結末
結局、その若いスタッフは労災申請の手続をした。
利用者に迷惑をかけざるを得なくなったことについて余を恨んでいたとも聞いた。
もとより筋違いである。悪法も法であるのだ。
その利用者がその事故について責任を問われたかどうかは知らない。余の配属されたフロアのことではなかったからである。
余は施設に配属された直後は雑務に従事する機会も多く他のフロアにも行くことがあり、そのために労災隠しを公言する人を見てしまったのだ。
余がそのとき幻視していたのはその利用者などではなく、労災隠しを黙視して批判される余自身の姿であった。
幻視における批判の客体が余であれば、主体は何か。
ひとつは勤務先、具体的にはその代理人たる施設長である。
若いスタッフとの話で施設長を出したのは権威をかざすためだけではなく、余が施設長を本当に畏怖していたからでもあった。これは他の手記や回顧にも書いた通りであるから詳述しない。
もうひとつは組合である。旧勤務先はユニオンショップの制を布いていたのだ。
さらに、当局から譴責される可能性も皆無とまでは思わなかった。
最後のひとつは、余が所属する政党である。
固有名詞は出さないが余はある前衛党の党員である。
前衛党員が負傷した同僚を不忠不孝と非難するのも、施設長と当局をおそれるのは矛盾のようでもある。
だが、前衛党員だからこそ、労災隠しを企図して余に恐怖と困惑を与えた同僚には、そのような右翼的語彙を用いたのであるとも思われる。
労働者としても前衛党員としても、労災隠しを結果的に防止して労働者の尊厳と大衆の医療保険の資金を守ったことは外形的には功績ではある。
ただその動機と同僚への言葉が好ましくはなかったと言わざるを得ない。




