戌 遅れて来た便り
市立博物館のある通りに喫茶店がある。地元では有名な喫茶店で「創業明治二三年」と書いてある。看板も漢字では「琲珈」と右から書いているのに、英語では「coffee」と左から書いている。外装はさっき博物館で見たものとあまり変わらないので遠くから見てもすぐにわかった。当時は時代を飛び越して、そして今は時代に取り残されたようで、どの時代においてもお洒落なお店だったのだろうと思わせる。
「おじいさんなら御存知ないですか?『遅れて来た便り』」
「テレビが普及した頃の映画じゃな?」
「そうです。元は小説なんですけど、あれって乙浜が舞台なんですよ」
「じゃあここがその喫茶店か……、お婆さんが好きでのぉ。あれを見て涙を流していたのをよう覚えとるよ」
「キノヱ婆さんは乙浜出身だからね」
店内に飾ってある数枚のパネルが当時の映画の一シーンだ。「昭和34年」って書いている。今から50年くらい前のものだ。
「先生、その『遅れて来た便り』ってどんな物語なの?」
「兵隊さんが喫茶店の看板娘と、駆け落ちする話じゃ。実話があったらしいぞ」
先生に代わっておじいちゃんが説明する。
「駆け落ちって、何?」
「家族の反対を押しきって一緒になること。昔は親が結婚を決めてたんだ。結構最近まで」
「じゃあ好きでもない人と結婚しないといけなかったの?嫌だな、そんなの」
「麻衣子は正直じゃのお、そんな時代もあったんじゃよ……」
冷たい飲み物が運ばれてきて、三人は話すのを忘れて一斉に身体を冷やすと、店の雰囲気に呑まれるように昔にタイムスリップしたような不思議な感じがした。
「でもさぁ私思うんだけど、キノヱ婆さんは乙浜の人なのに、何で甲山の麻二朗爺さんと出会ったんだろ?」
「言われてみりゃそうじゃの。お爺さんは乙浜に住んでいたのだろうか……?」
私はグラスをテーブルに置いて一息ついた。横にあるのは『宝の地図』、そういや蔵の中で見つかってからずっと私のそばにある。
「……あれ?ああ、裏向きだったのか」
地図は目に焼き付いている。見なくてもいいくらいだ。今まで裏向きに置いた記憶がないので変に見えた。その面に書かれている文、内容ではない、字そのものが私に語りかけるかのようにその答えが閃いた。
「わかった!」私はつい大声を出してその場に立ち上がった。私の仮説が間違ってなければ問題が解決しそうだ。
「麻二朗爺さんは徴兵でここへ来たんだ……、そしてこれは……」
「麻衣子さん?」
先生が心配そうに私を呼んだみたいだけど、私には聞こえなかった。
「私聞いてみる」
私は店の人に直接事情を説明して聞いてみることにした。そうすることですべての謎が解ける、私は疑うことはなかった。
私の思った通り、調査は急展開を見せた――。
***
私は店長らしき人にこれまでの経緯を話すと、驚いたように私の両肩をつかんで顔を見つめて、慌ててどこかへ電話を掛けた。それから私は同じ通りのすぐ近くにある高層マンションに行くようメモを渡してくれた。お昼に祠から見えたあのビルだ。マンションの15階、表札には「町田和子」と立派な文字がある。ここに来るまで私は何も言わなかったけど、先生とおじいちゃんはそれだけで大体わかったようだ。
玄関のベルを押すと、洋服を着た高齢の女性が出迎えてくれた。写真でしか知らないキノヱ婆さんにそっくり、いや、私には本人に見えた。おじいちゃんはには事態が理解出来たようで、半分涙目になっていた。
「息子から事のあらましはうかがってます。こちらへどうぞ」
案内されて部屋の奥へと進んでいると、先生が私を呼び止めた
「麻衣子さん知ってるの?この方」
私は首を横に振った。
「さっきお店の人に『遅れて来た便り』の作者を御存知ですか?って聞いたらココを教えてくれた。その人のお母さんだって」
私たちは奥のリビングに入ると、窓一面に乙浜の景色が飛び込んできた。ここから先生の実家、午前に行った御神木、乙城記念公園まで見渡せる。
「ようこそいらっしゃいました」
お婆さんは中学生の私にも丁寧に挨拶をして席を勧めてくれた。上品な感じの方だ。
「町田和子と申します」
簡単に自己紹介をしてくれた。明治から続く喫茶店の三代目にして女流作家。先生が話題にしている『遅れて来た便り』の著者が代表作だ。昔は喫茶店の上の階に住んでいたが、建物も古くなり、経営は息子の代に譲り最近できたマンションに住み替えたそうだ。
「早速ですがこれを見ればお分かりいただけるでしょう」
和子さんは私に予め用意していた古い封筒を渡してくれた。
「これは……?」
「父に宛てられた手紙です。」
和子さんは仏壇の上にある写真を紹介した。
「町田申三郎、キノヱさんの実弟です」
私は封筒を手にした。それは私の地図よりは新しいと思うけど、この手紙も相当古い。私は封筒の裏を見ると、仮説通りの名前を見て手が震え出した。
甲山町 稲垣キノヱ
私は後ろにいたおじいちゃんに封筒の裏を見せた。眼鏡をかけ直して、その送り主を見た瞬間に、おじいちゃんの手も震え出した。
私は封筒の手紙を出して、震える手を抑えながら恐る恐る開いた。当時にしては珍しい横書きの字だ。初めて見るキノヱ婆さんの直筆。紙はかなり古くなっているが、私でもそれは読むことが出来た。
***
私はある兵隊と恋に堕ちました、それが叶わぬものとわかっていましたが、花火が上がった夜、ある場所で落ち合い「僕は明日清国へ出征する。生きて帰ってきた時は、どうか私に着いてきて欲しい」と言われました。
それから私は悩み、そして彼の無事を祈りました。願いは通じ、翌年彼は帰ってきました、私の為に。そしてこの時、私は彼に着いていく事を決めたのです。
店を捨て、貴方を裏切り、両親を裏切ることは許されるものでないことはわかっています。
家を出た事に後悔はありません。ただ、貴方の事が心配で仕方なりません。
戦争が終わり、自由な世の中がやって来ました。私はここにいます。しかし私から会いに行く訳にはいきません。どうか、どうか貴方の近況を聞かせていただけませんか。
手紙を読み終えると和子さんが、
「この手紙が『遅れて来た便り』なんです」
と言った。後ろで見ていたおじいちゃんの嗚咽と目を真っ赤にした先生の顔が見えた。原作をまだ読んでいない私には感じ方は違ったと思うけど、私にも伝わるものがあった。
家にある大きな蔵から見つかった一枚の紙切れ。この手紙を読み終えた瞬間、その謎がすべて解けた。これがゲームだったら「マイコはすべての謎を解き明かした」って字幕が出てるかのようだった。ただ、ゲームとは違って笑顔はなかった。
「これは、百年前のラブレターだ……」
私は『宝の地図』を和子さんに見せて、もう一度この地図の発見からここに至るまでを説明した。
「地図のバツ印が待ち合わせ場所だ。ここでプロポーズを受けたんだ。そして『川ノホトリノA』は麻二朗爺さんのAだ……」
悲しい訳じゃないのに涙が自然にこぼれてきた。
和子さんは地図を見て大きく頷いた。
「直接の表現などできない時代でしたから、確かにこれは『恋文』ですね。これを知ってたら原作も少し変わっていたかもしれません」
「そうですな。お城で待ち合わせをしたのは想像つかなかったのぅ」おじいちゃんが言うと原作を知る三人は頷いた。
「そこに何かあったんかの?」
「思いを伝えるのには人気のないところが良かったのでしょう」
和子さんが言うと、横にいた先生はパチンと手を叩いた。
「麻衣子さん、ほら。あの時球場で僕らだけ逆に歩いて城跡を探してたじゃないか」
「……そうだ!」
あの日は花火が上がった日とある。みんな河原の方へ行くところを、逆に山で落ち合うように約束したのだ。
自由に恋愛も出来ないこの時代に、どれだけの事を考えてこの手紙を書いたのだろう。それを考えると、私にはこの手紙がとても大切な宝物に見えた――。
***
「それで、弟さんは手紙を見て何と言ったのでしょうか?」
私が質問すると、誰も答えず時間だけが流れた。私は聞いてはいけない事を言ってしまったと直感した。
「原作では乙浜は空襲に遭うんだ……」
肩に先生の手が乗るのを感じた。
「そんな……」
「だから『遅れて来た便り』なんじゃよ」
「父は、父は最後まで生き別れた姉に会いたかったと聞きます」
和子さんは続いて四つ切りの古い写真をみせてくれた。
「このお店が出来た時の写真です」
私はそれを見て言葉が出なかった。店の前に立っている当時は珍しい洋服姿のウェイトレス。私とそっくりだった。明治二三年、キノヱ婆さんが一六歳の頃だ。
「貴女が来た時は伯母様が来たのかと思いました。もしや麻衣子さんは伯母様の……」
「玄孫に当たります。ちょうど120歳年下の」
「そうですか……」和子さんは立ち上がって私の両肩をつかんだ。
「麻衣子さん、御願いがあります」
「何ですか?」
「お顔を、近くで見せてくれませんか」
私が頷くと同時に強く抱き締められた。それは会ったことのないキノヱ婆さんに抱き締められたような気がした。
「お父さん、伯母様は帰ってきましたよ……」
和子さんのすすり泣く声が聞こえる。私はこのまま立ち尽くすのがいいと思った。
「祖母は映画を見て涙を流しておりました。さぞや貴方に会いたかったのでしょう」
おじいちゃんは仏壇に手を合わせていた。
「今頃会えていますよ」
先生もおじいちゃんの横に並び、同じく手を合わせていた。
辺りはもうすっかり暗くなっていた。そして窓の外を見ると、大玉の花火が次々と打ち上げられ、その光で一斉に視線が窓の外に移った。立ち並ぶ団地の向こう、先生の家の辺りから光が見えたかと思うと、それを追いかけるように遅れて音が聞こえた。時代は変わっても花火は上空に上がる。マンションの15階から見える花火は上というよりも横に見えた。
「綺麗じゃのう……、通な角度じゃ」
「ご先祖様もこうやって見ていたのかな」
「当時酉岡は山だったからそうかもしれないね」
私は上がり続ける花火を見て動きが止まった。最後の花火が上がるまで何も言うことができなかった――。




