死せる神王の時代
#旗枝智量 は、しばらく沈黙した。
聖公庁の空気が冷える。
やがて智量は静かに告げた。
「……つまり貴殿は、一人の留学生を殺すことで、連合の面目が保たれると?」
#霊殿瓜冬 は即答した。
「当然だ」
「端原中央帝国との関係を損なえば、交易も外交も崩壊する」
「弱腰は害悪だ」
対する #嶋辺台監 は、苦々しい顔で呟く。
「だからと言って、生徒一人を差し出すのか」
「逃げた理由を考えたことはないのか」
瓜冬は鼻で笑った。
「恐怖に負けた軟弱者に配慮する必要など無い」
その瞬間。
傍聴席の #真同共夜 が立ち上がった。
「貴様……!」
衛兵が動く。
#杉波龍英 が制止した。
「座れ」
低い声だった。
だが、その眼には明らかな怒気があった。
◇
同じ頃。
中央帝国。
神王 #端原洞真 は、夜の宮殿を歩いていた。
付き従う者は #飛竜院諸方 のみ。
「……静かだな」
洞真が呟く。
諸方は答えない。
静かなのは当然だった。
四月末以降。
都では粛清が続いている。
誰も夜に出歩かない。
誰も大声で喋らない。
誰も、王の名を軽々しく口にしない。
洞真は薄く笑った。
「壮真より余の方が恐れられている」
「光栄なことだ」
諸方は低く答える。
「恐怖は統治に必要です」
「……本当に?」
洞真は立ち止まった。
庭園には春雨が降っている。
「壮真は、もっと愛されていた」
「なのに壊れた」
「余は最初から愛を捨てた」
諸方は答えられなかった。
◇
一方。
地方では、なお戦が続いていた。
壮真死後。
各地で「正統」を掲げる軍閥が乱立する。
中央忠誠派。
旧共和派。
地方自治軍。
宗教共同体。
そして。
「神王復活」を唱える集団。
彼らは口々に言った。
「壮真は死んでいない」
「神は滅びぬ」
「雪の王は再び帰る」
それは噂から始まった。
雪原で壮真を見た者がいる。
北方で白衣の軍勢が現れた。
龍王廟が夜毎に開く。
死んだ兵が立ち上がった。
誰かが言い始め。
誰かが信じ。
やがて神話になった。
◇
奥知呂。
#下条達範 は、その報告書を机に叩きつけた。
「またか」
副官 #辻宮志元 が顔をしかめる。
「北部難民区です」
「“壮真を見た”と騒ぎが」
「鎮圧は?」
「最小限に留めています」
達範は深く息を吐いた。
「……下手に殺せば殉教になる」
窓の外では、難民達が炊き出しを待っていた。
痩せた身体。
虚ろな眼。
子を抱く者。
互いに寄り添って眠る者。
その光景を見て、達範は呟く。
「人は、救いを欲する」
「だから怪物を神にする」
◇
だが。
その難民区の片隅で。
静かに人を救っている者達もいた。
旧実伸派の官僚。
戦災孤児を集める教師。
炊き出しを行う元兵士。
彼らは、大きな理想を掲げなかった。
ただ。
目の前の命を繋いだ。
◇
夜。
簡素な診療所。
若い医師 #濃霧頼臣 は、負傷者の手当をしていた。
隣では助手の #幸端月方 が薬を分けている。
「足りないな」
「全部」
月方が苦笑する。
「それでも前よりマシだ」
「前?」
「壮真の最後の戦争の頃だよ」
沈黙。
やがて頼臣が小さく言う。
「……あの人は、何だったんだろうな」
月方は包帯を巻く手を止めた。
「分からない」
「でも」
「本当に世界を変えたかったんじゃないか」
「やり方を、間違えただけで」
頼臣は俯く。
「間違いで済む死人の数じゃない」
「そうだな」
それでも。
二人は、傷ついた子供に薬を塗り続けた。
それが、実伸の残したものだった。
完璧な理想ではない。
誰かを救おうとする行為そのもの。
◇
夏。
南部自治州。
若い恋人達が、川辺を歩いていた。
片方は元中央兵。
もう片方は奥知呂出身。
かつてなら、敵同士だった。
「……怖くないのか」
「何が?」
「俺が中央の人間でも」
相手は笑った。
「もう戦争は嫌」
「誰がどこの生まれかなんて、どうでもいい」
風が吹く。
遠くで子供達の声がする。
だが。
平穏は脆かった。
翌週。
その村は、正統派軍閥の襲撃を受ける。
“神王への不敬”を理由に。
◇
炎。
悲鳴。
祈り。
そして。
誰かが叫ぶ。
「壮真様は生きている!」
「神王は我らを導く!」
狂気は。
死後の方が強かった。
◇
その頃。
中央宮殿。
#端原洞真 は、ひとり古文書庫にいた。
整理途中の記録。
壮真時代の日誌。
実伸の建議書。
諫の手紙。
洞真は、黙って紙をめくる。
そこには、何度も同じ言葉があった。
『民を飢えさせるな』
『処刑を減らせ』
『地方と対話せよ』
『恐怖では長く続かない』
洞真は鼻で笑った。
「綺麗事だ」
だが。
その手は震えていた。
ふと。
古文書の間から、一枚の紙が落ちる。
実伸の筆跡だった。
『もし壮真が壊れた時は』
『どうか、誰かが止めてくれ』
洞真は長く沈黙した。
そして。
紙を火にくべた。
燃える。
ゆっくり。
だが。
燃え尽きる直前。
洞真は、小さく呟いた。
「……遅い」
◇
同年冬。
北方で再び戦端が開かれる。
白い旗を掲げた軍勢。
旗印は。
雪輪の龍。
かつて壮真が使った紋だった。
彼らは名乗る。
「雪王軍」
「神王帰還まで、戦い続ける」と。
人々は恐怖した。
そして同時に。
どこかで期待してしまった。
また。
誰かが世界を変えてくれるのではないかと。




