EP 6
悪徳プロモーターの卑劣な罠。甘い言葉と偽りの夢、そして漆黒の奴隷契約書ですわ
星空の丘での甘い抜け駆けデートから一夜が明け、ポポロ村には再び澄み切った秋の朝が訪れていた。
「よしっ! ポポロ村特注の立体魔導ステージの設営許可、ドンガン地下帝国の技師長から正式に降りたわ!」
村長室兼オフィスで、私は【絶対監査】のスキルをフル稼働させながら、バインダーに新たなチェックマークを書き入れた。
前夜、ユリウス様から注がれた極上の愛情と、おでこを重ね合わせた甘い胸のときめきは、私の鬼監査OLとしてのエンジンをさらに力強く駆動させていた。
仕事の効率は前日比で約150パーセント。
ポポロ村の『第1回 アイドルフェスティバル』の準備は、私の計算通り完璧すぎるほどの精度で進んでいた。
「ミレちゃん、おはよう! 今日も朝からすっごい勢いでペンが走ってるね!」
「おはよう、キャルル。ええ、絶好調よ。……ところで、リーザは?」
ふと見回すと、いつもなら朝食のパンの耳をかじっているはずのリーザの姿が部屋になかった。
「リーザちゃんなら、朝一番で『プロデューサーに褒めてもらうために、歌とダンスの個人レッスンしてきますわ!』って、元気いっぱいに村外れのポポロ川の河川敷へ向かったよ」
「個人レッスン……? ふふっ、本当に根が真面目な子ね」
私は微笑ましく思いながら、手元の書類を整理した。
「よし、私も彼女の特注衣装の最終寸法を測りに、河川敷へ向かいましょうか」
「うん、行こう行こう! ついでにルナキンでテイクアウトした『太陽芋のホクホク焼きポテト』も持っていこうね!」
私とキャルルが笑顔でオフィスを出た、まさにその頃。
ポポロ村の静かな南端、サラサラと清流が流れるポポロ川の河川敷では、悪意の影が着々と忍び寄っていた。
* * *
「♪愛も富も一つのもの〜(どっちもちょーだい!)♪ダイヤが欲しい〜♪ 土地も欲しい〜♪」
早朝の爽やかな川風を受けながら、リーザはみかん箱代わりに持ち込んだ大きな切り株の上に立ち、真剣な表情で『Love & Money』の振り付けを練習していた。
「ん〜、やっぱりここのステップで少し足元がふらつきますわね。健康サンダルじゃなくて、ミレイユプロデューサーが買ってくれた最新のレッスン用シューズに履き替えたんだから、もっとキレのある動きをしなくっちゃ!」
自分をパンの耳の貧生活から救い出してくれ、温かいご飯と「世界一のトップアイドルにしてあげる」という夢を与えてくれたミレイユ。
リーザにとって、ミレイユはただのプロデューサーを超えた、命の恩人であり、憧れの『お姉様』だった。
(ミレイユさんは、私なんかのために公爵様から金貨一千枚も用意してくださったのよ……。絶対に失敗なんてできないわ。私の歌で、村の人たちも、ミレイユさんも、世界で一番幸せにして差し上げるのよ!)
小さな拳をギュッと握りしめ、リーザが再び可憐な歌声を響かせようとした、その時だった。
「――ほう、素晴らしい歌声だな。可憐で、健気で……そして何より、聴く者の魂を揺さぶる圧倒的な『魔力』を秘めている」
草むらの陰から、ねっとりとした不快な手拍子の音と共に、男が現れた。
「……っ!? あなたは……っ!」
リーザは思わず歌を止め、後ずさった。
そこに立っていたのは、昨日ミレイユによって村から追い払われたはずの悪徳プロモーター――『ゴールド・エンタテインメント』代表のガルシア・ヴァルガスだった。
派手な紫のスーツは泥で少し汚れていたが、その肥満体の顔には、ヘビが獲物を舐め回すような醜悪な笑みが浮かんでいた。
後ろには、昨日と同じガタイの良い用心棒二人を引き連れている。
「な、なぜここに……っ! ミレイユプロデューサーから、もうお引き取りくださいと言われたはずですわ!」
リーザがタローマン製のレッスン着の裾を握りしめ、毅然と叫ぶ。
しかし、ガルシアは「ガハハハハッ!」と下品な大笑いを上げた。
「可哀想に……。あの性悪な出しゃばり女に、すっかり洗脳されてやがるな、人魚姫ちゃんよ」
「せ、洗脳なんてされていませんわ! ミレイユさんは私を本当のアイドルにしてくれようとして……っ!」
「本当のアイドル? ギャハハッ、笑わせるんじゃねえぞ!」
ガルシアはぽんとポポロシガーの煙を吐き出し、バカにしたように鼻を鳴らした。
「おいおい、目を覚ませよ。あの女がやってることはな、ただの『田舎のパンダ見せ物小屋』だぞ?」
「……え?」
「いいか? お前は海中国家シーランの姫君であり、聴く者全員に奇跡のバフを与える天才歌手なんだぞ? なのにあの女は、お前をこんな肥溜めみたいな泥臭い田舎村に閉じ込め、芋やら大根やらを売るための『客寄せパンダ』として利用しようとしてるんだ!」
ガルシアは芝居がかった身振りで両手を広げ、言葉巧みに距離を詰めてきた。
「金貨一千枚だぁ? ふん、あの女が言っていた予算なんて、ただのハタリ(嘘)に決まってるだろ! 考えてもみろ、こんな辺境の小さな村に、一千枚もの金貨を出せるわけがねえ! あの女はお前を言いくるめて、タダ同然で働かせ、村の奴らと自分たちのポケットに利益を叩き込もうとしてるのさ!」
「つ、嘘ですわ……っ! ミレイユさんは、そんな人じゃ……っ!」
「嘘かどうか、お前自身が一番分かってるはずだろ?」
ガルシアの濁った瞳が、怪しく光る。
彼はリーザの純真で、どこか自分に自信のない繊細な心理を、的確に穿ってきたのだ。
「お前、帝都で地下アイドルをやってた時、ずっと誰からも相手にされなかったんだろ? パンの耳をかじって、野良犬と餌を奪い合ってたような乞食娘だ。……そんなお前に、誰かが無条件で親切にしてくれるとでも思ったか?」
「っ……」
リーザの胸が、ドクンと嫌な音を立てた。
トラウマに似た過去の貧困と孤独が、冷たい氷のように彼女の心に突き刺さる。
(私……ずっと一人だった。誰からも必要とされなくて……パンの耳ばかり食べて……)
「あの女だってそうだ」
ガルシアはニヤリと歪んだ笑みを深め、追い打ちをかけるように囁いた。
「お前はあの女に、莫大な借金(恩)を感じてるんじゃないのか? 『私のために大金を使わせてしまって申し訳ない』『失敗したらどうしよう』ってな。……あの女の隣にいる公爵だの村長だのは、みんな身分の高い本物のエリートだ。……お前みたいな不細工で貧乏なジャージ娘が、あの温かい輪の中にいて、本当にいいと思ってるのか?」
「あ……あ……っ」
リーザの足が、ガクガクと震え始めた。
図星だった。
ミレイユが優しくしてくれればしてくれるほど、美味しいご飯を奢ってくれればくれるほど。
リーザの胸の奥底には、『私なんかが、こんな幸せな場所にいていいのだろうか』という、消え切らない自己否定と不安が渦巻いていたのだ。
その心の隙間に、ガルシアの悪魔の言葉が容赦なく滑り込んでいく。
「可哀想な人魚姫ちゃん。だが、安心しろ……! 俺様なら、お前を本当の『救済』に導いてやれる!」
ガルシアは胸ポケットから、分厚い羊皮紙の束――漆黒の文字でびっしりと書かれた『専属芸能契約書』を取り出し、リーザの目の前に突きつけた。
「うちの『ゴールド・エンタテインメント』と契約しろ! 帝都の中央大劇場で、何万人もの貴族や観客の前で歌わせてやる! お前の歌なら、世界中の傷ついた人間を救えるんだぞ!? こんな泥臭い田舎村の数十人の農夫どもを相手にするのと、世界中の人間を救うのと……どちらが『本当のアイドル』だ!?」
「世……世界中の人を……救う……っ」
リーザの瞳が、ふっと光を失い、揺らぎ始めた。
『世界中の人を自分の歌で笑顔にしたい、幸せにしたい』。
それこそが、彼女が人魚姫としての誇りをかけて抱き続けてきた、唯一無二の純粋な『夢』だったからだ。
「そうだ! お前の歌なら、世界を救える! あの出しゃばり女に迷惑をかけることも、これ以上甘えることもなくなるんだぞ! お前は俺様と一緒に帝都へ来て、本当のトップアイドルになればいいんだ!」
ガルシアはニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべ、羊皮紙の契約書と共に、一本の羽ペンをリーザの手へと強引に握らせた。
「さあ、ここに名前を書くだけだ! サインすれば、お前の夢は今すぐここで叶う! あの女への借金も、俺様が全額立て替えて払ってやるからな!」
「あ……名前を……サインを……っ」
リーザの震える指先が、羽ペンを握りしめる。
彼女には、見えていなかった。
ガルシアが差し出したその契約書の、一番最後――虫眼鏡で見なければ読めないような極小の文字で書かれた、悪魔の条項が。
【※契約成立と同時に、甲の所有権および人身権は乙に帰属する】
【※甲の基本給与は『無給』とし、生活費・衣装代・渡航費として金貨1万枚の負債を甲に課す】
【※甲は1日20時間、貴族および軍事施設でのバフ歌唱を強制される。拒否・契約解除の場合は金貨10万枚の違約金を支払うものとする】
【※本契約は、甲の死後も無効とはならない】
夢と恩義、そして自己否定の狭間で混乱した16歳の少女を、完全な『一生涯の奴隷』として買い叩き、死ぬまで搾取し続けるための――あまりにも惨酷で漆黒の【奴隷契約書】。
「さあ! 書け! サインしろぉっ! お前の夢を叶えてやるぞぉっ!」
ガルシアが血走った目で、獣のように催促する。
「私……私の歌で……みんなを……っ」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、リーザが吸い寄せられるように、契約書の署名欄へとペン先を向けた――その、瞬間だった。
「――そこまでですわ、三流のゴミ屑プロモーター様」
バシィィィィンッ!!
空気を引き裂く甲高い音と共に、一枚のバインダーが疾風のように飛来し、リーザが手にしていた羽ペンと契約書を容赦なく叩き落としたのである!
「きゃっ!?」
「ぬおっ!?」
地面に散らばる書類とペン。
呆然とするガルシアとリーザの前に、カツン、カツンと、静かだが完璧な足音を響かせて進み出てきたのは――。
「ミ……ミレイユ……プロデューサー……っ!?」
美しいミッドナイトブルーの衣装を身に纏い、冷徹な氷の眼差しで悪党を見下ろす、元・メガバンクの鬼監査OL――ミレイユ・アークライトの姿だった。
その隣には、ダブルトンファーを静かに構え、身体から恐ろしい闘気を立ち上らせているヤンデレ最強兎・キャルルが立っていた。
「私の大事な『新人アイドル』に、随分と不快な言葉を吹き込んでくれたようですね」
パチン、と。
ミレイユが扇子を開いた瞬間、彼女の瞳の奥で、全てを暴き立てる【絶対監査】の青い光が、静かに、そして苛烈に燃え上がったのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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