時は進んで
木はあたり一面を覆っている。
上を向けば木の枝葉が、下を見れば木の根っこが、前後左右どこを見ても木の幹が目に入る。
木だけではなく、羽虫も増えてきていて、あたりに飛び回っている。
そんな木漏れ日満ちる森の中、赤茶の髪の少年は弓をつがえる。
その動作は洗練されていて、熟練者が見れば目を剥くだろう。
「どうしてあのような子供が」と。
少年が狙っている獲物は50メートルほど先、まるまると太った鳥。
体長50センチはある、体の割に小さな嘴で、色は白い。
狙いを付けて、放つ。
放たれた矢はヒュッ! と音を立て、木々の間を縫うようにして標的に吸い込まれる。
ーーキュッキュッ
と鳥が鳴く。
矢が刺さったのは、鳥の眼前。鳥自体にはカスリもしていない。しかし、矢に驚いて鳥は森奥へ逃げてった。
少年は放つ直前に、微妙にぶれた腕を睨みつけ、下唇を噛む。
何度弓を構えて放ってもこの癖が治らない。的に当てることは出来ても実践では獲物に当たらない。
「また、当たらなかった……」
赤茶の髪の少年の隣で、茶髪の男が慰めるように少年の肩を叩き「今日はもう帰ろう」といった。
少年は何か言いたげに口をもごもごさせたあと、「はい……」と頷いた。
救世暦3990年9月25日。
夕陽が輝く空。
ツムギは未だにリーン村から抜け出せていなかった。「動物を仕留めること」それが独り立ちするための条件の一つであり、ツムギが達成出来ていない最後の条件だ。
▽
夕焼け空を背後に二人は家に戻る。
エリスは出迎えて「おかえりなさい」という。レイドは「ただいま」といって家に入り、ツムギは「はい……失礼します」とエリスの顔も見ずに家に入る。
すっかり慣れてしまったその光景にエリスはため息を吐いた。
最近はまだ暑いので汗をかく。なので、ツムギは最初に汗をお湯で流すことにした。
この国にはお風呂の文化があり、この家にも浴室はある。そこで、魔法を使い体を洗う。
……と、その前に、髪に付けられたシンプルな髪留めのようなものを外した。
するとたちまち、ツムギの髪色は元の黒に戻る。
体を流すのに使う魔法は水属性魔法<水の生成>と火属性魔法<火の生成>だ。この2つの魔法は名前の通り、水を発生させる魔法と、火を発生させる魔法で、本当に発生させるだけという具合で、戦闘では使えない。
初級魔法にも数えられていない、魔力を覚えたてでも何かしらの適性があれば使える魔法だ。
この2年半程で判明したことで、ツムギは他の人の魔力の質ーー魔素を模倣出来るようだ。
しかし、模倣するには条件があり、ツムギの魔力が操れる範囲ーー直接的魔力領域の中で、ツムギが模倣しようと集中し、模倣される相手が何か魔法を使わなければならない。
また、相手の体に触れながら、相手の体の中に流れる魔力を感知して、魔力が変化するように『魔力を変われ』と念じれば、模倣される。
その条件を満し、一度模倣した魔力は自由に変更できる。
今、ツムギの模倣出来る魔力は、レイド、エリス、ルイリア、ネール、フィリス、リーネ、の7つで、お湯にするのに火属性と水属性の魔力が好ましいので、火、水、地、光の四属性に適性のあるネールの魔力を模倣している。
<水の生成>で水を空中に生成し、<火の生成>で水の中に火を灯し、温度調節をする。水の中に火があるのならすぐに消えると思われるかも知れないが、そういうことを出来るのが魔法である。
二属性の同時操作は高等技術で、使えるものはこの村にはツムギだけしか、使える人がいないようだが。
そんなこんなでお湯を浴び、この家にある石鹸を拝借し、体を洗ったツムギ。
体を流し、また水を浮かし今度は肩まで浸かる。傍から見ると、浮かんでいる水に立ったまま浸かっているので、なかなかシュールな光景だ。
それが終わったら浴室を出て、タオルで体を拭き、用意していた服を着る。
▽
(……今日も殺せなかった)
晩ご飯を四人で食べ、食器洗いをしたあと、寝室に付き一人思う。
厚めなノートブックに、今日の出来事をこの世界の言葉で書き綴る。この2年で覚えた言葉で日記を書いているのだ。ノートブックの購入は、レイドと供に森の中で採れた木の実やきのこ、薬草などを売ったお金で購入したものだ。
日記帳を前の日、前の日、とどんどん捲っていくと自分がどれだけ今躓いているのか分かる。
リーン村に出るに当たって、ツムギはいくつかの達成条件が課せられた。
一つ目に、薬草の目利き。この世界の薬草はおかしな効果があるもので、磨り潰して傷口に塗り込むだけで、軽い切り傷程度なら瞬時治る草や、体調を整える効果を発揮するものなど、地球にいた頃の薬品が子供騙しに思えるような草がある。
また、触っただけで体中が痒くなるもの、中毒性のあるもの、など危険なものもあるので項目に入れたのだろう。これは、最初の1週間くらいで図鑑に書いてあるものは覚えた。実際に森の中に出向いてどの草がどんな効果がある、だとか大概わかるようになれた。
二つ目に、魔力による身体強化。この世界には魔物がいる。その魔物から逃げるにしても戦うにしても身体強化は覚えておけ、というのがレイドの意見だ。教えて貰ったその日に出来た。これはセンスがものをいうらしい。出来る人は簡単に出来るが、出来ない人はとことん出来ないそうだ。意外にも、魔力の操作が上手い人が出来なかったりするそうだ。
三つ目に、レイドと戦い認めさせること。これは木刀を使ってのものだった。レイドは普段から狩りをしているが、使うものは弓だ。だからか、隙が多かった。しかし、達成するのには時間がかかった。ツムギは三回程木刀を振ると握り方や姿勢などなんとなく把握し、実際に鋭い振りをすることが出来ていたというのに。
達成が困難になった理由は、ツムギがレイドに木刀を当てようとすると途端に、剣先がブレてへなちょこな振りかたしか出来なかったからだ。ツムギは痛みを与えてしまうと考えると、剣が上手く操れなくなる感覚に陥っていた。
結局、レイドに当たる寸前で剣を止めるのを何回か繰り返すと、お情けで認めて貰った。
四つ目に、動物の解体。これはすぐに達成出来た。どうやらツムギの体は生き物を殺すことに抵抗を示すが、死んだ生き物を扱う分には大丈夫らしい。
そして、五つ目に、動物を狩ること。これは一年以上取り組んでいるにも拘らず、未だに一回も達成出来ていない。元よりツムギは何かを殺すことに不可思議な程、拒否反応を示していた。
夏場に蚊が彼の周りに飛んでいたとしても、ツムギはその蚊を潰さない。
黒光りGが現れても、捕まえて外に放す。
それほどまでに、殺さない。……いや、殺せない。
だからツムギにとってこの条件は、今までのどんな条件より難しい。
「……ハァ」
日記を見返しながら、ツムギはため息を吐き出した。
「お兄ちゃ、どうったの?」
「ッ! ……なんでもないです。ルイリアさん」
「しゃんはいらない!」
いつの間にかルイリアが部屋にいた。
驚くツムギだが、すぐにいつものような態度をする。
……他人に接するときの態度を。
ルイリアはそれが嫌なようでむくれた。
それに対し「……はい」と微妙な表情でツムギは答えた。
「わかったらいい! ご本読んで」
「エリスさんに読んで貰えば……」
「ヤダ。お兄ちゃ読んで」
それに対し「……はい」と再び微妙な表情でツムギは答えた。
ルイリアが機嫌よく持ってきた本を差し出してきたので、それを受け取ってしばらく読み聞かせをした。
中盤辺りでルイリアは寝てしまったので、本を閉じて部屋を出て本棚に戻した。その後、ルイリアに布団をそっと掛け、その隣で寝るフリをした。
▽
レイドとエリスも寝室に入り寝た後、ツムギは家を出た。
「ハァ……ハァ……」
温かく、息苦しい、家を出た。
走って、進んで、森の中。フクロウの声の怪しい木霊。
耳を澄ませて、聞かし聞かされ、しばらく息を整える。
ツムギの中である程度の余裕が生まれた。
ふと、夜空を見ようと思い立ち、近くで高めな木を見つける。慣れた調子で木に登り手頃な枝に座り込む。
そして、宙を仰ぐ。
空は星空。冬の方が空気が澄んでいてよく見えるとは言え、日本の民家から見る星より、幾分輝いている。
もちろん、世界が違うから星座も違う。あの星座は金角鹿。
こうして一人でいると、落ち着いた。
今宵、月は満月。
自分の中にある"なにか"はザワザワ忙しなく蠢いて、ツムギの意識を操る時を虎視眈々と狙っていた。
寝るときは意識を手放すので、家の中で眠るのは危険だ。
また、"なにか"は夜の方が活発に動く傾向がありそうなので、そのこともあり、いつも森で寝て、朝に急いで寝室に戻るという生活をツムギはしている。
今日も寝ようと、木に体を預け身体強化をしながら寝た。




