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星の降る町  作者: 笹霜
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13.もう一つの道

一方で、成績に関しては、跡部璃絵は芳しくなかった。


翌日の美術室で、生徒指導の海賊先生―――こと、小菅陽太に結果を渡されながら、璃絵は余り冴えない顔をしていた。


小菅陽太も、余り、この生徒に関して強く言いたくはない。


だが―――成績を見る限り、そうも言っていられなかった。


「…このまま赤点と追試ばかりだと、どうにもならねえぞ、跡部」


「…」


璃絵のテスト結果は芳しくない。


全9科目中、赤点が6つを占めていた。


おまけに保健室登校ならぬ美術室登校のオマケまでついて、跡部璃絵の単位は非常に危うい。


元々進級出来るかも危うい状態だったのだ。


美術のズバ抜けた成績と、時折の高校生向けの作品出展などでポイントを稼ぎ出してはいるが、それも限界がある。


陽太は長い黒髪を掻いた。本人も気にしていないことはないだろう。そのくらいは分かっている。だがそれを差し置いても、多分本人は…それ以上に絵をやりたいのだろう。


だから。


「絵もいいが、ちった勉強しろ跡部。特待だから、普通の生徒に比べりゃだいぶ甘めにゃなってんだ。気合入れりゃどうにかならねえこともねえだろうし、追試追試で時間取られるのもてめえの望むトコでもねえだろ」


無精髭を撫ぜながら、少しキツめに声をかける。璃絵は小さく頷いただけだった。


まあ、あとは本人のやる気の問題である。


本人がやる気がなけりゃ、あとは―――家に連絡が行くだけである。


もっとも、その家とも半分縁が切れているような状態らしいが。


両親からはとっくに見放されて、年の離れた姉が援助をしているらしい。


そんな話を、生徒指導ゆえに耳にしていた。なかなか難しいだろうなと陽太は思う。多分一度でも連絡が行ったら―――無理やり連れ戻されてしまうのではないかと思っているのである。


今は実家から半ば家出のような状態であるから。


いつそうなってもおかしくないような、そんな雰囲気。


好きなコトだけじゃ、食べていけない―――才能は確かだが、それを体現したような人物であることも、また確かなのであった。


現に、他の教室は、今も授業中である。


だが、それにも関わらず、陽太と璃絵は、美術室の入り口に立つ影と、そして声を聞いた。


「あ、小菅センセがいる」


「朱鞠内先生か、どした」


「いや、璃絵ちゃんに会いにきたら、先客だっただけ」


入ってくるのは、一人の白衣を翻した女性である。


紅を帯びた髪と瞳は生来のものらしい。小柄だが強気な瞳と表情の女性。璃絵とどっこいどっこいの小柄さとちんちくりんさだが、年上なせいか、迫力は遥かに彼女の方が上だった。


名前は朱鞠内(しゅまりない)緋鞠(ひまり)という。


保健室教諭だった。


不登校の璃絵のケアを、主に一手に引き受けていて、璃絵も無論信頼しているし、陽太も同僚として信頼を置いている。


白衣を翻して入ってきた彼女に、陽太は、


「跡部の単位がな」


「璃絵ちゃんの単位?…うーん、それはまた何とも」


難しい顔の後、苦笑する朱鞠内教諭である。成績ばかりはさすがに彼女もカバーできない。陽太は溜息だった。


「だが朱鞠内先生」


「はい」


「学長からそこも何とかカバー出来るなら教師陣の方でどうにかして欲しいとお達しだ。ま、願望形で言われただけだから、正式な命令ではないがな」


だがその言葉に、緋鞠は少し驚いた顔。陽太は歯を見せて、苦々しい笑みを浮かべていた。こうしてみると、本当にジョニー・●ップな貌である。


「跡部。お前も覚えておいてくれ、学長はお前を相当買ってるぞ」


「…学長…?」


「会ったことはないんだったな。ま、普段生徒の前には顔出さないからな」


顔出すようなタイプじゃないからな、と陽太は言ってから、ポケットに両手を突っ込んで机に寄りかかった。こうしてみるとくたびれた不良サラリーマンといった風情である。


だが、不思議と愛嬌があって男前だから、嫌われない。


くたびれた格好なのに、何故か汚さとか、そういうのが感じられない、そのせいもあるのだろう。


外見はくたびれているのに、雰囲気はまるでくたびれていないのだ。


精悍、とか、剽悍、という雰囲気が似合う男だった。


だから、生徒からも人気があった。


緋鞠は少し疑問形だった。人差し指を顎に当てて、


「小菅先生、でも、璃絵ちゃんってそれほど学長の肝煎りでしたっけ」


「元々特待なのは先生も知っての通りだが、最近改めて絵を見たりして評価を改めたらしいな」


何があったかは詳しくは知らないが、買い始めた、と陽太は言った。鋭い眼だった。


「…だが、あの方は、そうそう人を買わねえ」


「でも一ヶ月前の一件もありますし、色々思うところがあるのかも知れないですね」


「だな。まあいずれにせよとりあえずは本人が頑張らねえと仕様もねえ」


そう言って陽太は伸びをした。猫のような仕草だった。そのすらりと長い足を踏み出す。しなやかな足音。去り際に緋鞠に流し目を送る。


「朱鞠内先生、後は任せた」


「任されますよ」


「んじゃ」


後は頼む、と言い残して去ってゆく陽太。残されたのは緋鞠と璃絵である。


璃絵は戸惑った顔をしていた。気を許した緋鞠の前では、璃絵も感情表現が素直だった。


「…あの、先生」


「何?」


「何のことですか…?あの、学長って」


「それはもうここの学長のコト」


普段は表に出ないけど珍しいね、と言いながら緋鞠は空いている椅子の一つに腰を下ろした。穏やかな視線である。赤を帯びた瞳の小柄な保健室の先生は、生徒にも密かに人気があった。


「ここの学長先生が、璃絵ちゃんの絵好きなんだって」


「…そうなんですか?」


「私からも確認してみるけど、そうみたいね」


璃絵はどこか無関心そうな様子であったが、緋鞠の視線は存外に真面目だった。


「でもスゴイことだよ」


「そうなんですか?」


「滅多に人を買うというか、見込むってことをしない人だから」


見込まれたら成功確定みたいなものなんだよ、と緋鞠は言った。だが璃絵は相変わらず無関心そうだった。会ったこともない学長に関心を抱けという方が、むしろ無理なのかも知れないと緋鞠は考え直した。

自分は正体を知っているから、大ごとに捉えてしまうのだが。


璃絵の関心はそれより自分の成績のことだった。手元の紙に手を落とす。素晴らしい赤点だった。


「…赤点6つ…」


「ひとまず勉強しなきゃ怪しいわね、学長の肝煎りが入ってるから暫くは大丈夫だろうけど、甘く思わないでね」


「…分かりました」


だが、今日の直々の注意はそれなりに効いたらしい。頷く璃絵。


緋鞠も璃絵のことは全く嫌いではないから、静かに頷いて、だが笑顔でもあった。


「でも最近璃絵ちゃんお友達出来たみたいじゃない?」


「…お友達?」


「男の子が昨日遊びに来てたの見たよ」


「…ああ」


璃絵は得心がいったという様子で頷いた。


「お銀君」


「お銀君?」


「今年から入って来た転校生です」


だが、その言葉に、緋鞠は少し驚いた顔をした。心当たりがあるようだった。


「宮原君…って言ったっけ?」


「そうです。先生ご存知…」


「少し話題になったからね」


噂は聞いている。


そして、緋鞠は何となく、璃絵が「学長の肝煎り」になったその理由も掴め始めてきた。


銀河が、「肝煎り」だということは、既に緋鞠は知っているのである。その理由はサッパリ分からないが、ひとまず、学年で屈指の優秀生徒だという噂は既に陽太から聞いていた。


あの人の見込みはそれなりということなのだろう。


―――いや、あの姉貴分は、ここ数年は、そういう判断をまず間違えはしない。


彼、銀河経由で、何かの話が―――あの人のところに行ったのかも知れない。ともあれ、何かの縁、繋がりの影を緋鞠は感じた。


だが、ともあれ、人を寄せ付けない―――変わり者で、噂も立てられやすい彼女に、異性の友達が出来たということは、緋鞠としては素直に嬉しかった。


「いい奴なの?」


「良い人です、色々親切で優しい…」


頷く。


多分、璃絵も、「あの人」と同じく、かの生徒のいい部分を見抜いているのだろう。それが仄かに緋鞠には嬉しい。


むしろ、だからこそ、「あの人」は、璃絵のことを買ったのかも知れないなどと、そんなことを思った。


「ふうん。私もちょっと興味あるかな」


「でもお銀君、いつもすぐ帰るから…」


「放課後なんかはお喋り出来ないのか」


「お昼とかなら」


先生もどうですか、とちょっと伺うような視線だったが、そこは緋鞠は首を振った。


―――今の段階で、ちょっと踏み込み過ぎるのは良くないと、何となく思ったのだった。


「命令」があれば話は別だが、そうでもなければ、これは学長直々の案件で、自分が首を突っ込むモノではない。突っ込んだところで、碌なことになりはしない。


素直に上司に任せておけばいいのだ。


今は素直に、自分に出来ることをやっておけばいい。


つまり―――。


「でも、まあ、お昼の前に、早速、追試のための勉強くらいはしておいた方がいいんじゃない?」


「…うん」


そんな悪戯っぽい言葉に、だが璃絵は頷いてくれる。それで良いと緋鞠も頷いた。


今はこの子の背中を押して、何とか単位を取らせてあげるだけ―――。


それが、自分の仕事だと、朱鞠内緋鞠は心得ていた。

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