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神話世間  作者: 西堂有規
6/10

磨製

七月末。


 王都は静かに腐敗していた。


 兵匪の乱が終息した後も、街路には焼け跡が残り、各地の検問では毎日のように銃刀が押収された。処刑場では首が晒され、広場では「神王万歳」の唱和が半ば義務となっていた。


 だが。


 端原壮真は、そんな王都の変化に倦んでいた。


 余りにも、全てが思い通りに進み過ぎていたからである。


    ◇


 七月二十九日。


 深夜の内議。


 議題は、兵匪残党の処断と、北方交易再編。


 陰閣議場には、上大年諌、犬法良、下条達範、寺地篤通、葉村瓜実らが列席していた。


 新任陽閣議員となった蒼佐繁通も末席に座る。


 しかし。


 壮真は議論を聞いていなかった。


 その視線は、別の場所へ向いていた。


 実伸の隣。


 薄青の礼衣を纏った一人の青年官人。


 厚伸。


 新庄実伸が最も寵愛する近臣であった。


 まだ若い。


 政治的実績も薄い。


 だが、その立ち姿には異様な静謐さがあった。


 言葉遣い。


 筆跡。


 衣の整え方。


 盃を置く角度。


 全てが磨き抜かれている。


 粗が無い。


 まるで古い王朝絵巻から抜け出したような存在だった。


 壮真は、いつしか議論よりも厚伸の仕草を目で追うようになっていた。


「――故に、麻霧の歳出を削減し」


 葉村瓜実が説明している。


 厚伸は静かに記録を書き留めていた。


 その指先。


 白く細い筆持ち。


 壮真の喉が、微かに鳴る。


    ◇


 会議後。


 回廊。


 厚伸は一人で書類を抱えて歩いていた。


「厚伸」


 突然、声が掛かる。


 振り返った瞬間、厚伸は息を止めた。


 壮真。


 護衛も連れず、一人だった。


「……神王様」


「堅いな」


 壮真は笑う。


「余は、其方と話したかっただけだ」


 厚伸は頭を下げた。


「私のような若輩に、勿体無きお言葉です」


「若輩かどうかは余が決める」


 壮真は近づく。


 厚伸は初めて知った。


 この男の眼が、これほど近くで見ると恐ろしいことを。


 獣の眼だった。


 だが同時に。


 酷く惹きつけられる。


「其方の筆を見た」


「……は」


「美しいな」


 厚伸は困惑した。


 筆跡を褒められた事など、一度も無かった。


「実伸公に仕込まれたのか」


「幼少より御側で学びました」


「なるほど」


 壮真は笑う。


「だからあれほど“磨かれて”いるのか」


 その言葉に、厚伸の胸が熱くなった。


 認められた。


 神王に。


 今や天下を握る男に。


    ◇


 一方。


 その夜。


 実伸は奥宮で独り酒を飲んでいた。


 未来沢渡流が静かに入室する。


「また眠れぬのですか」


「……ああ」


 実伸は盃を置いた。


「厚伸は何処だ」


「まだ記録整理を」


 実伸は微かに安堵する。


 だが同時に。


 言い知れぬ不安が胸に沈んでいた。


 最近。


 壮真の視線を感じる。


 あの男は。


 厚伸を見ている。


 あまりにも露骨に。


「渡流」


「は」


「余は……間違えたか」


「何を」


「壮真を中央へ入れた事だ」


 渡流は答えなかった。


 答えられなかった。


    ◇


 八月初旬。


 王宮内で派閥争いが激化した。


 陽閣では寺地篤通と葉村瓜実が神征連合との交易配分を巡って対立し、陰閣では飛竜院諸方が旧新庄派官僚の大量追放を主張した。


「甘い処断が乱を生むのです」


 諸方は机を叩いた。


「兵匪の乱を忘れたか!」


 これに対し、蒼佐繁通が冷静に反論する。


「粛清の連続は行政を壊します」


「旧臣にも実務家は多い」


「利用すべきです」


 飛竜院諸方は鼻で笑った。


「利用?」


「裏切り者をか」


「違う」


 繁通は睨み返す。


「貴方は恐怖でしか統治を知らない」


 空気が凍った。


 飛竜院和雅が腰の刀に手を掛ける。


 犬法良が制止する。


 議場は怒号に包まれた。


 そして。


 壮真だけが笑っていた。


 争え。


 疑え。


 憎み合え。


 その中心に、自分が居る限り、誰も逆らえない。


    ◇


 その頃。


 厚伸は壮真に呼び出されていた。


 場所は旧王家書院。


 人払い済みだった。


「これを見よ」


 壮真が差し出したのは古い筆巻だった。


「……これは」


「古王朝期の献上品らしい」


 厚伸は恐る恐る触れる。


 見事だった。


 保存状態も良い。


「使ってみろ」


「私が……?」


「其方以外に誰がいる」


 厚伸は筆を取った。


 静かに墨を擦る。


 壮真は、その姿を黙って見ていた。


 細い指。


 白い首筋。


 伏せられた睫毛。


 書に集中する時、厚伸は無防備になる。


 壮真は知った。


 自分が、この存在を欲していることを。


 支配したい。


 汚したい。


 だが同時に。


 壊したくない。


 そんな矛盾した欲望だった。


「……見事です」


 書き終えた厚伸に、壮真が囁く。


 二人の距離が近い。


 厚伸の呼吸が乱れた。


「神王様」


「何だ」


「何故……私にここまで」


 壮真はしばらく黙っていた。


 やがて低く言う。


「其方は、美しい」


 厚伸の耳が熱くなる。


「余の周りには、血と欲しかない」


「だが其方には、まだ“清さ”が残っている」


「……」


「見ていると、壊したくなる」


 厚伸は凍りついた。


 だが。


 恐怖より先に、胸が高鳴ってしまった。


    ◇


 数日後。


 実伸は偶然、それを目撃する。


 庭園。


 夕暮れ。


 壮真と厚伸が並んで歩いていた。


 厚伸が笑っている。


 あんな顔を、自分以外に向けるのか。


 実伸の胸に、鈍い痛みが走った。


「……厚伸」


 呟きは届かない。


 壮真が何かを耳打ちする。


 厚伸が困ったように俯き、しかし離れない。


 その光景に。


 実伸は初めて、自分の感情を理解した。


 嫉妬だった。


    ◇


 夜。


 実伸は厚伸を呼び出した。


「最近、壮真と親しいな」


 厚伸は息を止める。


「……政務上の相談です」


「本当に、それだけか」


 沈黙。


 実伸は目を伏せた。


「厚伸」


「は」


「余は、お前を失いたくない」


 厚伸の胸が締め付けられる。


 幼い頃から側に居た。


 学問を教えられ。


 礼法を学び。


 生き方を磨かれた。


 実伸は主君であり、師であり、家族だった。


 だが。


 壮真は違う。


 恐ろしい。


 危険だ。


 それでも。


 抗えない熱があった。


「……申し訳ありません」


 実伸は顔を上げる。


 厚伸は泣いていた。


「私は、自分が分からないのです」


    ◇


 同日。


 壮真は犬法良から報告を受けていた。


「北方で旧新庄派浪人が集結しています」


「放置すれば反乱に」


「潰せ」


 即答だった。


「見せしめに首を並べろ」


「は」


 犬法良が去った後。


 壮真は窓外を見た。


 王都の灯。


 その脳裏に浮かぶのは、厚伸の泣き顔だった。


 そして。


 実伸の苦悩に歪んだ顔。


 壮真は静かに笑った。


「……美しいな」


 権力に縋る者。


 愛に溺れる者。


 壊れていく者。


 全てが、美しかった。

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