47章 羨望と嫉妬
そうして目覚めた先は、『蛇達』がアジトにする屋敷の地下遺跡、その最奥の大広間だった。
厚手の毛布に包まれながら、攫われたあの人がされそうな事ばかり想像してしまう。その内に又もうつらうつらし、次に覚醒したのは扉の開く音がした時だ。
だが幸いにも、降りて来たのは姉弟だけだった。屋敷から持ち込まれた壁掛け時計は四時。パーティーの予定終了時刻は過ぎている。つまりは、
「遅かったね」
無事あの人は逃げられたのだ。安堵から思わず口元が緩む。だが、
「随分嬉しそうね」蛇眼に睨まれ、一瞬動けなくなる。「あなたじゃなかったら、今の発言だけで喰らう所よ?」
「御免。でも、彼女はどうしたの?」
「まんまと逃げられたわ。あなたが部屋を出た隙に、あのやる気の無さそうな聖族に連れられてね」
間一髪間に合ったのか、良かった……これでこれ以上、あの人に暴力が振るわれる事は無いだろう。
「あら、安心するのは早いかもしれないわよ?あれを」
「はいはい」
弟は持参の茶封筒から一枚の写真を取り出し、僕の前に差し出した。
背景は先程までいたパーティー会場だ。百合の生けられた花瓶を背に、二人の人物が写っていた。一人は戸惑いを隠せないまま、引き攣った笑みを浮かべた例の聖族。しかし隣にいたのは、偽者のマリアではなかった。
「ねえ、どっちに見える?」
肩まで伸びる艶やかな黒髪。月光のように白い肌の人物は、色こそ違えど同じ瞳でこちらに向かい微笑していた。
「男……かな」
胸の高鳴りを堪えつつ答える。だが如何せん中性的過ぎて、正直どちらでも納得してしまうだろう。
「流石。当たりだ」
封筒から更に出された一枚の書類。僕も衛兵の仕事で毎日のように処理した、小型船の上陸許可書のコピーだ。
人差し指で叩いたのは、乗船者欄の後ろから三番目。パスポートの写しが張られた箇所には、本当の顔写真と住所に、これまた中性的な氏名。そして、書かれた性別は男だった。
「これ、重要文書だよ?一般人の姉さん達が貰える筈」
「札束でちょっと叩いてやれば、貧乏人なんて何でもホイホイ言う事を聞くわ」
「冗談はよせよ姉貴。本当は俺が写真を持って行ったんだ。兄貴がこの子にハンカチ借りたから、何とか住所調べてお礼したいって言ってさ。あのオッサン達、急に辞めて凄え心配しててさ、喜んで調べてくれたよ」
皆、人が良過ぎる。だが僕にしたって、そんな事情なら一も二も無く快諾してしまうだろう。
許可書の項目に因れば、彼の乗って来たのは個人商船だ。目的は取引業務、滞在期間は三日間の予定。
「今夜この船へ潜入して、あいつを連れて来てあげるわ。ふふ、楽しみにしていなさい」
嗤った後、何故か紙面をイライラと叩く。
「にしても、厄介な奴が絡んで来たわね。こいつ、聖族政府のボスでしょ?」
『雌蛇』が示したのは、あの人の二つ下。二十代の金髪の男性は、確かに一般人とは思えない理性的な面差しをしていた。
「まあ私達に掛かれば、どんな相手も取るに足らないけど」
「ところで姉貴、あいつ等はどうする?」
「放っておきなさい。あの怪我なら脱出できないだろうし、不死の方には色々喋ってもらわなきゃ」写真を指差し、「兄様兄様って、あの様子なら目の前で痛め付けてやれば、何でもベラベラ答えるでしょう」
!?あの人の弟が捕らえられた?そんな……それでは、彼は街から出る事が出来ないじゃないか。最悪捜索をしに、再びここへ戻って来る事だって!?
安心した所を一層深い絶望の淵へ叩き込まれ、僕は全身の血が下がる音をはっきりと聞いた。
「性格悪。―――なら、ついでにもう一人攫って来るかな」
「へえ、誰を?」
「勿論―――本物の人魚姫さ」
理解した瞬間、頭をかち割られたような衝撃が走った。
「『蛇共』が嗅ぎ回ってるって五月蠅えんだ。兄貴が最近テリトリーへ来ないから探ってるんだぜ、きっと」
マリア……御免。でも、どうか危険な真似だけはしないでくれ。呪いさえ完成すれば、ラベルグ伯父さんは復活するのだから。
「御苦労な事。自分が全ての元凶でしょうに」鼻で嗤う。「いいわ、話し相手は一人でも多い方がアスも楽しいでしょう?」
「え、わっ!?」
両側から腕を掴んで強引に立たされ、引き摺るように奥の通路へ。手前の横道にあった物より頑丈そうな牢だ。恐らくかつての独房だろう。
「お仕置きよ。ゲストが来るまで反省しながら待っているの、いいわね?」
しまった、すっかり忘れていた!母さんと約束した脱出時間はとっくに過ぎている。何とか二人を説得し、地上に戻らないと――!!
「そんな……!屋敷にいなかったら、幾ら何でも不審がられるよ。もう逆らったりしないから、二人共っ!!」
抵抗虚しく押し込められ、御丁寧にも外鍵まで掛けられた。檻の中を舐め回すように観察する、一対の『蛇達』。牢の中は割合清潔だった。床に付いた手には埃一つ付いていない。こんな事もあろうかと掃除しておいたのだろうか……?
「大丈夫さ。上は今、親父の行方不明事件で大騒ぎだ。俺達で兄貴のフリして証言しておいたから、当分はいなくても怪しみゃしない。けど姉貴」振り返り、「顔色悪いぜ。食べさせないと」
「言われなくても用意してあるわ。取って来る」
カツ、カツ、カツ……。『雌蛇』が去り、『雄蛇』はフーッ。長い溜息を吐いた。
「あー緊張したー!部屋にあの子がいないの確認してから、ずーっとピリッピリッカリッカリッしててさ、殺気って言うの?何時暴発するか俺、怖くて怖くて」
「そうだな」
あの様子なら、うっかり二、三人血祭りにしてもおかしくない。『蛇』の影響?それとも、あれこそが姉の本性なのか……。
「そういや彼女、俺の折詰もう食べたのかな?あれが効いていればまだ手荒にしなくて済むのによ」
「?何の事だ?」
「帰り際に睡眠薬入れて渡した、パーティー料理の余りさ。カメラマンから写真を頂いて、面を確認した十数秒後にバッタリ玄関で会ったんだ。このまま何も手を打たないで帰したら、本気で姉貴に殺られると思って、咄嗟に持ってた親父の薬を仕込んだ」
睡眠薬か……一応毒ではないが、効力は不死者でも同じなのだろうか?
「あれ、死ななくても効くのかな?」
「あ」
「ん、どうした兄貴?」
「いや。丁度同じ事を考えていたから……」
呟くと、実に嬉しそうに笑われた。仮令僕の気を引く演技だとしても、昔と同じあどけない表情だ。
「でも、姉さんはあの人をどう使って、完全な不死になるつもりなんだろう……?」
よく考えなくても、僕は第七種について世間一般以上の知識は無い。彼等が何故永遠に生命活動を維持出来るのか、そのメカニズムは全くの謎だ。
「お前は何か聞いているのか?」
「全然。姉貴は毎晩のようにシスターの所で勉強してるみたいだけどな。ここに隠してある本だって、殆どあの人から貰った物だし」
大広間の棚の書物の事だ。開いていないので中身は分からないが、恐らく姉の部屋の魔術書より余程危険でおぞましい文書だろう。
「そもそも、あのシスターは何者なんだ?目的は?」
「御使いって言ってたから、人間を使徒に仕立てて信仰を広める事じゃねえの?あ、でもそうなると兄貴も聖書読まないとな」
「それはおかしいよ。『蛇』なんか使っても、信仰者は姉さんとお前だけだ。だって他の人間は皆餌にしてしまうんだから。教えを広めたいなら教会で日曜礼拝を開いたり、街の祭りに参加して地道に布教活動すればいい。どうしてこんな破滅的な方法を取る?」
「―――兄貴は俺達が助かるのがそんなに気に入らないのか?」フン、鼻を鳴らす。「そりゃそうだ。何てったって俺は変態だもんな」
「僕は二人を、普通に姉弟として好きなだけだよ」
舌打ち。
「正直過ぎるんだよ、兄貴は」
「それに、本当に助かったのか?僕にはシスターに生殺与奪を握られて、いいように操られているとしか思えない」
「幾ら胡散臭かろうと、人魚の呪いを無力化出来たのはあの人のお陰だ。まさか裏切れってのか?」
姉程ではないが、こちらも多少心酔しているようだ。理詰めで説き伏せられるか?
「だったら―――そもそも、本当に呪いは消えているのか?まだ運良く顕在化していないだけかもしれないじゃないか。折角寄生させた『蛇』が呪いに無力なら、二人は彼女に騙された事になる」
精一杯の説得に、向こうの拳がわなわなと震えていた。格子の隙間は広い。ただでさえ『蛇』の力で自在に伸びる身体だ。腕を入れて充分暴力を揮えるだろう。
しかし、解放した手は口元へ。蛇眼をこちらへ真っ直ぐ向けつつ、くくっ、苦笑した。
「―――兄貴と俺達はさ、きっと別の時代に生まれてた方が良かったんだろうな。こうやって傷付け合わないために」
屈んだ彼は、格子越しに例の写真を中へと置く。反射的に目をやった次の瞬間、凄い力で前髪を掴まれた。ガチャン!額が格子にぶつかってジンジンと痺れ、視界を星が舞う。
「けど、駄目だぜ兄貴?あんたはもう、俺達と堕ちていくしかないんだ。ずっと、ずうっとな―――!」
ひゃはははっ!!狂った哄笑を上げ、解放した彼は立ち上がる。
「楽しみに待ってな!すぐにあの子と再会させてやるからよ!!」
「止めろ!頼むから止めてくれ!!」
必死の叫びも虚しく、『雄蛇』は悠々と遺跡を去って行ってしまった。次に奴が現れる時、その腕に折れそうな細身を抱いていない事を、僕は大父神ではない何者かへ向けて強く祈った。
しばらくして放置された写真を掴み、近くで改めて眺める。
この聖族は、彼の正体に気付いているのだろうか?気付いていて尚、こんなにも笑顔で側にいるのならば、
「……ぅっ、ううっ……!」
僕は堪らなく彼が羨ましく、そしてどうしようもない程憎らしくなってしまった。




