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神話世間  作者: 西堂有規
7/10

神は誰を赦すのか

九月十九日。


 裁明党の蜂起。


 その第一報が、麻霧行宮に届いた時。


 端原壮真は、まだ宴席にいた。


 灯火が揺れる。


 酒臭い空気の中で、壮真は静かに書状を読んだ。


「……寺地が死んだか」


 誰も口を開けなかった。


 壮真は無言で文を畳む。


 やがて薄く笑った。


「面白い」


 その場の空気が凍る。


 横田宗真が恐る恐る進み出た。


「直ちに中央へ御還幸を」


「慌てるな」


 壮真は杯を傾けた。


「賊が現れた程度で王が狼狽してどうする」


 幸端頼憲が低く言う。


「ですが、寺地篤通が討たれました」


「蒼佐繁通も負傷しております」


「それがどうした」


 壮真は笑う。


「死ぬ時は死ぬ」


 その言葉に。


 上大年諌だけが、微かに目を伏せた。


    ◇


 その頃。


 中央王宮。


 血煙が回廊を覆っていた。


 尾賀瀬稙澄の一党は、王宮観察府への突入を図っていた。


「犬独征を引きずり出せ!」


「四寺邦頼も殺せ!」


 怒号。


 剣戟。


 火。


 書庫が燃える。


 留守を預かっていた葉村瓜長は、血塗れのまま階を駆け上がっていた。


「西回廊が破られました!」


 犬独征が舌打ちする。


「杉里昌英は」


「既に討死!」


「……ちっ」


 四寺邦頼は静かに冠を直した。


「長官不在でよく持ち堪えています」


「褒めてる場合か!」


 犬独征が怒鳴る。


 だが。


 その直後。


 扉が蹴破られた。


 尾賀瀬稙澄だった。


 返り血に濡れた顔で笑っている。


「いたぞ」


 犬独征が刀を抜く。


 斬り結び。


 火花。


 狭い廊下で互いの剣が噛み合う。


 稙澄は強かった。


 狂っているからだ。


「端原の犬が!」


「貴様らが王を腐らせた!」


 犬独征の肩が裂ける。


 四寺邦頼が脇から短刀を投げた。


 稙澄が避ける。


 その隙に葉村瓜長が槍を突き込む。


 だが。


 稙澄は笑いながら槍を掴み、無理やり引き寄せた。


 葉村の喉に刃が沈む。


 鮮血。


「葉村!」


 犬独征が叫ぶ。


 その瞬間。


 外から銃声が響いた。


 稙澄の側近が崩れ落ちる。


 中央昌春だった。


 増援を率いて帰還していた。


「逆徒を囲め!」


 銃兵が一斉に突入する。


 稙澄は舌打ちした。


「退け!」


 裁明党は炎の中へ消えていった。


    ◇


 同日深夜。


 壮真はようやく帰還を決めた。


 しかし。


 彼はすぐには中央へ戻らなかった。


 途中の宿駅で、各地から上がる報告を読み続けていた。


 東方では反乱。


 神征では共和派粛清。


 中央では暗殺。


 地方では豪族同士の私戦。


 王国全土が軋んでいた。


 だが。


 壮真は、それを止めようとしない。


 むしろ。


 煽っていた。


「飛竜院諸方へ伝えろ」


「裁明党に協力した疑いのある役人を全て拘束しろ」


「罪状は後で考えればいい」


「は」


「神征には?」


「粗川頼宏を支援しろ」


「共和派は徹底的に潰せ」


「護国党もだ」


 側近達が退出する。


 部屋に残ったのは、厚伸だけだった。


「……酷い顔ですね」


 厚伸が言う。


 壮真は笑った。


「楽しいのだ」


「国が壊れていくのがですか」


「違う」


 壮真は窓の外を見た。


「人間だ」


「追い詰められると、本性を晒す」


「忠臣も、清廉な官人も、義士も、皆最後には血に染まる」


「余は、それを見るのが好きだ」


 厚伸は寒気を覚えた。


 この男は。


 もう戻れない。


    ◇


 数日後。


 実伸は上大年諌と下条達範を密かに呼び出した。


 場所は旧新庄邸。


 灯りは一つだけだった。


 実伸は、酷く痩せていた。


「……壮真を止めてくれ」


 諌と達範は沈黙した。


「今の王は危うい」


「このままでは国そのものが壊れる」


 達範が低く言う。


「何故、今になって」


 実伸は苦く笑った。


「余は、あの男なら国を変えられると思った」


「腐敗した貴族も、旧勢力も、全て断てると」


「だが違った」


「彼は壊すことそのものに酔い始めている」


 上大年諌が目を伏せる。


 実伸は、ゆっくり彼を見る。


「……お前の“諌”の字」


 諌が顔を上げる。


「誰から賜ったか知っているか」


「……先帝より、と」


「違う」


 実伸は首を振った。


「我了怪だ」


 空気が止まった。


 暴君。


 名君。


 数代前、帝国を統一しながら数万を虐殺した怪物王。


「了怪は、お前を見て言った」


『この子は、いつか王を諌める者になる』


 実伸の声が震える。


「だから“諌”を与えた」


「余は……お前に期待していた」


 諌の拳が震える。


 実伸は涙を堪えながら続けた。


「頼む」


「壮真を止めてくれ」


「余では、もう届かない」


    ◇


 その頃。


 厚伸は壮真の寝所に呼ばれていた。


 外では雨。


 部屋には香が焚かれている。


「最近、実伸に会ったか」


 壮真が問う。


「……はい」


「何を話した」


「政務のことを」


「嘘だな」


 壮真は微笑む。


 だが目が笑っていない。


 厚伸は息を呑む。


「実伸は、余を止めようとしている」


「そうですね」


「なら、其方はどちらにつく」


 沈黙。


 長い沈黙。


 やがて厚伸は、震えながら言った。


「……私は」


 その瞬間。


 障子の外で物音がした。


 壮真の護衛が踏み込む。


 捕えられたのは、実伸側の密使だった。


 書状が床に落ちる。


 壮真が拾う。


 読む。


 そして。


 笑った。


「なるほど」


「下条達範と上大年諌を動かすつもりか」


 厚伸の血の気が引く。


 壮真は静かに立ち上がった。


「裏切ったな」


「違います!」


「私は!」


 言い終える前だった。


 壮真の短刀が、厚伸の胸を貫いた。


 厚伸の身体が震える。


「……どうして」


 壮真は、泣きそうな顔で笑っていた。


「余を見捨てるからだ」


 血が広がる。


 厚伸は倒れた。


 壮真はその身体を抱き留める。


「其方だけは」


「其方だけは、余の側に居ると思った」


 厚伸は何か言おうとした。


 だが。


 声は出なかった。


 静かに。


 その目から光が消えた。


    ◇


 三日後。


 新庄実伸、謀反の罪で捕縛。


 公開処刑。


 広場には群衆が集まっていた。


 実伸は痩せ細りながらも、最後まで背筋を崩さなかった。


 壮真は高楼から見下ろしていた。


「何か言い残す事は」


 執行官が問う。


 実伸はしばらく黙り。


 やがて、壮真を見上げた。


「……昔のお前は」


「もっと優しかった」


 壮真の表情が止まる。


「民を救いたいと、本気で言っていた」


「余は、それが好きだった」


 静寂。


「だが今のお前は」


「誰よりも、権力に酔っている」


 処刑人が刀を抜く。


 実伸は最後に微笑んだ。


「だから、お前は負ける」


 刃が落ちた。


 歓声。


 悲鳴。


 怒号。


 血。


 壮真は黙って見ていた。


 世界を支配する王のように。


 だが。


 その胸の奥には。


 消えない空洞だけが残っていた。

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