11章 放課後の変事
いつものように場面が変わって早々、妙な違和感を覚えた。先程より少し視点が低い。過去に戻った?
(いっけない!運悪く先生に捕まって遅くなっちゃった!アス君、今日も教室にいるのかな?)
脳内に響く、少し焦った大人しめの女子の声。どうやら先程話をした委員長の意識らしい。でも何故?他人の視点になるなんて初めてだ。それも伝聞の再現ではなく、まるで本人の記憶同然の……。
廊下の角を曲がり、図書室へ。夕日の差し込む室内には、受付の顧問以外誰もいなかった。
(ここにいないなら、まだ掃除している筈)
いい加減断る事を知らない同級生の顔を思い浮かべ、苦笑しながら来た道を引き返す。そのままダッシュで階段を駆け下り、自分達の教室の扉を開いた。
ガラガラッ!「アス君!……って、あ」
先程僕が立っていた場所には、委員長より背の高い一人の女子学生がいた。
「あ、アス君のお姉さん、ですよね?」
持ち前の対人恐怖を抑えつつ、彼女は勇気を出して尋ねた。
「よく校門で三姉弟揃って登校しているのを見かけます」
(でも不思議なのよね。高等部は中等部より四十分も始業時間が後なのに。かと言って、部活の朝練にしては遅過ぎるし……)
数年振りに再会した姉は、中々の美人に成長していた。ただ件の占いのやり過ぎか、目の下にうっすら隈が見える。
彼女はこちらを一瞬だけ見、あの子のクラスメイト?と尋ねた。
「はい。いつも弟さんにはお世話になっています」
ぺこっ。礼儀正しく一礼し、顔を上げる。
「あの、ところでアス君は?」
「私が来た時にはもういなかったわ。鞄はまだここにあるから、すぐ戻って来ると思って待っている所」
「何だ、そうだったんですか」
安堵の息を吐いた委員長は、教室隅に設置されたゴミ箱が満杯になっている事に気付く。
「じゃあ、何処でも適当に座っていて下さい。私はこれを収集場所に持って行ってきます」
ガタガタッ。慣れた手付きで満杯の袋の口を縛り、新しい物をセットする。
(帰りも待ち合わせなんて、本当に仲良しなのね。それとも、これから何処かへ行くのかな?)
一人っ子の自分には羨ましい限りの環境だ。そう思いつつ、開けたドアから廊下へ出た瞬間、
「―――馴れ馴れしい小娘」
室内で姉がそう呟くのが聞こえ、気弱な委員長の心臓が高鳴った。反射的に出る涙を堪え、廊下を早歩きで進む。
(ううん、絶対聞き間違いよ。選りにも選って、あの優しいアス君のお姉さんが悪口なんて。そもそも私、今日初めてあの人に会ったんだもの。変な事だって、別に言っていない筈だし……)
僕も全く同意見だ。だとすると、きっと姉は委員長とは別人の陰口を叩いていたのだ。そうだ、そうに決まっている。
落ち込みつつ、彼女は中庭へ。生徒達の植えた草花を横目に、ゴミ袋を指定の煉瓦塀で囲まれた中へ入れる。女子には重かったらしく、腕が少し痺れていた。
(アス君、トイレにでも行っているのかな?)
見た感じ、掃除はもう終わっていたようだった。ゴミ捨ても自分がやったし、戻り次第お姉さんと真っ直ぐ帰宅だろう。二人きりで話出来ないのは残念だが、それは又の機会だ。
(明日も授業だし、私ももう帰ろうっと)
彼に弱さを打ち明けて以来、変に籠もっていた肩の力が抜けた気がする。頑張り過ぎなくてもいい、ちゃんと誰かは認めてくれるのだから、そう思えるようになって。
「ふふ」
自然に微笑みながら、玄関へと歩き出して数十秒後。ヒュン!頭上で何かが風を切る音が聞こえた。
「えっ?きゃあっ!!」バリンッ!
眼前に落ちたチューリップの植木鉢が、土を撒き散らして粉々に砕ける。ショックで腰を抜かす中、両耳が新たな危険を伝えた。
次の瞬間、意識が校舎から出て来た僕の身体へと移る。クラスメイトの危機に、ありったけの脚力で救出に向かう。
「委員長、危ない!!」
動けない彼女を庇って立ち、落下する凶器と相対する。
「伏せて!」バリンッ、バリンッ!!
箒を槍代わりにし、二つの植木鉢を横薙ぎに払い除ける。振り返ると、良かった。彼女には土くれ一つ降り掛かっていない。
「大丈夫!?」
「あ、アス君……ありがと、きゃ……!!?」
「っ!!」
襲って来た左太腿からの激痛に、僕は呻きつつ反対側へ倒れ込む。降り注ぐ破片で運悪く切ったらしい。ズボンが破れ、パックリ開いた傷口から血がドクドクと流れ出していた。
「アス君!?しっかりして!誰か、誰か来て!!!」
咽喉が悲鳴を上げる程の大声で、委員長は助けを求める。眼鏡越しの瞳が見る見る潤み、溢れ出た滴が僕の詰襟へ落ちていく。
「どうした!?一体何が―――き、君、大丈夫か!?」
職員玄関から現れた美術教師が慌てて駆け寄り、うっ……怪我を見て口元を押さえる。
「酷い出血だ。すぐに医者を呼ばないと」立ち上がり、「君はここで彼の様子を見ていてくれ。電話したらすぐに戻って来る!」
「分かりました」
走り去った彼を確認し、僕は頭を起こした。
「委員長……何か細長い、ロープのような物を借りて来て下さい……」
「えっ?」
「医師が来るまでに鼠蹊部の血管を圧迫して、出血を抑えてみます。応急処置をやった事は?」
「そ、そんなの、保健の時間に教科書で見たぐらいしか」
「それで充分です」
「わ、分かった!急いで取って来る!!」
倉庫方面へ向かった委員長を見送り、身体の捻りを解いて夕空を見上げる。
(参ったな……下手に動いて深く裂けても困るし、なるべく安静にしておかないと……)
目を瞑ると、ドクドクドク……まるで、そこに第二の心臓があるかのような錯覚に陥る。
(でも変だな。確か屋上の植木鉢は、全部落下防止の手摺りの手前へ置いてあった筈……)
「アス!!」「兄貴!!」
弟もまだ残っていたのか。教室棟から慌てて走ってきた肉親達は、左右から僕を抱え起こそうとした。
「動かさないで」制止し、「僕は大丈夫。今、先生が医者を呼んでくれているから」
「でも」
「それより二人共、屋上を見て来て。突然植木鉢が落ちてきたんだ。誰かがうっかり端の方に置いているのかもしれない」
姉弟は互いに目配せした後、揃って頷いた。
「ええ、分かった。確認したらすぐに戻って来るわ」
「にしても、管理者はどの先公だ?あんな重い物が三つも落ちるなんてさ。もし兄貴が死んでたらと思うとゾッとしちまうよ」
?何故現場に居合わせなかった弟が、凶器の正確な数を知っているんだ?破片も花も見事にバラバラで、パッと見では幾つかなど分からないと思うのだが……。
微かな疑問を感じつつ、二人を見送った数十秒後。顔を真っ赤に上気させながら、委員長が園芸用ロープを手に帰還した。




