48章 切り離された救い
姉の運んで来た食事を文字通り流し込み、写真をお守り代わりに再び眠りに落ちる。どちらかが気を利かせてくれたらしく、何時の間にか大広間にあった毛布が肩まで掛けられていた。
夢の中の僕はこの街ではない、何処かの高山地帯の小国の衛兵だった。
『おはよう、アス』
『くーん』
『今日も相変わらず早えな』
『君は本当に働き者だ。女王にも是非見習って欲しい物だな』
『流石はこの国唯一の衛兵だねぇ』
住民達からそう頼りにされて、もう一人の自分はとても幸せに暮らしていた。そして、
『―――そんなに真面目にあくせく働かなくてもいいんじゃない?ほら、また降って来た』
窓の外を眺めつつ、頬杖を突いた幼き女王は窓の外を見やる。
『こんな日はカフェオレでも飲んでさ、暖炉の前でダラダラするに限るよ』
『そうですね。ついでに溜まっている針仕事も片付けて』
『言うと思った―――手伝うよ。こう見えて、お兄ちゃんと暮らしていた頃は何でもしてたの』
そこで、はたと目が覚めた。その後数分間、二度と戻れない現実への郷愁が続いた。
牢屋に時計は無かったが、恐らく今は夜だろう。『蛇達』は地上へ出掛けたらしく、気配は無い。
試しに格子を強く握ってみたが、鉄は一向に溶けてくれなかった。委員長はあんなにもあっさり無くなってしまったのに……。
ガチャンガチャン!!揺さ振るぐらいでは勿論鍵は外れないし、都合良く針金等を持っている筈も無い。かと言って壁に抜け道も無く、逃亡が不可能な事を悟ったその時、
カツ、カツ、カツ―――!
規則的な足音。だが聞き慣れた姉弟の物ではない。小走りがちなそれは少しずつ大きくなり、時折立ち止まりつつこちらへ近付いて来た。
「誰?」
「アス!何処にいるの!?」
姿の見えぬ母は二人を警戒し、小声で尋ねてきた。
「!?近くだよ!声を出すから、それを頼りに来て!」
一分後、母は無事牢の前まで到着した。肩に小さな旅行鞄を提げ、アウトドアさながらの軽装で格子を掴む。
「大丈夫!?ああ、あの子達何て事を!!すぐに開けるわ、鍵は」
「分からない。二人が持って行ったのかも……」
そう答えると、彼女は何故か鞄から化粧ポーチを取り出した。そして中にあった細いヘアピンを手に、鍵穴をガチャガチャ言わせ始める。
「母さん?」
「大丈夫よ。昔はよくこれで実家の鍵を開けていたんだから」ニッ。「業者がヘボなせいかしょっちゅう壊れてね、閉め出される度に腕を磨いたものだわ」
初めて聞く話だ。僕が知っているのは、精々母の生家が代々薬屋を営んでいる事ぐらいで。
「絶対に出してあげるからね」
「母さん。父さんが、姉さんに……」
「分かっているわ……私のせいよ」
「どういう意味?」
「昨日あなたと話してから私、こっそりあの子の部屋へ忍び込んだの。逃亡ついでに、一つでも犯罪の証拠を持って行こうと思って」
姉の部屋はずっと弟がいた。ならば彼の部屋か。
「そしたら机の抽斗に、家族用とは違うアルバムがあったの」
多分J氏が見、慌てて閉ざした件の物だ。
「それを手に寝室へ戻ろうとした所を、あの人に呼び止められたわ。よっぽど挙動不審だったのと、あなたの偽者にいい加減苛立っていたのね。強引に奪い取られて……」
痛ましげに目を伏せる母。
「―――中身を見て、悪魔みたいな形相をしていたわあの人。すぐに無言のまま、自分の部屋へ引き籠ったの―――あんな物、私だって手元にあったらズタズタに切り裂いて燃やしてしまうわ。あの人もきっと、そうしたのだと思う……」
「何の、写真だったの?」
大方の予想は付く。あなたが知る必要は無いわ、拒否された事で、皮肉にも当たっていたと悟る。
ガチャガチャ、ガチャンッ!「さ!早く逃げるわよ!!」
扉を開け放った母は、何の躊躇いも無く手を伸ばした―――その背後。まるで壁から浮上するように、弟の顔が現れる。
「母さん、危ない!!」「えっ!?」
壁の蝋燭に照らされ、巨大な半透明の『何か』に母が飲み込まれるのが見えた。ぬらぬらとした水の塊の中でくぐもる、耳を劈いたであろう悲鳴。
「止めろ!!母さん、母さん!!!」
力づくで救出しようとしたが、触手の一撃で牢内へ押し戻されてしまう。飲み込まれなかった腕がボトッ……目の前に落ちた。
「あ、ああぁぁっ………!!!!」
化物の体内で、実の母はあっと言う間に溶かされていく。残った細い骨も、残酷な程トロトロに……。
数分の失神後、弟は十数年慣れ親しんだ姿に戻っていた。惨劇の証拠に残ったのは、まだ温みを遺す肘から先の部分だけ……。




