第61話:世界の守護者
東の空に昇った太陽が、完全に月に隠れようとしていた。
皆既日食の最大直列位相が近づき、王都は真夜中のような不気味な暗闇に包まれる。
天体の巨大な質量が直列して重力のレンズを形成し始め、時空のゆらぎが極限まで凪いでいくのが肌で感じられた。
これまで学園の結界を激しく叩いていた教団の五千に及ぶ魔法爆撃が、不自然なほどピタリと止む。
砂埃が晴れた結界の外。整然と並ぶ聖騎士団が静かに道を空け、総大将であるラプラス枢機卿が単身で歩み出てきた。純白の法衣を纏った彼は、まるで散歩でもするような足取りで結界の境界線をまたぎ、学園の敷地内へと足を踏み入れる。
「総員、迎撃しろ!結界の中枢には絶対に近づけさせるな!」
ガスト教官の怒号が響き渡る。
防衛ラインの最前線に立つリックが、急拵えで装備したありふれた鋼の剣を振り抜き、鋭い斬撃波を放つ。それに続くように、生徒たちが持てる魔力のすべてを込めた炎弾、氷槍、そして雷撃を一斉に解き放った。
数百に及ぶ魔法の豪雨が、たった一人の男へ向かって殺到する。
だが、ラプラス枢機卿は魔法の盾を展開することすらしなかった。ただ、一定の歩幅で静かに歩き続けるだけだ。
「馬鹿な……当たらないだと!?」
リックが絶望的な声を漏らし、剣の切っ先を震わせた。
ラプラスの能力、デモンズ・カリキュレーション。彼の脳内では、空間を満たすあらゆる粒子の現在位置と運動量が完全に把握されていた。
放たれた魔法の質量と軌道。着弾時の熱膨張の広がり。衝撃波が干渉して威力が相殺される特異点。
彼はそれらの事象が重なり合い、威力が完全にゼロになる座標や、魔法がわずかに逸れる数センチの隙間を完璧に計算し、ただそこを選んで歩いているのだ。
物理的な力で構築された防衛線は、彼に指一本触れることすらできない。
「なぜ教団のトップが、自ら手を汚してまで我々を滅ぼそうとする!」
無傷のまま防衛線の中心に辿り着いたラプラスへ、ガスト教官が杖を突きつけて叫んだ。
ラプラスはそこで初めて足を止め、哀れむような目でガストやリックたちを見つめた。そして、静かに語り出す。
「私は異端を滅ぼしたいのではない。お前たちの無知な観測から、この世界を護りたいのだ」
その言葉に、リックが眉をひそめる。
「護るだと……? 俺たちの加速器が、この世界をどうするって言うんだよ」
「次元を穿つほどの極大のエネルギーで、この世界を完全に観測してみろ。あやふやな量子の重なり合いで成立しているこの世界の奇跡は、ただ一つの退屈な物理法則へと収縮し、跡形もなく消え去る」
ラプラスの冷徹な声が、暗闇の学園に響き渡った。
レイが地球と通信するために巨大加速器を起動すれば、強制的なデコヒーレンスが引き起こされる。精霊も、魔法も、この世界を彩るすべての未知が死に絶えるのだという宣告。
彼は、予測不能で美しい魔法の世界を守る世界の守護者として、科学の侵略を止めに来たのだ。
魔法を守る教団と、科学のために魔法を殺す自分たち。正義が完全に逆転した事実を突きつけられ、防衛隊の士気が音を立てて砕け散る。
だが、その重苦しい対峙の裏側で、不穏な影が動いていた。
結界の死角となっている第4廃校舎の裏手。
教理監査局のジオットが、数十名の狂信的な部下を引き連れて密かに侵入を果たしていた。
「ラプラス猊下は甘すぎる。異端の知恵など、護る価値もない……すべて焼き尽くし、神の威光を示すのだ」
ジオットの瞳には、狂気だけが宿っていた。
彼はラプラスの待機命令を無視し、ただ科学を滅ぼすという目的のためだけに、レイたちのいる地下施設へと続く別ルートを単独で進み始める。
場面は再び正門前。
ラプラスの言葉に動揺し、完全に戦意を喪失して凍りつく防衛隊の横を、枢機卿は一瞥もせずに通り過ぎていく。
「運命は決定されている。あの悪魔の機械は、私が止める」
純白の法衣を翻し、ラプラス枢機卿がレイたちの待つ地下のコントロールルームへ続く階段へと足を踏み入れた。
(続く)











