第3話 帰るべき家
「……」
近くの公園のブランコで、俺はパジャマ姿のまま項垂れながら座っていた。
「ねー。お母さん、あの人パジャマ姿でブランコ乗ってるー」
「コラッ。見ちゃいけません!」
なんてやり取りを俺を見ながらされてしまっているが、今の俺には着替えがある家に戻るという選択肢は浮かばなかった。
かといって実家に連絡するためのスマホも忘れてきた。
財布もない。
何もできない。
「チッ。なんなんだよ……」
あるのは苛立ちと恐怖だけ。
これから俺はどうすればいいのだろうかと考えるが、ここからの解決策なんて浮かぶわけがない。
大家に文句を言うか? いや、言っても大家さんに何ができるかなんてわからない。こんなこと寺か神社に相談すればいいのだろうか? いや、でもこんなこと話しても信じてくれるか?
などと、頭の中で考えをぐるぐると考えていると、
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
と、声をかけられた。
誰だろうかと顔を上げると、そこにはお巡りさんが一人笑顔で立っていた。
「あっ、えっと……」
何かあったのだろうか。
俺も殺されそうになったのだから殺人未遂事件が起きたと相談したいのだが、オカルト的な相談は受け付けてくれないだろう。
「失礼ですが、何かありましたか? その、恰好が……」
何かあったかと言えばあったのだが、まさかそっちから聞いてくるとは思わなかった。
「あ、いえ、ちょっと」
どうやらお巡りさんは俺を不審者認定しているようだ。
まぁ、そりゃそうだ。今の時刻は不明だが、昼間に男一人がパジャマ姿でブランコに座っているのだ。
ちょっとヤバい奴だと思われても仕方がないだろう。
「お名前を確認させていただいてもよろしいですか?」
「あっ、はい」
そして俺は素直に名を名乗る。
しかし、身分証明となるものを一切持たず家を飛び出してしまったため、今度は住所は何処だ。なぜこんな格好でここにいるのか。教えてもらった住所があるアパートに一緒に行ってもいいか。など、聞かれることになる。
普段であれば煩わしい職務質問だろう。
しかし、今回ばかりはこのお巡りさんが救世主に思えた。
「はい、それはもちろん。案内しますとも! ささっ、こちらです!」
「はぁ」
俺はハイテンションでお巡りさんをアパートへ案内を開始した。
これで家にたどり着き、着替え、スマホ、財布などいろいろと持つことができる。
そして、今日は何処か安いホテルに泊まろうと計画をしたのであった。
「こっちです。ここを曲がってください」
「えっと、はい……」
お巡りさんはものすごく怪しい人物を見るような目で俺を見ていたが気にしない。
安全に家から貴重品を持ち出すためにお巡りさんは欠かせない存在なのだ。
いざ、刃物を持った人形達が襲い掛かって来たとしても、お巡りさんの拳銃で撃ち殺してもらえばいいのだ。
「本当にこっちで合っているんですか?」
「もちろんですとも、さぁ、この先の――――」
「ゲッ!」
「――アパートで……どうしました?」
案内の途中、お巡りさんは潰されたカエルのような声を出した。
問題発生か? やめてくれよ。ここまで連れてきたというのに。
そんなことを思っていると、顔を青くしたお巡りさんが、恐る恐る俺に聞いてきた。
「あの……差し支えなければなんですが、お住まいは2階建ての4室あるアパートで?」
「はい。そうですが」
なんだ。知っていたのかと思っていると、お巡りさんは急に背を向け、
「わかりました。では、本官はこれにて……」
と、引き返していくではないか。
「ちょちょちょ! なんで戻るんですか!? 私の家はこっちですよ!?」
慌てて俺はお巡りさんを止めるのだが、
「大丈夫です。お住まいの確認は取れましたので、これで失礼させていただきます」
などと、言うではないか。
明らかに様子がおかしい。
「いやいやいや、本当に私の家かどうか確認しないと! あ、そうだ。免許証とか見せてませんでしたよね? 本人確認はまだしてないでしょう?」
「大丈夫です。あなたは嘘をつくような人じゃない。本官が保証します!」
「まだ会って10分も経ってないでしょう!? あなたに俺の何がわかるってんです!」
「本官は警官です! 善人や悪人。嘘をつく人つかない人の見分けはつくんですよ!」
「絶対嘘だ。俺のアパートの事を言ったら急に態度変えたってことは、絶対あのアパートの事知ってるでしょう!?」
「っ!? し、知らない! いえ、知りません。と、とにかく本官は急いでるんです!」
こいつ! 何か知っているようだぞ。絶対に逃がしてなるものか。
「それは知っている奴が言うセリフだよ! とにかく来てくれ、昨日の夜俺の家で動く人形達に襲われたんだ!」
「あーあーあー聞こえない聞こえない。とにかくその手を離してください公務執行妨害で逮捕しますよ!」
「逮捕でもなんでもしていいから、助けてくれよぉおお! 善良な市民が悪霊に憑りつかれた人形達に襲われてもいいのか!? その腰に下げてる拳銃は飾りか? 俺が襲われたら遠慮なくぶっ放していいから助けてくれよぉおお!!」
「えぇぇえい、離せぇぇえ! 本官には関係ないことだ!! 民事不介入!」
「民事不介入は今使うセリフじゃねぇよ!」
「うるせぇ、本当に逮捕するぞ!!」
「あっ、善良な市民が助けを求めているのに! みなさーん、日本の警察の無責任さがここで発覚しましたー! これが今の日本警察の実態でーーーーす。動画を撮ってください。そしてSNSで拡散して下さーーーーい」
「おいバカやめろ! わかった。アパートまで行くから騒ぐんじゃない!」
こうしてなんとか不良警官を自宅まで連れてきた俺。
鍵をかけずに出ていったため、すんなりと入る事ができた。
泥棒などに入られた形跡は無い。
「……では、本官はここで……」
「ちょっと。ここまで来て帰んないでくださいよ! ちょっと免許証とか持ってくるから待って」
俺はトイレに行った後、部屋を見回す。
まさか、この年になって"トイレに行くのが怖いから外で待っていて"みたいな事をするとは思わなかったが、羞恥心を抑えて確認作業をする。
「あれ?」
ここで俺は違和感を覚える。
「人形達が元の位置に戻っている?」
しかも、よく見るとボロボロだった人形達の状態も元に戻っているではないか。
こうなると俺の記憶の方に不安を感じてしまう。
「もういいですか?」
と、不機嫌な様子の不良警官。最初に会った時の好青年っぽさは見る影もない。
「あ、いえ。ちょっと待ってくださいね」
俺は素早く着替えて免許証を取り出す。
それを不良警官に見せると、
「はい、確認できました。では、本官はこれで」
と、帰ろうとするではないか。
「ちょちょちょ。待ってください!」
「なんですか? まだ何か?」
「いえ、せめて情報を下さいよ! なんでそんなにここに来るのが嫌だったんですか!? 何か知っているんじゃないですか?」
慌ててそう引き留めると、不良警官はとっても嫌そうな顔をしながら話を始めた。
「……わかりました。少しですが、お話ししましょう……」
と。
ものすごく深刻そうな顔だ。顔色がこれ以上ないくらいに青い。
「この家に住む住人は短い期間で部屋を出て行っています。
その際、通報なども多かったため住民たちの証言からも【幽霊アパート】と近所では言われているんです」
「へー……。え"!」
トンデモない事実を突き付けられた俺は、一瞬思考が停止してしまった。
「中には行方不明となった住人もいます。逃げ出した住民の証言から、科学では証明できないようなとても信じられないような内容も聞かされているのです」
「……」
開いた口が塞がらないというのはまさにこの事だろう。
どうやら俺はとんでもない場所に住んでしまったらしい。
「先ほどの貴方のように、幽霊騒ぎをする者もほとんどです。私も関わりたくなかったので、住所の記憶は忘れてしまってましたが、本当ならこんなところに来たくはなかったんですよ!」
と、不良警官は吐き捨てるように言ったのだ。
「い、いや、ちょっと待ってください。警察官がそんなオカルト的な話、信じちゃうんですか!?」
俺はその体験をした身であるが、警察官があっさりとそんなことを認めてしまうなんてよっぽどのことだと思った。
「ははっ、確かに他の警官ならこうはならないでしょう。ですが、本官はここに一度住んだことがあるんですよ……1週間だけね」
そう警官は乾いた笑いと共にそんな暴露をしてきた。
1週間住んだ。俺はこの実績に対して驚く。
初日でこれだけの事が起きたこのアパートで、1週間も我慢できたのかと。
だが、それはこの警官の身に起きた事の度合いにもよるという事に気づき、確認をしてみた。
「ちなみにどんなことがあったんです?」
そんな質問をしてみると、警官は僅かな間言い辛そうに口を閉じた後、ポツリポツリと話し始めた。
「……なんというか、こんな話誰も信じちゃくれなかったけど、貴方もこのアパートで体験しているというならば話は別ですね。
といっても、貴方が言うように人形が襲ってきたとかは無いんです。
例えば部屋の中で本官以外誰もいないのに、子供が走り回るような音や笑い声が聞こえたり、地震も無いのに棚から物が落ちたり、テレビや照明が勝手に点いたり消えたり、あと電子レンジに入れてウズラのゆで卵を作ろうとした生卵が爆発したり。まぁ、よくある話でしょうけど、実際に体験した身としては恐怖でしかありませんでしたよ」
「そうですか……」
ゆで卵の件は単にこの警官がおかしいとしても、それなりの体験はしているようだ。
「まぁ、そんなわけでさすがに不気味に感じた本官は、さっさとこのアパートを引き払って別の場所に引っ越したんです。
やっぱり駄目ですね。家賃が安いからって適当な物件を選んじゃ」
そう言って力なく笑っていた警官だったが、俺にとっては笑い事ではない。
「えっと、じゃぁここの部屋に住んでいた前の住民も心霊現象に巻き込まれて?」
「それははっきりとはわかりません。この部屋の前の住民というのはどのような方で?
ここを短期間で出ていく人は多すぎてわからないんですよ」
「実の所俺もわからないんですが、部屋の雰囲気から見て女性だったようです」
「部屋の雰囲気?」
「えぇ、この部屋の家具などほとんどが前の住民が残していったものらしく、捨てるのも費用が掛かるようだったので」
「なるほど。短期間で住民が家具を残して消えてしまうなら、捨てる費用もバカにならないということですか……」
警官は納得してうなずいている。
「あっ、これ俺の勤め先です。最近転勤になって引っ越してきたのでまだ会社には行ったことはありませんが」
「あぁ、ありがとうございます」
一応個人情報を渡して俺の事を印象付けておくことにする。
こうすることでもし俺に何かがあった場合、すぐに会社や家族に情報が行くだろう。
何もなければいいのだが……。
「おや? そういえば現住所と免許証の住所が違いましたね」
「あっ、そうだった。変更しないと……」
「すぐにお願いしますね」
などと、まともなやり取りを開始する。
この時までは平和だった。
そう、この時までは……。
ガタガタッ。
窓が揺れる音が聞こえてきた。
風だろうか……。
「今日は風が強いですねー」
「一応今日一日晴れの予定だったんですがね」
俺が何気なくそんな世間話をふると、警官がそう答えた。
だが、警官の様子がおかしい。
明らかに目が泳ぎ、息も荒く、汗を頬から垂らしていた。
なんだ……なぜこの警官はこんな態度に?
ガタガタガタガタガタガタガタ!!
「「!?」」
いや、窓が揺れる音ではない。家具全体が揺れているようだ。
ただ事ではない。これはなんだ?
「な、なにが!?」
「か、風じゃないかなーー!」
俺があたふたしていると、警官は俺が渡した免許証を投げ出し、外に向かって後ずさりする。
「風じゃない! ドア開けっ放しでも、風が入ってこないだろ!?」
もし、この揺れが風によるものであれば開けっ放し状態の玄関から強風が吹きつけてくるはずである。
「風の向きの問題だと思うなーー!!」
「いや、これはどう考えても――――」
「それじゃぁ本官はこれにて!」
「あっ、待って!!」
警官はそれだけ言うとそそくさと家から飛び出す。
そして、玄関の扉はガタンと強く音を立てて閉まった。
「畜生! あれ? ドアが開かない! なんで!?」
俺はすぐに警官の後を追って外に逃げようとしたのだが、なぜか扉は開かない。
鍵もチェーンも掛けていないはずなのに、なぜか押しても引いても開かないのだ。いきなり引き戸に変わったのかもしれないと横にスライドさせようとしても駄目だった。
「おい! 誰か開けてくれぇえええ!!」
力強く扉を叩くが、外から返答はない。
警官ももう逃げてしまったのだろうか。
「ふざけんな! 民間人を守るのも警官の仕事だろぉおお!!」
と、今は居ないだろう警官に向かっていうのだが、当然反応は無い。
「ふん。この位の事で騒がしくしおって情けない。男じゃろう?」
そんな性差別的な言葉が後ろから聞こえた。
同時に二つの気配が背後から感じ取れる。
「あらあら、怖がっているじゃない。私は可愛いと思うけどなー。殺し甲斐があって」
もう一つの気配が軽い感じで話し始めた。
ありえない! ありえない! 今は昼間だぞ!?
こういう現象は夜ってのが定番じゃないのか。
「物騒な小娘じゃのぉ」
「何よ。物騒なのはあんたもでしょ? 昨日の夜、あんなに嬉々として人を殺そうとしていたじゃない」
「ワシはおぬしとは違うぞ。ワシは使命とワシの信条であ奴を殺めようとしただけ」
「何が使命や信条よ。人を殺そうとしたのには変わりないじゃない」
「なんじゃと?」
「なによ!」
小さな女の子の声で言い争う声。
俺はゆっくりと振り向く。
きっとこの時の俺の表情はとてつもなく情けない顔だと思う。
「い、いやぁあああああ!!!」
そして、床に並んでこちらを見る人形2体を見て俺は叫んだ。
あまりの恐怖に座り込みガタガタと体を震わせる。
「うるさいのー。まったく耳がキンキンする」
「そうよ。近所迷惑を考えないてないの?」
などと、なぜか俺は人形達からお叱りを受けた。
人形達は2体とも口を開きながら話しているようだ。
なんでだ? 材質は木とかそういうものだろ? なんで話せる?
なんで柔軟に体や口を動かすことができるんだ?
「……ふわぁ」
俺自身限界だったのだろう。
そこで意識は途絶えてしまったのであった。
-------------------------------------
よろしければ、ブックマークと評価をお願い致します。
感想は作者が豆腐メンタルなので、優しいコメントでお願い致します。<(_ _)>
次回は明日投稿いたします。