第4話「帝国中央」
銀河統合帝国の首都惑星ヴァレリアには夜がなかった。正確には、夜という概念が必要なかった。
惑星全体を覆う都市圏では、太陽光を再現した照明が昼夜を管理し、巨大な軌道リングには数十億人が暮らしている。地表から見上げれば、空には無数の人工構造物が浮かび、宇宙港から発着する船が絶え間なく光の線を引いていた。
帝国が銀河の11%を支配していることを、首都に住む人間が意識することはほとんどない。それほどまでに、文明は完成していた。
飢えはない。疫病の多くは克服されている。惑星間戦争は歴史の教科書にしか存在せず、恒星間移動さえ日常になっていた。
人類は宇宙を征服した。少なくとも、そう信じていた。
その日の午前4時12分、銀河統合帝国中央宮殿の地下84階で、誰にも知られない会議が始まった。会議室には7人しかいなかった。
皇帝アウレリアン・ヴァル・セヴェル、帝国軍統合作戦本部長、中央情報局長官、科学技術院総裁、銀河門管理局長、内務長官、そして皇帝直属の記録官。
壁には銀河全体の立体地図が投影されている。その一部に、47個の赤い点が浮かんでいた。皇帝はそれを見つめていた。
「最新の報告を」
科学技術院総裁が立ち上がる。
「ヘリオス観測ステーションからの通信が途絶しました」
「原因は?」
「中央からの通信制限を実施した直後です」
皇帝は顔を上げた。
「観測員は?」
「全員、施設内にいると思われます」
「思われます?」
「現在、確認できません」
皇帝の表情は変わらなかった。だが、指先だけが机を一度叩いた。
「エレナ・クロフォードは?」
「行方不明です」
「死んだのか」
「確認できていません」
皇帝は再び銀河地図を見た。
47個の赤い点。そのうちのひとつが、ゆっくりと明滅している。
「18年前の最初の事例から、今回までの間隔を出せ」
記録官が即座に答える。
「平均すると約140日です」
「では、次は?」
「予測できません」
「できないでは困る」
「申し訳ありません」
科学技術院総裁が口を挟んだ。
「陛下。これまでの事例には、物理的な共通点がありません」
皇帝が彼を見る。
「共通点がない?」
「はい。恒星の種類も、質量も、年齢も、惑星系の構成も違います。距離も発生時期もばらばらです」
「ならば、なぜ47件を同じ事件として扱っている」
総裁は一瞬黙った。
「消え方が同じだからです」
会議室が静かになった。皇帝は銀河地図へ視線を戻した。
「説明しろ」
「恒星が消える直前、観測可能な全波長の出力が同時に失われます」
「超新星ではない」
「はい」
「ブラックホール化でもない」
「はい」
「崩壊でもない」
「そのどれでもありません」
総裁は言葉を選んだ。
「最も正確に表現するなら、存在そのものが観測から切り離されます」
内務長官が眉をひそめた。
「存在が観測から切り離される?」
「我々も意味を理解できていません」
「なら、そんな言葉を報告書に書くな」
「では、どう書けばいいでしょう」
内務長官は答えなかった。皇帝は静かに言った。
「続けろ」
総裁は頷いた。
「最初の事例では、星そのものが消えただけだと思われていました。しかし後になって、過去の観測記録にも変化が起きていることが分かりました」
「変化?」
「写真からも観測データからも消えました。恒星カタログからも消えました」
「誰かが削除したのではないのか」
「最初はそう考えました」
総裁は銀河地図を拡大した。
「ですが、削除されたデータだけでは説明できません」
「何が違う」
「記録を復元すると、その復元した記録まで消えるのです」
誰も口を開かなかった。
「つまり」
総裁が続ける。
「何かが星だけではなく、その星が存在したという情報そのものを消している」
皇帝はしばらく黙っていた。やがて尋ねた。
「民間には?」
内務長官が答える。
「知られていません」
「今回のヘリオスは?」
「まだです」
「観測員たちは?」
「接触を制限しています」
「エレナ・クロフォードが記録したデータは?」
「回収を命じています」
皇帝は頷いた。
「優先順位は」
内務長官が即答する。
「データ回収。観測員の確保。情報封鎖。必要なら記憶処理も実施します」
皇帝はその言葉を聞いても表情を変えなかった。
「記憶処理は最後だ」
「承知しました」
「まだ民間人には使うな」
「はい」
科学技術院総裁が、ためらいながら尋ねる。
「陛下」
「何だ」
「これを、いつまで隠すおつもりですか」
皇帝は彼を見た。
「分からない」
その答えに、全員がわずかに驚いた。
皇帝は立ち上がった。
「私は18年間、これを隠してきた」
誰も動かなかった。
「最初の星が消えたとき、私は軍の誤射を疑い、次はテロを疑った。その次は未知の兵器を疑った。その後は、我々が理解できない何かが銀河のどこかに存在していると考えた」
皇帝は銀河地図を見上げた。
「だが、18年経っても答えは出ていない」
赤い点が47個並んでいる。
「だから隠しているのではない」
皇帝は言った。
「理解できないものを、理解できたふりをして民衆に渡したくないだけだ」
軍の統合作戦本部長が初めて口を開いた。
「では、軍を動かしますか」
皇帝は即答しなかった。
「相手の正体が分からない」
「ですが、帝国領内で恒星が消えています」
「だからこそだ」
皇帝は振り返った。
「敵が存在するなら、我々は敵を見つけなければならない」
「見つけた後は?」
皇帝はしばらく黙った。
「抹殺する」
その言葉だけが会議室に残った。だが皇帝自身、その言葉に確信を持ってはいなかった。
敵がどこにいるのか分からない。どうやって星を消しているのかも分からない。そもそも敵が生物なのか、機械なのか、それとも文明なのかすら分からない。
それでも帝国には軍隊がある。巨大な艦隊がある。数十億の兵士がいる。何より、1600年にわたって銀河を支配してきたという自負がある。
だから皇帝は、まだ戦えると思っていた。
会議が終わり、7人のうち6人が退室した。最後に残った記録官も扉の外へ出ていく。皇帝は一人になった。
静かな部屋だった。銀河地図だけが、暗い空間に浮かんでいる。
皇帝は机の引き出しを開け、そこから一枚の古い写真を取り出した。
紙の写真だった。今ではほとんど使われない。写真には若い頃の皇帝が写っている。
軍服を着ている。まだ皇帝になる前だった。
その隣には一人の女性がいた。彼女は笑っている。
皇帝は写真の裏側を見る。そこには手書きの文字が残されていた。
『星は消えない。人が見なくなるだけ』
皇帝は目を閉じた。
18年前──最初の星が消えた日。
彼女もまた、消えた。死体は見つからなかった。記録も残っていない。ただ、写真だけが残った。
皇帝は写真を伏せた。その瞬間、机の通信端末が鳴った。
「陛下」
中央情報局長官の声だった。
「何だ」
「緊急報告です」
「言え」
「ヘリオス観測ステーションから、最後の通信記録が復元されました」
皇帝は顔を上げた。
「内容は?」
短い沈黙……。
「通常の通信ではありません」
「どういう意味だ」
「誰かが、観測ステーションへメッセージを送っています」
皇帝は立ち上がった。
「誰からだ」
「発信元がありません」
「なら、どうやって送った」
「分かりません」
「内容は?」
また沈黙があった。
やがて長官が読み上げる。
「"それを記録し続けてください"」
皇帝の顔から、わずかに血の気が引いた。
「その言葉を……、18年前にも受け取っています」
長官が言った。
「最初の星が消える直前です」
皇帝は答えなかった。そして銀河地図を見る。
47個の赤い点。そのうち、最も新しい点が消えた。
皇帝が息を止めた次の瞬間、赤い点がひとつ増えた。
48個目。場所は、帝国首都ヴァレリアからわずか数百光年。
皇帝は初めて恐怖を顔に出した。
「……近すぎる」
その直後、通信端末に新しい文字が表示された。
発信元不明。署名なし。
ただ一行だけ、
「**次は、あなたたちが記録している場所です**」
皇帝は画面を見つめた。そして初めて理解した。
これは観測されているだけではない。向こうもまた、こちらを見ている。




