学習塾へ行こう
「……(行ってきます)」
朝の日差しが包み込む。
ツムギは、誰にも気付かれないように、そっと家を出た。
誕生日にネールから貰った【発色】の魔法が刻まれた髪留めにより、今のツムギの髪の色は赤茶色だ。
向かう先は学習塾。当初は行く予定はなかったのだが、リーネが「アルちゃんと一緒に行きたい」と言っていたので、レイドやエリスと供にする時間を減らす目的も兼ね、ツムギは自ら行くと言ったのだ。
風には一日少しずつ秋色が混じり始めて、夏の終わりを感じる。だが、ふと周りを見れば林檎、柿、梨、葡萄、枇杷、蜜柑……など、季節感を台無しにする果実がなっていて台無しだ。季節関係なく、森で採った果物の種や、苗木から育てた果実は実るのだ。
しかし、収穫している人も、果実の数がいつもより少ない気がする。いや、実際に少ないだろう。
そこらで沢山飛び回る赤い鳥、アカクイドリ。果物泥棒とも言われるかの鳥が持って行ってしまうから。
そう。当初、レイドが危惧していた通りの事態になっていた。
繁殖したアカクイドリが果物を次から次へと取っていき、村人も鳥を刺激しないようにしていて、収穫量が右肩下がりになっている。学習塾にて、村長が冒険者に依頼を頼むらしいという話をツムギは聞いた。
飛ぶ鳥を見ていると、
「だーれだ?」
と声が聞こえた。
聞こえた声と伴に、後ろから伸びてきた何かに視界を隠される。
何かとは手であり、こんなことをツムギにするのは一人しかいない。
「リーネさんですよね」
「さんはいらないから。リーネお姉ちゃん……でしょ?」
(ルイリアさんが『しゃんはいらない!』と言っていたのは、リーネさんを真似たからかな?)
いとも容易く想像がついたことを思い浮かべ「はい」とツムギは頷いた。
「はい、って言ったね? これからは『リーネさん』じゃなくて『リーネお姉ちゃん』って呼んでね。約束出来る?」
「……はい」
耳元から聞こえる声に間をおいて返事をすると、リーネは目元から手を離し赤い髪を揺らしながら前に回り込んで笑った。
「約束だよ? ……よ~し。アルちゃんが了承したところで……学習塾まで競走しよう! (…………今日こそ、お姉ちゃんの凄さっていうものを見せてあげる)」
最後の言葉はぼそぼそっと小さな声だったので、ツムギには聞こえなかった。何あれ……
「はい、分かりました」
リーネにツムギが勝負を仕掛ける、という光景が最近は多く見られる。『今日こそ』という言葉が付いている通り、なかなかお姉ちゃんの威厳が見せられていないのだ。
魔法の維持や威力で勝負したことがあった。学習塾でのテストで勝負したことがあった。トランプで勝負したことがあった。今回は、足の速さで勝負するようだ。
ツムギは仕掛けられた勝負は全部受けることにしている。
「じゃあ、ルールを決めるよ。……魔力を使うのは有りで、魔法を使うのはなし。お互いを故意に妨害することも禁止で、学習塾の玄関の扉を開けるまでの競走だと迷惑がかかるから、学習塾の建物に触った方が勝ち……で、どうかな?」
「いいですよ」
「手加減は無しだからね。……よーい、スタート」
言葉と伴に、走り出す。
土を踏み締める音が耳に届くと、リーネはもう10メートルくらい前を走っていた。中級魔法を放てるくらいの魔力は使っている印象だ。
遅れてツムギも魔力を足に纏い一気に飛び出す。最初の内にリーネの後ろに付き空気抵抗をなくすのが狙いだ。追いつくと感じる年齢の差。リーネと比べると歩幅が狭い。
歩幅が狭い分多く足を回さないといけない。足の回転を速くするとその分運動量が増える。運動量が増えると当然、体中に酸素を回すために肺や心臓を酷使する。なので、足に纏う魔力を肺や心臓を強化する為に少量ずつ移す。
9月の下旬に入ったとはいえ、日差しにいるとまだ暑い。耳を景色に傾けると、夏に取り残された蝉のような鳴き声が聞こえてくる。景色を見て、音を聞くくらいにツムギはまだ余裕があった。
「ハァ……ハァ……」
立ち並ぶ木造の家々、広々とした広場を抜け、あと少しで建物が見えてくる。
リーネの息は上がってきていて辛そうに思えるが、表情はもう少しで勝てる。という実感に酔いしれていて、どこか嬉しそうだった。
走る速度は最初より落ちていたが、ツムギが前に出るそのときまで嬉しそうだったのだ。
学習塾は目と鼻の先、見えてきたゴールライン。
そこでツムギは、ラストスパートをかけた。肺や心臓に使っていた魔力もほとんど足を強化する為に使い、地面を蹴り出すつま先と足首、バネの役割を果たす膝、正しい姿勢で走るために少量肩や腕に腰回りを動きに合わせて魔力で強化する。
そして、リーネを追い抜いて学習塾の外壁に触った。
数瞬遅れて彼女も触った。
「ハァ……ハァ……ハァ……ヒュ……ハァ……は、速いね……ハァ、アル……ちゃん……」
魔力を使って走ったことに対する、反動が出た。辛いのだろう、リーネは荒い息を零しながら、それでもツムギを讃えだ。
嬉しいのだ。
下手に手加減されるより、コテンパンにしてくれた方が。
たとえ、自分の半分くらいの年齢の男の子に負けたとしても。なんだか自分が惨めに思えて涙が出たとしても。
次は絶対に勝って見せると、強くなれるから。
(次は、勝ちたい……)
そう次の勝負を見据えるくらいには、リーネは強かった。
息が絶え絶えで、必死に酸素を体に取り入れようとしているリーネを見て、ツムギはそれを補助する効果のある回復魔法を使った。
「 <憩いの霧> 」
リーネの周りに、光のモヤが舞う。
光属性下級補助系統魔法<憩いの霧>
この魔法は、気分を平常時に戻すときに役に立つ。また、日曜夜の休み明けのサラリーマンが、あーダルい明日から仕事かよー、と憂鬱な気分に陥ることがあるだろう。そこで、この魔法を使えば、その憂鬱を和らげる効果もある。非常に使い勝手のいい魔法なのだ。
ツムギもときどき自分に使っている。
「少しは落ち着きましたか?」
「ハァ……フゥ……うん、ありがとう。アルちゃん。うーん、今回は勝てると思ったんだけどなー……。あはは」
気分が落ち着き、笑いながらそう言ったが、悔しさが言葉に映し出されていた。こんなに走った後だというのに、もう魔法を使えていることから自分とツムギの明確な差を感じた。
魔法を使うのは集中力が必要だ。また、魔力を操るのも集中している方が上手くいく。
リーネが最後のころ走るのが遅くなっていたのは、疲弊により集中力が続かず、魔力の操作が甘くなったからだ。
また、今魔法を使えと言われても、上手く使える自信はなかった。
(今、どんな表情をすればいいんだろう)
と、空笑いをするリーネと、その返答に迷いながら魔法を解除したツムギに声がかかった。
「おはよう……ね、リーネちゃんとアル君」
声の主は10歳になったリーネの2つ下、ツムギの3つ上、8歳の少女ノナだ。
青紫色の肩ぐらいまでの髪を2つ縛りにして、翡翠色の瞳をしている。
「おはようございます」
「ノナちゃんおはよう。それから、リーネお姉ちゃんって呼んでね」
「あ。そうだった……ね。また言うね。リーネお姉ちゃん、おはよう……ね?」
愛くるしい笑顔を浮かべたノナに、ドキュンと胸を打たれたリーネは、ともすれば少女誘拐を企てる犯罪者のような危うい笑顔で、はたまた肉食獣の獲物を見据えた研ぎ澄まされた鋭いナイフのような眼差しも隠し、ノナに近づき頭を撫でた。
「よ、よしよし、よく出来たね。ハァ……ハァ……」
「……♪」
(リーネさんがまた息切れを起こしている……! 魔法の効きが甘かったのかな。一応、もう一度ーー)
「 <憩いの霧> 」
「ん、あれ? なんでまた、この魔法?」
ノナをなでなでしながら、リーネはツムギを見て聞いた。
「えっと、リーネ……お姉ちゃんが、まだ息切れしているようだったので」
「……あ、ああ、そう。そうなんだ……。あはは」
(アルちゃんからも『お姉ちゃん』って言われた! 嬉しい。今にも踊ってしまいたいくらい嬉しいのに、ノナちゃんをなでなでしてハアハアしていた手前、ギュッとすることは出来ない……。ああ……。しかも、今ハアハアしてたあたしを気遣って魔法を使ってくれている……。気まずい)
不倫が見つかってしまった夫のような心境で、どう切り抜けようかわからずドギマギし始めたリーネ。
光の魔法が弱点のアンデット系の魔物のように、蒸散してしまいたい気分だった。
「アルチャン、モウ大丈夫。アタシ、元気」
「そうですか。よかったです」
(どうして少しカタコトなんだろう?)
ノナをなでなでするのを止めて、リーネはそういった。
なでなでが終わったので、ノナはリーネから離れると、ツムギのところへ歩いた。
そして、ツムギの前に来ると今度は中腰になって、頭を向ける。
「ね、ね、アル君も撫でていい……ね」
「え……、は、はい」
言われるがままに、わざわざ中腰になったノナの頭を撫でる。
「……♪」
「これで、いい……ですか」
「いね。気持ちいい……ね」
それから、結構長い時間ノナを撫でたツムギだが、リーネも撫でたそうにしていたのが印象的だと、その日の日記に記されていたとか。
▽
「(空間属性魔法<認識改変の領域>発動……ね)」
「ノナちゃん、なにか言った?」
「んーん。何も言ってない……ね」
(なにか言ってた気がしたけど……空耳かな?)
ノナがなにか言った気がしたが、否定されたのでリーネはそれ以上気にしなかった。




