1章 現場検証
キィ……。「うげ。こりゃあ酷え……」「ミイラ……でしょうか?」
隙間から入り込んだ砂塗れのタオルに包まれていたのは、紛れも無く人間の肘から先の部分だった。どうやら潮風に長時間当てられ、本来起こる筈の腐敗が防がれたようだ。干物のように茶色く変色しているものの、切断された人体はほぼ完璧な保存状態だった。
「あ、詩野さん!?」
躊躇い無く遺体に顔を寄せた秘書の行動に、先輩は目を白黒させる。
「どうやら、この腕の持ち主は女性のようですね。見て下さい、爪にマニキュアが」
暗めの赤に塗られた五本の指を示し、続いて切断面を確認する。
「?これは……刃物で切り離したにしては、傷口がやけに丸い……まるで、薬か何かで溶かされたような……署長。生活反応の有無は?」
「死後三ヶ月以上経過しているので、残念ながら」
「だろうな。他に外傷は?」
「ありません。この後解剖に掛けますが、恐らく死因の特定は不可能でしょう」
「成程。でも、この人の手」変わり果てた同性を見つめ、「まるで、何かを掴もうとしているみたい……」
死後硬直を経ても遺志を感じさせる形。かつて自身も怪事件の被害者だった秘書は、そこに強い無念を感じ取って目を伏せた。
「宜しいですか?」
「はい。ありがとうございました」
パタン。
「行方不明者との照合はもう?」
彼女の問いに、署長は首を横にした。
「そうですよね。街が未だこの状態では」
「いえ。それが―――多過ぎるんです」
「え?」
「このプルーブルーだけでも、二十人以上いるんですよ……例の“連続失踪事件”の被害女性は」
「失踪、事件……?」
鸚鵡返しに、警官は酷く辛そうな表情を浮かべた。
「私の娘も五ヶ月前、夕食前に出掛けたまま未だに……」
「っ!!?で、では、この腕があなたの娘さんと言う可能性も?」
「それは有り得ません。あの子はまだ学生でして、マニキュアは校則で禁止されていました。真面目だけが取り柄で、とても規則を破るような子では……」
ボロッ。
「いえ……辛い事を思い出させてしまって、申し訳ありません」
ハンカチで涙を拭った父親は、こちらこそ私事を挟んで済みません、謝罪する。
「ラキスさんは御存知なのですか、その事件について。良ければ概略を教えて頂けると助かります」
頼みつつ、心中は釈然としない思いで一杯だった。あの万事用意周到な上司が、そんな重要情報を伝えず自分を派遣するだろうか、と。
先輩は頭を掻き、如何にも困った風に口を開く。
「俺もそれ程詳しい訳じゃないが……知ってる範囲では、事件が起こったのは今年の二月から三月に掛けて。被害者は分かっているだけで、住民を中心に延べ三十人以上だ。その内、遺体が発見されたのは一人だけ。周辺海域でもダイバーに因る捜索が行われたが、他はまだ骨一本見つかっていない」
「そんな大事件が、この街で……!?犯人は!?政府館も捜査をしたのですか!!?」
「ああ、オフレコでは」部外者をチラッ、と見やる。「事件は無事『処理』された。現にそれ以降、被害は出ていない」
淡々とした説明に、未だ肉親の戻らない署長が眉を顰める。気拙い雰囲気の中、秘書は気になっていたもう一つの質問に移った。
「ところで署長。発見当時、この南京錠は掛かっていたのですか?どうやら荷物置き場のようですが、小屋の所有者以外に施錠出来るのは」
「ええ、きちんと掛かっていました。鍵はさっき言った管理者と、後は……ここを使っていた青年に預けていたそうです」
「では、その方にもお話を聞く必要がありそうですね。この街の住民ですか?」
「はい、生まれてからずっと在住です。しかし……それは不可能なのです」
「?」
「彼も、彼の家族も親戚も皆、事件直後から行方知れずなんですよ―――クアス・コンシュ君。娘の数少ない友人は……」
力無く首を横に振る。
「政府員さん、逆に一つお訊きしても宜しいですか?あなた方は、犯人を……」
「御想像通りだ。あの場合殺すしか無かった、とエルは言っていた」
「エル様もその場にいらっしゃったのですか!?」
意外な名の登場に、可憐なフィアンセが驚きの声を上げる。
「ああ。と言うより、詩野さんは居合わせた六人全員を良く知っている筈だ。何せ“人魚連続失踪事件”を解決したのは白鳩調査団だからな」
「!!?」
「知らないのも当然さ。シャバムの事件の前の話だからな。後味の悪い事件だったんで、エルも言い辛かったんだろ」
本当に、それが理由の全てだろうか?送り出した恋人の思い詰めた表情を回想しつつ、核心へ。
「―――あの、ラキスさん。犯人は一体、誰だったんですか?」「それは……」
自分を見て言葉を濁す彼に、警察官は深く頷いた。
「私はこの街の治安の責任者です。妻でさえ決して口外しません、神に誓って」
「けど……分かった。但し、くれぐれもここだけの話にしてくれよ?殺人犯は―――」
深呼吸の後、一拍置いて重々しく口を開く。
「―――さっき名前の出た、クアス・コンシュだ」「え……?な、何ですっ」バタンッ!!
署長の疑念の声は、勢い良く開け放たれたドアの音に掻き消される。小屋に駆け込んで来た六十代の男性は、長年の漁業で浅黒くなった顔を皺くちゃにしつつ怒鳴った。
「そんな、何かの間違いです!!あの優しいクアス坊やが、人を殺めるなんて大それた事をする筈ありません!!!」




