温泉旅行の効果?
広い窓の大きなカーテンの向こうから、微かな光が漏れている。
その光で、わたしは目を覚ました。
周りを見ると、ワカも望さんもまだ夢の中だ。
旅行での疲れもあるし、昨日、あれほど騒いで動いたのだから仕方ない。
それに対して、日頃、朝に弱いはずのわたしは、修学旅行でやたら早起きをしてしまうタイプだった。
「することもないから、散歩にでも行くか」
しっかりと通信珠を忍ばせて、2人を起こさないように着替えて布団をたたむ。
そして、こっそりと部屋から出た。
「う~ん!」
爽やかな朝の光を浴びて、わたしは背伸びをする。
今日もよく晴れている。
この天気のように良い一日になると良いな、とそう願わずにはいられない。
この場所は自然に囲まれているため空気が特別おいしい気がする。
勿論、空気の味が分かるわけではない。
風は爽やかで凄く心地よいけど、時折、硫黄のような匂いも一緒に漂ってくる。
その辺は目を瞑ろう。
こればかりは温泉の近くなのだから仕方ないのだ。
天然の証。
天然の証ってね。
でも、九十九が言っていた魔気の流れってものについては、相変わらずさっぱりわからないままだった。
まあ、わたしの魔力とやらが封印されているせいだろう。
決して鈍いわけではないはずだ。
「それにしても……」
春休みだというのに本当にお客さんがわたしたち以外に姿を見ない。
だからこそ、来島がワカを誘うことになったのだのだけど。
でも、その理由は九十九の言うとおり大気魔気とやらに原因があるとはどう伝えたものか。
魔界人だけにこっそりと宣伝すれば流行るかも?
ここは魔界人にとっては良いところみたいだから。
でも、どうやって?
そんなことを考えていた時だった。
「よぉっ。今日は早いんだな」
考え事をしているわたしに声をかけてくる男がいた。
「来島……、あなたも早いね」
「そりゃな。でも、笹さんと深谷はまだ死んでたぞ」
おや、意外。
九十九は基本的にわたしより朝が早い人なのに。
夢魔に襲われてぶっ倒れた日ですら、わたしより先に起きて母と一緒に朝食の準備はしていたぐらいだ。
……毎度思うけれど、九十九ってかなり主夫だよね?
「こっちもワカと望さんはまだ夢の世界の住人だったよ」
「お前は?」
「なんか目が冴えちゃって。枕が変わったせいかな?」
「普段、授業中に寝てると噂のヤツがか?」
何故、それを知っている?
しかもそれは、ほんのわずかな期間だけだった。
どこからの情報かは知らないが、それが他校に伝わってしまっているのはちょっと問題かもしれない。
いや、確かに三日連続だったけど。
「授業中には枕を使わないから」
「……なるほど。それは分かりやすい理由だ」
わたしとしては、冗談を言ったつもりなのだが、来島は少し苦笑しながら肩を竦めた。
「でも、目が覚めた割に、どこかぼんやりしてねえか? やっぱり、その頭ん中、まだ寝てんのか? もしかして、起きているように見えて、夢遊病ってやつか?」
さらに、なかなか酷いことを言う。
「いや、起きてるからね。でもこんな旅行、初めてだったからかな。現実味がなくてどこかぼんやりしてるかもしれない」
ここは静かだし、落ち着くから考え事は多くなった気がする。
「でも、誘ってくれて、本当にありがとう」
ゆっくりと考える時間ができたのは悪いことではないと思う。
結局、魔界のことは頭から離れることはないみたいだけど、それでも整理する時間は必要なのだ。
「いや、俺としては来てくれただけで、嬉しい。正直、俺からの誘いでは、お前も来ないと思ってたから」
「卒業旅行ってことで、親を説得しました」
わたしはそう言って胸を叩く。
「あ? ああ。そうだな。そんな理由があれば、お前の親は納得してくれたのか」
「まあ、節目だからね」
そう、これは節目の旅行なのだ。
魔界に行けば、もうこの世界に戻ることはできないだろう。
だからこそ、九十九が同行するならと母は許してくれたのだと思う。
高瀬は都合が合わなくて無理だったみたいだけど、ワカとの思い出づくりはできる。
ついでに、来島とも。
「若宮も、受験疲れかピリピリとしてたからな」
いや、それは別の理由からじゃないかな?
でも……、来島のこの反応だと昔からそうだったわけじゃないのだろうね。
この旅行を見る限り、彼の妹である望さんとは今でも仲が悪いわけじゃないみたいだし。
2人の間で何かあったのだろうとは思う。
でも、実はワカと来島が知り合いだったって知ったのは今年に入ってだったからその辺の事情がよく分からない。
小学校は同じだったけど、2人が一緒にいたところを見たことがなかったから。
「まあ、2人が元気出たならそれで良い」
微笑みながらそんな言葉を言う来島を見たのは珍しく、その表情があまりにも穏やかで優しかったのから、……わたしはつい変なことを口にしてしまった。
「わたしが、こんなことを尋ねるのは変だけど、来島ってワカのことが好きなの?」
これは旅行効果というやつなのだろうか?
わたしにしては珍しい、無遠慮にも他人の内面に踏み込む話題を提起してしまった。
「おお」
そんなわたしからの無粋な質問だったにも関わらず、来島は笑みを浮かべながらもそう言った。
「俺は活きが良い女が大好きだからな」
それは何の含みもない、あっさりとした肯定の意思だった。
でも、そのことに戸惑ってしまう。
本来、わたしがそんな彼の言葉を聞く権利なんてどこにも無いはずなのに。
「お前のことも好きだぞ。若宮とはタイプは違うけど、かなり活きが良いからな」
「軽っ!?」
あまりの軽さに冗談かと思った。
いや、冗談だと思いたかったのだと思う。
来島がそんなことを言うとは思っていなかったから。
「……二股?」
思わずそう呟いていた。
「二股かあ? どちらとも付き合ってるわけじゃないのに?」
小声だったけれど、聞かれていたようだ。
だが、そう真顔で聞かれても困る。
……と言うか、いつもより来島が真剣な顔をしてるから、これは冗談で流してはいけないことだと悟った。
「どちらとも付き合ってなくても、同時にそう言った気持ちがあるのなら、『二股』と定義して差し支えはないと思うよ」
わたしの表情も変わったことに気付いたのだろう。
何故か、来島は嬉しそうな顔をした。
「違いない。でも、二股とは違うぞ。俺は笹さんも愛してるからな!」
「あ、愛!?」
何故だろう。
今のは冗談めかして言ったのだろうけど、何故かあまり冗談に聞こえなかった。
しかも、出てきた言葉が、わたしたちに対する「好き」より大きい「愛」とは……。
わたしは絶句するしかない。
「面白い顔になってるぞ?」
「いや、今の発言は変な顔にもなるよ。同性愛を否定する気はないけど……。そうかあ……、愛なのか……」
それはそれで個人の価値観、恋愛観ではある。
相手に無理を要しなければ問題は……、互いに次世代を生むことができないことぐらいじゃないかな?
それでも相手と一緒になりたいとか、子どもを育てたいなら、養子縁組という方法があることを漫画で見たことがある。
子どもに理解させるのが大変そうな修羅の道だろうけど。
「いや……、まさか、本気にされるとは……」
「え? 嘘なの? どこからどこまでが?」
意外そうに驚いた来島の顔を見て、わたしは首を捻った。
先ほどのはあまり冗談には聞こえなかったけど、もしかして、揶揄われたってことかな?
「笹さんは大好きだけど、流石に恋愛は生産的に女としたいです」
何故か手を上げながらも丁寧に言う来島。
「でも、せっかくだ。もうこんな機会は二度とないと思うから聞いておきたい」
そう言って、来島は再び真剣な顔をわたしに向ける。
その瞳はいつもより強くて、全く知らない男子に見えるのに、同時に何故かどこかで見たことがある男の子のような気もした。
「マジな話。もし、笹さんより先に、俺の方が行動していたら、少しくらいは可能性があったか?」
そう問いかける彼の目は力強く、いつものような冗談半分の印象はまったくなかったのだった。
来島くんは間違いなくノーマルです。
後書きに書くようなことではないですが、念のため。
ここまでお読みいただきありがとうございました。