雪の王
奥正月戦争は。
戦争というより、崩壊だった。
◇
一月二日。
北部戦線。
吹雪。
中央軍第三軍団は、補給線ごと雪崩に呑まれた。
二千七百。
生存者百三十。
だが。
壮真は進軍を止めなかった。
「前へ」
それだけだった。
兵達は怯えながら従う。
既に忠誠ではない。
熱狂でもない。
何か巨大な破滅へ引きずられていく感覚。
それでも。
誰も彼から離れられなかった。
◇
一方。
奥知呂軍。
奈央弥は疲弊し切っていた。
毎日届く戦死報告。
凍死。
脱走。
狂乱。
壮真の軍は、もはや合理性で動いていない。
なのに強かった。
死を恐れぬからだ。
蒼佐繁賢が吐き捨てる。
「化け物だ」
濃霧頼臣も顔色を失っていた。
「兵が……奴を見ただけで崩れる」
「“王が来る”だけで陣が乱れる」
奈央弥は沈黙した。
理解していた。
壮真は、人間の恐怖と憧憬、その両方を支配している。
誰よりも美しく。
誰よりも壊れているから。
◇
一月七日。
旧雪渡街道。
両軍決戦。
吹雪の中。
壮真は最前線に立っていた。
護衛もほとんど置かず。
狂気じみた進軍。
それを見た中央兵達が叫ぶ。
「陛下が前にいるぞ!」
「続け!」
「王を死なせるな!」
雪原全体が熱狂に呑まれる。
一方。
奥知呂側。
下条達範は、その光景を見て顔面を蒼白にした。
「……諌殿」
呟く。
「貴方は、これを止めたかったのですか」
その時。
奈央弥が馬を進めた。
「達範」
「……」
「もう終わらせる」
彼は槍を握る。
「俺が行く」
「待て!」
達範が叫ぶ。
「近づくな!」
「何?」
「あいつを前にすると、人は正常でいられなくなる!」
だが。
奈央弥は笑った。
「だからこそだ」
「誰かが殺さねばならない」
◇
吹雪の中。
二人は出会った。
端原壮真。
端原奈央弥。
互いに白い雪を踏みしめる。
壮真は笑った。
「久しいな」
「……諌殿を返せ」
「無理だ」
壮真は静かに言う。
「死んだからな」
奈央弥の顔が歪む。
「貴様……!」
「だが」
壮真は続けた。
「余は、本当に悲しかった」
「黙れ!」
奈央弥が突撃する。
槍。
剣。
雪煙。
二人の刃が激突する。
壮真は異様に強かった。
狂気で限界を超えている。
奈央弥の肩が裂ける。
だが。
奈央弥は止まらない。
「お前は!」
「もう王じゃない!」
壮真の動きが、一瞬止まる。
その瞬間。
奈央弥の槍が壮真の脇腹を貫いた。
鮮血。
兵達が絶叫する。
「陛下!」
しかし。
壮真は笑っていた。
まるで。
救われたように。
「……そうか」
雪が降る。
静かに。
壮真は、奈央弥の肩を掴んだ。
「なら」
「其方が、次を作れ」
奈央弥の目が揺れる。
「……何」
「余には、無理だった」
壮真の声は、酷く穏やかだった。
「民を救う国など」
「人を愛する王など」
「最後まで、分からなかった」
血が雪を赤く染める。
壮真は空を見た。
「実伸」
「余は、駄目だったよ」
その瞬間。
奈央弥は初めて見た。
怪物ではない。
ただ。
壊れ切った、一人の男を。
壮真の身体が崩れる。
雪の中へ。
静かに。
◇
王の死は。
戦争を終わらせなかった。
むしろ。
王国を完全に壊した。
◇
中央では。
「陛下は生きている」
「いや、神となった」
「奥知呂が王を殺した」
「復讐しろ」
暴動。
略奪。
焼討。
壮真を神格化する集団が次々現れた。
一方。
壮真の死を知った中央軍の一部は、武器を捨てて泣き崩れた。
ある者は自害し。
ある者は発狂した。
王は死んだのに。
誰も彼から解放されなかった。
◇
奥知呂。
下条達範は、戦後処理に追われていた。
だが。
彼の机には、いつも一通の文が置かれていた。
新庄実伸の遺書。
『国を壊すな』
短い文。
それだけ。
達範は疲れた顔で呟く。
「難しいですよ」
「貴方達は簡単に言う」
その時。
戸が開く。
奈央弥だった。
以前より明らかに痩せている。
「中央難民がまた増えた」
「食料が足りない」
「……分かっている」
沈黙。
やがて奈央弥が低く言う。
「俺は、あいつを殺した」
達範は何も言わない。
「なのに」
「まだ夢に出る」
奈央弥は苦しげに目を閉じた。
「あいつが笑う」
「“次を作れ”って」
達範は静かに答える。
「諌殿も、同じ事を言うでしょう」
「……」
「だから我々は、生きるしかない」
◇
春。
戦争は終結した。
だが。
王国はもう元には戻らなかった。
中央権力は崩壊。
地方軍閥化。
飢餓。
難民。
疫病。
それでも。
各地で、新しい芽が生まれ始めていた。
実伸に救われた官僚達。
諌に育てられた若者達。
壮真に絶望し、それでも人を捨てなかった者達。
彼らは、小さな自治を作り始める。
食料を分け。
孤児を保護し。
処刑ではなく、裁判を置こうとした。
それは。
あまりにも弱く、小さかった。
だが。
確かに、実伸の願いだった。
◇
そして。
数年後。
雪解けの奥知呂。
一人の少年が、古びた石碑を見上げていた。
そこには二つの名が刻まれている。
『新庄実伸』
『上大年諌』
少年が問う。
「この人達は、英雄だったの?」
隣の老人――下条達範は、長く黙った。
やがて。
静かに答える。
「違う」
「では悪人?」
「それも違う」
達範は遠い空を見る。
「皆、間違え続けた人間だ」
「だが」
「それでも、人を愛そうとした」
風が吹く。
雪が解ける。
遠くで、子供達の笑い声が響いていた。
けれど。
達範は知っている。
人はまた、同じ過ちを繰り返す。
理想を掲げ。
誰かを神にし。
そして壊す。
だからこそ。
忘れてはいけない。
怪物になった王のことも。
止めようとして死んだ者達のことも。
全部。
覚えていなければならないのだと。




