夫を殺しに来た愛人が、わたしの寝台で死んでいました
最新エピソード掲載日:2026/08/13
七の月四日の朝。わたしの寝台で、知らない女が死んでいました。
黒い髪が枕に広がって、右手のそばに、金の縁の杯が倒れています。枕元には、夫宛ての封も切っていない手紙が一通。
夫の、昔の愛人だそうです。
わたしはマチルド・ドラクロア。二十二。借財の穴埋めに嫁いだ伯爵夫人で、屋敷じゅうが「あの夫婦は不仲だ」と申しております。
――昨夜も、夫は来ませんでした。
ですから、この方がいつ来たのかも、わたしは存じません。
その日から、屋敷にわたしの居場所がなくなります。
嫉妬した妻。誰でも手の届く卓に置かれた、空の眠り薬。義兄は親切な顔で杯を金庫へ納め、司法官が呼ばれ、夫は人前でこう言いました。
「この者を、我が家から出す」
連れてこられた鑑定人は、祖父の外套に埋まった十四の少女でした。
「容疑者殿。手を出しなさい」
少女は杯の内側を舐めるように見て、こう言います。
「注いだ酒に混ぜたのではない。塗ったのだ。……塗ったということは、〈杯を選んだ〉ということだぞ」
毒があったのは、金の縁の杯の内側だけ。
義兄が、静かに説明します。
「金の縁は主人の杯でございます。この家の古い決まりでして。三代、変わっておりません」
その場の全員が、同じ結論へ行きました。狙われたのは、伯爵だと。
わたし一人だけが、そう思えずにおります。
けれど、それを申し上げることは、わたしにはできません。
言えば、この二年、この家で誰にも言わずにきたことを、全部お話しすることになるからです。
超常はひとつもありません。効いているのは、家の中の物の位置を覚えている目と、二人だけで決めた小さな作法だけです。
黒い髪が枕に広がって、右手のそばに、金の縁の杯が倒れています。枕元には、夫宛ての封も切っていない手紙が一通。
夫の、昔の愛人だそうです。
わたしはマチルド・ドラクロア。二十二。借財の穴埋めに嫁いだ伯爵夫人で、屋敷じゅうが「あの夫婦は不仲だ」と申しております。
――昨夜も、夫は来ませんでした。
ですから、この方がいつ来たのかも、わたしは存じません。
その日から、屋敷にわたしの居場所がなくなります。
嫉妬した妻。誰でも手の届く卓に置かれた、空の眠り薬。義兄は親切な顔で杯を金庫へ納め、司法官が呼ばれ、夫は人前でこう言いました。
「この者を、我が家から出す」
連れてこられた鑑定人は、祖父の外套に埋まった十四の少女でした。
「容疑者殿。手を出しなさい」
少女は杯の内側を舐めるように見て、こう言います。
「注いだ酒に混ぜたのではない。塗ったのだ。……塗ったということは、〈杯を選んだ〉ということだぞ」
毒があったのは、金の縁の杯の内側だけ。
義兄が、静かに説明します。
「金の縁は主人の杯でございます。この家の古い決まりでして。三代、変わっておりません」
その場の全員が、同じ結論へ行きました。狙われたのは、伯爵だと。
わたし一人だけが、そう思えずにおります。
けれど、それを申し上げることは、わたしにはできません。
言えば、この二年、この家で誰にも言わずにきたことを、全部お話しすることになるからです。
超常はひとつもありません。効いているのは、家の中の物の位置を覚えている目と、二人だけで決めた小さな作法だけです。
1. わたしの寝台に、知らない女が寝ていました
2026/08/12 18:16
2. 昨夜も、夫は来なかった
2026/08/13 23:44