9章 考察・1
タン、タン、タン……。
執務室に響く、書類に捺印する無機質な音。それは時折止まり、コーヒーを啜る音に取って代わる。
(にしても、つくづく困った事件だな。百年も経っているのに、まだ終わっていないとは……)
心中で呟き、先程会った幼いクイーン、その意志を感じ取れない青い眼を思い出す。
(しかし、彼女の言う事も一理ある。追加捜査に因れば、奴は行方不明事件の半数以上に確かなアリバイがあった)
父や母と他の星に出掛け、且つ複数の目撃者と一緒だった。彼等全員を誤魔化して犯行を行う事は極めて困難だ。
(だが、事件が決着した時点で、既に関係者は全員死亡していた。その後、類似の事件も起きていない。何よりあの三ヵ月後には例の悪魔襲来もあったし……政府としては、あれ以上の捜査が出来たとは思えないな)
判を置き、抽斗からピーナッツ缶を取り出す。一掴み口に放り込み、コーヒーで流し込んだ時だった。
コンコン。「はい?」「エル、ちょっといい?相談したい事があるんだけど……」
隣室の同僚の口振りに、厭な予感がしつつも副聖王はOKを出した。
控えめにドアが開き、極めて中性的な黒髪の美青年が入って来る。その肌は凡そ日に当たった事が無いかのような病的蒼白さ。その細い手の中の書類を見、部屋の主は自身の勘の正しさを思い知った。
「あの」
「丁度良かった。ティータイムにカフェオレでもどうだい?それともホットミルクの方が?」
友人の素早く立ち上がっての質問に、訪問者は一瞬小首を傾げた。
「え……あ、うん。じゃあミルクをお願いしようかな」
「そうだ、貰い物のトリュフチョコもある。後で半分持って行きなよ」
「本当?ありがとうエル。あ、準備の間に聞いて欲しいんだけど」
「ところで仕事の調子はどうだい?残業しなくて済みそうなら、久し振りにオリオールと三人で外食でも行こうか」
小鍋で牛乳を、薬缶で湯を沸かし、二つのカップを準備しながらそう提案する。
「そうだね。最近寒いから鍋物とか……じゃなくて、この書類を見て。さっき回ってきた身元不明者の捜査依頼なんだけど」
「砂糖はいつも通り?大分疲れているみたいだし、多めにしておこうか?」
「普通でいいよ。入れ過ぎたらチョコレートの甘さが分からなくなるから。それよりこの署名、ラント君のだよ?それにこの写真の人、記憶力の良いエルなら見覚えあるで」
「誠」
『玄孫に次会ったら正座説教』、と脳内TODOリストにしっかり書き込む。沸点の低い牛乳が先に温まったのでカップに注ぎ、砂糖を二杯入れて掻き混ぜる。
「前に時間の掛かる仕事は僕に回せって言わなかったかい?―――はい、出来たよ。冷めない内にどうぞ」
「ありがとう」こくっ。「美味しい……」
続いて自分のコーヒーを淹れ、冷蔵庫から有名洋菓子店の箱を取り出す。それらを持って室内の応接ソファ、客人の向かいに座った。
「はい」「ありがと」ぱくっ、もぐもぐもぐ。「―――じゃねえだろ、斑顔」
同じ口からとは俄かに信じ難いぶっきらぼうな声に、そいつは随分前に治っただろう燐?いい加減普通に呼んでくれ、溜息を吐きながら応えた。
「そうですよ燐さん。エルが嫌がっています」
擁護する肉体の同居人に、まーくんは相変わらず優等生だな、こいつはこれでも嬉しがっているんだぞ、渾名で呼ぶなんて如何にも友達らしいじゃないか、尤もらしい言い訳を並べ立てた。
「え?」
「堂々と別人格を騙すな、燐」
「はぐらかそうとしてるのは手前じゃねえか」
バッ!目前に書類を近付け、鼻を鳴らす。
「知ってたんだろ、こいつの事。当事者の俺達に内緒とか良い度胸だな」
「他人の空似さ。世界には同じ顔の人間が三人はいるって言うだろう?」
「でも書類に因ると、『彼』はプルーブルーの砂浜で保護されて、しかも記憶を失っているって……」
「記憶喪失なら君だって未だにそうだろう、誠。特に珍しくもないさ」
「だけど、あっ!」
捜査依頼書を抓み上げ、立ち上がってデスクの抽斗に仕舞い、御丁寧にも鍵を掛ける部屋の主。
「見た所急を要さないようだし、今の仕事が粗方片付いたら捜査させるよ。それでいいだろう?」
「そんな……エルは何とも思わないの?『彼』が今、この時も苦しんでいる事に対して……」
カップを両手で抱え、俯きながら言葉を続ける。
「理由や経緯がどうあれ、連合政府として困っている人には救いの手を差し」
「待った」
百年来の友人を手で制す。
「彼がいるのは治外法権国家だ。君が行っても捜査権は無い」
恐れていた最悪の事態に、しかしどうにか冷静な反論を返す。
「捜査じゃないよ。私はただ」
「とは言え、僕もあのとぼけた女王に全権を委ねるつもりは無いよ。こちらでもそれとなく素行調査してみよう」
心優しい友人の気を済ませたい一心で提案する。と、彼は又も癖で小首を傾げた。
「とぼけたって……もしかして、犬を連れた金髪の女の子の事?」
「会ったのかい?」
「階段で偶然。あれ?でも彼女、私の名前を何処で……?」
「名乗りもしないのに知ってたの?」
質問に、誠は大きく頷いた。
「うん―――ああ、誠も随分性質の悪いモノに取り憑かれているね、って」
そう言った唇が一瞬、酷く醜く歪む。だが不幸にも、同席の二人はその変化に気付かなかった。




