3章 治療初日
クオル王国城内、昼二時。
ランチを終えた僕は、自室のベッドで横になる。普段は同居のレイさんの寝床だが、事前に借りる許可は貰っていた。
言われた通り襟元を緩くし、肩を軽く上下する。傍の椅子には、片手でハープを抱えたセミアさんが座っていた。
「弾いてくれるんですか?」
「音楽療法よ。有名な夢療法士のビトス兄妹が考案した方法で、メロディを奏でる事で精神をより深い領域へ誘うの。これでも一応練習したんだからね、ちゃんと掛かってよ?」
暖炉を点けても十度に満たない室内。だが治療者はいつもと同じ、胸元の大きく肌蹴た薄手の水色ドレスだ。一方僕は爪先から肩まで厚手の毛布を掛け、それでも少し肌寒いと言うのに。どころか豊満な谷間に汗まで掻いているらしく、時折その部分の布地をパタパタさせていた。女王様ではないが、皮膚感覚がどうかしているとしか思えない光景だ。
「が、頑張ります」
「そう緊張しないで。掛かりにくくなるから」
ポロロン♪。心地良い弦の調べが、耳介を通して脳内へ入って来る。耳を澄ませながら深呼吸を数回繰り返すと、自然に全身の力が抜けていった。
「じゃあ、目を閉じて―――いざ、夢の世界へレッツ・ゴー」
ポロン、ポロロン、ポロロロン♫。
―――そうして意識が落ちた先は、海のど真ん中だった。
「ぷはっ!」
真下をスイスイ泳ぐ少年と魂が重なり、瞬時に同一の感覚を得る。澄んだ蒼い海の中には、黄色や青色の綺麗な魚達。海底には鮮やかなオレンジやピンクの珊瑚礁が沢山生えていた。
(気持ちいい!)
繋がった箇所を通じ、少年の喜びの声が伝わってくる。彼は本当に楽しそうで、僕も水恐怖症を忘れて周囲を観察した。
どうやらこの子が子供時代の僕らしい。顔は確認出来ないけれど、声や発音の癖が似ている。でも僕って、こんなに泳ぐのが上手だったのか。まるでイルカのようだ。
「はっ!」
息継ぎする度に、頭上の何処までも蒼い空が見えた。海水浴日和の良い天気だ。
しばらく遊泳を楽しんでいた所、ふと滑らかなクロールが止まった。海水を両脚で下に蹴りつつ、器用に立ち泳ぎ。視線を左右に動かした後、ある一点を捉えた。
波にゆらゆらと漂う、一艘の小型ボート。それに乗った五歳ぐらいの少年と、彼より背の高い十歳ぐらいの少女が揃ってこちらに手を振る。
「おうい兄貴!」「今日は気持ち良いわね!」
暢気な子供等に対し、僕はいち早くボートが沖へ流されている事に気付いた。
この辺りの海流は複雑だ。慣れた自分一人なら仮令巻き込まれても、流れを読んで隙間から岸まで帰れる。が、身体より大きなあの舟を押してとなると無理だ。そこまで考え、僕は叫ぶ。
「二人共!流されてるよ、ボート!!」
そうだ、彼等は僕の姉弟。以前受けた夢療法の時も、しきりに遊ぼうと誘ってくれた。
ようやく異変に気付いた二人は、慌ててオールを漕ぎ始める。しかし、この辺りは子供の力でなくても強い潮流だ。努力の甲斐無く、どんどんあらぬ方向へ移動していく。
僕はボートの縁に手を掛けつつ、瞬時に周囲の海流図を頭に思い描いた。
「あの島に進路を取って!」
指示しながら移動し、船体を回転させるために横腹を押し始める。姉弟が言う通りにオールを漕いでくれたお陰で、どうにか成功した。
そして数十分後。何とかボートは転覆せず、三人で無事無人島へ上陸した。
「二人共、どうして大人と来なかったの?」
着ていた黒い海パンを脱ぎ、慣れた手付きで絞りながら尋ねる。
「あの辺は流れが特に急だし、子供だけじゃ危険だ。もし僕が見つけてなかったら、もっと沖まで流されていたよ?」
肉親の説教に、姉弟はばつが悪そうに顔を見合わせた。自分で言うのも何だけど、随分しっかりした子だ。この広大な海も自分の庭みたいに良く知っているし、凄い。
「……アスが最近、いっつも一人で泳いでいるからよ。私達もボートでなら一緒に遊べるかと思って」
「うん……御免、兄貴。足引っ張っちまって」
年齢にしてはしっかりした語りの弟も、済まなさそうに目線を上げる。
「この島、誰もいないんだよな?どうしよう……このまま俺達、餓死しちまうのかな――ゲホゲホッ!」
突然激しく咳き込み出した小さな背中を、僕は優しく擦る。
「大丈夫。浜辺に狼煙を上げれば、巡視船か漁船がすぐ見つけてくれるよ。それより喘息の薬は?持って来ていないの?」
尋ねつつ、近くにあった木陰へ横向きに寝かせる。弟は一層顔を赤くし、咳が止まる気配も無い。
「御免、忘れてきた……」
「謝らなくていいよ。姉さん、悪いけど落ち着くまで擦ってて。僕は木切れを集めて救難信号を上げてくるから」
「分かったわ」
砂浜を走り出した僕の背中に、気を付けてねー!姉が声を掛けてくれた。
場面が変わり、青空は満天の星空へ。昼間砂浜に作った狼煙は、未だ白煙をもくもくと上げ続けていた。
「頂きます」
挨拶し、僕は別に作った焚火の周りに突き刺した焼き魚に被り付く。海水の塩味が程良く効き、とても美味しい。クオルは山国なので、魚は殆ど食卓に上らない。ましてや、こうして内臓ごと食べる事など滅多に無いので新鮮だった。
「あれ、二人共食べないの?美味しいよ」
瞬間、脳裏に浅瀬で魚を追い立て、手掴みで捕まえた記憶が鮮やかに蘇った。器用過ぎる。
「だ、だってそれ、捌いてないじゃない。内臓入ったままなんでしょう?」
「別に当たったりしないよ、さっき捕ってきたばっかりなんだから。栄養満点だしそれに、早く食べないと腐っちゃうよ」
「そ、そう……じゃあ、一匹だけ」
「俺も……」
二人は恐る恐る手を伸ばし、尻尾に齧り付く。だが二、三口食べた所で、何とも言えない表情を浮かべ揃って硬直した。
(やっぱり駄目か。手開きでもちゃんと捌いた方が良かったかな……あ!)
ヒューッ、バンッ!!バァンッ!!!
爆音の数秒後、海が昼間のように明るくなった。街で上げられている花火だ。その閃光に照らされ、こちらへ向かう一艘のシルエットが浮かび上がる。伸びたライトが前方を探るようにゆらゆら、
「助けが来たんだ!」「良かった!」
浜に着岸した船は、見覚えのある巡視船だった。停泊と同時にぽっちゃりした色白の男性、続いて中肉中背の女性が足早に降り立つ―――直感的に分かった、僕等の両親だ。
父は今にも泣き出しそうな顔をし、一目散に姉弟の後ろにいた僕を力強く抱き締めた。
「あぁアス、無事で良かった!本当に心配したんだからな!!」「もう、大袈裟だなあ父さんは」
一方二人は母から、あなた達、危ない事しちゃ駄目でしょう!?もしアスがいなかったら遭難していたのよ?分かっているの!?花火の音に紛れて所々聞こえないが、大分厳しく諭されているようだ。
「「ごめんなさい……」」
「母さん、その位にしてあげて。二人共反省しているし」
僕はそう宥めて父から離れ、顔見知りの船長に近付く。
「こんばんは、おじさん。早速だけど一つお願い出来ますか?」
そう断り、人差し指で浜辺の木舟を指差す。
「船からロープを出して、あのボートを街まで引っ張って欲しいんです。ボート屋のおじさん、今頃返って来なくてやきもきしているだろうから」
(ただでさえ観光客の扱いが悪くて、しょっちゅう修理に出すから台数少ないのに……)
何て気遣いの出来る子だろう。それに両親の格好から察するに家はお金持ちみたいだけど、彼だけはまるで市井の子供のようだ。
「ああ、任せとけ坊や。さ、もう遅いし全員乗った乗った!」
がしがしと僕の頭を撫で、船乗りは豪快に笑った。




