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神話世間  作者: 西堂有規
3/10

黒き器

 冬が深まるにつれ、王都の空気は濁っていった。


 照安王の乱は鎮圧された。


 だが勝者であるはずの朝廷には、安堵がなかった。


 誰もが疑っている。


 誰もが怯えている。


 そして誰もが――次の裏切りを待っていた。


    ◇


 副王・新庄実伸は、ひとり執務室にいた。


 机には山のような処断状。


 粛清。


 没収。


 左遷。


 連日続く裁可に、筆を持つ手が止まる。


 窓の外では雪が降っていた。


「……いつからだ」


 実伸は呟いた。


 かつての自分を思い出す。


 若き日の理想。


 腐敗した王権を立て直し、民を飢えから救う。


 そのために誰より働いた。


 誰より耐えた。


 だが今、机の上にあるのは血判ばかりだ。


「私は……何を守っている」


 沈黙。


 その時、扉が叩かれる。


「閣下」


 入ってきたのは麻生廣頼だった。


「失礼いたします」


 実伸は表情を戻す。


「どうした」


「霊殿廣実の残党狩りですが、地方で反発が強まっております」


「……当然だな」


 廣頼は一瞬、目を細めた。


 副王が弱音を吐いた。


 それは初めてだった。


「閣下」


「何だ」


「今なら、まだ戻れます」


 実伸は顔を上げた。


 廣頼は静かに続ける。


「恐怖で縛る政は、長く続きません」


「照安の乱は、その証です」


「地方を赦し、人を信じるべきです」


 長い沈黙。


 やがて実伸は、小さく笑った。


「……お前は変わらんな、廣頼」


「変わってはならぬものもあります」


 その言葉が、妙に胸に刺さった。


    ◇


 一方。


 端原では、壮真が変わり始めていた。


 乱後、各地から密使が来る。


 亡命貴族。


 没落武士。


 流浪兵。


 誰もが端原へ集まっていた。


 壮真は彼らを受け入れた。


 以前なら、選別した。


 危険な者は切った。


 だが今は違う。


「使えるなら使え」


 それだけだった。


 豪政は違和感を覚える。


「父上」


「何だ」


「最近、あまりにも人を入れすぎでは」


「戦には数がいる」


「ですが忠誠の保証が」


 壮真は笑った。


「忠誠など要らん」


「恐怖で縛ればいい」


 豪政は言葉を失った。


 達範だけが静かに目を伏せる。


 彼は理解していた。


 壮真はもう、“天下を変えたい男”ではない。


 天下を奪いたい男になっている。


    ◇


 その頃。


 尾賀瀬諸澄は端原へ向かっていた。


 若き武人。


 地方豪族の次男。


 彼は照安の乱を見ていた。


 朝廷は腐っている。


 地方は虐げられている。


 ならば、新しい時代が必要だ。


 その希望が、端原壮真だった。


「きっとこの人なら」


 諸澄は本気で信じていた。


    ◇


 初対面の日。


 壮真は広間の上座にいた。


 その姿には、奇妙な威圧感があった。


 諸澄は膝をつく。


「尾賀瀬諸澄」


「御身に忠義を捧げたく参上いたしました」


 壮真はじっと見下ろした。


「何故、私を選ぶ」


「この国を変えられるのは貴方しかいないと思ったからです」


 即答だった。


 壮真は笑う。


 昔なら、その真っ直ぐさを気に入ったかもしれない。


 だが今は違う。


「綺麗だな」


「……は?」


「理想を信じている目だ」


 壮真は立ち上がる。


「ならば見せてやろう」


「天下というものを」


    ◇


 数週間後。


 端原軍は、小領主・柊木家を制圧した。


 理由は単純。


 従属を拒否したから。


 戦そのものは一方的だった。


 問題は、その後だった。


「敗残兵の身内も悉く処理しろ」


 壮真が命じた瞬間、空気が止まった。


 豪政が顔を上げる。


「父上……?」


 諸澄も凍りつく。


「なぜです!」


「報復を防ぐためだ」


「ですが、彼らは戦ってすら……!」


 壮真は冷たく諸澄を見る。


「甘いな」


「敵の種は残すな」


 諸澄は絶句した。


 目の前にいるのは、理想の英雄ではなかった。


 恐怖で支配する覇者。


 乱世の怪物だった。


「……承服できません」


 諸澄は震えながら言う。


 壮真はゆっくり近づいた。


「ならば去るか?」


 威圧。


 殺気。


 諸澄は息が詰まる。


 だが。


 その時。


 豪政が前へ出た。


「父上、それ以上は」


 壮真の目が細くなる。


 親子の間に、初めて冷たい空気が流れた。


    ◇


 夜。


 諸澄はひとりで座っていた。


 手が震えている。


「違った……」


 信じていたものが崩れていく。


 だが、それでも。


 彼は端原を離れなかった。


 もう乱世は始まっている。


 今さら戻れない。


 そして何より。


 あの男を止められる者がいるとすれば。


「豪政殿しか……」


 雪は静かに降り続けていた。

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