EP 5
少しは私のことも見てくれないか? 氷の公爵様の甘いヤキモチと、星空の抜け駆けデートですわ
悪徳プロモーターであるガルシアを追い払い、一時の平和が戻ったポポロ村。
だが、元・鬼監査OLにして、限界地下アイドル・リーザの『絶対的プロデューサー』となった私の忙しさは、そこからさらに拍車がかかっていた。
「よし……! リーザの特注衣装のデザイン発注書と、ドンガン地下帝国への音響魔導具の追加リクエスト、これでよし……!」
夜もすっかり更けた村長室兼オフィス。
デスクの上に置かれたタローマン製の魔導デスクライトの明かりの下で、私は猛烈な勢いでペンを走らせていた。
手元には、ルナキンでテイクアウトしてきたポポロ・コーヒーのカップ。
前世のメガバンク時代、数々の大型案件を同時並行で回していた頃の社畜アドレナリンが、完全に覚醒している。
「リーザの『Love & Money』のパフォーマンス効果を最大化するには、照明の明滅タイミングを彼女の魔力波形と完全に同期させる必要があるわね。【絶対監査】で算出したこの計算式を、照明担当のドワーフ技師に渡して……それから、ポポロ村特産の『太陽芋』と『月見大根』のコラボ屋台の配置図も再チェックしなきゃ……!」
「――ミレイユ」
「はいっ! 太陽芋のバター焼きの原価率は……って、あら?」
耳元で低く甘い声が聞こえ、ハッと顔を上げると。
いつの間に部屋に入ってきたのか、私のデスクのすぐ隣に、氷の公爵・ユリウス様が立っていた。
月明かりとデスクライトの光を受け、彼の美しいプラチナブロンドの髪がさらりと揺れる。
フロックコートを脱ぎ、上質なシルクのシャツの袖を軽く捲り上げた姿は、いつもの完璧で威厳あふれる『財務卿』の姿よりも、どこかすこし隙があって、息を呑むほど男らしかった。
「ゆ、ユリウス様!? こんな遅い時間に……どうされたのですか? 帝都にお戻りになったのでは……」
「戻るはずがないだろう。私の愛しい婚約者が、夜遅くまで働き詰めで部屋に籠もっているというのに」
ユリウス様はふっと苦笑いを浮かべると、私が手にしていたペンを、細い指先でそっと取り上げた。
「あ、ユリウス様! まだ屋台の配置図の最終監査が……っ」
「書類の仕事はそこまでだ、ミレイユ。君の集中力と熱意は心から尊敬するが、今は自分の身体を労わる時間だよ」
「ですが、リーザのデビューフェスまであと少ししかありませんし、あのガルシアという男がどんな卑劣な手を使ってくるかも分かりません。プロデューサーとして、完璧な準備を整えておかないと……っ」
私が必死に言葉を重ねようとした、その時だった。
スッ、と。
ユリウス様の長身が私を覆い隠すように屈み込み、彼の手が私の両頬を優しく包み込んだ。
「ひゃっ……!?」
至近距離で交差する視線。
氷のように透き通った青い瞳が、逃げ場のない熱を帯びて、じっと私を射抜いていた。
その瞳の奥に、いつも余裕たっぷりで完璧な彼には珍しい、ほんの少しの『不満』と『寂しさ』が揺らめいていることに気がついた。
「……ユリウス様?」
「困ったな」
ユリウス様は親指で私の頬を撫でながら、甘く掠れた声で囁いた。
「君がその少女やポポロ村のために、一生懸命に情熱を燃やしている姿は、本当に美しくて愛おしい。……だがね、ミレイユ」
彼のリスクゼロの完璧な顔が、さらに数センチ近づく。
彼の甘い吐息が私の唇を掠め、心臓が跳ね上がった。
「……ここ最近の君の頭の中は、リーザとフェスのことばかりだ。私と二人きりで話している時でさえ、君の目は書類の数値を追っている。……少しは、私のことも見てくれないか?」
「っ……!」
それは、あの帝国全土を冷徹に支配する『氷の公爵』からの、あまりにも可愛らしく、そして破格に甘い――『ヤキモチ』の言葉だった。
前世から仕事一筋で生き、誰かに甘えられたことなど一度もなかった私にとって、この極上スパダリ男からの嫉妬の言葉は、破壊力が天脳を突き破るレベルだった。
「あ、あの……ゆ、ユリウス様、それは……その……っ」
「私を放置して仕事に没頭するのは、生殺しだよ、ミレイユ。……少しだけ、私に君を独り占めする時間をくれてもいいだろう?」
「え? 独り占めって……ひゃああっ!?」
思考がフリーズしている私の身体が、一瞬でふわっと宙に浮いた。
気づけば、私はユリウス様の逞しい両腕によって、綺麗なお姫様抱っこの体勢で持ち上げられていたのだ。
「ユ、ユリウス様!? なにを……お、降ろしてください! 自分で歩けますから……っ!」
「ダメだ。今の君を放っておいたら、またデスクにしがみついてペンを握り始めるだろうからね」
ユリウス様は私を抱きかかえたまま、悪戯っぽく口角を上げた。
「ちょっと夜風に当たろう。私と君だけの、秘密の場所へね」
そのまま、彼は私を腕の中に包み込んだまま、軽やかな足取りでオフィスを抜け出し、静かなポポロ村の夜へと連れ出したのだった。
* * *
ユリウス様に抱えられたまま辿り着いたのは、ポポロ村の裏手にある、小さな高台の丘だった。
村の灯りが遠く下に広がり、見上げれば、吸い込まれそうなほど満天の星空が広がっている。
心地よい秋の夜風が草木を揺らし、ポポロ村特有の甘い薬草の香りが鼻腔をくすぐる。
ユリウス様は、丘の上に設置された大きな木のベンチに腰を下ろすと、私を膝の上に座らせたまま、そっと私を後ろから抱きしめた。
「どうだい、ミレイユ。素晴らしい眺めだろう」
「あ……ええ、本当に……綺麗ですわ……」
私の背中に当たる彼の胸板の温もり、肩に回された腕の強さ。
彼の上質なシャツから漂う、ほんのりと甘いウッディな香水の匂い。
密着した身体から伝わってくる彼の規則正しい心音が、私の早鐘のように打つ心音と重なり合っていく。
恥ずかしさで顔が沸騰しそうになりながらも、私は彼の胸の中にすっぽりと収まり、静かに息を吐き出した。
「……すみません、ユリウス様」
「ん?」
「私……夢中になると、周りが見えなくなってしまう癖があって。前世でもそうでしたわ。自分の仕事に没頭して、周りのことや自分の身体のことすら後回しにして……。ユリウス様が私のことを思ってくださっているのに、私、放置してしまって……」
私がポツリと本音を漏らすと、ユリウス様は後ろから私の頭を優しく撫でてくれた。
髪をすくう彼の指先が、たまらなく心地よい。
「謝る必要はないさ、ミレイユ。君のその一生懸命なところが、私は大好きなのだから。……ただ、少しだけ我慢できなくなってしまっただけだ。私という男は、君が思っている以上に君に執着していて、欲深いようだ」
ユリウス様は私の身体をゆっくりと向き合わせ、私と正面から視線を交わした。
星明かりに照らされた彼の顔は、世界中のどの宝石よりも美しく、私に向けられた瞳には、どこまでも深い情愛が満ちていた。
「私を見てくれ、ミレイユ」
「……はい」
「私は、君のプロデューサーとしての才能も、監査役としての冷徹さもすべて愛している。……だが、今日だけは、この時間だけは、ただの『一人の男と女』として、私を感じてほしい」
ユリウス様がスッと手を伸ばし、私の手と指を交差させるように、ギュッと強く握りしめた。
彼の大きな手から伝わる温もりに、私の胸の奥がキュンと甘く締め付けられる。
前世では得られなかった、誰かに必要とされ、愛されているという絶対的な安心感。
私は覚悟を決め、赤くなった顔を隠すことなく、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返した。
「……はい。ユリウス様」
「ミレイユ……」
「私にとっても……ユリウス様は、特別ですわ。仕事の計算や数字のことばかり考えている私ですが……あなたの声を聞くと、あなたの温もりに触れると……心臓の計算が、全部狂ってしまうのですから」
素直な私の告白に、ユリウス様の青い瞳がハッと大きく見開かれた。
次の瞬間、彼の整った顔が歓喜に歪み、彼は私を押し潰さんばかりの力で強く抱きしめた。
「ああ……っ、ミレイユ! 君は本当に……私をどうしようもなく狂わせる天才だな!」
「んっ……ゆ、ユリウス様、苦しいです……っ」
「すまない、愛おしすぎて我慢が効かなくてね」
ユリウス様は身体を少し離すと、私の額に、そっと自分の額をコツンとくっつけた。
至近距離で重なり合うおでことおでこ。
お互いの吐息が混ざり合い、彼の吐く息の温もりが私の唇に触れる。
第一章で婚約を果たしたけれど、私たちはまだ、本格的なキスすら交わしていない『友達以上恋人未満』の初々しいカップルだ。
だからこそ、こうしてお互いの体温を感じ合い、おでこを重ね合わせているだけの時間が、たまらなく愛おしく、胸が甘酸っぱいキュンという音を立てて跳ねる。
「……ねえ、ミレイユ」
「はい……」
「このフェスが無事に大成功に終わったら……私に、ご褒美をくれないか?」
「ご褒美……ですか?」
私が首をかしげると、ユリウス様はどこまでも艶っぽく、逃げ場のない笑みを浮かべて私の唇を指先でそっと撫でた。
「ああ。ポポロ村の財務顧問としてではなく、私の『正式な妻』としての準備を始めてほしい。……もちろん、君の意思を最優先するがね」
指先から伝わる彼の熱に、私の全身の血がワーッと一気に顔に集まっていく。
「っ……! ぜ、善処いたしますわ……っ! まずはフェスを、完璧な黒字で大成功させなければ……っ!」
照れ隠しに前世の社畜口調で言い返すと、ユリウス様は「くすっ」と満足そうに笑声を上げた。
「楽しみにしているよ。私の最高のプロデューサー」
夜空に散りばめられた満天の星々の下。
静かに重なり合う二人だけの温もりと、甘い約束。
ガルシアという悪徳プロモーターの脅威が迫っていようとも、私にはこの最高で過保護なパートナーと、物理最強の親友、そして輝くアイドルがいる。
元・鬼監査OLの私の心は、この甘くて初々しい胸のときめきと共に、フェス大成功へ向けてさらに強く、熱く燃え上がるのだった。




