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神話世間  作者: 西堂有規
9/10

雪の王

奥正月戦争は。


 戦争というより、崩壊だった。


    ◇


 一月二日。


 北部戦線。


 吹雪。


 中央軍第三軍団は、補給線ごと雪崩に呑まれた。


 二千七百。


 生存者百三十。


 だが。


 壮真は進軍を止めなかった。


「前へ」


 それだけだった。


 兵達は怯えながら従う。


 既に忠誠ではない。


 熱狂でもない。


 何か巨大な破滅へ引きずられていく感覚。


 それでも。


 誰も彼から離れられなかった。


    ◇


 一方。


 奥知呂軍。


 奈央弥は疲弊し切っていた。


 毎日届く戦死報告。


 凍死。


 脱走。


 狂乱。


 壮真の軍は、もはや合理性で動いていない。


 なのに強かった。


 死を恐れぬからだ。


 蒼佐繁賢が吐き捨てる。


「化け物だ」


 濃霧頼臣も顔色を失っていた。


「兵が……奴を見ただけで崩れる」


「“王が来る”だけで陣が乱れる」


 奈央弥は沈黙した。


 理解していた。


 壮真は、人間の恐怖と憧憬、その両方を支配している。


 誰よりも美しく。


 誰よりも壊れているから。


    ◇


 一月七日。


 旧雪渡街道。


 両軍決戦。


 吹雪の中。


 壮真は最前線に立っていた。


 護衛もほとんど置かず。


 狂気じみた進軍。


 それを見た中央兵達が叫ぶ。


「陛下が前にいるぞ!」


「続け!」


「王を死なせるな!」


 雪原全体が熱狂に呑まれる。


 一方。


 奥知呂側。


 下条達範は、その光景を見て顔面を蒼白にした。


「……諌殿」


 呟く。


「貴方は、これを止めたかったのですか」


 その時。


 奈央弥が馬を進めた。


「達範」


「……」


「もう終わらせる」


 彼は槍を握る。


「俺が行く」


「待て!」


 達範が叫ぶ。


「近づくな!」


「何?」


「あいつを前にすると、人は正常でいられなくなる!」


 だが。


 奈央弥は笑った。


「だからこそだ」


「誰かが殺さねばならない」


    ◇


 吹雪の中。


 二人は出会った。


 端原壮真。


 端原奈央弥。


 互いに白い雪を踏みしめる。


 壮真は笑った。


「久しいな」


「……諌殿を返せ」


「無理だ」


 壮真は静かに言う。


「死んだからな」


 奈央弥の顔が歪む。


「貴様……!」


「だが」


 壮真は続けた。


「余は、本当に悲しかった」


「黙れ!」


 奈央弥が突撃する。


 槍。


 剣。


 雪煙。


 二人の刃が激突する。


 壮真は異様に強かった。


 狂気で限界を超えている。


 奈央弥の肩が裂ける。


 だが。


 奈央弥は止まらない。


「お前は!」


「もう王じゃない!」


 壮真の動きが、一瞬止まる。


 その瞬間。


 奈央弥の槍が壮真の脇腹を貫いた。


 鮮血。


 兵達が絶叫する。


「陛下!」


 しかし。


 壮真は笑っていた。


 まるで。


 救われたように。


「……そうか」


 雪が降る。


 静かに。


 壮真は、奈央弥の肩を掴んだ。


「なら」


「其方が、次を作れ」


 奈央弥の目が揺れる。


「……何」


「余には、無理だった」


 壮真の声は、酷く穏やかだった。


「民を救う国など」


「人を愛する王など」


「最後まで、分からなかった」


 血が雪を赤く染める。


 壮真は空を見た。


「実伸」


「余は、駄目だったよ」


 その瞬間。


 奈央弥は初めて見た。


 怪物ではない。


 ただ。


 壊れ切った、一人の男を。


 壮真の身体が崩れる。


 雪の中へ。


 静かに。


    ◇


 王の死は。


 戦争を終わらせなかった。


 むしろ。


 王国を完全に壊した。


    ◇


 中央では。


「陛下は生きている」


「いや、神となった」


「奥知呂が王を殺した」


「復讐しろ」


 暴動。


 略奪。


 焼討。


 壮真を神格化する集団が次々現れた。


 一方。


 壮真の死を知った中央軍の一部は、武器を捨てて泣き崩れた。


 ある者は自害し。


 ある者は発狂した。


 王は死んだのに。


 誰も彼から解放されなかった。


    ◇


 奥知呂。


 下条達範は、戦後処理に追われていた。


 だが。


 彼の机には、いつも一通の文が置かれていた。


 新庄実伸の遺書。


『国を壊すな』


 短い文。


 それだけ。


 達範は疲れた顔で呟く。


「難しいですよ」


「貴方達は簡単に言う」


 その時。


 戸が開く。


 奈央弥だった。


 以前より明らかに痩せている。


「中央難民がまた増えた」


「食料が足りない」


「……分かっている」


 沈黙。


 やがて奈央弥が低く言う。


「俺は、あいつを殺した」


 達範は何も言わない。


「なのに」


「まだ夢に出る」


 奈央弥は苦しげに目を閉じた。


「あいつが笑う」


「“次を作れ”って」


 達範は静かに答える。


「諌殿も、同じ事を言うでしょう」


「……」


「だから我々は、生きるしかない」


    ◇


 春。


 戦争は終結した。


 だが。


 王国はもう元には戻らなかった。


 中央権力は崩壊。


 地方軍閥化。


 飢餓。


 難民。


 疫病。


 それでも。


 各地で、新しい芽が生まれ始めていた。


 実伸に救われた官僚達。


 諌に育てられた若者達。


 壮真に絶望し、それでも人を捨てなかった者達。


 彼らは、小さな自治を作り始める。


 食料を分け。


 孤児を保護し。


 処刑ではなく、裁判を置こうとした。


 それは。


 あまりにも弱く、小さかった。


 だが。


 確かに、実伸の願いだった。


    ◇


 そして。


 数年後。


 雪解けの奥知呂。


 一人の少年が、古びた石碑を見上げていた。


 そこには二つの名が刻まれている。


『新庄実伸』


『上大年諌』


 少年が問う。


「この人達は、英雄だったの?」


 隣の老人――下条達範は、長く黙った。


 やがて。


 静かに答える。


「違う」


「では悪人?」


「それも違う」


 達範は遠い空を見る。


「皆、間違え続けた人間だ」


「だが」


「それでも、人を愛そうとした」


 風が吹く。


 雪が解ける。


 遠くで、子供達の笑い声が響いていた。


 けれど。


 達範は知っている。


 人はまた、同じ過ちを繰り返す。


 理想を掲げ。


 誰かを神にし。


 そして壊す。


 だからこそ。


 忘れてはいけない。


 怪物になった王のことも。


 止めようとして死んだ者達のことも。


 全部。


覚えていなければならないのだと。

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