12.道
思ってみれば、宮原銀河は、私物が異様に少ない。
元から少ないといえばそうなのであるが。
元々私物がさほど許される家庭環境でもなかった。
衣服なんかもそうであった。
自分で好きな服を買ったことなどありはしなかった。
だが、着の身着のままやってきたから、はじめはある程度下着類や普段着を咲月さんに買って貰ったりもして、それで一ヶ月やりくりをしていたが。
思えば多少増やしたっていいのだろうとは思う。
自分の給料があるのだから。
ということで、学校帰りに銀河は早速にホームセンターに寄った。
案外に買うものがあった。
特に折り畳み傘なんかはあって損はないから籠に放り入れたし、文房具なんかも思ってみれば手持ちは少なかった。最低限の雑貨は買っておかねばならなかった。
その後、量販店に行って、デニムのジーンズを二着ほど。
余り買い物に時間を喰って、帰りが遅くなってもいけないから、家路を急いだ。
いつもよりちょっと遅いバスで帰ると、メイさんが玄関先で掃き掃除をしていた。
「ただいま帰りましたメイさん」
「あ、お帰りなさいませお銀さん。本当に散財していらっしゃいましたね?」
ちょっと何を買ってきたか、後で聞かせて貰いますね?とメイさんの微笑みだった。銀河は黙って買い物袋を上げて応じると、早速家の中に入る。
本日は悟さん主導の夕食だという。
それを楽しみにして、庭の雑草をむしっていると、陽が落ちるのはあっという間のことである。
星が輝く、春先の静かな夜の下で、氷川屋敷の夕食である。
制作を一段落終えた咲月も、連休明けからは食事に顔を見せている。
稲荷寿司をメインにした、悟自慢の和食メニューが食卓に並んでいた。
「いつもながら、悟の酢飯の配分は絶妙ね」
「は、恐れ入りますぞお嬢様」
稲荷寿司を口に運んでの咲月の評に、素直に嬉しそうな悟である。唇の端にはドヤ顔めいた笑みが浮かんでいる。メイも頬に米粒をひっつけながら、
「流石ですよねえ」
「今度教えてください悟さん」
「おお、大いによろしい。お銀さんならばすぐに呑み込めましょうぞ。こちらこそ味噌汁の秘奥を今度教えて頂きたいものですからな」
ふわりと酢の香る、―――甘すぎず、かと言って淡すぎない絶妙な味加減の稲荷寿司。銀河の箸も順調に進む。
咲月がどこか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「ああ、そうそう。お銀、早速何か買ってきたらしいじゃない?」
何を買ってきたの?と屋敷の主の質問である。どことなく嬉しそうだった。
―――この人は、それが嬉しいのだろうかと銀河は思う。
その感情については、銀河は正直なところ、良く分からなかったが―――咲月にしてみれば、単純に、気に入った人には、好きなことをしてあげたいだけの好意であった。
銀河はどこか青みを帯びた瞳で、主を見て、
「ズボンと折り畳み傘と、多少の文房具と…」
「新しい衣服は一度洗っておきましょうぞ」
「もう少し色気があっても良いかと思ったけれど、お銀らしいか」
咲月は溜息混じりながらも、微笑だった。メイは上機嫌に両手を合わせながら、「お銀さん、真面目ですものねえ」と笑顔であった。
「お銀さんらしいと思います!」
「ふむ。男子必携の書は買ってこなかったのですかな?」
折角の給料ですぞ、とニヤニヤ笑う悟である。銀河はジト目だった。メイも咲月もジト目だった。
「買ってきたとしてもこの場で俺がそれ言うと思います?」
「ま、それもそうですな」
「えっちですー」
メイが口を尖らせてジト目。ぬはは、と悟はどこ吹く風で剽軽に笑っているだけである。
銀河は豚汁に口をつけながら、
「このお屋敷って、給料日って決まってるんですか?」
「まちまちね」
咲月は言った。涼しい顔である。
「上旬には渡してるわ」
「そうだったんですね」
「ま、私も悟さんもそんなに散財するかと言われてもしないんですけどね」
私は貯金ばかりですし、とメイ。悟も頷いていた。
「ま、貯めておけば何かの折には回りますからな。私も貯金中ですぞ、買いたいものがありますからな」
「悟さん、バイクが欲しいそうです」
「街中はそちらの方が小回り利きますからな」
前々から欲しいので貯めてるんですぞ、と悟である。銀河は笑っていた。その思考回路がどことなく可笑しかった。
「何だ、悟さんも無駄にならない…というか堅実な使い方じゃないですか」
「あとは男子必携の書ですな。良ければ後でお下がりをお渡ししますぞ?」
親指を立てて好色なGJサイン。メイは溜息をついていた。
「そういう話を食事中にしますか、しかもお銀さん相手に」
「このお屋敷でモノがついているのはお銀さんだけですからな」
「保留にしといてください」
「退けないあたりが脈ありとみましたぞ」
嬉しそうだなあ悟さん。
銀河はまあこういうところも嫌いではないが、咲月さんとメイさんの視線が少し痛いのも事実だった。そんな下ネタにもならないようなネタで狼狽えるような女性陣にも到底思えないのではあったが。
咲月は微笑んでいた。
「お銀、今度から買い食いとか、遊びに行きたいとなったら、少し羽根を伸ばしてらっしゃい」
それくらいの屋敷の余裕はあるわ、と咲月は言った。悟もメイも笑っていた。
「ま、お銀さんは良く働いてますからな」
「余り手伝い過ぎて、勉強とかおろそかにならないようにしてくださいね?」
メイさんの言葉に、銀河は頷く。それは無論である。
咲月が「そう言えば」と口に出した。
「連休前にテストがあったみたいだけど、結果はどうだったのかしら?」
教えたくはないなら構わないけれど、と咲月が言う前に、銀河はズボンの後ろポケットから結果を取り出していた。
今日配布された、各科目の学年順位だけが記された、そっけない小さな紙である。
咲月は銀河から渡されたそれに目を通して、眼に微かな微笑みを浮かべていた。
「大したものね、お銀」
「いや…」
「満遍なく学年20番以内、理系は数学3位か…」
総合順位は結局先生に言われた通り、10番以内…学年8番だった。
文句ナシね、と咲月も合格印だった。
この屋敷から学費を出して貰っている以上、恥ずかしい点数を取る気は銀河にはなかった。咲月は笑っていた。
「…お銀、大学行く?」
「やめときます」
「まあ、考えておいてね。本当に貴方がやりたいものがあるとなったら、奨学金出すわ。それくらいには、お銀のことは買っているし」
面接はするまでもないし、と咲月さんは言った。
軽い調子の言葉だが、実際本気であるのだろうと、銀河は思った。
しかし、今、俺がやりたいことは―――大学なんかにはない。学びたいものがあるなら、大学に行ってもいいのだろうが、俺は―――。
「…俺、何もやりたいこと見つからないのに大学行くとか、そんな舐めたこと言えないですし」
「だったら私もお金出さないわ。でも実際、もしかしたら専門学校なんかには行った方が…まあ私の願望だけどね」
だが、ふっと漏れたその言葉に、銀河はすぐに反応した。
この屋敷の主が望むなら―――そう在りたいくらいの、銀河なのである。
「…専門学校?」
「お銀」
咲月は言った。涼やかな笑顔だけれど、真剣な雰囲気だった。それを悟って、銀河の背筋も自然と伸びる。
「…もしも、お銀が、二年間…何事もなく、お屋敷で過ごして、それで私の評価が変わることがなければ。そして、また、働きたいと思うのなら」
「はい」
「少し、高校出てから、学んで貰いたいこともあるの。その時は、改めて、私に、そういう契約で、雇われてくれないかしら?」
―――喜んで。
もう一も二もありはしなかった。銀河は頷いていた。
このお嬢様なら、俺の能力を全く無視した、的外れなコトなんかも言い出したりはしないだろう。そんな確信があったから、頷くことも出来た銀河だった。
むしろ、俺の将来なんてそれでいい。
俺のやりたいことはここにあるのだから、何かを学んで、さらにここの役に立てるのならばそれでいい。
咲月は頷いていた。満足そうな雰囲気を感じて、銀河もそれで良かった。
夜の月が、屋敷の真上で輝いていた。




