第四章 夜渡り
緋月と別れ、リゼットと2人で旅を始めてから5日が経つ。
旅そのものは、それまでと大きく変わらない。レイは青い髪の女性の目撃情報を追い、町や街道で人に話を聞いて回る。違うのは、その隣でリゼットが別の情報まで拾うようになったことだった。
「その女性を見たのはいつですか?」
「2日くらい前だったかな」
「どちらへ?」
「北だよ。森のほうへ歩いていった」
「その前後で、何か変わったことはありませんでした?」
話を聞かれていた商人が首を傾げる。
「変わったこと?」
「見たことのない道や建物が見えたとか、景色が重なったとか。風景の異常らしいものです」
「そこまで聞く?」
横から口を挟んだレイには視線も向けない。
「聞くわよ。レイの探してる女性が境界の異常と関係してる可能性もあるでしょ」
「まだわからないけど」
「だから調べるの」
2人を交互に見ていた商人が、少し考えてから口を開く。
「そういえば、その日の夕方に北の街道で変な道を見たって話なら聞いたな」
リゼットの目の色が変わった。
「変な道?」
「森へ入る手前だ。本当は一本道なんだが、古い石畳がもう1本伸びてたらしい」
「今もありますか?」
「さあな。翌朝にはなかったって言う奴もいる」
言い終わらないうちに、リゼットはもう術式盤を取り出している。
「行くわよ、レイ」
「聞き込みは?」
「少なくとも今は、そっちを確認するほうが先」
「わかった」
「……ずいぶん素直ね」
「行くんだろ?」
「行くけど」
「じゃあ行けばいいじゃん」
何か言い返そうとしてリゼットが口を開く。少ししてから、そのまま閉じた。
5日も一緒に歩けばレイの行動の傾向は見えてくる。何も考えていないわけではない。ただ、出す結論が単純なのだ。必要ならやる、わからないなら確かめる、今決められないことは判断材料が出てから考える。
2人は北へ向かった。
森へ続く街道に入ってしばらく経つが、今のところ変わったことは何も起きていない。道は1本きりで、商人の話にあった分岐も見当たらなかった。
「もう消えたのかな」
「可能性はあるわ。境界の揺らぎは同じ場所に留まり続けるものじゃないから」
歩きながらもリゼットの目は術式盤から離れない。
「ただ、この辺りは少し境界値が高い」
「薄くなってる?」
「少しね。開口部ができるほどじゃないけど、月界側のものが透けて見えてもおかしくない」
数日前のレイなら質問が続いたところだが、今は「なるほどな」と頷くだけだった。
「道が見えたのは昨日だけって可能性もある?」
「十分にね」
「青い髪の人が通ったから?」
「それはわからないって何回言えばいいの?」
「聞いただけだって」
「あなた、すぐ結びつけるじゃない」
「探してるんだから仕方ないだろ」
「探してるからこそ、関係ないものまで関係あることにしたら駄目なの」
「はいはい」
「わかってる?」
「わかってるよ」
「その返事が信用できないのよ」
「リゼットってうるさいよな」
「誰のせいよ!」
声が森に響いて、少し先で鳥が一斉に飛び立った。羽音が遠ざかっていくのを目で追って、レイが吹き出す。
「鳥が逃げちゃった」
「レイが余計なこと言うからでしょ」
「声出したのリゼットじゃん」
「原因はあなた!」
言い合いは、道が2つに見えるところまで続いた。
これまで2人が歩いてきた土の街道は、そこから右へ。左には石の間から草が顔を出し、ところどころ崩れた古い石畳の道が伸びている。何十年も使われていないように見えるその道は、森の奥まで確かに続いていた。ただ、よく見ると輪郭が薄い。石畳の一部から、その下にあるはずの土や草が透けている。
「これか」
リゼットはすでに術式盤を向けていた。
「ここだけ境界が薄くなってる」
「開口部は?」
「ないわ。少なくとも今はね」
石畳へ踏み出しかけたレイの袖がリゼットに引かれる。
「待って」
「まだ何もしてないよ」
「だから待ってって言ってるの」
「見るだけ」
「そこから見なさい」
素直に足を引っ込めたレイは、どこか楽しそうだった。
「緋月と同じこと言うようになってきたな」
「誰のせいだと思ってるの?」
「そっちはやめといたほうがいいよ」
突然聞こえた知らない声に、2人は同時に振り返った。
少し離れた木の根元に、灰色の髪の男が座っている。
炭のように暗い色の服。腰のベルトからは灰紫の腰布が垂れ、巻いたワイヤーや小型のナイフ、用途のわからない小さな道具がいくつもぶら下がっていた。いつからそこにいたのか、2人ともまったく気がつかなかった。
「なんで?」
レイの返事にリゼットが目を剥く。
「まず誰か聞きなさいよ」
男が喉の奥で笑った。
「警戒心ないねえ」
「じゃあ誰?」
「聞き方が雑じゃない?」
服の埃を払って立ち上がりながら男が名乗る。
「ヴァン。ヴァン・ローデン」
「レイ・アルヴェイン」
「そっちは?」
視線を向けられて、リゼットの背筋が伸びた。
「リゼット・ノアです」
「よろしく、リゼット」
「ええ」
「固いなあ」
「初対面ですから」
つんとした返事に、レイが少し笑う。
「なに?」
「いや、なんか合いそうだなって」
「どこがよ」
ヴァンも口の端を上げるが、目はもう石畳のほうへ戻っていた。
「それで、なんでそっち駄目なの?」
「昨日までは見えなかった」
リゼットの表情が引き締まる。
「確認したの?」
「昨日もここを通ったからね。一本道だったよ」
「今朝は?」
「あれが見えてた」
術式盤に目を落として、リゼットが呟く。
「境界が揺らいだのね」
「たぶん」
「開口部は確認した?」
「ないよ」
「そこまでわかるんだ」
感心したようなレイに、ヴァンは軽く返した。
「見えるのと通れるのは別だからね」
小さく頷いたレイが石畳を指さす。
「じゃあ、なんで近づかないほうがいいの?」
返事はない。ヴァンは石畳だけでなく、その周りを順に眺めていた。ふと顔を上げると風が吹いて梢が鳴る。しゃがんで道端の草を指先で撫でてから、ゆっくり立ち上がった。
「風がおかしい」
リゼットが眉を寄せる。
「風?」
「この地形なら、ここを通った風は向こうの谷へ抜けるはずなんだよ。でも石畳のほうへ流れた分だけが戻ってきてる」
顔を上げて風を受けていたレイがぽつりと呟いた。
「本当だ」
「それだけじゃない。匂いも切れてる」
「匂い?」
真似をして鼻を鳴らしてみても、レイの顔に浮かぶのは疑問符だけだった。
「こっちは土と木と古い落ち葉。少し水の匂いも混じってる。でも向こうは途中から妙に薄い」
石畳の奥へ目を向けて、リゼットが尋ねる。
「月界側の景色が重なってる影響?」
「かもしれない」
「だったら――」
「でも、そうだと決める理由もない」
ヴァンが口をつぐむと、2人も耳を澄ませた。鳥の声。虫の羽音。風に擦れる葉。
「鳥があっちへ行かない。虫の音も石畳の少し手前から減ってる」
森全体が静かなわけではない。静かなのは、あの道の周囲だけだった。
術式盤を確かめたリゼットの眉がわずかに寄る。
「数値は高い。でも、この程度なら開口部ができるほどじゃないわ」
「数字だけならね」
ヴァンの目は道の奥から離れない。
「でも普通の森なら、こうはならない」
「だから入らなかったの?」
「わからないところへ理由もなく入る必要ないだろ?」
「慎重なんだな」
「長生きしたいからね」
軽く受け流すヴァンを、リゼットはまだじっと見ている。
「あなた、何者?」
「さっき名乗ったけど」
「そういう意味じゃない」
レイが首を傾げる。
「境界に詳しいの?」
「まあ、それなりに」
「研究者?」
ヴァンが目を丸くした。
「オレが?」
「違うでしょうね」
リゼットが即答する。
「判断早くない?」
「研究者なら今の話をもう少し整理して説明するわよ」
肩をすくめながらヴァンは言った。
「元《夜渡り》」
「夜渡り?」
「知らない?」
「知らない」
「本当に何も知らないんだな」
「最近ちょっと詳しくなったよ」
「5日前まで境界のこともほとんど知らなかったでしょ」
「それ言う必要ある?」
「事実じゃないの」
ヴァンは楽しそうに続ける。
「夜渡りっていうのは、境界の近くや月界で仕事する連中のこと。調査、探索、行方不明者の捜索。開口部の先を調べて、後から来る人間が安全に動けるか確認したりもする」
「へえ」
「その反応でよくその研究者様と旅できてんなあ」
「今まで必要なかったから」
「今は?」
「必要そう」
「じゃあ覚えときな」
「いま覚えたよ」
そこへリゼットが口を挟んだ。
「元ってことは、今は違うの?」
ヴァンが曖昧に頷く。
「まあね」
「どうして辞めたの?」
「初対面でそこまで聞く?」
「あ」
リゼットが固まった。それを見たヴァンは口元に手を近づけ、くくっ、と喉を鳴らす。
「冗談。別に怒ってないよ。ただ、長くなるからまた今度」
そう言って、石畳とは反対の森の奥を顎で示した。
「北へ行きたいなら今日はこっちを通らないほうがいい。遠回りだけど、別の道はあるよ」
「知ってる?」
「知ってる」
「じゃあ案内して」
「レイ!」
リゼットの声が裏返る。
「なに?」
「今会った人よ?」
少し考えて、レイは言った。
「でもリゼットだって、初対面の俺についてきたじゃん」
「私はあなたの《空白》を調べるために同行したの」
「ヴァンは道知ってるから案内してもらう。それとそんなに違う?」
「違うわよ」
「どこが?」
「私は王立境界院の研究員で――」
「俺、会ったときそれ確認してないよ」
ぐっと詰まったリゼットの横で、ヴァンが堪えきれずに、あっははは、と大きな声で笑いだした。
「それはいいところ突くね」
「あなたは黙ってて!」
「はいはい」
リゼットは術式盤とヴァンを交互に見て、長く息を吐く。風の向きも、虫の音も、ヴァンの言ったとおりだった。
「……案内だけお願いするわ」
「了解」
「ただし、おかしなことしたら」
「したら?」
少し間を置いて、リゼットは答えた。
「そのとき考える」
「俺と同じじゃん」
「違う!」
「どこが?」
「私は考えてから決めてるの」
「今そのとき考えるって言ったけど」
「うるさい!」
こうして2人の旅に、半日だけの案内役が加わった。
ヴァンが選んだのは街道と呼ぶには細すぎる道だった。森を抜ける古い作業道らしく、人が通った気配はほとんどない。それでもヴァンの足取りに迷いはなかった。分かれ道に来るたび、しゃがんで地面を確かめ、折れた枝の断面を指で撫で、風向きが変われば鼻先を上げる。
空気の湿り気が変わったところで、ふいに足が止まった。
「こっちじゃないな」
左右の道を見比べて、レイが首をかしげる。
「何が?」
「右だけ空気が冷たい」
リゼットが術式盤を覗き込んだ。
「数値はほとんど変わってないけど」
「境界だけが原因とは限らないよ。湿気も多いから、たぶん少し先に水がある」
「地図には沢なんてないわ」
「その地図、いつの?」
地図を確かめるリゼットの指が日付のところで止まる。
「……12年前」
「なら地形が変わっててもおかしくない。月界側の地形が重なってる可能性もある」
「調べる?」
「今日は北へ抜けるのが目的だろ? 用もないところへ寄る必要はないよ。左は風が抜けてるし、小動物も通ってる。安全を優先するなら左」
「じゃあ左」
レイはもう左の道へ踏み出している。
「決めるの早いわね」
「ヴァンのほうが詳しいんだろ?」
「今のところはね」
そう答えたヴァンの後ろを2人がついていく。道脇の草が一方向だけ倒れていれば足を止め、鳥が急に飛び立てば方角を確かめる。何も見えない場所で2人を止めることもあった。
「今度はなに?」
「匂い」
ヴァンは森の奥を見ている。
「焦げた木みたいな匂いがする。でも煙はないし、風上にも火の跡は見えない」
術式盤を向けたリゼットが小さく眉を上げた。
「……数値が少し上がってる」
「なら月界側の何かが重なってるのかもね」
「確認しないの?」
「近づく理由がない」
あっさり進路を変えるヴァンに、リゼットが首を傾げる。
「夜渡りってみんなこうなの?」
「人によるよ。オレは慎重派」
「そうは見えない」
「見た目で判断するのは良くないなあ」
「初対面で知らない人を森の奥へ案内してる人に言われたくないわ」
「頼んだのは君らじゃなかったっけ?」
「レイが頼んだの!」
「許可したのはリゼットだったよ」
「……そうだけど」
レイが笑った。
しばらくしてリゼットが歩きながら資料を取り出した。今日測った数値と、ここ数日の記録を照らし合わせている。
「さっきの分岐と比べると、こっちのほうが安定してる。やっぱりヴァンが選んだ――」
そこへ、強い風が吹いた。
「あ」
指の間から紙が1枚すり抜ける。
「待って!」
紙は地面へ落ちず、そのまま空へ舞い上がった。道脇に残る古い石壁を越え、その向こうまで伸びた高い枝に、ふわりと引っかかる。
リゼットの顔から血の気が引いた。
「うそ……」
見上げたレイが首を反らす。かなり高い。
「大事なやつ?」
「大事に決まってるでしょ! 5日分の観測をまとめた記録なの」
「上る?」
「上るって言っても……あの壁、かなり崩れて――」
リゼットが言い終わる前に、ヴァンは腰のベルトからワイヤーを外していた。先端に小さな金具がついている。
「なにそれ?」
「前の仕事道具」
数歩下がって枝と石壁を見比べ、腕を振る。金具が弧を描いて高く飛び、枝の奥へ回り込んだ。ぐっと一度引いて固定を確かめると、そのまま石壁へ足をかける。
「え」
レイの声が裏返った。
速い。それなのに勢い任せの動きではなかった。崩れかけた石のどこに体重を預ければいいのか、ほとんど迷わずに選んで上っていく。石壁の上へ身体を振り出し、そのまま高い枝へ片足を乗せたところで、ヴァンの身体が大きく傾いた。
「ちょっと!」
リゼットの悲鳴が上がる。
ヴァンはワイヤーを握った片手で身体を支え、空いた手を伸ばして指先で紙をつまんだ。
降りるときはさらに速い。ワイヤーを滑らせて石壁を下り、途中で一度だけ足をつき、最後の高さは軽く飛び降りる。地面に着いたときには、紙は折れ目1つなく両手の間に収まっていた。
「はい」
差し出された紙をしばらく見つめてから、リゼットは受け取る。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「ヴァン、すごいな」
レイの声にも、ヴァンは何でもない顔でワイヤーを巻き取っていた。
「存分に尊敬していいよ、少年」
「調子に乗らないで」
「今の流れでそれ言う?」
「資料を取ってくれたことには感謝してるわよ」
「身体能力への評価は?」
「高いと思う」
「研究対象みたいな言い方するなあ」
声を上げて笑ってから、レイは腰のワイヤーを指さした。
「夜渡りって、みんなあれできるの?」
「できないと困る場面は多いかな。崖を越えたり、崩れたところへ入ったり、誰かを引っ張り上げたり」
定位置に戻っているワイヤーを1度だけ叩いて、続ける。
「危ないってわかっても、そこから帰るのは自分の足頼みだからね」
それだけ言って、もう歩き出していた。
午後になる頃には、リゼットの術式盤が拾う異常とヴァンが感じ取る異常が、必ずしも同じではないことがはっきりしてきた。数値が少し高くても、風や匂い、生き物の動きに違和感がなければ必要以上に警戒しない。反対に、数字がほとんど変わっていなくても足を止めることがあった。
しばらくすると道が広がり、木々の間から空が見えるようになってきた。
「このまま行けば夕方前には街道へ戻れるよ」
「思ったより早かったね」
「誰のおかげ?」
「ヴァン」
「よろしい」
少し歩いたところでリゼットが術式盤に目を落とす。
「ところでさっきの場所なんだけど、境界値がほとんど動いてなかったの」
「さっきの? なんで?」
「だから、それを調べたくて――」
話の途中でリゼットの足が止まった。
「……あれ?」
きょろきょろと辺りを見回すリゼットに、レイが振り返る。
「どうした?」
「ヴァンは?」
レイも辺りを見回して、首をかしげた。
「あれ?」
すると、数歩ぶん後ろから声がかかった。
「なに?」
2人が同時に振り向いた。ヴァンは今までどおりの距離を歩いている。
「いたの?」
「いたよ」
「あれ、なんか今……」
言葉を探すようにレイの眉が寄る。ヴァンの足音が途切れたわけでも、姿が消えたわけでもない。それなのに今の短い会話の間、2人が後ろを気にしている様子はまったくなかった。
「今、あなたのことを意識してなかった」
先にそう口にしたのは、腑に落ちない顔をしたリゼットだった。
ヴァンは少し目を丸くして、それから目を細める。
「こんないい男を無視するなんてひどいな」
「冗談じゃなくて」
レイも困ったような顔で口を挟む。
「うまく言えないんだけど、ヴァンじゃなくて知らない人がそこにいるって感じだった」
「オレはずっといたよ」
「それは見ればわかるけど……」
何か聞きたそうな目を向けられても、ヴァンは特に気にする様子を見せない。
「2人とも疲れてるんじゃない?」
「2人同時に?」
「仲良さそうだし」
「そういう話じゃ――」
「ほら、もう街道見えてるよ」
そう言い残して、ヴァンはさっさと先へ歩いていってしまった。
残されたレイとリゼットが顔を見合わせる。
「……変だよな?」
「変ね」
「聞かないの?」
「聞いても今は話さなさそう」
「そうだな」
日が傾く頃になって、ようやく森を抜けて街道に出た。そこでヴァンが足を止める。
「はい。案内終わり」
遠くに次の町の屋根が並んでいる。
「ヴァン、ありがとう」
「どういたしまして」
辺りを見回したリゼットが小さく頷いた。
「ここからなら大丈夫そうね」
「たぶんね」
「たぶん?」
「境界なんて明日には変わってるかもしれないだろ」
「それはそうだけど」
ひらりと手を上げて、ヴァンは背を向ける。
「じゃ、オレはこれで」
「どこ行くの?」
「決めてない」
「仕事は?」
「今は特に」
「じゃあ一緒に来ない?」
ヴァンの足が止まった。リゼットがぱっとレイを見る。
「また?」
「何が?」
「なんでそう簡単に人を誘うのよ」
「ヴァン、別に行くところ決まってないんだろ?」
「だからって一緒に行く理由にはならないでしょ」
「嫌?」
レイに訊かれて、ヴァンは首を横に振った。
「いや」
「じゃあいいじゃん」
「なんでそうなるのよ」
ヴァンの口元が緩む。
「本当に警戒心ないなあ」
「今日ずっと案内してもらったし」
「それで信用する?」
「信用してないよ」
「してないの?」
意外そうなヴァンに、レイは頷いた。
「まだよく知らないし」
「じゃあなんで誘うの……」
「一緒にいて困らなさそうだから」
「基準が軽いわね」
「でも境界にも月界にも詳しいし、道も読めるし、ああいうのもできるし」
レイの視線が、ヴァンの腰のワイヤーへ落ちる。
「評価上がったな」
「尊敬していいって言ったじゃん」
「素直でよろしい」
呆れ顔のリゼットをよそにレイは続けた。
「俺は姉さんを探してる。リゼットは俺の《空白》を調べたい。ヴァンも何かあるんだろ?」
ヴァンの目が、ほんの少し細くなる。
「何かって?」
「さっきの」
「何かあったっけ」
「はぐらかした」
「疲れてんじゃない?」
「またそれ」
笑ってかわすヴァンに、レイもそれ以上は踏み込まなかった。
「まあ何でもいいけど。一緒にいれば何かわかることもあるかもしれないし」
ヴァンはすぐには答えない。レイを見て、その隣で警戒を隠さないリゼットを見て、街道の先へ目を投げた。夕暮れの風が灰紫の腰布を揺らす。
少しだけ、間があった。
「まあ、いいよ」
「決まり」
「軽いなあ」
「嫌ならやめてもいいけど」
「いや。しばらく付き合うよ」
腕を組んだリゼットは、まだ納得していない。
「本当にいいの?」
「オレが来るの嫌?」
「そういう話じゃないわよ。素性もよくわからない人を、会ったその日に旅へ誘うレイがおかしいって言ってるの」
「元夜渡りのいい男って言っただろ?」
「元夜渡りしかわかってないでしょ!」
ヴァンが指を折り始める。
「ヴァン・ローデン。元夜渡り。24歳。森に強い。高いところにも強い。好きなタイプは――」
「そういう自己紹介を求めてるんじゃない!」
「じゃあ何が知りたい?」
「まず、どうして夜渡りを辞めたのかとか」
「それはまた今度」
「ほら!」
そのときレイはもう歩き出していた。
「まあいいじゃん。行こう」
「よくないわよ」
追いかけるヴァンの後ろから、リゼットも遅れて歩き出す。
「なんでまともな人がいないの……」
「リゼットが言う?」
「うるさい!」
3人の足音が、街道に並んだ。
1人で港町を出たレイの旅に、2人目の同行者が加わった。王立境界院特別研究員のリゼットは、わからないものを理解するために。元夜渡りのヴァンが何を探しているのかは、まだ2人にはわからない。そしてレイは、姉かもしれない青い髪の女性を追っている。3人の目的は同じではない。それでも今は、同じ道を進める。
「ところでレイ」
「なに?」
「次の町で何食う?」
「まだ決めてない」
「肉がいいな」
即座に後ろからリゼットの声が飛んでくる。
「まず宿を探しなさいよ」
ヴァンがふっと息を漏らすように笑った。
「もう旅の責任者みたいだな」
「誰のせいよ!」
レイも笑う。
旅は、それまでより少し騒がしくなった。




