31章 預言する旅人
人魚の呪いが発動された後も、僕達の生活は殆ど変わらなかった。
『何も心配は要らない。兄さんとお前のためだ、皆には精神病者の戯言とでも誤魔化しておこう』
僕にそうこっそり告げた父が表向きに取り合わず、対象の親戚一同にも上手く言ってくれたお陰だろう。恐ろしい事だが、自分が死ぬと分かっているのに彼は正気に見えた。どころか母の話では、最近はあれ程手放せなかった睡眠薬さえ飲んでいないらしい。
『アス……』
その母はと言えば、マリアが現れた夜に父から全てを聞かされたようだ。顔を合わせる度、夫とは反対に不安の色が濃くなっていっていた。
無理も無い。過去の過ちのせいとは言え、遠からず僕以外の家族を失ってしまうのだ。良妻賢母の彼女には、毎日が苦痛の連続だろう。
『気違いだぜあいつ』『可哀相にね』
一方自分達が夭逝するとも知らず、姉弟は冷笑していた。ただ最近、二人共何処かでポケット版の聖書を貰ったらしい。読書に目覚めたにしては些か高尚過ぎる気もしなくはないけれど、どちらもかなり熱心に読んでいる。僕や両親が呼び掛けても応えない時があるぐらいだ。何であれ関心が広がるのは素直に喜ばしい―――身近に迫る、確実な死さえなければ。
「―――心配だな」「え?」
見回りの途中、波止場で見知った観光客を発見。いつも通り挨拶がてら世間話をしている内に、話題は学生生活の事に。訳あって今は行っていないと応えた返事が前述の物だ。
学校経営者だと言う四十前後の男性は、タートルネックの隙間から獣人特有の灰色の体毛を伸ばしていた。会うのは大体年に二、三回。一人でフラッと訪れ、こうして如何にもダラダラと釣り糸を垂らすのがリフレッシュになるらしい。
ボサボサの鼠色の髪を掻きながら、親子程も年の違う彼は呟く。
「お前さ、大方初恋とかもまだだろ。その年で真面目腐ってどうする?まぁ好きになっちまえば関係ねえが、どーも気配すら感じられん」
「は、はぁ……」
「前の眼鏡の子だってなあ、フツーに友達としか見てねえし。この鈍感」
全くその通りなだけに、僕としては曖昧に笑うしかなかった。
委員長はあれからも時折会いに来てくれ、昼食を摂りながら互いの近況報告する仲だ。先輩達も最初はからかっていたが、僕にその気が無いと分かったのか最近は話題にもしなくなった。
「つっても、俺も一回しかした事無えけどな。―――ところでさ、この辺りで釣れる一番高い魚って何だ?」
「えっと、単純な単価で言えばクロマグロですね。まさか、その竿で釣るつもりですか?」
冬は特に脂が乗り、市場では一匹数百万で取引される事もあるらしい。以前その話を海の在住者にすると、あんな忙しなく泳ぎ回るのをよく捕まえられるわね、妙な所で感心された。
「まぁな。いや、実は昨日この街で偶然見つけたんだよ、初恋の奴。惜しくも逃げられたけど」
然して悔しそうでもなくデレデレと笑う。
「でさ、ラブレターと一緒に有り金全部渡しちまってさ、今俺スッカラカンな訳。だからって大人しく帰ってまた仕事漬けってのもアレだろ?せめて宿代だけでも捻出出来ないかと思って、お」
頭上を飛び立っていく定期船に向かい、空いた左腕を大きく振る。
「あの船に乗っているんですか?」
「さぁな。でも気分良いじゃねえか、赤の他人でも見送ってもらえれば」
成程、それは一理ある。
「御家族に連絡して送金してもらったらどうですか?」
「そいつは無理だ。まぁ仕事に関係無えお節介なら一人いるが、最近は脚が悪いとか何とか」
♬♪♫―――賛美歌をポップ調にした着メロが(意外なセレクトだ)、極寒の海に響き渡る。
「と思ったら本人からだ」ピッ。「はい、何だよ先公?―――チッ、相変わらず耳が早えな。あ、そうだ。悪いんだけど財布落としちまってさ、ちょっくら―――」
貸し竿とマグロの危機はどうにか無事回避されたようだ。一礼し見回りに戻りかけた僕を呼び止め、携帯を手で覆いながら、彼はいやに自信たっぷりに断言した。
「―――まあ、お前も今にするだろうさ。一生に一度っきりの、本気で命懸けられる恋を、な」




