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星の降る町  作者: 笹霜
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17/42

17.喫茶店

結論から言うと、跡部璃絵の出来の悪さは銀河の予想をかなり超えていた。


「ここが、こうなる。まずは公式を丸暗記から」


「丸暗記しなきゃダメ?」


「ダメ。ゼッタイ」


どこぞの薬物防止のスローガンのようなことを銀河は真面目な顔で言った。璃絵は涙目だった。



―――和風喫茶、サンデーサイレンス。



その席の一角である。




何故、銀河が余り気乗りしなかった、この喫茶店に、放課後来ることになったのかというと、少し長くなる。


昼休み、早速に銀河は美術室の璃絵のもとを訪れた。


璃絵は珍しくも窓際の席で、絵を描くでもなく、船を漕いでいたが、銀河がやってくると目を覚まして歓迎の様子だった。相変わらず無表情に近い表情とはいえ。


銀河は大きな紙袋を持ってきていた。


今やっている日本史の時代に当てはまる、歴史漫画である。


お屋敷の書庫から失敬してきたのだ。


それを告げると、璃絵は驚いたような表情の後、「いいの?」と気まずげな顔を作っていた。


「そんな…。お屋敷のものなのに」


「咲月さんはいいってさ」


「先生が…」


先生が貸してくれた、と呟く唇はどこかぼんやりとしている。璃絵は何を言い出そうか逡巡していたようだったが、やがて作ったのは小さな微笑みだった。


遠慮がちだけれど、可憐で花のある微笑みだった。


「でも、ここで断っても、お銀君も困っちゃうよね」


「全くだ」


「読んで、成績上げて、先生に返すから」


頷く璃絵。好意を無駄にしたくないという意志が明確に読み取れる。銀河も頷いた。それで良いと思う。

誰もいない美術室で、向かい合ってお弁当。


何だかんだで、日課になりつつあるような気もする。


銀河にとっては、初めての同志とも言えるような間柄で―――一緒にいるのも、全く苦ではない相手だった。


「そういえば、今夜、咲月さんが、外食だそうなんだけど」


良かったら璃絵ちゃんもどうかと言っていたぞ、と告げると、さらに璃絵は追い討ちに狼狽したような様子だった。あたふたと手を振って、


「えっ、えっ、いいの、お銀君?」


「先生からのご指名でな」


悪戯っぽく、からかうような言葉だったが、璃絵はそんなことに切り返す余裕もないらしい。例にして、いつも気だるげな顔を紅く染めて、


「…い、行かない訳ないじゃん、そんなこと言われたら…」


ゴニョゴニョと口ごもるような答え。銀河は何か少し考えるような仕草だった。窓の外を少し見つめてから、


「いや、璃絵だって予定があるだろ」


「ないよ。暇人だよ」


今度はむすっとした顔である。気だるげで無表情のように見えて―――そうでもないのが跡部璃絵。


「生半可な予定入ってても先生から言われたら全部キャンセルだし」


「いいのかソレは」


「私がそうしたいからいいの」


しかしそう言われてみれば、この跡部璃絵、実家も何もかも放り捨てて―――無名の画家の作品に憧れて、この星嶺に独居しているような奴なのである。


その言葉があながち嘘とは思えない。覚悟は既に証明済の女なのだ。


「それにどうせ予定なんてないし。不登校だし。ぼっちだし」


そして途端に拗ねる璃絵である。銀河は苦笑していた。


「丹羽さんとか心配してるんじゃないのか」


「ほのかね…」


しかしそこで同級生の名前を出されて、どこか複雑そうな顔の璃絵である。視線をうろうろさせている。


「…でも、ほのかは他にも友達いるし。迷惑かける訳にもいかない」


「じゃあ、俺は?」


「…」


再びからかうような調子を帯びた銀河の言葉だったが、璃絵はそこで言葉に詰まった。少し顔が赤いのは気のせいかと思う。


少しの沈黙があった。


唇が開いた。


「…お銀君は物好きなぼっちだし」


「…まあ」


だが、それを否定も出来ない銀河だった。


―――何せ、この年になるまで、友達という概念を知らなかった俺なのである。初めて出来た友達が、目の前の少女だった。初めての友達。初めて、大切な感情を共有した相手―――そう、あの人への憧れを同じくした同志。それを確認しあった間柄。


互いに、あの人の姿の向こう側に見ている景色は違うけれども。


あの人への敬意は同じものだ。


あの人のどの才に惚れたかは別でも。


あの人の人格に惹かれているのは、同じだ。


だからそれでいいと思う。


そしてお互いに、あの人に見出して貰った、同い年の仲間であった。


「私に漫画貸しに何巻も持ってくるとか、物好きの極み」


だがそんな物好きでもいいのだろうと思う。それに価値を見出せるなら。それできっといいのだと思う。拗ねるような言葉を向けられても、不快感は全くない銀河だった。


「…じゃあ、ひとまず、咲月さんには連絡しとく。今日の夕方18時半からな」


そう。


午前中、お昼休み直前に、早速にポケットの中で、折鶴が放つ熱を感じた銀河なのである。


何かを問うまでもない。外食の知らせである。


「外食って、そういえばどこで?」


「『さんらいず』って店」


俺も行くのは初めてなんだが、と言う銀河に、璃絵は「そうなんだ」と答えて頷いていた。


その様子から知っていると見えた。


「お銀君は、ここに来てから一ヶ月ちょっとだよね。行くの初めて?」


「全くの」


「おいしいよ。私も一回しか行ったことないけど」


それもデザート食べに行っただけだけど、と璃絵。


璃絵も美味しいというのだから、確かなのだろうと銀河は思う。まあもともと信用していない訳でもないが。


「じゃあ、璃絵も夕食は初めてか」


「うん、そうなる」


こくん、と頷く璃絵。


「お銀君は場所分かるの?」


「大体場所は聞いて来た」


初めて行く場所だが、迷うことはないだろうとは思っている。そこで「帰ってから行くの?」という質問に、銀河は首を振った。


「それが、時間を潰して来いとさ。まあお屋敷に戻っても時間中途半端だし…」


「でも、学校に居ても、ぼっちは暇」


痛いコトを平気で突いてくる璃絵である。どこか意地悪げな口調だった。銀河はどこかジト目で睨んだだけだったが何も言い返せるものではなかった。事実だからである。


だが、こんなこともあろうかと、切り返す腹案がなくもない。


意地悪げな笑みを作ってみせる。


「お前に勉強を教える時間にしてもいいんだがな?」


スパルタしてやろうか、という銀河の言葉。


そう。


咲月さんは、俺に「良かったら教えてらっしゃい」なんて言葉も言っていたのである。ならば―――そういう時間でもいいはずである。


璃絵は「いいの?」と驚いたような顔であった。案外拒否されるかもと思っていたのだが―――本人のやる気はあるらしい。少し意外な銀河だった。


「…お銀君に教えて貰えるなら、私も助かるけど…」


「てっきり嫌がられるのかと思ってた」


「何で?」


きょとんとする璃絵。「だって勉強嫌いだろ」と言えば、「そりゃ嫌い」と当然のように、憤然とした返事だった。ジト目で思い切り睨まれる。


が。


それから少し、璃絵は思いを沈めるかのように視線を落とした。


「…でも、このまま赤点取ってたら、星嶺にもいられなくなるから」


「…」


「それで、先生やお銀君と仲良くなれたのに、ここでそんなのでお別れなんて、絶対嫌」


―――強烈な意志が、言葉の裏側に潜んでいた。波動かと思うかのような迫力が、小さな言葉に詰まっていた。銀河は頷いていた。


本気らしい。


そして同時に、銀河は悟った。


そうか、と思う。


―――ただ、自分の我儘勝手で、自分の夢が破れるだけなら、璃絵はまだ―――残念には思うだろうが、それほど執着するほどでもなかったのかも知れない。自分がいなくなって、寂しく思う人も殆どいない。自分が、あの画家の絵を、近くで見る機会がなくなるだけ。


それだけ。


しかし、今は状況が変わったのだ。


今は、銀河という友も出来て、何よりも、憧れの先生が、近くになった。


その先生が見込んでくれている。


その事実が、璃絵を突き動かしているのだろう。もっと、自分を認めてくれる人、高めてくれる人の近くにいたい―――その強烈な衝動が、璃絵の原動力になっているのだ。


高性能なエンジンに、ガソリンを注ぎ込んだようなものである。


今まで錆びついていたエンジンが、火を吹いて回り始めたのだ。


無論、今まで、油も差してこなかったエンジンだろうから、どれくらい整備を必要とするかは分からないにせよ―――。


銀河はそれを理解して頷いていた。


断る理由は何も無かった。


「なら、勉強会するか」


「でも学校は嫌」


しかしそこで璃絵はそう言った。どこか突っぱねるかのような口調だった。


「人…特に同級生とかがいっぱいいるのは、嫌」


見られたくないというのもあるだろう。元々銀河もそのようなタイプであるから気持ちは分かる。普段日陰にいる人間は、日向に出るのが嫌なのだ。


そう。


普段、じめじめした、片隅で過ごしているから。


ひとたび日向に出れば、珍奇の視線に晒されるし、たとえ暖かだとしても、自分自身が、とてつもなく、いたたまれない気分になってしまう。



―――俺も日陰者だった。



日向にいたはずなのに、絶えず日陰者だった。仕えていた令嬢という存在に、いつも陽を遮られていた、日陰者。指をさされて嗤われる、道化者。令嬢の引き立て役にして、笑いもののピエロ。それが俺の役回りだった。


でも今は違う。


―――今の令嬢は、それ自体が、輝く太陽で。


それならば俺は月であれるのだ。


たとえ輝きを放てなくても、その輝きを受けて、小さく在ることは出来る。


そして、傍らに守護の星が瞬いている。


そう在れるはずだと、銀河は己にも言い聞かせる。



―――願わくば、このままで居て欲しい。それだけの小さな願い。



今度、あの星の宮にお参りする時は、それを願おうと、心の奥底に秘めた。


意識を浮上させる。学校の美術室に。


「…勉強、でも人がいるのが嫌となると、美術室とかじゃ…」


「放課後は部室になる。準備室も、放課後は先生が詰めてる」


私一人だけなら勉強出来るけど、と気まずそうな璃絵。さすがに銀河と二人だと浮くことを心配しているのだろう。


それで噂話になってもそれはそれで―――エリスあたりがあることないこと広めそうだし、実際もう広まってしまっているかも知れない。そう考えると少し憂鬱な銀河であったが、ひとまずそれは頭から追い出して。


無用な心配を友にかける訳にもいかない。


「…咲月さんは、勉強に必要ならお屋敷を使ってくれてもいいと言っていたけど、今日に限ってはムリだしな」


「先生、そんなことまで…」


「今日御礼言うといいと思うよ」


「そうする」


こくんと頷く璃絵。


「保健室の朱鞠内先生が、保健室を貸してくれることもあるんだけど、先生、今日は放課後閉めるって朝私に言ってた」


「朱鞠内先生が」


「色々迷惑かけてる」


授業に出ないから、と璃絵。銀河は頷く。不登校…といっても保健室登校のような璃絵だから、保健室が面倒を見ていると、こういう次第なのだろう。


「…なら、どこかお茶出来る所借りるか」


「サンデーとか」


「サンデーサイレンスか」


それは、あの、咲月さんが嫌いだと言っていた例のチェーン喫茶店だ。


しかし実は、銀河も興味はないと言えば嘘になる。


『咲月さんの腕に比べれば格段下』だと、あの神様も悟さんも評したが、即ちあの神様も悟さんも行ったことがあるということで。メイさんもそうであるらしい。


ならば、俺ばかりが行っていないというのも、何となく、その感覚が分からないようで癪であった。


咲月さんが、どんな顔をするか、それだけがちょっと心配であったけれども。


―――怒られるのならまだいいと思う。


しかし、哀しそうな顔をされるのが、銀河はたまらなく嫌だった。


そんな可能性は欠片でも潰しておきたかったけれども。


でも、皆と話をする共通言語が欲しいという気もして、銀河は逡巡する。


だが、結局、


「…久々に、サンデーもいいかも知れない。さんらいずの前の、お茶で」


璃絵の中での内定を否定する気分にもなれなくて、銀河は結局、躊躇う気持ちがありながらも、それに引きずられるように頷いてしまっていたのだった。



という訳で、放課後、璃絵と銀河は、喫茶サンデーサイレンスにやってきたのである。



チェーンといっても、都会には出店せず、田舎の町ばかり、大きくても地方都市といった場所ばかりに出店して、数を増やしたチェーン。星嶺は記念すべき十店舗めの出店だという。


意外なことに、そんな喫茶店も一号店は東京郊外の市部であるらしい。


二号店が新京市、三号店が琴原町、四号店が花結町、五号店が若郷町、六号店が狭霧原町…。


いずれも、瀟洒な内装と、確実な味がウリであるらしい。


大正ロマン風だったり、和装統一だったり、それはそれで街の雰囲気に合わせているのだとか。


この十号店…星嶺店は、古民家を改装した、純和風の喫茶店である。


メニューは全店舗統一であるらしいが、お座敷席と、木目調のカウンター席、そして雪洞の内装が調和した、良い雰囲気の場所であった。


星嶺の生徒の姿はない。


その代わり、雑談と洒落込む主婦や、営業回りらしいサラリーマンなどの姿が目立っていた。


璃絵と銀河は、一番奥まった目立たない席、柱の傍の二人がけのテーブル席に案内されていた。


どうやら男女カップルと思われて気を遣われたらしい。いいのやら悪いのやらといった気分だったが、微笑んでいる女中さんらしい格好の店員は、何故か美人ぞろいであった。


バイトという意味でも人気のある店なのだろうかと思いつつ、銀河は大人しくコーヒーを注文し、璃絵は数学の参考書を広げはじめ。



そして今に至るのである。



璃絵がまるで駄目なのを丁寧に指導しつつ、銀河はゆっくりとコーヒーを味わい、ラスクを口にしていた。


確かに美味い、と銀河は思う。


前の屋敷で作っていたラスクよりかは確実に美味いし、コーヒーも前の屋敷のものよりかは上だ。


丁寧に淹れてあるのも分かる。


しかし、と銀河は思ってしまうのである。


祀様や、悟さんの言っていたことは本当であったと。


確かに美味いが、咲月さんのものには及ばない。


現に、璃絵が口にしているのはホットココアである。コーヒーが飲めない璃絵が唯一口に出来たコーヒーは、氷川屋敷謹製のものだけだったのである。


ちらちらと時計を気にする璃絵。時間の進みが遅いように感じられるらしい。そのツインテールが忙しなく揺れる。銀河は苦笑する。


「何度も見ても変わらないって」


「ちぇッ」


「甘いモンでも食えよ」


「そうする」


ラスクを口に放り込む璃絵。もぐもぐと口を動かしながら、


「…お銀はラスクとか作れないの?」


「作ったことはないけど、作れなくはないと思う」


「じゃあ、作って」


「この野郎…」


途端に図々しい友に青筋を立てながら、しかし怒る気にもなれない銀河であった。友もそれを分かって言っているのである。冗談交じりのやりとりが楽しかった。こういうやりとりを、初めてやった―――それが出来たのが、目の前の跡部璃絵だった。


「お銀のラスク食べたら頑張るから」


「分かった、じゃあ作ろう」


「…ホント?」


しかし、割と本気らしい銀河の受け答えに、驚いた様子の璃絵である。銀河はだが意地悪な笑みで、


「作るには作ろう。だが今度数学赤点だったら璃絵のぶんはナシということで」


「うわ」


「努力ではなく結果に報いるのが今時の社会の風潮らしいぞ」


知った風な口を利いてラスクをつまむ銀河であるが、銀河も実は社会人経験なんかありもしない。知った風に言っているだけであるし、実際冗談めかした言葉であった。


「…それはさておきマジで頑張れよ、作るには作ってみるから、暇あるかは分からないけど」


「無理しないでね。期待はしてるけど」


「まあ、な」


結局ラスクをつまみ終わってしまう。追加で何か頼んでも良かったが、腹に障りそうなので遠慮することにする銀河であった。



宮原銀河の放課後数学講座は、結局ミッチリ一時間以上続いたのであった。

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