第69話:はるかなるボイジャー
教団との激戦から、三日が経過した。
エントロピーの逆転現象という途方もない物理法則の強制執行を肉体に受けたリックとボブは、あの後、反動による深い眠りについている。
学院の医療魔法師の話では、特に体に異常はないとのことだ。
まあ、あれだけの奇跡とも言える肉体の再生を行ったのだから、活性化されすぎた細胞には休息が必要なのだろう。
王都の結界も徐々に修復され、学生たちの間に平穏な日常が戻りつつある。
そんな中、私は一人、薄暗い地下のコントロールルームに籠もり、不眠不休である作業に没頭していた。
メインコンソールの横の作業台に置かれているのは、かつて奈落を探索した際に発見した、時空の歪みを越えて漂着した無人探査機の成れの果てだ。
そしてその傍らには、熱で歪み、無数の傷が刻まれた一枚の円盤……ボイジャーのゴールデンレコードが置かれていた。
皆既日食の特異点という絶好の通信ウィンドウを逃しはしたが、私は地球へ論文を送るという人生最大の目標を諦めたわけではない。
次なる手段を見つけ出すための頭の整理と、自分が地球の科学者であるという矜持を再確認するための儀式として、私はこの三日間、レコードの修復に全神経を注ぎ込んでいた。
光魔法を極限まで収束させたレーザー干渉計を自作し、レコード表面の三次元光学スキャンを実行する。
肉眼では見えないほど微細な溝の深さをデータ化し、傷によって完全に欠損してしまったアナログ波形を、フーリエ変換を用いたアルゴリズムで理論的に補間していく。
そして最後の仕上げとして、元の円盤から純金と銅を抽出して再精製した新たな盤面へとデータを刻み直す。
重力魔法で極限まで精密に圧力を制御しながら、自作のダイヤモンド針を使ってナノ単位の溝を物理的に削り出していった。
物理学と魔法を高度に融合させた、科学者としての異常な執念の復元作業だった。
三日目の夕暮れ。
私は完成した黄金のレコードを抱え、第4廃校舎の屋上へと登った。
瓦礫が片付けられた屋上の片隅に、蓄音機の原理を応用し、魔導回路をスピーカーに転用して組み上げた特製の再生装置を置く。
息を整え、震える手でレコードをセットし、ダイヤモンドの針を落とす。
──ジリ……ジリジリ
摩擦音の後、スピーカーから流れ出したのは、厚いスクラッチノイズの向こう側から響いてくる、バッハのブランデンブルク協奏曲だった。
「……鳴った」
ノイズ混じりの音楽に続き、様々な言語による「こんにちは」という挨拶が順番に再生されていく。
それは何十億キロという虚無の星間空間と、次元の壁という絶対的な隔絶を越えてこの異世界に届いた、人類という種族の確かな生存証明にして、宇宙へのメッセージボトルだった。
それを聴きながら、私は確信する。
探査機ボイジャーが、当初の目的であった惑星探査ミッションを終えた後も、未知の星間空間へ向けて果てしない航海を続ける「延長ミッション」に入ったように。
私の「論文送信」というミッションも、ただ延長戦に入っただけなのだと。
「レイ様」
背後から声がして振り返ると、アリスが屋上の入り口に立っていた。
彼女は少し驚いたように目を丸くし、スピーカーから流れる異国の調べに静かに聴き入った。
「不思議な曲ですね。それに、色々な人の声が……」
「故郷の星の住人が、未知の領域にいる誰かへ向けて放った手紙だよ。こんなところで僕が受け取ることになるとは思わなかったけどね」
私が笑って答えると、アリスは私の隣に並び、夕焼けに染まる空を見上げた。
「僕の論文も、必ず地球の奴らに届けてみせる。そのためには、あの見えざる世界樹の物理法則を暴いて、新しいコアを手に入れないとね」
「はい。レイ様の観測なら、きっとこの手紙のように、常識や次元を越えられるはずです」
アリスは私の不屈の言葉に、心底嬉しそうに頷いた。
私は地平線の向こうにうっすらと浮かぶ、巨大な世界樹のシルエットを見つめた。
光が届いているのに、どれだけ歩いても辿り着けない永遠の蜃気楼。
それが空間の歪みであれ事象の地平線であれ、物理学者にとっては絶好の実験対象に過ぎない。
レコードのノイズ混じりの音楽が静かに終わる。
だが、私たちの新しい探索の旅は、ここから始まろうとしていた。
(続く)











