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母親になった私

出産後の育児の話と、母親になった私が思うことを少し……。


 出産当日は、病室が満室だったらしく、陣痛室で夜を明かした。

 夫もその日は陣痛室に泊まってくれたが、翌日は仕事があるので一度戻り、5日後の退院の時にまた来てもらうことになった。


 出産した病院は、産まれると母子同室になるので、産んだ当日から添い寝だった。

 そして慣れない手つきで授乳したり、おむつを交換したり。

 寝るときは潰さないように気を遣う。寝た気もしなかった。


 翌日一般の病室に移ったが、隣のベッドの方は赤ちゃんと一緒ではなかった。

 ということは、婦人科のご病気で入院されてるかもしれない。

 カーテンをずっと閉め切っていらしたので、同室だったその方と、会話をした記憶がない。

 子どもはお乳が欲しいときも泣くし、おむつ交換のときも毎回泣いた。

 赤ちゃんなのだから、泣いてあたりまえでも、泣き声に辛い思いをする人だっている。

 夜中も何度も子どもが大きな声で泣くので、申し訳ない思いで一杯だった。

 特に夜は何度も起こされて、眠れなかったに違いない。

 病院側にはそれぞれの事情に合わせて、部屋を割り振りするくらいの配慮が欲しいと思ったが、混みあっている病院はそうはいかないのかもしれない。



 翌日から5日後の退院に向けて、規則正しい母子合宿(←誰かが言っていた)が始まった。

 同じ日に産まれた赤ちゃんは、男女2人ずつで4人だった。

 この4人で一緒に指導を受けたり、沐浴の練習をやったりした。

 私は手も小さいので、子どもの両耳を親指と中指で押さえるというのがギリギリで、指もつりそうだった。

 一緒にいて思ったのだが、なんだか男の子の赤ちゃんたちのほうが、泣き声も細く甲高く、可愛い感じがした。

 女の子の赤ちゃんふたりはというと……力強い泣き声だった。

 

 入院中は、お互いの両親が赤ちゃんの顔を何回か見に来てくれた。

 子どもは生まれて1歳くらいまでは、誰がどう見ても私似ではなく、夫、というより義母にそっくりだった。

 義母は思慮深い人なので、表立っては言わなかったが、内心大喜びしていたに違いない。


 

 出産後翌日から病院食のごはんが毎食山盛り200gも出た。

 まあ私は良いとして、子どものほうが2日続けて体重が減少。


 え? 2430g!?


 どうやら母乳の出がかなり悪いらしい。

 子どもの体重が産まれた時より、日に日に減っている。

 ところが、補助で与えられたのはふどう糖20CCのみ。

 とにかく母親の最初の母乳は子どもにとってはかなり重要らしい。

 母親の免疫がもらえるので、免疫力がつくらしいのだ。

 吸わせれば出るようになるから、とにかく頑張って吸わせなさいとの指導。

 根気よく吸わせてみるが、3日目も体重減少。

 

 2340g!? 

 

 母乳を左右5分ずつあげても10CCくらいしか出ていなかった。

 このままだと退院できないと言われた。

 母乳が足りないせいで、すぐ欲しがって泣き出すので、ほぼ1時間おきに授乳授乳で疲れ果てた。


 4日目の沐浴の時に、気が付くと、子どものおへそからへその緒が綺麗に無くなっていた。

 大慌てで探したら、脱いだ病院の産着にちょこんと付いていた。

 へその緒を紛失してしまうところだった。危なかった。


 その日、沐浴のあと、聴診器を下げた看護師さんが湯上りで作業台のタオルの上に転がっていた私の子どもを見て、

『心臓の音聞いちゃおう!』と楽しそうに子どものお腹にそれを当てた。

 ところが、

『先生から何か言われた?』

 看護師さんは何でもないように私に言ったけれど……。

『いいえ。何も?』

 不安になったのは言うまでもない。

 でも、この時はうやむやにされた。


 一時期かなり減った子どもの体重が少し上向きになったので、なんとか退院を許可された。

 最後に自分の退院前診察と小児科の先生による子どもの診察があった。

 私の方は産後も順調で、内診では、縫われた会陰の抜糸をしてもらった。

 一応溶ける糸で縫ってもらっていたので、抜糸はしてもしなくても良いとは言われていた。

 でも抜糸したほうが治りが早いと聞いていたし、どうも縫った所がつれている感じがして、違和感が半端なかった。

 出産した友達からは、抜糸は痛くてハンカチを食いしばった(←そんな大袈裟な)と聞いていた。

 友達に脅されて、びくびくしていたが、実際はピンセットでつねられたような、耐え得る痛みくらいしかなかった。

 抜糸したら、つれた感じはなくなったが、しばらくはトイレへ行くのが怖かった。


 

 子どもはというと、心臓に雑音があると小児科の先生からはっきり言われた。

 看護師さんとのやり取りを思い出した。

 なるほど、そうだったのか。

 今の段階ではまだ何もできないので、1ヶ月後の乳児検診までまずは様子を見ると言われた。

 偶然この病院には、心臓の専門医もいたので、検診のあと異常があれば診察してもらえるとのこと。

 改めて、この病院にして良かったと思った。

 

 退院に合わせて、迎えに来てくれた夫と共に、子どもを連れて病院を後にした。

 お互いの両親には、まだはっきりしないので、心臓のことは黙っていようと夫と話した。


 夫は単身赴任中だし、産後疲れもあるので、当然のように実家にお世話になることにした。

 産後無理すると後々大変だからと、両親には本当に大事にしてもらった。

 感謝している。特に、母にはもっとありがとうと言っておけばよかった。

 

 子どもは元気に、育っていた。

 病院からは、粉ミルクの指導は全くなかったが、1時間おきというあまりの授乳回数の多さに見かねた母が、粉ミルクを飲ませてみたらというので飲ませてみた。

 飲まないことはなかったが、最初は吐いた。

 量を減らしたら、吐かなくなったが、今度は便が自然に出せなくなった。

 綿棒で子どもの肛門を刺激して出させるやり方を病院から教わった。

 粉ミルクは、授乳回数を少しは減らしてくれたが、今度は別の手間をかけさせられることになった。


 ある日、友達が出産お祝いに、私の大好きなチーズケーキを持って来てくれた。

 とても美味しそうで、ちょっとくらい良いかーと食べて、見事に乳腺炎になった。

 38℃まで熱が上がり、胸に硬いしこりみたいな所もできた。

 慌てて病院の母乳マッサージへ行ったが、張るし痛いしで大変だった。

 授乳中のチーズケーキはおすすめしない。



 毎日赤ちゃんとの楽しくも慌ただしい生活を送っているうちに、瞬く間に1ヶ月が過ぎて、子どもの検診の日がやってきた。

 やはり、心臓に心雑音があるとのことで、翌日すぐ検査になった。

 小さい身体に、色々な器具が取り付けられる。

 なんだかとても可哀想に思えた。

 レントゲンは私が子どもを持ち上げて撮影した。


 脈拍は早いが、心電図、心音図、レントゲンは異常なしだった。

 そして、1週間後にエコーの検査をした。

 動くと検査ができないため、子どもを眠り薬シロップで眠らせた。

 この薬のせいかはわからないが、その後の寝起きの機嫌の悪さがすごかったのを覚えている。


 検査の結果、私の子どもの場合、右心室の壁がまだしっかり塞がっていないため、血液が流れているとのことだった。いずれ成長とともに自然に塞がれば、血液が流れなくなり雑音もなくなるのではないかと言われた。

『最初、心臓に穴が開いているかと思ったよ』

 先生が穏やかな顔で、最悪のことをサラッと言った。

 私は、ネットなどで調べていたので、この結果を聞くまで内心気が気ではなかったのに。

 結局、治療は何もなしで、ただ経過を見ていくことになった。


 その後、3ヶ月検診の時は、子どもの心雑音は病的なものではなくなったと言われた。

 そして、もちろん子どもは元気で過ごせている。

 現在も心臓の経過は良好で、学校の心電図検査でも、他のお子さんよりやたら検査が長かったらしいが、問題なしだった。

 この先、何十年も百年でも頑張って健康で幸せに生きして欲しいと願っている。


 ここまでが妊娠、出産、出産後の話。



♢♢♢♢♢♢


 子どもが生まれると、当然どんな自分であっても一生母親なのだ。


 ここからは、母親となり、少し思ったこと……。


 <子は3歳までに、その存在によってすべての恩を返してしまう>という言葉があることを知った。

 

 『ママ、大好き!』


 子どもは言葉を話すようになったら何度もそう言ってくれて、文字を書けるようになると<ママ、だいすき>って書いて何度も手紙をくれた。

 その度に、どんなに嬉しく思ったか。

 私は子どもという存在に、すでに幸せをたくさんもらっている。

 無事に生まれてきてくれただけで、もう半分以上の恩は返されている気がするし、本当に上記の言葉通りだと思う。

 子どもが大人になったら、さらに恩を返してもらおうなんて、まったく思っていない。

 もちろん子どもが自然に親孝行してくれるなら、それはすごく嬉しいと思う。

 でも、それを義務だとか必ず恩を返して欲しいだとか、そういうことは望んではいない。


 

 自分の母親が亡くなる前、子育て中でもあり、思うように十分に看病してあげられなかった。

 それが申し訳なくてずっと心残りだった。

 亡くなった後、私は母に子どもの頃、今の私の子どもみたいにこんなに大好きって言ってあげてたかなとふと思った。

 まるで覚えていなかった。

 物心つくと気恥しさもあって、親に大好きなんて言えなくなる。

 親が喜ぶような親孝行も、ほとんどして来なかった。

 一時期は落ち込んで悔やんで辛かった。母親になると泣く場所がないので、お風呂の中で色々思い出して泣いたこともある。


 でも、いつだったがわからないが、自分も毎日母親をしている中で、母親の気持ちも少しはわかるようになったからか、ある時、沈んでいた心がゆっくりと浮上し始めた。


 そうだ、何があっても、自分の子どもを嫌うとか恨むとか、あり得ない。


 たとえ、これといった親孝行をされなくても、なにも口に出さなくても、看病が疎かだったとしても、なにがあっても子どもを恨むとか、そんなこと私が思わないのだから、きっと母だってそう思ってくれていたに違いない。

 心が少し楽になった。

 母も私を許してくれていると思えるようになった。



 そして、子どもには言っておかなくてはならない。

 自分は今は元気でも、年はとるし、いつ病気になるかもわからない。

 病気で苦しむうちに、心も病んで人格が変わる場合もあるかもしれない。

 会話もできなくなるかもしれない。

 元気なうちに、母親として子どもに伝えたいことをなるべく伝えて行きたいと思う。



 忘れないでね。なにがあっても、ママはあなたが大好き。


 私たちの所に、生まれて来てくれてありがとう。

 逆に、こんな両親でごめん。

 でも、私たちは、あなたが世界一大好きだよ。



当初は自分の話なんて大したドラマも無いし、つまらないだろうと、企画への参加を迷っていました。

ですが、断片的に思い出されてくるエピソードをメモしていくうちに、別の思いも湧いてきました。


参加することに意義がある。

自分の記録として、自分らしく妊娠や出産の話を書いてみようという気持ちになってきました。

このようなことでもない限り、自分のことを書くなんて機会はなかったでしょう。

今は自分の体験や思いをまとめられて良かったと思っています。


この企画を発案し、立ち上げ、このような機会を与えてくださった長岡更紗さまに感謝いたします。

そして、最後まで読んでくださった皆様にも感謝いたします。

どうもありがとうございました。


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