第62話:神を超える理論
地上の防衛線が突破されたことを悟り、リックが第4廃校舎の地下へと駆け込んでくる。
「来たぞ!罠を起動しろ、ボブ!」
リックの叫びと同時に、静かな足音を響かせてラプラス枢機卿が階段を降りてきた。
コントロールルームで待ち構えていたボブは即座にコンソールを叩き、事前に通路に仕掛けていた物理トラップを一斉に起動する。
空気を抜いた真空ポケットの形成、局所的な重力異常、そして高圧電流を流したミスリルのワイヤー網。
だが、ラプラスは足元の僅かな気流の変化やワイヤーの張力すら完全に計算し、発動のタイミングと効果範囲をミリ単位で見切って通り抜けていく。
ボブが多世界解釈でシミュレーションを回すが、ラプラスが現在の宇宙を計算する速度の方が圧倒的に速く、すべてのトラップがことごとく無効化された。
無傷のままコントロールルームへ足を踏み入れたラプラスは、青白いプラズマを放つ前段加速器を一瞥した。
「神の完璧な設計図を汚す、忌まわしい鉄くずだ」
ラプラスは冷酷に吐き捨てると、メインコンソールにしがみついて演算を続けるボブへと視線を向けた。
「完璧な一本道の未来を捨て、無数の不確定な可能性などに逃げた出来損ないめ」
父からの無慈悲な宣告。
ボブは唇を噛み締めながらも、必死に演算を回して死角を探そうとする。
「ボブから離れろ!」
リックがボブを護るように前に出て、鋼の剣を振り下ろす。
だが、ラプラスの指先から放たれた不可視の空間圧縮魔法によって、リックはあっけなく壁際まで弾き飛ばされてしまった。
「リック君!」
「へへ……、レイの特性セラミックアーマーがあるからな。これくらい大丈夫だよ」
リックは強がりを言ってのけるが、とても大丈夫な様子ではなかった。
仲間たちが次々と無力化される中、私は加速器のメインコンソールの前に立っていた。
「そこから離れろ、レイ・カルツァ。お前も科学者ならば理解しているはずだ」
ラプラスは私を見据え、地上で語った事実を突きつけてきた。
「次元を穿つほどの極大のエネルギーで地球への窓を開けば、この世界のあやふやな波動関数は強制的に収縮する。お前がその送信ボタンを押せば、この世界の魔法はデコヒーレンスを起こし、完全に消滅するのだ」
ラプラスは、私が科学者の業と倫理的なジレンマに挟まれて絶望する未来を計算していたのだろう。予測不能で美しい魔法の世界を護るという彼の大義名分の前に、私が指を止めると確信していた。
だが、私は送信プロセスの最終フェーズを迷いなく入力し、フッと不敵な笑みを漏らした。
「ナンセンスだ。そんな初歩的なエラー、とっくの昔に修正済みだよ」
「……何?」
ラプラスの完璧な無表情に、初めてわずかな亀裂が走った。
「僕が構築したのは、デコヒーレンス・フリー部分空間だ」
私は自らの理論を語る。
「極大の観測による波動関数の収縮は、超伝導ミスリルコイルが作り出す強固な磁場ケージの内部だけに完全に隔離される。つまり、加速器の中でどれだけ巨大なブラックホールを作って地球を観測しようと、ケージの外側にあるこの異世界には一切のノイズは伝播しない」
「馬鹿な……観測の事象そのものを空間的に切り離すというのか」
「ああ。君たちの愛する魔法の世界は、傷ひとつなく存続する。奇跡を殺さずに、物理学を証明する。それが僕のQ.E.D.だ」
魔法が消滅しないという事実を完璧な数式で突きつけられ、ラプラスの「世界を護る」という大義名分が崩れ去る。
しかし、それでもラプラスの持つ決定論の美学は、私たちが引き起こそうとしている不確定なノイズを許容できなかった。
ラプラスは静かに杖を構え直す。
「……それでも、神の決定した運命にバグは不要だ」
論理で勝てないことを悟ったラプラスが、純粋な暴力の発動へとシフトする。
彼の杖の先から、コントロールルーム全体を押し潰すような圧倒的な重力魔法が放たれ、私と加速器を丸ごと蹂躙しようと迫りきた。
(続く)











