょい物騒なことになるかも知れないわ。覚悟はいいわね?」
「喜んで」
踊りだしそうなほど嬉々として応じる朱鞠内緋鞠の前で、宮原銀河はやっとのことで身を起こして立ち上がった。その時初めて、自分が血塗れなのも知ったし―――咲月さんが、想像以上に何かを知っているのも悟った。
呆然とした様子で、跡部璃絵が土手を降りてきていた。覚束ない足取り。しかしその瞳は、夢遊病患者のようでいて、しっかりと咲月を見据えていた。
咲月は相変わらず不敵千万の笑みであった。
その笑みを、璃絵も銀河も初めて見たし、悟やメイにとっても本当に珍しい表情だが―――緋鞠は知っている。
それが、『お姉先輩』の本来の表情なのだと。
緋鞠は嬉しくてたまらない。
―――今のお淑やかな先輩ではなくて―――あの頃、かつて職場を共にした先輩の顔が。
璃絵は呆然としていた。
「先生…」
「璃絵ちゃんもうちに来るかしら?」
「…うちにって…?」
「教えてあげてもいいわよ?」
ニヤリと咲月は笑う。
「分かるでしょう?…私が普通じゃないこと。そして、きっと、璃絵ちゃんよりも、格上だということ」
「…」
「今のままじゃ、きっと璃絵ちゃんは実家、跡部に連れ戻されるだけでしょうね」
咲月はそう言った。まるで今までのやりとり全部を見て来たかのような口ぶり。だがそれを突っ込んではいけないと、銀河はそう何故か確信していた。
「教えてあげてもいいわよ?…私の術を」
「…先生…」
「私の絵と、術を、教えてあげてもいいけれど、まあ、当然、少しは働いて貰うことになるかしらね」
タダというほど安くはないからね、と咲月は笑み。
「でも、このまま借家にはいられないでしょう?実家からの送金もなくなるでしょうし」
「…先生」
「どうかしら?」
まるで全てを見越しているかのような笑みだと銀河は思った。
だが、分かることが一つだけあった。
この人は、圧倒的なのだ。
とても、普通のお嬢様なんかではない。
思えばそうなのだ。
あのお屋敷に住んで、式神を二体も引き連れて。神様と知り合いで、学長なんかをやっていて、吸血鬼が部下なのだ。
普通のお嬢様である訳がない。
こちらの生半可な隠し事など―――多分きっとお見通しなのだと、銀河はどこかで思っていた。今日のあの、靄の中のやり取りで、それは確信に近い―――ほぼ確信となっていた。
ああ、だから―――惚れてしまったのかも知れないと銀河は思う。
ならば応えるだけである。
きっと、このお嬢様が見込んだ俺なのだから。
きっとやれるはずなのだ。
―――それが、主を信頼するということなのだろう。
早花咲月は微笑んでいた。
そして、跡部璃絵は、その差し出された手を取った。
川の音が響いていた。




