神は誰を赦すのか
九月十九日。
裁明党の蜂起。
その第一報が、麻霧行宮に届いた時。
端原壮真は、まだ宴席にいた。
灯火が揺れる。
酒臭い空気の中で、壮真は静かに書状を読んだ。
「……寺地が死んだか」
誰も口を開けなかった。
壮真は無言で文を畳む。
やがて薄く笑った。
「面白い」
その場の空気が凍る。
横田宗真が恐る恐る進み出た。
「直ちに中央へ御還幸を」
「慌てるな」
壮真は杯を傾けた。
「賊が現れた程度で王が狼狽してどうする」
幸端頼憲が低く言う。
「ですが、寺地篤通が討たれました」
「蒼佐繁通も負傷しております」
「それがどうした」
壮真は笑う。
「死ぬ時は死ぬ」
その言葉に。
上大年諌だけが、微かに目を伏せた。
◇
その頃。
中央王宮。
血煙が回廊を覆っていた。
尾賀瀬稙澄の一党は、王宮観察府への突入を図っていた。
「犬独征を引きずり出せ!」
「四寺邦頼も殺せ!」
怒号。
剣戟。
火。
書庫が燃える。
留守を預かっていた葉村瓜長は、血塗れのまま階を駆け上がっていた。
「西回廊が破られました!」
犬独征が舌打ちする。
「杉里昌英は」
「既に討死!」
「……ちっ」
四寺邦頼は静かに冠を直した。
「長官不在でよく持ち堪えています」
「褒めてる場合か!」
犬独征が怒鳴る。
だが。
その直後。
扉が蹴破られた。
尾賀瀬稙澄だった。
返り血に濡れた顔で笑っている。
「いたぞ」
犬独征が刀を抜く。
斬り結び。
火花。
狭い廊下で互いの剣が噛み合う。
稙澄は強かった。
狂っているからだ。
「端原の犬が!」
「貴様らが王を腐らせた!」
犬独征の肩が裂ける。
四寺邦頼が脇から短刀を投げた。
稙澄が避ける。
その隙に葉村瓜長が槍を突き込む。
だが。
稙澄は笑いながら槍を掴み、無理やり引き寄せた。
葉村の喉に刃が沈む。
鮮血。
「葉村!」
犬独征が叫ぶ。
その瞬間。
外から銃声が響いた。
稙澄の側近が崩れ落ちる。
中央昌春だった。
増援を率いて帰還していた。
「逆徒を囲め!」
銃兵が一斉に突入する。
稙澄は舌打ちした。
「退け!」
裁明党は炎の中へ消えていった。
◇
同日深夜。
壮真はようやく帰還を決めた。
しかし。
彼はすぐには中央へ戻らなかった。
途中の宿駅で、各地から上がる報告を読み続けていた。
東方では反乱。
神征では共和派粛清。
中央では暗殺。
地方では豪族同士の私戦。
王国全土が軋んでいた。
だが。
壮真は、それを止めようとしない。
むしろ。
煽っていた。
「飛竜院諸方へ伝えろ」
「裁明党に協力した疑いのある役人を全て拘束しろ」
「罪状は後で考えればいい」
「は」
「神征には?」
「粗川頼宏を支援しろ」
「共和派は徹底的に潰せ」
「護国党もだ」
側近達が退出する。
部屋に残ったのは、厚伸だけだった。
「……酷い顔ですね」
厚伸が言う。
壮真は笑った。
「楽しいのだ」
「国が壊れていくのがですか」
「違う」
壮真は窓の外を見た。
「人間だ」
「追い詰められると、本性を晒す」
「忠臣も、清廉な官人も、義士も、皆最後には血に染まる」
「余は、それを見るのが好きだ」
厚伸は寒気を覚えた。
この男は。
もう戻れない。
◇
数日後。
実伸は上大年諌と下条達範を密かに呼び出した。
場所は旧新庄邸。
灯りは一つだけだった。
実伸は、酷く痩せていた。
「……壮真を止めてくれ」
諌と達範は沈黙した。
「今の王は危うい」
「このままでは国そのものが壊れる」
達範が低く言う。
「何故、今になって」
実伸は苦く笑った。
「余は、あの男なら国を変えられると思った」
「腐敗した貴族も、旧勢力も、全て断てると」
「だが違った」
「彼は壊すことそのものに酔い始めている」
上大年諌が目を伏せる。
実伸は、ゆっくり彼を見る。
「……お前の“諌”の字」
諌が顔を上げる。
「誰から賜ったか知っているか」
「……先帝より、と」
「違う」
実伸は首を振った。
「我了怪だ」
空気が止まった。
暴君。
名君。
数代前、帝国を統一しながら数万を虐殺した怪物王。
「了怪は、お前を見て言った」
『この子は、いつか王を諌める者になる』
実伸の声が震える。
「だから“諌”を与えた」
「余は……お前に期待していた」
諌の拳が震える。
実伸は涙を堪えながら続けた。
「頼む」
「壮真を止めてくれ」
「余では、もう届かない」
◇
その頃。
厚伸は壮真の寝所に呼ばれていた。
外では雨。
部屋には香が焚かれている。
「最近、実伸に会ったか」
壮真が問う。
「……はい」
「何を話した」
「政務のことを」
「嘘だな」
壮真は微笑む。
だが目が笑っていない。
厚伸は息を呑む。
「実伸は、余を止めようとしている」
「そうですね」
「なら、其方はどちらにつく」
沈黙。
長い沈黙。
やがて厚伸は、震えながら言った。
「……私は」
その瞬間。
障子の外で物音がした。
壮真の護衛が踏み込む。
捕えられたのは、実伸側の密使だった。
書状が床に落ちる。
壮真が拾う。
読む。
そして。
笑った。
「なるほど」
「下条達範と上大年諌を動かすつもりか」
厚伸の血の気が引く。
壮真は静かに立ち上がった。
「裏切ったな」
「違います!」
「私は!」
言い終える前だった。
壮真の短刀が、厚伸の胸を貫いた。
厚伸の身体が震える。
「……どうして」
壮真は、泣きそうな顔で笑っていた。
「余を見捨てるからだ」
血が広がる。
厚伸は倒れた。
壮真はその身体を抱き留める。
「其方だけは」
「其方だけは、余の側に居ると思った」
厚伸は何か言おうとした。
だが。
声は出なかった。
静かに。
その目から光が消えた。
◇
三日後。
新庄実伸、謀反の罪で捕縛。
公開処刑。
広場には群衆が集まっていた。
実伸は痩せ細りながらも、最後まで背筋を崩さなかった。
壮真は高楼から見下ろしていた。
「何か言い残す事は」
執行官が問う。
実伸はしばらく黙り。
やがて、壮真を見上げた。
「……昔のお前は」
「もっと優しかった」
壮真の表情が止まる。
「民を救いたいと、本気で言っていた」
「余は、それが好きだった」
静寂。
「だが今のお前は」
「誰よりも、権力に酔っている」
処刑人が刀を抜く。
実伸は最後に微笑んだ。
「だから、お前は負ける」
刃が落ちた。
歓声。
悲鳴。
怒号。
血。
壮真は黙って見ていた。
世界を支配する王のように。
だが。
その胸の奥には。
消えない空洞だけが残っていた。




