10章 学校生活
次の僕は、葬儀の時より明らかに目線が高くなっていた。目の前には、古典文学の授業内容がビッシリ書かれた黒板。そして周囲には整列した机。どうやらここは学校の教室のようだ。
「相変わらず汚れているなあ……」
ぼやきつつ詰襟姿で机の間を長箒で掃き、ゴミを塵取りで集める。教室の広さから考えて、一人では中々終わらないのでは?他の生徒達はどうしたのだろう?
ガラガラ……黒板側の扉が開き、分厚い肌色縁の眼鏡を掛けた女の子が現れる。
「あれ、アス君。今日当番だった?」
「いえ、帰り際に頼まれたんです。皆さん外せない用事があるらしくて。委員長はどうしました?忘れ物ですか?」
「うん、宿題に使う教科書を取りに。ついでだから手伝うよ」
彼女は鞄を手前の机へ置き、慣れた手付きで黒板を消し始める。
「―――ねえ、アス君。皆サボっているだけだよ」「?そうなんですか?」
気付いていなかったのか。自分で言うのも何だが、人が好過ぎる。
「別に断っていいんだよ、そう言うの」
「構いませんよ。どうせ予定の無い日は遅くまで図書室にいますから」
「え、放課後も勉強してるの?」
「はい。この前、奥の棚で経済学の本を見つけて、今はそれを順番に読んでいる所です」
「アス君が次の社長になるの?あ、でも確かお姉さんがいるって聞いたけど」
「父さんは僕に全部譲ると言ってくれていますが、個人的には仲良く三人で盛り立てていければいいなと思っています」
成程。二人に副社長や専務に就いてもらい、衛兵をする間のバックアップを頼めれば、これ以上良い話は無い。
「じゃあ、お姉さんも経営の勉強を?」
「いえ」
計算自体は速いものの、両親に勧められた簿記はすっかり投げてしまった。実業に必要な法務関係も、本のページを開くのさえ億劫な有様だ。一方弟はと言えば、こちらは大の数字嫌い。ただ二人共、昔からパーティー等で交渉術は鍛えられているので、僕が口下手な分を補ってくれる事だろう。
「姉さん、最近は魔術の占いの方が好きみたいで。委員長はやるんですか、そう言うの?」
「雑誌の生年月日と星座ぐらい、かな。いつも余り当たっていないけど」
「はは、僕も一緒です。こんな性格なのに、いつも豪放磊落って出るんです」
「それは酷い!」
余程可笑しかったのか、普段大人しい彼女が腹を抱えて堪える。
「私は社交的で駆け引き上手だって。嘘八百もいい所でしょ?」
「?当たっていませんか、それ」
「え?」唖然。「な、何で?」
「だって委員長、いつもクラスの意見を上手に纏めていますし。それに他学年との会議にもよく行っているでしょう?」
「あ、あれは単に仕事で……」
綺麗に消えた緑色の黒板と、真っ赤になった顔がコントラストを描く。
「私、本当は対人恐怖症で、昔から人と話すのは苦手なの」
「とてもそうは見えませんが―――あ、宿題まだなんですよね?長話に付き合わせて済みません。後は僕がやっておきますから、委員長は帰って下さい。あと、教科書も忘れずに」
台詞と共に、彼女に関する記憶が蘇ってくる―――警察署長の一人娘で、クラス一の秀才。成程、だからこの性格なのに大役を任されたのか。クラス代表だなんて変に気負わずに、もっと自然でいいんだ。うちの埴輪中毒の女王陛下みたいに。
(本当に、何故あの不真面目な態度で、ああも成果を出すんだか……)
考えれば考える程不思議だ。彼女自身は最初にアイデアを出しただけで、後は専ら埴輪を愛でたり、ボビーの餌を取り上げて遊んだり、所構わず昼寝したり。とにかく凡そ実務などしていないのに。
「わ、私は!!」
登った教壇の上から、人見知りの委員長は力強く叫ぶ。
「アス君との話ならいいの、全然!他の皆みたいに馬鹿にしないし、ちっとも怖くないから……」
「委員長……なら良かったです」
「私こそ、忙しいのに話を聞いてくれてありがとう」
自身の机へ行き、地理と歴史の教科書を鞄に収める。
「じゃあ御好意に甘えさせてもらうね。アス君も、あんまり遅くまで残っちゃ駄目だよ」
「分かりました。―――委員長。では、また明日」
「うん、さよなら」
眼鏡の奥の瞳を輝かせながら、彼女は恥ずかしげに教室を飛び出していった。




