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神話世間  作者: 西堂有規
2/10

御殿結集

雪は降っていなかった。

 だが、端原の冬は、骨の髄まで凍らせる冷たさを孕んでいた。


 その夜、端原本邸の廊下を、一人の男が静かに歩いていた。


 黒の外套。

 足音は無い。


 下条達範――端原家執事。


 彼は主君の私室の前で立ち止まると、障子を三度叩いた。


「……入れ」


 低い声が返る。


 達範は戸を開けた。


 室内には、端原壮真がいた。


 燭台の火だけが揺れている。

 机には、数枚の報告書。

 その一番上には、血で汚れた布が置かれていた。


「長池怜は」


「生きております」


「上大年一成は」


「死亡しました」


 壮真は目を閉じた。


 しばし沈黙。


 やがて達範が淡々と言う。


「姫岡国俊は捕縛済み。自警団の詮議で、背後関係も判明しました」


「……誰だ」


「麻霧洋範。妹尾和元。加えて、監察使・姉賀久繁」


 その名を聞いた瞬間、壮真の瞳から感情が消えた。


 姉賀久繁。


 東方監察府より派遣された監察役。

 本来ならば秩序を司る立場の男である。


 だが実態は違った。


 墓を暴き、民地を奪い、逆らう者を消す。

 王朝の権威を笠に着た怪物。


「一成を殺したのは」


「姫岡国俊です」


「命令は」


「久繁でしょう」


 達範はそこで一拍置いた。


「……旦那様。もはや猶予はありません」


 壮真は返事をしない。


 だが、その沈黙こそが答えだった。


 達範は静かに膝をつく。


「御殿結集を行いますか」


 燭火が揺れた。


 やがて壮真は立ち上がる。


「集めろ」


 短い言葉。


「端原を、起こす」


    ◇


 その夜。


 端原本邸の大広間には、二十一名の男たちが集っていた。


 端原豪政。

 長池怜。

 犬当年。

 培良時久。

 木帋恒興。

 霊殿敬達――。


 皆、戦うために来ていた。


 空気は重い。


 やがて、上座に壮真が現れる。


 誰一人として声を発しない。


 壮真は全員を見渡した。


「姉賀久繁は、一成を殺した」


 ざわめきが起きる。


「我らを舐めている」


 壮真の声は低い。


「端原を、地方豪族の一つと侮っている」


 犬当年が拳を握った。


「だから何だ。やるんだろ」


「無論だ」


 壮真は即答した。


「だが、これは復讐ではない」


 その言葉に、豪政が顔を上げる。


 父を見る。


 壮真の瞳には、怒りよりも冷たいものがあった。


「王朝は腐った」


「監察府は民を守らぬ」


「ならば、我らが秩序になる」


 その瞬間だった。


 広間の戸が勢いよく開く。


「待たせたなァ!!」


 酒臭い声。


 全員が振り返る。


 犬法良だった。


 かつて端原家執事を務め、放蕩の果てに姿を消していた男である。


 髪は乱れ、着物もだらしない。

 だがその眼だけは異様に鋭かった。


「反乱と聞いて帰ってきたぜ、壮真」


 達範の眉がわずかに動く。


「……帰還が遅すぎます」


「相変わらず冷てぇな達範」


 法良は笑った。


 壮真はしばらく彼を見ていたが、やがて言った。


「座れ」


「おう」


 それだけで、法良は許された。


 豪政はその様子を見つめていた。


 父は人を恐れさせる。


 だが同時に、人を引き寄せる。


 だから皆、この男のために命を懸けるのだ。


    ◇


 会議は深夜まで続いた。


 誰を味方につけるか。


 誰を先に討つか。


 中央へどう進出するか。


 やがて達範が一通の書状を机に置いた。


「霊殿廣実です」


 空気が変わる。


 廣実は中央政界の重鎮でありながら、最近は政争に敗れ失脚寸前と噂されていた。


「抱き込めるか」


 豪政が問う。


 達範は答えた。


「欲があります」


「なら可能です」


 壮真が笑った。


 それは笑みというより、獣が牙を見せるような表情だった。


「中央を割る」


 誰も異論を挟まない。


 その時だった。


 広間の奥で、法良がぽつりと呟く。


「……でもよォ」


 皆が見る。


「これ、もう反乱じゃ済まねぇよな」


 沈黙。


 法良は酒瓶を揺らした。


「戦争だ」


 その言葉に、誰も否定しなかった。


    ◇


 一方その頃。


 王都・天上京。


 巨大な議政殿の最上階で、一人の男が夜景を眺めていた。


 新庄大舘実伸。


 副王。


 事実上、この国の支配者。


 彼の前には、東方監察府からの報告書が積まれている。


「端原……」


 実伸は書状を閉じた。


「地方風情にしては、よく動く」


 傍らの廷臣が言う。


「討伐なさいますか」


「まだいい」


 実伸は即答した。


「腐った木は、勝手に燃える」


 その眼は冷たかった。


「重要なのは、最後に誰が灰を拾うかだ」


 彼は静かに笑う。


「麻生か」


「端原か」


「あるいは、別の誰かか」


 王都の灯火が、夜の底で揺れていた。


 そして歴史は、静かに崩れ始める。


 ――後に「東方大乱」と呼ばれる戦争は、まだ始まったばかりだった。



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