11.お小遣い
連休明けの宮原銀河は、非常に気まずい、というか、迷っていた。
どうしようか、分からない、と言った方が、近いかもしれない。
恐らく、同じような年頃の男は、丸きりこういうことに悩むことがないのだろうと思うと、それも尚更沈鬱だったし、こういうことを相談出来る友もいなかった。
「…」
銀河は、教室の席で、ただぼうっと窓の外を眺めていた。
何も考えていない――というか、悩むけれどもどうにもならないといった方が正しい。
理由は、鞄の中にあった。
鞄の中に、俺は、今日、一枚の封筒を突っ込んできているのである。
なし崩しに、持ってきてしまったものであった。
キッカケは、単純で、今日の朝に遡るのである。
今日の朝、起きた俺はいつも通り屋敷の掃除をし、障子を開け、バタバタしてから、朝ご飯を食べて。それから制服に腕を通し。
いつも通りに玄関に向かいがてら、誰かに行ってきますの挨拶をする―――今日はメイさんと咲月さんにだった。
厨房で話し込んでいるメイさんと咲月さんに、「行ってきます」の挨拶をした俺であったのだが。
「ああ、お銀、いってらっしゃいと言いたいのだけれど、その前に一つ渡すものがあるわ」
まるで五月の風のように穏やかで爽やかな調子で、咲月さんはそう言った。着物の帯に茶封筒を一枚挟んであるのに銀河は気がついていた。
そしてその茶封筒を、咲月さんは無造作に俺に渡してきたのである。
「何ですかコレ」と尋ねる俺に、咲月さんはごく当たり前といった調子に、
「お給料」
そう言ったのである。
俺が硬直したのは言うまでもない。
石化硬直した俺を前に、「あの、お嬢様、お銀さんが…?」と言ったのはメイさんである。
が、咲月さんは腕組みをして、少し複雑そうな顔をしていた。優しげだが複雑そうなその眼は―――俺の何かを確実に見通しているかのようだった。
「…お銀、その調子だと、お給料を期待していなかったという前に、多分お給料とかお小遣いを貰ったことなかったわね?」
そして完璧に図星を言い当てられてしまったのであった。
仰天びっくりの顔をしたのがメイさんである。
「ええッ!?お給料貰ったことなかったんですかお銀さん!?」
「メイ、まだ学生だからお小遣いといった方が正しいわね。でもまあ―――欲しいものがあった時に折々支給があったというタイプでもなさそうだし」
こちらもまた図星。
咲月さんは微笑んでいた。
「でも、働いてくれたからには対価を払うのが筋というものだからね」
ケジメなつけさせて頂戴な、と咲月さん。だが俺は思わず口に出してしまっていた。
「…いや、俺、でも、金なんかが欲しくて働いていた訳じゃ」
―――コレを仕事にしたくなんかはなかった。
コレは、今の俺の生き甲斐なのだ。
―――仕事なんて三文字にされたら、余りにも悲しすぎる。
お屋敷の仕事は、俺が好きでやっているのだ。俺が好きで―――。
「好きでやってくれていたとしても、お給料も休暇も出すわ。働き過ぎても身体に毒だし、適度にそのお小遣いで息抜きをしなさい。お銀、一ヶ月働きづめなんだから」
咲月さんは優し気に微笑みながらも、どこか複雑な顔でもあった。
「お銀がどうしても嫌なら、それを受け取ることを命令にしたっていいわよ」
「…あの、でも、」
しかし銀河は逡巡する。茶封筒を受け取った手が宙を彷徨う。
「俺、住み込みもさせて貰って、何も事情も聞かずに入れさせてもらって、学費まで負担させて貰って、その上給料までなんて…」
それこそ贅沢過ぎるし、―――俺には働けるだけで、こんな職場だけで生き甲斐なのだ。
メイさんも、悟さんも、咲月さんもいい人で、だからこれ以上求めるのは―――。
ただ、そこで咲月さんは扇子を広げてぴしゃりと一言、
「じゃあ、お金の自由な使い方も、ここでついでに勉強しておきなさい?」
「―――」
「…お銀さん、バスが来てしまいますよ」
黙る俺に、おずおずと声をかけてくれるメイさん。ここで咲月さんと口論をしても勝てないしそもそも俺に勝つ気なんてない―――。
学費を出して貰っている手前、遅刻なんて論外だ。
でも、どうも納得が出来なくて。
ただ、咲月さんは優しい足取りで、俺を門の先まで見送ってくれた。
優しい笑顔はいつも通り。俺にとっての救いの女神様のような微笑みは、いつも通りに俺を見ていた。春の柔らかい日差しのようだった。
「お銀。少しは散財していらっしゃいね」
そうすれば、私も嬉しいわ、という声。バスのドアが閉まり、行ってきますの挨拶もしそびれてしまったことも、また心残りで―――。
俺は教室までやってきて、そのまま授業を受けているのである。
ちなみに本日は、連休前のテストの返却であった。
結果は及第点―――というか、俺は成績は優秀な方であると自負をしている。
かつて仕えていたお嬢様に置いて行かれることは許されなかった。かと言って点数を令嬢以上に取るのも御法度だったから―――調節が求められた。
既に一年以上前の予習も終えている。大学受験だって普通に受けられるだろう。問題はなかった。
全く赤点など問題にしないテストの答案を握りつぶすようにして机の中に押し込みながら溜息をつく。
後ろからぼんやりした羨望の声が聞こえてきた。
「…いいなあ宮原君」
後ろを振り返った。
テスト返却でざわつく教室の中、俺の方をジト目で見つめてきているのは丹羽ほのかである。
チアリーディング部の人気者。
ちょっと茶色が入った髪をサイドテールで長くしている。明るい朗らかな声はメイさんと同じだが、ちょっとタイプが違う。メイさんはニコニコしているが、この丹羽ほのかは単純な朗らかさという感じだった。
ちょっとお馬鹿が入っているかもとは時折思う。
「私より点数三十点も高い」
「見たのか」
「見た」
見えた、とほのかは言った。不満そうに唇を尖らせていた。
「でも俺より三十点マイナスでも赤点は回避どころか平均点より上だろう」
「いや、それはそうだけど」
それはそうなんだけど、とほのかは言った後、ぷんすかと湯気を立てるような顔で、
「何でそんなに頭いいの!?さっきの国語の返却だって180点越えてた!」
「覗き見が趣味なのか」
「見えたの!偶然!」
どこまで偶然なのか甚だ怪しいと銀河は思ったが、そんな覗きにも気づけなかったあたり今日の俺は相当注意力散漫であるらしかった。
「学年トップクラスでしょ!」
「そうなのか」
「そうでしょ!?」
違うの!?とほのかに問い詰められても、去年まで違う学校だ。転入してきて最初の試験で自分がどの程度の位置にいるやらどうも把握は難しい。
銀河はただ平坦な視線だった。璃絵の表情と似ている。
「でも、別に良かったからといって何がある訳でもないしな」
「くっ、この強者の余裕…!」
だが、過去最高に楽なテストであるのは、銀河にとっては事実だった。
何せ、令嬢の御機嫌を取る必要がない。
以前までは、お嬢様の点数なんかを傍で予測して、絶妙にその下の点数を取らねばならなかった。赤点は論外だし、かといって令嬢を越えてもいけない。
お嬢様の苦手だった数学などは、特に数字に苦労したものだ。
何度か点数を越えてしまい、―――お嬢様自身、というより屋敷の人間や両親からブン殴られたことは数度ではない。
今回はその縛りが一切なかった。
赤点さえ取らなければ良いと、ただ持てる力を出しただけである。誰かの点数なんかを意識する必要もなく、テスト中どこを間違えて点数調整をしようかと苦心する必要もなかった。
楽だったなあ、と思う。
ほのかが呻いている。
「私は、何とか学年30番以内に入りたくて必死だっていうのに…」
「…」
だが、学年30番はなかなかハードルが高いか。銀河は特に返事はしなかった。
テスト返却を終えた後、そのままチャイムが鳴って、四限が終わる。
後ろに構う気もない銀河の意識は再び、今朝のことに移ってゆく。宿題やテストの方が、そちらの方の咲月さんの課題の方が、余程難題であった。
『散財していらっしゃいね』
そんなこと言われても、さりとて、どうしたものかと思う。
お小遣いなんて概念は俺には無い。
欲しいものなんて無い。まああったとしても即座に諦める思考回路があるのだが、銀河自身余りにも諦めが早すぎて、それを自覚してすらもいなかった。
本だったら図書館や図書室で事足りたし、漫画もそうである。あとはお下がりだ。
―――娯楽?
ふと思うが、ボーリングやカラオケにしたって、余り面白い気はしない。
第一、俺はあの令嬢の付き人だったのだ。カラオケにせよ、ボーリングにせよ、あの令嬢の点数の上を取ることは決して許されないのが俺だった。
今になって、自由にやっていいよと言われたところで、―――羽根を伸ばせるものだろうか。
とてもそんな気はしなかった。
何をしたものだろうかな。
窓の外を見てそう考えていると、上からふと声が降って来た。
「…転校生は成績優秀なようだな」
上を見上げると、見知った顔があった。
見知った顔どころの話ではない。担任教師の顔だった。
長めの黒い髪に、無精髭の男である。やや細面で、男前と言えないこともない。去年は、文化祭でバンダナをひっかぶって、海賊姿をしていたという。その姿が余りにもパイレーツなカリビアンっぽくてハマり過ぎて、今や海賊先生とか呼ばれている担任であった。
ただいつもはそっけない、くたびれたスーツ姿の男である。
目の下のクマがそれでも海賊っぽい先生である。
名前を小菅陽太といった。
年齢はイマイチ読めないが、三十路半ばくらいだろうか。
担任であると同時に、生徒指導担当でもある。
常にくたびれた雰囲気を出しているが、眼は常に本気だ。
それを銀河は悟っていた。
「…お前の成績を、お前の保護者が、少し気にしていたが、全く問題ないようだな」
落ち着き払った声。銀河は驚いていた。
「保護者って…」
「事情は聞いている。だから、落第はするなよ、と釘を刺しておこうと思ったんだが、貴様の成績を見たところ全く問題ないようでな」
学年10番以内だろうな、と先生は軽く口に出した。
背後の席と、お弁当を持ってきた一つの気配が驚いた気配をしていた。
しかし担任は気にした素振りもなく、
「貴様があの保護者に何の能力を買われたのかは俺も知るところではないが、しかし、相応しいものは持っているみたいだな」
「…ですかね」
「貴様は知らないだろうがな、あの方は、そう易々と人を買いはしねえんだよ」
そう言って、担任は白い歯を見せて笑った。どこか邪悪な、悪役めいた笑みでもあったが、同時に愛嬌もあった。
銀河は、先生が「あの方」と呼んだ、それだけで、先生が「あの方」―――他ならぬ早花咲月を尊敬しているのだと知った。
どういう関係かは知らないが。
ならば躊躇うことはなかった。
「俺は保護者を尊敬してます」
「だろうな。俺も、てめえのこた、あの方からよろしく頼まれてる手前、悪いこたしねえ。何かあったら相談しな。…今ントコ、問題あるようには見えねえから、言いはぐってたんだが、この際言っとく」
そんだけだ、昼飯の邪魔したな、と言って、海賊先生は長髪を翻して教室から出て行ってしまった。
教室の喧騒の中で、その会話は目立ちはしなかったが、それでも近所連中の生徒の耳には入る。
お弁当箱を持ってきた鞘堂エリスが、青い目を見開いてビックリした顔だった。
「…凄いね、学年10番以内だって」
「凄いのか」
「凄いよ…」
ここ、一学年240人なんだよ、と丹羽ほのか。だが銀河はそっけなかった。
「24人集めれば一人くらい10番以内が居るだろう。クラスに一人二人はいる」
「そんな愛想もないこと言わなくてもいいじゃない…」
エリスが苦笑していた。全くつっけんどんな銀河に取りつく島もないといった状態だった。
だが銀河はお喋りする気分ではなかった。
先程の先生の言葉も、少し気になったが、やはり思考は朝の出来事に傾いている。
どうすべきだろうか―――。
「―――」
あの課題の手前、メイさんや悟さんには相談しにくいし、第一屋敷には戻れない。
そして宮原銀河は、交友関係が少なかった。それでいいと思っていたからこそ、こういう局面で、誰にも相談なんかが出来なかったのだった。
―――誰かに相談するとして、誰か。
こういうことを話せるほど、気の許せる誰か…。
となって、銀河の足は自然と椅子を離れていた。弁当箱を引っ掴んで、水筒片手にふらりと教室を後にする。追ってくるのは視線だけで、足音はなかった。
自然と教室は美術室に向く。
そこしかなかった。
そして銀河のお目当ての人物は、間違いなくそこに居た。
陽光差し込む窓際で、黙々とスケッチブック片手に鉛筆を握っていたのだった。
「…おはよ」
「おはよう」
おはようと言うに相応しい時刻なのかは分からないが、とりあえず挨拶。連休明けの跡部璃絵は通常運転。眠たげな、気だるげな眼差しで、銀河を見つめる。
「…3日はありがと」
「こちらこそ」
誰もいない美術室で、会話も気兼ねがない。
弁当箱を引っ提げた銀河を見るなり、璃絵が小さくお腹を鳴らした。それに自分で初めて気づいたようだった。
「…もうお昼だった」
「しかも10分は過ぎてる」
「おべんと」
傍にあったスーパーの袋をガサゴソと漁り始める璃絵。銀河は椅子の一つに腰掛けながら、「悪い」と言った。
「今日は、咲月さんの話じゃない」
「…だろうとは思った」
「何で?」
「こんなお休み明けにいきなりまた来るなんて、そこまで連続して話はないだろうなと思ってた」
勘だったが当たっていた。
だが璃絵は唇の端でふっと微かに笑っていた。文字通りの微笑。
「でもお銀君なら、用事がなくても構わない」
「一応チャイム代わりにはなったぞ」
「食べはぐれるところだったから」
実際食べはぐったことがありそうな口ぶりだったしそんな気はした銀河だった。
相変わらず整えていないツインテールを面倒そうに掻きながら、璃絵は銀河を見つめた。
「お銀君もぼっち?」
「別にぼっち飯でもいいんだけど一つ相談があって来た」
「いきなり相談とな、面妖」
どこか少しふざけたような璃絵の言葉。雰囲気が柔らかくなる。案外面白いキャラなのかも知れない、と銀河は思うのだった。
「して、相談とは?」
「璃絵って、小遣いって、何に使ってる?」
直球の質問だった。璃絵の動きがぴたりと止まる。おにぎり片手に、少し迷うような仕草。視線がうろうろ彷徨ってから、
「…今、お小遣いはない」
「そうなのか」
「生活費の中で、食費とか切り詰めて、残りがお小遣い」
なるほど、と銀河は思った。小遣いの額を、自分で調節する―――といった感じなのだろう。
「ただ、切り詰めて、それで好きなものを買ってる」
「好きなもの?」
「画材と画集」
とことん、璃絵らしかった。もっともだなと銀河は思ったが、この話はしかしこれではこのままでは終わりである。璃絵のものを参考にしようと思ったが、あっさり璃絵らしい独自の答えを返されて、それでおしまいなのであった。
璃絵が少し怪訝な顔をした。
「…お銀君は、何を買うの?」
「えっと…」
「…」
「…それが、分からない」
暫しの沈黙があった。柔らかな五月の陽射しが、大きな窓から差し込む美術室。それだけで明るい空間に、沈黙が満ちた。
璃絵は笑うでもなく、驚くでもなく、ただ、淡々とした調子で尋ねた。
「…事情、聞いてもいいのかな」
その態度に銀河は救われた。そんな璃絵だから、話しやすかった。
だから、話し始める。
口から出る言葉は、自分で思っている以上に軽やかだった。
「…俺、小遣いを貰ったことがなくて」
「へえ」
「今回、初めて貰った」
でも、初めて貰ったから、何を買ったらいいか分からない、と銀河。璃絵はそこで初めて、ちょっと驚いたような、予想外といった風の感情を見せた。
「…お銀君、欲しいものとか、ないの?」
「ない」
「漫画とか、本とかは?」
「図書館で全部済ませてた」
「カラオケとかも、行かないの?」
「行かないし、多分行けても楽しめないと思う」
そのことに対するツッコミがないのが、尚更救いだった。多分璃絵も同じようなタイプなのだろうと何となく思った。カラオケやゲーセンで騒ぐことが好きなタイプにも見えない。
推しはあの『先生』だけだろうし、その『先生』は璃絵から貢がれるのは決してよしとしない。
璃絵は銀河を、上から下までじっと見つめていた。
「…お銀君、趣味とかは?」
「無い」
断言だった。
しかし璃絵の切り返しは即座で、かつ鋭かった。
「でも、お銀君、お屋敷のお手入れとか、お料理が好きそう」
「…好きそうというか…」
それはあのお屋敷だから好きなのだ。本質的にはそうじゃないかも知れない。
しかしそう口にすると、璃絵は微笑んでいた。馬鹿にするでもなく、柔らかな微笑みだった。
「なら、それでいいじゃない」
「…それって?」
「靴とか、作業服とか、欲しいもの、ないの?」
―――そう言われれば。
そういう時には、支給された品を着てはいた。それで手っ取り早かったし、文句もなかった。
しかし、そういう店にはたびたび行っていたし、便利そうと思える品もなかなか揃ってはいた。
が、それを私物で揃えるという発想は、そもそも銀河にはなかった。
―――だけれども、それでもいいのではないか、と璃絵が言わんとしていることは、十分銀河には理解出来た。
「服とか」
「余り興味はないけれど…」
だが、強いて言うならば、それになってしまうのかも知れない。
それに私物とはいえ、便利なモノを買っていれば、作業なんかでも役に立つかも知れない。作業靴なんかも、あって腐るものではないだろう。
璃絵はさらに口に出していた。
「あとは、食べ物」
「食べ物…」
「買い食い」
買い食いか、と銀河は考える。それも考えたことはなかったが―――。
しかし、街中の評判の店のメニューを把握しておくのも、今後の研究には役に立つかも知れないと考えると、それもそれで悪くない気がしてくる。
コッソリとだが、例の咲月さんの嫌いだという喫茶店に入ってみても良いのかも知れないなどと考えた。
思えばメイさんも悟さんも嫌いではないという話なのだが、咲月さんは嫌いだという。
しかし一回も入らずにどうこう言うことも出来まい。
入ったならばどうこう言うことも出来ようが、入っていないのにエア飲食でどうこうは言えないのが、今の自分であったから、良い機会なのかも知れなかった。
「…ありがとう、参考になった」
「どういたしまして」
こんなことで良いのなら、良かった、と璃絵。彼女なら馬鹿にされることもなく、騒がれることもなく、多分これが噂になることもないだろう。それが銀河にとっては救いだった。
今は、それで針のムシロのような思いをしてきた。
あの丹羽ほのかや鞘堂エリスからは、かつてそんな雰囲気を感じて、少し苦手意識があるのが銀河なのである。
「…お銀君、お小遣い、いくら貰ったの?」
「見て無かった」
そう言って、銀河は、ポケットに忍び込ませていた封筒を引き出した。璃絵が興味深そうに覗き込んでくる。
何気なく引き出した封筒には、―――五枚のお札。
いつも無表情気味の璃絵が、少し興奮気味の顔だった。
「凄い額だよ…!」
「…」
銀河もそう思う。
英世ではなく、一葉でもなく、諭吉だった。
つまるところ、五万円である。
あとは、明細が一枚入っていた。その明細を見て、銀河はさらに驚く。
「…!」
基本給は二十万円台にこそならないものの、といった金額であった。
そこに諸手当がついている。そこから食費やら光熱費、居住費や学費を差っ引かれて、残額は部屋の貯金箱に入っている旨が手書きで記されていた。
キリの良い五万が封筒に入っている。
「…マーベラス」
璃絵の謎の言葉だが、銀河もそんな気分であった。
しかしこれでどうしろというのか、銀河は迷う。
――こんなに貰っていいのだろうかという気分が、やはり心の中に暗雲として広がっていた。
好きで働いているだけなのに―――。
璃絵が「で、何を買うの?」と問いかけて来る。
しかし、即座に答えられる気分でもなかったし、実際、額が大きすぎて、何を買えるのか、銀河にも把握は出来なかった。
もっと大きいのなら、かつての令嬢のお付き合いで分かったりもするのだが、こんな額だとむしろ逆に分からないのが、宮原銀河だった。
「…帰りに、ホームセンター寄ってみる」
「買い物だね」
「まあ…」
そうなるのだろう。色気の欠片もない散財だが、しかしお屋敷の役に立てるのなら、それが銀河の本望だった。
五万円を改めてポケットに突っ込み直して、銀河は椅子に腰かけ直した。
弁当箱の中身を適当に、向かい側に座る友達のサラダの空き容器に放ってゆく。
璃絵が驚いた顔だった。
「えっ、お銀君…」
「御礼」
並べられる唐揚げや卵焼きに、璃絵は少し面食らっていたが、「でも、悪いよ」と言った。
「…私、ご飯作れないし。あのお屋敷のご飯に合うような御礼出来ない」
「別に必要ないから」
俺の気分、と銀河は言った。璃絵は少し迷っている様子だった。それでも「頂きます」と唐揚げを口に運びながら、
「…後で、似顔絵でも描く?」
「後で、また相談とか乗ってくれたら、嬉しい」
だが、銀河の、不器用ながらも、切り出された一言は、璃絵をどこか納得させたらしかった。
強張っていたような肩から力が抜けるのが分かった。
「…ありがとう、優しいんだね、お銀君」
「そうかな」
「そうだよ」
柔らかな雰囲気だった。それが、少しこそばゆいけれど、居心地が悪くない―――そんなお昼休みの、美術室だった。
予鈴の時刻が迫っていた。




