表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神話世間  作者: 西堂有規
8/10

奥正月戦争

周囲は、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。


 雪混じりの風が吹く。


 白銀の奥知呂。


 その中央で。


 上大年諌の身体が、ゆっくり崩れ落ちた。


 胸から鮮血が溢れる。


「――諌様!」


 最初に叫んだのは、幸端月方だった。


 犬衡平が反射的に抜刀する。


 だが。


 下条達範の側近、辻宮志元と旗枝智量が即座に前へ出た。


「勅命である!」


 志元が怒鳴る。


「逆臣・上大年諌を誅した!」


 空気が凍る。


 揉岡導火の顔から血の気が消えた。


「……何を」


 達範は静かだった。


 返り血を浴びたまま、倒れた諌を見下ろす。


「中央の裁可だ」


「奥知呂代臣は権限を逸脱した」


「軍権の私物化」


「独断による追討」


「中央武力の拘束」


「そして……地方支配の固定化」


 蒼佐繁賢が怒声を上げた。


「ふざけるな!」


「諌殿がどれほど奥知呂を立て直したと思っている!」


 濃霧頼臣も刀を抜く。


 しかし。


 その時。


「抜くな」


 低い声が響いた。


 端原谷春だった。


 皆が振り返る。


 谷春は、倒れた諌を見つめたまま言う。


「ここで斬り合えば、神征連合との全面戦争になる」


「だが!」


「……耐えろ」


 谷春の声は震えていた。


 達範は静かに刀を収めた。


「遺体は丁重に扱う」


「我々も無用な流血は望まぬ」


 その言葉に。


 犬衡平が唇を噛み切るほど力を込めた。


    ◇


 同日夜。


 奥知呂軍部。


 重苦しい沈黙が広間を支配していた。


 中央への急報文が次々と書かれる。


 卯酉光峯が震える手で通信機を握っていた。


「……送ります」


 揉岡導火は答えない。


 ただ、虚ろな目で座っている。


 そこへ。


 端原奈央弥が乱暴に戸を開けた。


「本当なのか」


 誰も答えない。


 奈央弥は部屋を見回した。


 やがて。


 奥の台に横たえられた遺体を見つける。


「……」


 歩み寄る。


 白布をめくる。


 上大年諌の顔は、不思議なほど穏やかだった。


 奈央弥はしばらく動かなかった。


 そして。


 突然、壁を殴った。


 木板が砕ける。


「何故だ!」


「何故、あんな男が殺されねばならない!」


 蒼佐繁賢が低く言う。


「中央は、諌殿を恐れた」


「……は?」


「武力も、民心も、北方統治も」


「全て手にし始めていた」


 奈央弥は息を荒げる。


「だから消したのか」


「功臣を」


 濃霧頼臣が吐き捨てた。


「今の中央ならやる」


 沈黙。


 その時だった。


「違う」


 端原谷春が言った。


 一同が見る。


 谷春は静かに立っていた。


「壮真は、まだそこまで腐っていない」


「これは」


「誰かが王を利用した」


「あるいは――」


 言葉を切る。


「王自身が、止められなくなっている」


    ◇


 中央。


 王宮。


 報告を受けた端原壮真は、長く沈黙していた。


 横田宗真が恐る恐る口を開く。


「……神征連合側は、“勅命による粛清”と主張しております」


「勅命書は」


「ございます」


 葉村瓜具が差し出した。


 壮真は目を通す。


 そこには確かに王璽があった。


 だが。


 壮真の眉がわずかに動く。


「……偽造ではない」


 飛竜院諸方が低く言った。


「では」


「余が出したのだろう」


 場が凍る。


 犬当年ですら言葉を失った。


 壮真は、自嘲気味に笑った。


「最近は書類が多すぎてな」


「誰に何を裁可したか、覚えておらぬ」


 幸端頼憲が険しい顔になる。


「陛下」


「これは笑い事ではありません」


「奥知呂軍は動揺しております」


「下手をすれば反乱になります」


「ならぬよ」


 壮真は静かに言う。


「諌は死んだ」


「もう旗印はない」


 しかし。


 その時。


 中央昌春が口を開いた。


「……一人おります」


「誰だ」


「端原奈央弥です」


 空気が変わる。


 壮真の目が細くなる。


    ◇


 奥知呂。


 翌朝。


 雪が降っていた。


 上大年諌の葬列は、大鎮の中央街道を静かに進んでいた。


 民衆は皆、頭を垂れている。


 泣いている者もいた。


 諌は。


 確かに慕われていた。


 その列の先頭に、奈央弥がいた。


 黒衣。


 無言。


 だが。


 その眼だけが燃えていた。


 隣を歩く素原幸国が小声で言う。


「……抑えろ」


「今動けば終わる」


 奈央弥は答えない。


 その後ろでは。


 培良泰仁が疲れ切った顔で歩いていた。


 デシメートの生還者。


 彼もまた、諌に救われた一人だった。


 谷春は少し離れた場所から列を見ていた。


 その隣に、揉岡導火。


「……導火」


「はい」


「これから北方は荒れる」


「ええ」


「諌殿が繋いでいたものが、多すぎた」


 谷春は目を閉じた。


「奈央弥を止められるか」


 導火は答えなかった。


    ◇


 三日後。


 奥知呂代臣府。


 夜。


 奈央弥は一人で酒を飲んでいた。


 机には、上大年諌の遺した書類が積まれている。


 その中に、一通だけ。


 未開封の文があった。


 宛名は。


『端原奈央弥へ』


 奈央弥は眉をひそめ、封を切る。


 短い文だった。


『怒りで国を動かすな』


『お前は、私より良い王佐になれる』


『だから、生きろ』


 奈央弥の手が震える。


 その瞬間。


 障子の外から声がした。


「失礼します」


 蒼佐繁賢だった。


「中央より使者が」


「……誰だ」


「端原壮真直属」


「飛竜院諸方です」


 奈央弥の眼が鋭くなる。


「何をしに来た」


 繁賢は少し迷い。


 そして言った。


「諌殿の後任として」


「貴方を、奥知呂代臣に推すとのことです」


 沈黙。


 長い沈黙。


 やがて。


 奈央弥は、低く笑った。


「……ふざけるな」


 その声には。


 抑え切れぬ憎悪が滲んでいた。



十一月。


 北方の空は、異様なほど静かだった。


 だが。


 その静寂の下で。


 王国そのものが、裂け始めていた。


    ◇


 中央王宮。


 深夜。


 端原壮真は、一人で盤上を眺めていた。


 黒石と白石。


 幾重にも絡み合う。


 その背後で、飛竜院諸方が静かに報告する。


「奥知呂軍、再編進行中」


「奈央弥派は、既に実質的独立状態です」


「神征連合内部でも意見が割れております」


 壮真は石を一つ動かした。


「誰が割れている」


「下条達範です」


「……ほう」


「戦争回避を主張しております」


 壮真は笑った。


「優しい男だ」


「ですが、上大年諌派残党は徹戦論です」


「濃霧頼臣、蒼佐繁賢、幸端月方らが主導しています」


 沈黙。


「……諌なら」


 壮真が呟く。


「どうしたと思う」


 諸方は答えなかった。


 壮真は自ら続ける。


「戦を避けただろうな」


「だから死んだ」


 その言葉に。


 諸方は、初めて恐怖を覚えた。


 この王は。


 もう、人の善性を信じていない。


    ◇


 一方。


 奥知呂。


 臨時評定。


 奈央弥、下条達範、谷春、蒼佐繁賢、揉岡導火らが集まっていた。


 空気は最悪だった。


「中央は時間を稼いでいる」


 繁賢が地図を叩く。


「冬の補給線を整え次第、北方へ来る」


「ならば先に叩くべきだ」


 濃霧頼臣も同調する。


「今なら中央軍は分散している」


「勝てる」


 しかし。


 下条達範が首を振った。


「勝てない」


「何故!」


「戦えば、王国全土が崩壊する」


 達範は静かに言う。


「壮真は、それを恐れていない」


「むしろ望んでいる節がある」


 皆が沈黙した。


 奈央弥だけが、じっと達範を見ている。


「……お前はまだ、あの男を信じているのか」


「違う」


「では何だ」


 達範は答えなかった。


 代わりに。


 懐から、一枚の文を出した。


 上大年諌の遺書だった。


『壮真を殺すな』


 その一文を見た瞬間。


 室内が凍りつく。


「……何だと?」


 繁賢が低く唸る。


 達範は苦しげに続けた。


「諌殿は最後まで、壮真を見捨てなかった」


「だから我々も――」


「甘い!」


 奈央弥が机を叩いた。


「諌殿は死んだ!」


「その結果が今だ!」


 怒号。


 達範は耐えるように目を閉じた。


 その時。


 谷春が静かに言った。


「達範」


「お前は、壮真に会え」


 一同が振り返る。


「まだ止められると思うなら」


「直接、話せ」


    ◇


 数日後。


 中央郊外。


 旧離宮。


 雪。


 静寂。


 下条達範は、一人で壮真の前にいた。


 互いに護衛なし。


 火鉢だけが赤く揺れる。


 壮真は笑った。


「久しいな」


「……あまり変わっていない」


「其方は老けた」


 達範は答えない。


 しばらく沈黙。


 やがて壮真が口を開く。


「諌は死んだ」


「知っている」


「泣いたか」


 達範の眉が動く。


 壮真は薄く笑う。


「余は泣いたぞ」


「……」


「本当に悲しかった」


 達範は、その瞬間だけ。


 壮真の目に、昔の面影を見た。


 理想に燃えていた青年。


 民を救おうとしていた王。


 だが。


 次の言葉で全てが壊れる。


「だから余は思った」


「皆殺しにすれば、もう失わずに済むのではないかと」


 達範の背筋に寒気が走る。


 壮真は穏やかに続けた。


「恐怖で縛ればいい」


「愛も忠義も裏切る」


「だが恐怖だけは裏切らない」


「違う」


 達範が初めて強く言った。


「お前は、そんな人間ではなかった」


 壮真は静かに彼を見る。


「……なら」


「余を戻してみろ」


 達範は言葉を失った。


 壮真は笑う。


 美しかった。


 恐ろしいほど。


「皆、余を怪物だと言う」


「だが」


「怪物にしたのは誰だ?」


 沈黙。


 達範は、気づいてしまった。


 この男は。


 自分が壊れている事を理解している。


 理解した上で。


 止まれない。


    ◇


 その夜。


 達範は宿で、一睡もできなかった。


 窓の外では雪。


 諌の言葉が蘇る。


『壮真を止めてくれ』


 だが。


 どうやって?


 殺すのか。


 救うのか。


 王を。


 友を。


 翌朝。


 達範は書簡を書いた。


『戦争回避は不可能』


『奥知呂は開戦準備に入るべし』


 筆が止まる。


 そして。


 最後に、一文だけ加えた。


『壮真は、既に王ではない』


    ◇


 十二月末。


 王国全土で異変が起き始めた。


 中央では、壮真を神格化する者達が現れる。


「王は乱世の化身だ」


「旧時代を滅ぼすために現れた」


「血こそ再生」


 狂気じみた演説。


 焚書。


 私刑。


 互いを密告する市民。


 一方で。


 壮真を悪魔と呼ぶ者も増えた。


 だが。


 誰も彼から目を離せなかった。


 彼は美しかった。


 絶望的なほど。


 そして。


 人を惹きつけた。


    ◇


 ある夜。


 若い官僚が、王宮前で腹を裂いた。


 遺書にはこうあった。


『陛下の理想に追いつけなかった』


 翌日。


 中央軍の一個中隊が、指揮官ごと奥知呂へ寝返った。


「王は狂っている」


 だがその数日後。


 今度は奥知呂側の若い将校達が、自ら目を潰した。


『壮真陛下の眼を見た』


『あれに逆らえる者はいない』


 噂は噂を呼ぶ。


「壮真は人を狂わせる」


「声を聞いただけで忠誠を誓う」


「逆に発狂する」


「自害する」


 民衆は怯えながら。


 同時に。


 熱狂していた。


    ◇


 そして。


 正月前夜。


 ついに。


 中央軍北進開始。


 奥知呂軍総動員。


 雪原を埋め尽くす軍旗。


 中央。


 神征。


 北方。


 三勢力が睨み合う。


 その先頭に。


 壮真がいた。


 白馬。


 黒衣。


 雪の中で、その姿だけが異様に鮮烈だった。


 兵達は。


 彼を見た瞬間。


 歓声を上げる者。


 泣き崩れる者。


 その場で発狂する者までいた。


 壮真は静かに笑う。


「始めよう」


 その声が。


 雪原全体へ染み渡る。


 かくして、北方未曽有の大戦争が始まった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ