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コスパの悪い魔法の世界で、僕は地球に論文を送る。 ~異世界転生した天才物理学者は事象の地平線を越えて真理を証明する~  作者: あとりえむ
第3部:事象の地平線を越えて編

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第70話:I AM HERE

地球、日本の岐阜県飛騨市。

神岡鉱山の地下深くに設置された大型低温重力波望遠鏡KAGRAのコントロールルームは、深夜特有の静寂と規則的な電子音だけが支配していた。


研究員たちはモニターの前に座り、いつものようにノイズデータを監視する退屈なルーチンワークをこなしている。



──突突として、その静寂は切り裂かれた。


システムが未知の重力波イベントを検知し、赤色のパトランプと共にけたたましいアラートが鳴り響く。

ほぼ同時刻、アメリカのLIGO、欧州のVirgoといった世界中の観測施設でも、全く同じアラートが観測室を震わせていた。


「なんだこの波形は……地震か?機器の誤作動じゃないのか!?」


「違います、データは正常!信じられません、これは本物の重力波です!」


モニターを埋め尽くす異常な波形に、研究員たちは息を呑んだ。

ブラックホール連星の合体などが示す、空間の幾何学的な歪みによる減衰波形ではない。


それはまるで、見えない次元の壁の向こう側から、空間そのものを強い力で引っ張ったかのような、鋭く規則的で人工的な「構造的張力」のパルスだった。


「到来方向を特定しました!現在観測中の皆既日食、太陽と月が重なる座標と完全に一致しています!」


通常、異世界で放たれたエネルギーの余波程度では、次元の壁を越えて別宇宙へ到達することなど物理的に不可能である。

事実、異世界にいる一人の天才物理学者は、地球へ自らの理論を送るという人生最大の夢を捨て、仲間を救うために重力レンズの焦点を解除していた。


本来であれば、地球の座標から外れたそのエネルギーは異世界に留まり、霧散するはずだった。


しかし、奇跡の光に照らされながら祈っていた一人の少女、アリスの無意識がそこに干渉していたのだ。



彼女の持つ『シュレディンガーの猫』の能力。

レイが夢を捨ててまで自分たちを救ってくれたことへの深い感謝と、彼の生きた証である真理が失われてほしくないという強烈な願い。


その無意識の観測が不確定な次元の隙間に作用し、本来なら四散するはずだったテラワット級のエネルギーの極小の残滓を、閉じかけていた地球への特異点へと押し込んでいた。



KAGRAの解析チームの中心に座る白髪の老教授は、モニターに映し出されたポテンシャル関数のカーブを見て、持っていたコーヒーカップを床に取り落とした。


陶器が砕ける音も耳に入らないまま、彼は震える手で画面を指差す。


送信ボタンが押されなかったため、論文のテキストデータそのものは地球に届いていない。


しかし、アリスの能力によって次元の壁をすり抜けてきた重力波の波形そのものが、一つの数式を完璧な精度で描き出していたのだ。



数年前に不慮の事故でこの世を去った若き天才、湯川連。

彼が提唱し、学会から黙殺された異端の理論『汎・量子もつれ宇宙論』


重力とは空間の歪みではなく、双対宇宙同士を縫い合わせる量子もつれの張力であるという仮説。



老教授の脳裏に、かつて教え子が黒板に書き殴っていた数式がフラッシュバックする。


観測されたデータは、その数式の第二項、次元間距離に依存する量子もつれの張力項の存在を、これ以上ないほど完璧に実証していた。


それは彼が別の宇宙に存在し、そこからこちら側の世界を引いているという物理学的な署名に他ならない。


「解析班、波形の微細なノイズをデコードしろ!今すぐにだ!」


老教授の怒号に近い指示で、世界中のスーパーコンピューターが総動員される。



論文のデータパケットは存在しないはずだった。


だが、重力波のノイズの中に、人為的に周波数変調された奇妙なバイナリ・コードが紛れ込んでいることが判明する。


それは、彼が座標を書き換える直前までコンソールで実行していた、地球側との接続確認用テスト信号の残骸だった。


アリスの祈りがエネルギーの余波を地球へ繋ぎ止めた際、そのわずかな通信の痕跡をも巻き込んでいたのだ。


メインモニターの黒い画面に、抽出された文字列が一行だけ浮かび上がる。

接続元がそこに存在していることを示すための、たった一言のシステム・メッセージ。



I AM HERE(僕はここにいる)



「湯川……君なのか……」


老教授の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。



意図した論文送信は失敗した。

しかし、仲間を救うために放たれた光と、それに報いようとした少女の祈りが、結果として事象の地平線を越え、地球の科学界に真理を到達させたのだ。


かつて彼が残した論文草稿の最後の言葉が、教授の心に響く。

『この重力波データが受領されること自体が、本理論の最終的な証明となる』


死んだはずの天才が別の宇宙で生きているという事実と、観測そのものが理論を完成させたという途方もない現実。



深夜のコントロールルームは歓喜と混乱のるつぼと化し、地球の物理学のパラダイムが根底から覆る凄まじい衝撃波が、今まさに世界へと放たれようとしていた。



(続く)

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