EP 15
完璧な黒字決算と、氷の公爵からの甘すぎる誓約。元・鬼監査OLの異世界ライフは、極上の幸福に包まれていますわ
セドリックという最大の不確定要素が完全に排除されたポポロ村の中央広場は、再び平和で温かい歓声に包まれていた。
愚かなテロ未遂事件があったことなど嘘のように、村人たちは笑顔を取り戻し、秋の豊穣を祝う音楽が夜空に高く響き渡っている。
むしろ、帝国のトップである『氷の公爵』が直々に村を守ってくれたという事実が、村人たちの安心感と祭りの熱気をさらに一段階引き上げていた。
「ミレちゃん、はい、あーん!」
キャルルが自分の顔より大きな『太陽芋の特製クレープ』を両手で持ち、私に向かって差し出してきた。
「ありがとう、キャルル。でもそんなに大きく口を開けられないわ……んっ」
私が遠慮がちに口を寄せようとした瞬間。
横からスッと伸びてきた白魚のように美しい手が、クレープの端を上品にちぎり取り、私の口元へと運んできた。
「はい、ミレイユ。君の小さな口には、これくらいがちょうどいい」
「あ……えっと、ユリウス様……?」
「ああ、美味いな。君の唇の端についた甘いクリームごと味わうと、さらに格別だ」
パクッと私が食べた後、ユリウス様はその指先を自身の舌でペロリと舐めとり、極上に甘い笑みを浮かべた。
周囲の村人たちが「おおぉ……っ」と顔を赤らめてざわめき、キャルルが「ちょっと公爵! 私のミレちゃんへの『あーん』を横取りしないでよ!」とウサギ耳を逆立てて抗議する。
「親友殿。これからは彼女の『婚約者』たる私が、彼女の食事から何から、すべてを甘やかして管理する権利があるからね」
「ぐぬぬ……っ! 言うようになったじゃない! でも、ミレちゃんを守る物理的防衛権はまだ私にあるんだからね!」
キャルルがぷんすかと怒りながらも、どこか嬉しそうにクレープを頬張る姿を見て、私は思わずクスッと笑い声を上げた。
前世の私は、メガバンクの内部監査として、毎日胃を痛めながら数字の羅列と不正に向き合ってきた。
誰かと食事を分け合うことも、こんな風に心から笑い合うこともなく、ただ会社の歯車として消費されるだけの人生だった。
今世でも、ルージュ伯爵家という「ブラック企業」に使い潰されかけたけれど。
追放された先で辿り着いたこの村には、私を無条件で肯定し、守ってくれる温かい居場所があったのだ。
(これ以上ないくらいの、完璧な『黒字』ね)
私は心の中で密かに【絶対監査】のスキルをオフにし、ただ一人の女性として、この満ち足りた時間を心の底から味わい尽くした。
* * *
やがて祭りの喧騒が落ち着き、深夜の静寂が村を包み込み始めた頃。
「ふぁぁ……ミレちゃん、私、お腹いっぱいで眠くなっちゃった……」
「ふふっ、あれだけ食べれば当然よ。今日は本当にありがとう、キャルル。ゆっくり休んでね」
村長室のベッドに潜り込んだキャルルに毛布をかけ、優しく頭を撫でる。
彼女は「ミレちゃん、大好き……」と寝言をこぼしながら、あっという間に規則正しい寝息を立て始めた。
私は音を立てないようにそっと部屋を抜け出し、外のテラスへと出た。
そこには、夜空に浮かぶ美しい満月を見上げながら、私を待ってくれている一人の男性の姿があった。
「ユリウス様」
「ああ、ミレイユ。キャルル殿は眠ったかな?」
夜風に銀糸のようなプラチナブロンドを揺らしながら、ユリウス様が優しく微笑みかけてくる。
私は彼の隣に並び、静かに頷いた。
「はい。今日は彼女も、一日中私の護衛として張り切ってくれていましたから」
「本当に頼もしい親友だ。……だが、今この瞬間だけは、私に君を独り占めさせてほしい」
ユリウス様は私の手を取り、そのまま自分の胸元へと引き寄せた。
ミッドナイトブルーのドレス越しにも伝わってくる、彼のがっしりとした胸板の温もりと、力強い心音。
「ミレイユ。今日の騒動で、君の過去の不愉快な負債は完全に帳消しとなった。君を縛るものは、もうこの世のどこにもない」
「ええ。すべて、ユリウス様のおかげです」
「違うよ。君自身が、その優秀さと美しさで運命を切り拓き、私という男の心を奪った結果だ。……だからこそ、君が完全に自由になった今、改めて君に渡したいものがある」
ユリウス様は懐から、ベルベットの小さな箱を取り出した。
パカッ、と開かれたその中には、月光を反射して眩いほどに輝く、大粒のブルーダイヤモンドの指輪が収められていた。
「これは……っ」
「ドンガン地下帝国から献上された最高純度の魔導石を、私の魔力で何日もかけて研磨し、君への『絶対防御魔法』を編み込んだ特注品だ」
ユリウス様は私の左手を取り、薬指にそっと、その美しい指輪をはめてくれた。
サイズは恐ろしいほどにピッタリで、冷たい宝石が肌に触れた瞬間、私を包み込むような温かい魔力が全身に広がっていくのを感じた。
「ミレイユ。君の計算式の中に、私という男を『生涯の伴侶』として組み込んでくれたこと……心から感謝する」
彼は指輪をはめた私の手に、深く、甘く口付けを落とした。
「私は、君のすべてを愛している。君のその勤勉さも、優しさも、時折見せる計算高い監査役としての冷徹な顔も。すべてが愛おしくてたまらない。……だから、これからの君の人生は、私がすべて引き受けよう」
「ユリウス様……」
「君はもう、誰かのために無理をして働く必要はない。ポポロ村の財務を続けるのも、帝都で私の公爵夫人として権力を振るうのも、あるいは一日中ベッドで私に甘やかされて過ごすのも、すべて君の自由だ。私が持てる全財産と全権力を懸けて、君を世界一幸せにすると誓おう」
その真っ直ぐで、あまりにも重たくて甘い誓いの言葉に、私の視界はふわりと涙で滲んだ。
前世で、過労の末に一人きりで流した悔し涙とは違う。
心が満たされ、安心しきったからこそ溢れ出る、温かくて幸せな涙だった。
「……私の【絶対監査】にかけて、ユリウス様のその言葉に、一点の偽りもないことは証明されていますわ」
私は涙を指で拭い、満面の笑みで彼を見つめ返した。
「ユリウス様。私に対するあなたのその愛情は、財務的観点から言えば『過剰投資』です」
「ふふっ、そうかもしれないな」
「でも……その極上の過剰投資、一生涯かけて、ありがたく受け取らせていただきます。私も、私のすべてを懸けて、あなたという最高のパートナーを幸せにしてみせますわ」
私の宣言を聞いたユリウス様は、氷の公爵という異名が信じられないほど、蕩けるような甘い笑顔を見せた。
「ああ。期待しているよ、私の愛しいミレイユ」
ユリウス様の腕が私の腰に強く回り、二人の距離がゼロになる。
月明かりに照らされたテラスで、彼は私の額に、そして涙で濡れた目元に、羽のように優しいキスを何度も、何度も落としてくれた。
もう、過去を振り返る必要はない。
私を虐げた愚か者たちは自業自足の破滅を迎え、私には最高の親友と、絶対的な権力で私を溺愛してくれる極上のスパダリ公爵様がいるのだから。
元・メガバンクの鬼監査OL、ミレイユ・アークライトの第二の人生。
それは、いかなる不正も赤字も寄せ付けない、愛と幸せに満ち溢れた『完璧な黒字決算』として、今、最高のスタートを切ったのである。
(第一章 完)
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