誰かに何かを
買い出しの帰りに公園を抜けると、お隣の奥様が隅にしゃがんでいた。
「何をなさっているんですか?」
声をかけると、恥ずかしそうな声で草摘みだと返事が返ってきた。
「春だからね、やっぱり一度は作らないと落ち着かなくて。もう喜ぶ人はいないんだけれど」
お隣は年配のご夫婦で、時々連れ立ってハーモニーにも来てくださる。
そんなに頻繁なおつきあいはなくても、それなりにご近所としてのやり取りはある。
奥様が籠にたくさん摘んでいたのは、ヨモギの芽だ。
「草餅を作られるんですか?」
「孫たちはそんなもの、喜ばないしねえ。おじいさんは歯が悪いから、作っても食べるのは私だけなのよ。いつも残って硬くしてしまうんだけど」
「え、もったいない! 私、草餅大好き!」
言った後に、お裾分けを催促してるみたいだと、ちょっと恥ずかしくなった。
そうか、ヨモギ。
ヨモギ粉作っておいて、パンケーキとかドーナツとかにすると良いかも。
アズキと生クリームで出そうかな。
今度の定休日に、ちょっと足を延ばそうかしら。
そう思いながら仕込みをはじめ、ぼちぼち入ってくる客のコーヒーを淹れる。
午後のお茶の時間になったら、お隣のご夫婦が揃っていらした。
奥様が重箱をお持ちになり、旦那様は渋い顔をなさっている。
「料理が商売の人に、失礼だと言ったんだが」
「お好きだって言ったもの。お気に召さなかったら捨てても」
「毎年バカみたいに、いっぱい作るからだ。自分が食べる分だけ作ればいいのに」
気難しそうに文句を仰る旦那様の前で、奥様は少し背を丸めながら重箱を開いて見せた。
ヒスイ色の、美しく成形された草餅。
「こっちは餡を入れて丸めたの。こっち半分は何も入れてないから、きな粉と黒蜜で食べてね」
私と誠司君だけでは食べきれなさそうな量だ。
「何年か前まで、娘のところにもたくさん持って行ったんだけどね。もうそんなにいらないからって言われちゃって。申し訳ないけど、受け取ってちょうだい」
ついでに作りすぎたなんていう量じゃない。
それにこのお庭の木瓜の花まで綺麗にあしらった詰め方は、きっと他人に渡すことを考えたもの。
きっと私が好きだと言ったから。
「ありがたくいただきます。美味しそう!」
お礼を申しあげると、安心したような笑顔が戻ってきた。
「誰かに喜んで欲しくて、お料理できるのって幸せねえ。年寄り二人だと食べる量も少ないから、どうしても楽しくなくてね。貰ってくれて、安心したわ」
奥様は本当に嬉しそうで、いただいたこっちよりも丁寧なお礼だった。
「睦美さんはプロだから、田舎臭いって言うかと思ったんだけど」
「いえ、お店で出すお料理は別ですよ。私、切り干し大根と煮しめが好物ですから」
洋風の軽食を作る人が、洋風の軽食ばかり好きだとは限らない。
「私も好きなんだけど、たくさん作らないと美味しくないのよね、そういうの」
ああ、年配のご夫婦では、鍋一杯分でも多いかも知れない。
我が家はストック分まで作っても、誠司君がいつの間にか食べちゃってるけど。
「じゃ、今度作ったときにお持ちしますね。食べてくださると嬉しいです」
渋い顔をしていたはずの旦那様が、今度はにっこり笑った。
「それは嬉しいね。出来合いは私たちには味が濃くて。かといって、ふたりじゃねえ」
片手間が喜んでいただけるのなら、そんな簡単なことはいくらでもできる。
夕食用に牛筋を煮込みながら、お隣も食べるかしらと考えていると、また玄関のインターフォンが鳴った。
「睦美さん、卯の花はお好きかしら。分ける場所があると思ったら、作りたくなっちゃって」
お隣の奥様が、綺麗などんぶりを持って立っていらした。
「うわ、大好き。あ、牛筋召し上がりますか?うちも今煮てて」
慌ててどんぶりにレードル二杯分を掬い、ラップを掛ける。
お隣と惣菜の交換は、こうしてはじまった。
いただきっぱなし、差し上げっぱなしだと気になるけど、幸いなことに両方とも二人暮らしだから、量は多くない。
ただ最近夕食のメニューを考えるときに、お隣のお口に合うかしらと考えたりはする。
損得なしに誰かのためにお料理を考えるのって、ちょっと楽しい。