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星の降る町  作者: 笹霜
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20/42

20.吸血鬼

「ねえ、お銀君、見て、見て」



その日、美術室に顔を出した宮原銀河は、嬉しそうな友人の顔を見て、大体何があったのかを悟った。


いつも通り、お昼休みのことである。


跡部璃絵は、いつも通り、ぼさぼさのツインテールに皺くちゃの制服姿なのだが(多分どこかで寝たのだろう)、いつも気だるげそうな瞳は微かに興奮の色を湛えていた。


「うまくいったよ、お銀君」


そう言って差し出してくるのは数学の追試の結果だった。


ボーダー60点のところ、86点で通過している。


満点とはいかないまでも、及第点といったところだろう。


この学校の追試は、基本的にテストの焼き直しと難易度の低下なので、銀河としても教えるのに苦がない。


むしろ追試の方が難しくてたまるかという話で。


おめでとうの言葉をかけようと思ったが、ドヤ顔の璃絵を見てその言葉は引っ込んでしまった。


「教師がいいからだな」


「うわ、自分でそれ言うんだ」


「それはさておいても、頑張ったのはお前自身だろ」


その事実に疑いはない。


ここ数日、璃絵は学校終わりに、屋敷に顔を出していた。そう、咲月さんが許可を出したのである。


「どうぞ、自由にいらっしゃいな」


そう、あの『さんらいず』での宴の終わり際にそう言い、璃絵はそれに甘えている形であった。


学校や喫茶店では集中出来ないし、家で一人でも、誘惑があったりする。


しかし氷川屋敷は清閑で、何もないけれど、逆にそれが落ち着く―――そう璃絵は語っていた。


ここ数日、入り浸りで、部屋の一間を借りて、良く勉強していた。


それを見た咲月さんは、どうやらその態度もお気に召したらしく、「追試がうまくいったら、絵を少し教えてあげようかしら?」なんて言ったものだから、璃絵はホイホイ釣られてしまったのである。


特大のエサをぶら下げられた璃絵は強かった。


今まで追々試まで常連だったというが、見事に全科目の追試を一発でめでたく突破したのである。


銀河も目を見張る速度だった。


銀河は思う。



―――まあ、要は、やる気がなかっただけだな、と。



エサをぶら下げたり、罰を用意したりと、押し引きをすれば、割と簡単にやる気を出す―――というか、釣れるのである。


本質的に頭が悪いキャラじゃないんじゃないかと銀河は思っていた。


むしろ、今まで誰もそれに気づかなかったのが驚きだった。


だが、思うに、咲月さんはそれを見抜いている節があるのではないかと思う。


だからこそ、釣ったのだ。


そして釣られた。


それが跡部璃絵。


「…これで、先生に絵を教えて貰える…」


璃絵は上機嫌だった。それが何よりも嬉しくてしょうがないらしい。追試の結果を見ながら、どこか落ち着きなく貧乏ゆすりをしている。それが銀河には面白かった。


「でも今回でテストは終わりじゃないぞ」


「分かってる。頑張る。最低赤点出さないように。先生を失望させたくない」


「ホントお前も咲月さん大好きだよな」


「人のコト言えたものじゃないクセに」


「仰る通りで」


全く、まっことその通りである。こくりと頷く銀河である。


璃絵はどこか神妙に言った。


「先生は、嫌いなら、学校になんて行かなくていいって、最初私には言ったけど…」


「…」


「多分、それは、先生が、学長の立場だからだと思う」


だから、許せるのだ。


自分が気に入った生徒なら、見込んだ生徒になら…いつまでも卒業出来なくてもいい、と許可を出すことも出来る。それくらいの権力を、多分持っているのだ。


「…私を認めてくれなかったら、多分、色々違っていたと思う」


「退学とはいかなくても、転校の話とか持ち掛けられたりとか…」


「ありえなくはないと思う」


しかしそこで璃絵がそう言った瞬間、美術室の扉が開いた。銀河と璃絵の視線がそちらに向く。


紅の入った茶髪を翻した、白衣の先生―――まだうら若い保健室の先生―――朱鞠内緋鞠先生が姿を見せていた。


朗らかな笑みである。


もうお馴染みだけに、銀河にも警戒感はない。咲月を「お姉先輩」と呼ぶこの先生のことを、銀河は嫌いになりようもなかった。


そんな先生はきびきびとした動きでこっちにやってくるなり、


「はーい、お邪魔するわね、こんにちは璃絵ちゃんにお銀君」


「先生?」


「早速だけど璃絵ちゃんお客さん」


「私に?」


きょとんとする璃絵。緋鞠先生は何か怪訝な顔で、その細い指を顎先に当て、


「放課後とかじゃなくて平日お昼休みのお客さんというのが不自然というか引っかかるんだけど…」


「誰です?」


「璃絵ちゃんのお姉さん、って名乗ってる」


その言葉に、璃絵の背筋がぴくんと震える。緋鞠は少し考え込むような仕草の後、


「璃絵ちゃんお姉ちゃんいたよね」


「はい」


「黒髪長いツインテールの美人?着物だったわ。150くらいで多分バストはBくらい」


「多分お姉ちゃんです」


璃絵はそれを肯定した。一瞬で肯定するあたり心当たりがあるらしいが、銀河は何故バストの判別がついたのかそれが気になった。


緋鞠はそんな銀河を見てニヤリと笑い、


「さては美人を見たいのかナお銀君?」


「先生がそういう下世話な顔をするものではないと思います」


「聖職ってガラじゃないからね私」


溜息の緋鞠はその後璃絵に顔を向けて、


「応接室に居るわ。行ってあげて」


「分かりました」


璃絵が席を立ち、残ったのは中途半端に残ったお弁当と、二人の影。そして外に響く霧雨の雨音だけだった。


窓ガラスの外は、ほのかな雨模様。


学校の喧騒のはるか向こう、微かに聴こえてくる雨だれの音。


緋鞠は曇った窓ガラスの向こうを透かし見るかのような表情をした後で、


「…何かあったのかなあ」


「家族が平日昼間っから会いにくるとか、ちょっと普通じゃない気配も感じますけどね」


「そうなんだよねえ」


緋鞠は首を傾げる。


「変なことがなければいいんだけど。お姉先輩も相当璃絵ちゃんのこと買ってるし」


「ちなみに、お姉さんというのは、どれくらい年が離れて?」


それを銀河は聞いたことがなかった。しかし緋鞠はそれに関しても疑問があるらしく、


「まだ高校生にしか見えなかったけどねえ…」


「違っても一個か二個ですか」


「アレで大学生とか社会人だったらビックリよ。5000兆ジンバブエドル賭けてもいいわ」


そう言う緋鞠先生も大概見た目詐欺なんだが、と銀河は一人心の中で呟く。


目の前の朱鞠内緋鞠ときたら、学園の制服を着せてもしっくり似合ってしまいかねないほどの童顔小柄。一見したところ美女ではなく美少女であることは疑いない。


未成年にしか見えないせいで、一見さんの居酒屋にもなかなか行けないんだとか。


そう愚痴っていたのを『さんらいず』で聞いた。


「…何?」


「いや、先生も相当若作りですから」


「むしろ困るのよ、お銀も知ってるでしょ」


緋鞠溜息。


「まあ生徒は知ってくれてるけど、保護者から舐められるのはキツイわ。まあそのたび色々誤魔化してたりするんだけど」


「誤魔化し?」


「いや、私怒ると怖いヨって」


ニヤリ、と緋鞠先生は笑う。銀河は首を傾げた。言っている意味が余り良く分からなかった。


そして興味もあった。


「…どうやって分かって貰うんですか?」


「こうやってさ」


だが、その瞬間、緋鞠の瞳が紅に輝いた。


一瞬にして、銀河の背筋に悪寒が走った、ヤバイ、という恐怖が背筋を走り抜ける。



―――何か分からないが、ヤバイ―――!!



得体の知れない恐怖。視界が一瞬のうちに、赤いセロハンをかぶせられたかのように、紅に染まったような―――そんな錯覚。



紅の電流を浴びせかけられたような。



そして恐怖は現実のものとなる。



身体が凍りついていた。



硬直。文字通りガチガチに固まって、呼吸と瞬きだけが許されていた。それ以外の何をも許さない、許しはしない、圧倒的な圧力。巨人に身体を握りつぶされてしまったような圧力。冷や汗が流れ落ちる、一瞬で鼓動が早鐘を刻む。そのくせ恐怖に駆られて動き出すことは許されず、瞳は目の前から逸らすことを許されない。


強権によって、無理やり身体を支配されてしまっているかのようだった。


ニヤリ、と目の前でロリっ子の先生は笑ったが。


その笑みは。


無邪気な子供のものではなく。


捕食者の笑みだった。



―――人間離れした、捕食者の笑みだった。



―――その瞬間、銀河は悟る。否応なしに脳内に叩き込まれる。



この人は、逆らっちゃいけない人だ。


逆らったら瞬時にお陀仏にされる。いや違う―――喰われる。


エサにされる。


人間の奥底の原始の本能が告げている。


相手は捕食者だ。


逃げろ。


生きるために―――。


だが、その時、ふっとその表情が緩むと同時に、拘束が解けた。


鼓音と呼吸が戻って来た。その時初めて、銀河は初めて肺の奥底に、空気を吸い込むことを許されたのだった。


「分かった?まあちょっとお銀にはやりすぎたかなって感じだけど、まあお銀君相手だし、どうせ知っておくべきだろうことだし、お姉先輩が早いか私が言うか早いか…」


「…さっきのは…」


「私の術。基礎的な金縛り。普通の人間相手だったら睨むだけで一発よ。小動物相手だったらそれだけで使役したり、息の根を止めることも出来るわ」


凄まじい。


朱鞠内先生は白衣を翻し、霧雨の窓の外を見て、


「…私はこんな雨の日は外に出られなくてね。傘差せばまあ出歩くことも出来るけど、雨合羽なんて絶対ムリ」


「…?」


「ついでに昼は眠くてしょうがない。本当は夜にお勤めしたいんだけどね」


そう言って緋鞠先生は、ニヤリとその八重歯を剥いて笑った。


―――あえて見せたのだと分かった。


先生、あんな歯長かったっけ―――。


それが分かった。


「お姉先輩は、紅葉さんが天狗だとか言ったけど、まあ、私もバケモノの類よ。予想つかない?」


そう言って、先輩は白衣のポケットから、何かを取り出した。


ちょっと見て、分かった。


点滴パックだ。


中に薬剤が入っているハズのソレの中身は―――しかし今は赤黒い。


すなわち、輸血パックだった。


それに緋鞠先生は、事もなげにストローをブッ刺す。銀河の背筋に冷や汗が滲み、そして悪寒が二度目の駆け上がり。


まさか―――。


そして先生は、何のこともなく、それを吸った。


ジュースのように。


「…普段は普通のヒトと同じようなまともな食事を摂ってるんだけど、たまにコレも飲まないと倒れちゃうのよねワタシ。割と純血に近いから」


「…先生まさかですけど、マジですか…」


「そうよ、マジマジ、マジモン、本物」


そう言って、先生は唇の血を指先でぬぐって妖しげに告げた。年相応とは思えない仕草、いや、そもそもこの人が『ソレ』だとしたら見た目=年齢とは丸っ切り限りやしない―――!



吸血鬼(ヴァンパイア)よ、私」



朱鞠内緋鞠先生は、そう告げた。

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