5章 温かな家庭
そこで意識が浮上し、目が覚めた。
「気分はどう?」
ハープを鳴らすセミアさんの後ろには、母親代わりのリリアさんが心配そうに覗き込んでいた。
「ええ……温かい気持ちで一杯です」
自分にも家族が、それもあんなに優しい人達がいたかと思うと、自然に口角が上がってしまう。
「セミアさん。僕、泳げたんですよ。それもまるで魚みたいに、自由自在に何処までも」
「そうね」
相槌を打った治療者は、だが何故か浮かない顔をしていた。
「でも今は、軽減させる術が効いていないとコップの水でも怖いのよね?どうしてそうなってしまったのかしら」
「分かりません。ところでリリアさん、そろそろ夕食の支度の時間では?」
尋ねつつ卓上の時計を見ると、矢張り午後五時を指していた。爽快な気分でベッドから起き上がり、シーツを整える。
「そうね。アス、起き抜けに悪いけれど、夜までにまた部屋へ薪を運んでおいてくれないかしら?午後からずっとレイを捜していたんだけど、何処にもいなくて」
「ええ、構いませんよ」
廊下に出、すぐに二人と別れる。セミアさんは一度自室に戻り、今日の治療結果を纏めるそうだ。
「あ、一つ大事な事言い忘れてた!」
振り返った治療者が叫ぶ。
「何ですか?」
「あのね、もし治療中以外に記憶が戻ったり、覚醒時に白昼夢が現れたらすぐに教えて。放置すると危険だから」
「ええ、分かりました」
忠告を素直に聞いて一階に降り、裏口から早くも薄暗い屋外へ出た。
ガラガラガラ……。「あ、そうだった」
倉庫にある使用可能な薪は二十本近く。残りの割られていない物は奥に積み上げてられている。
取り敢えずリリアさんの私室に薪を運び入れ、定位置の暖炉の隣へ。運搬を終えて戻ると、明かりの点いた倉庫には珍しい人物がいた。
「女王様」「ん」
振り返った彼女は、朝と同じく眠たげな表情。
「女王様の部屋の薪も切れているんですか?―――はい。では今から割って、後で持って行きます」
「手伝うよ、晩御飯まで暇だし。ふぁ~」
言うなり奥へ行き、支えの金属台を二つ。そして大人と子供用の手斧をぶら下げて戻って来た。
「ありがとうございます。でも、くれぐれも気を付けて下さいね」
「くーん」
ラフ・コリーが怪我を心配して鳴く。が、当の本人は相変わらず瞼すら全開にしない有り様だ。
カンッ!カンッ!カンッ!「上手いですね。ところで、今日はどちらに出掛けていたんですか?」「内緒。そっちこそ、何か思い出せた?」「ええ。沢山」
単純な肉体労働に勤しみながら、僕は夢療法で取り戻した記憶を滔々と語る。話が終わると、彼女は小さく眉を上げた。
「どうしました?」
「アスが一杯喋るの、珍しいなと思って。で、次の治療は何時にするって?」
「状態が良ければ明後日にも、と」
未だ幸福感の残る胸を押さえる。
「何故忘れていたんでしょう、あんな素晴らしい子供時代を……早く全部思い出して、家に帰りたいです。あ、勿論刑期を終えてからですけど」
「ああ、そう言えばそんな設定だったね」
カンッ!小さな刃先が逸れ、初めて切断面が斜めになった。
「―――ねえ。そのお爺さんのお見舞いって、ずっと一人で行ってたの?」
「え?ええ……そう、ですけど」
一緒に蘇った記憶に因れば、入院まで祖父は街にすら寄り付かなかった。表向きは経営する会社の近くに住む方が合理的と言っていたらしいが、家庭を顧みていなかったのは明々白々。しかし病を得、遅蒔きながらもその大切さに気付いたのはせめてもの幸いだ。
「じゃあ、お姉さんと弟さんは一度も?」
「はい。でも仕方ありませんよ、祖父は僕等が生まれるずっと前から別居状態でしたから。懐いた僕が例外で」
「そう」
カキィッン!丸太が飛び、狙いを外した斧が台を直撃して硬質な音を立てた。
「疲れましたか?そろそろ女王様は休んで下さい。後は僕がやっておきますから」
転がった木材を拾い上げ、改めて真っ二つに割る。すっかり慣れた物で、まだまだ余裕だ。
言う通り道具を片付けた女王陛下は、やる気の所悪いけど、と前置き後、
「記憶―――もう取り戻さない方がいいよ」そう、警告した。
「えっ?」
「感情の無い私でも、これだけは言えるかな。―――封印されている物には、それ相応の理由がある。壊れたくなければ、その美しい記憶だけで満足した方がいいよ」
「何を……女王様に、僕の何が分かると言うのですか!?」
自分でも驚く程の大声が咽喉から迸る。
「何者かも知らず、気付いたら周りの人々を傷付けている、僕の………済みません」
頭を深々と下げる。
「別に気にしてないからいいよ。でも、サービスで一つ預言しておくと―――」
そう言った蒼い目に一瞬宿る光は、昏い諦観の色を帯びていた。
「そのお爺ちゃん―――きっと退院前に死ぬよ」




