第67話:Q.E.D.(証明終了)
焼け焦げた臭いが、地下のコントロールルームに充満していた。
凄まじい熱量によって完全に焼き切れた超伝導ミスリルコイルが、力なく火花を散らしている。
莫大なエネルギーを供給し続けていたヴォイド・コアは完全にその光を失い、ただのヒビ割れた石ころとなって床に転がっていた。
天窓の向こう側では、皆既日食の特異点がすでに過ぎ去り、空が元の暗闇から少しずつ日常の光を取り戻しつつある。
コンソールの真っ黒なモニターを前にして、私は立ち尽くしていた。
送信可能ウィンドウのロスト。
それは、私がこの異世界に転生してから十数年、ただひたすらに物理学の真理を証明するためだけに積み上げてきたすべてが、文字通り灰になったことを意味していた。
空っぽになった私の背中に、震える小さな手が触れた。
「レイ様……」
アリスだった。
彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ、私の白衣の裾をきつく握りしめている。
彼女は知っているのだ。
私がどれほどの狂気と孤独を抱えて、この加速器を建造したのかを。
私の夢がここで潰えたことの重さを一番理解しているからこそ、彼女は慰めの言葉すら紡げず、ただ声を殺して泣いていた。
「……レイ」
背後から、掠れた声がした。
息を吹き返したリックとボブが、よろめきながら身を起こしていた。
彼らは周囲の惨状と、暗転したままの巨大な加速器を見て、自分たちの身体に何が起きたのかを瞬時に悟った。
私が彼らの命を救うために、十数年の夢を代償にしたのだと。
「俺たちの……俺たちのせいで……!」
リックがボロボロになった拳を床に叩きつけ、獣のような嗚咽を漏らした。
「ふざけんなよ!なんで押さなかったんだよ!お前、このためにずっと……!」
「ごめん、レイ君……僕が、僕がもっとうまく計算できていれば……君の夢を、奪わずに済んだのに……っ!」
ボブも顔を両手で覆い、激しい自責の念に駆られて泣き崩れた。
二人の痛切な叫びが、地下空間に響き渡る。
前世の記憶を持ったままこの魔法の世界に放り出されてから、自身の仮説を証明し、地球へ論文を送ることだけをモチベーションに生きてきた。
喪失感がないと言えば嘘になる。
心の中に、ぽっかりと巨大な穴が空いたような虚無感があった。
だが、私は床に倒れて泣きじゃくる馬鹿な親友たちと、私の背中で泣いているアリスを見た。
もしあの時ボタンを押して、この馬鹿たちがただの消し炭になっていたら。
そう想像した瞬間、私の背筋に恐ろしいほどの悪寒が走ったのだ。
地球の物理学史になんて名が残らなくてもいい。
こいつらが笑って生きているなら、それでいい。
喪失感を上回る、確かな安堵がそこにあった。
私はゆっくりと息を吐き出し、白衣の埃を払って、泣き崩れる二人の前にしゃがみ込んだ。
「……泣くなよ、むさ苦しい」
「レイ……」
「Q.E.D.だ。証明終了だよ」
私がそう言うと、リックとボブが涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
私は彼らの肩を叩き、そして背後に立つアリスにも振り向いて、心の底から笑いかけた。
「今の僕にとっては、論文なんかより君たちのほうが大切だということが、完全に証明された」
彼らを安心させるための口実や強がりなどではない。それは私の本心からの言葉だった。
「……論文の提出なんて、また別の方法を考えるさ」
私の言葉に、リックとボブはさらに声を上げて号泣し、私に力強く抱きついてきた。
アリスもまた、涙を拭いながら安堵の笑みを浮かべて深く頷いた。
床に倒れ伏しながらその光景を見ていたラプラス枢機卿は、激しい衝撃を受けていた。
完璧な論理と数式を操る冷徹な科学者が、自らの生涯の目標を捨ててまで、非合理的な感情を優先した。
それは、すべての事えるは計算によって導かれるという決定論を信奉する彼にとって、全く理解できない計算外のバグだったのだ。
ラプラスはゆっくりと身を起こし、息を吹き返したボブ……自身の実の息子であるエミールを見て、静かに目を伏せた。
「私の決定された未来には、エミールが死ぬ未来しかなかった。……我が子を救ってくれた非論理的な奇跡に、敗北を認めよう」
教団の最高権力者にして、世界の守護者を自称した悪魔の敗北宣言だった。
彼は私の物理学の力を認め、教団としての完全な撤退を宣言した。
コントロールルームに、ようやく静かで穏やかな和解の空気が流れる。
その中で、涙を拭ったボブが父であるラプラスに向かって真剣な表情で尋ねた。
「父さん……地球へ通信するためには、もう一度加速器を直す必要があるんだ。 かつて父さんたちがアイザワから奪った、完全な状態のヴォイド・コアとミスリルコイルが、まだ教団にあるはずだよね?」
その問いに、ラプラスは重々しく頷いた。
「もちろん、教団本部の地下区域で厳重に管理している。だが……今の状態では、お前たちにそれを渡すことはできない」
出し惜しみをしているような口調ではなかった。
ラプラスの顔には、かつての冷徹な自信は鳴りを潜め、深い苦悩が刻まれていた。
ラプラスの口から、教団が長年ひた隠しにしてきた恐るべき真実が告げられる。
「お前たちは、ヴォイド・コアを単なる巨大モンスターの心臓だと思っているだろう。だが、それは違う」
「違う……?」
「ヴォイド・コアとは、この世界に溢れた過剰な魔力やカオス……お前たちの言葉で言えば、エントロピーを吸収し、それをモンスターとして具現化して排出するダンジョン生成装置そのものなのだ」
思いもよらない真実に、私とリックは顔を見合わせた。
アイザワが遺した完全なヴォイド・コアは、その性能が高すぎるがゆえに、現在教団本部の地下で危険な暴走状態にあるという。
吸収した莫大なエントロピーが次々と恐ろしい怪物を生み出し、教団が総力を挙げて展開している結界でギリギリ進行を押さえつけている状態だ。
だが、それも長くは持たない。
聖王国の美しい地下は、今や徐々に絶望的なダンジョンへと変貌しつつあった。
「新たなコアとコイルを手に入れるためには、教団の結界すら内側から食い破ろうとしている、その最悪のダンジョンの最深部へ足を踏み入れなければならない」
ラプラスは苦渋の表情で私たちを見つめた。
「今の教団本部は、世界で最も危険なエントロピーの坩堝だ」
その絶望的な事実に、私たちは息を呑む。
元の世界へ繋がる窓を開くための新たなパーツを得るためには、教団本部という最悪のダンジョンを攻略しなければならないという、過酷な事実が突きつけられていた。
(続く)











