第二十一章 確かな未知
第一境界研究所跡を離れて、一行は拠点にしている都市へ向かっていた。
街道を行く列の先頭でヴァンとリゼットが地図を覗き込んでいる。その少し後ろを猫を連れた緋月と、考え込むように黙ったアデルが並んで歩いていた。その列の最後尾にレイとエリアがいる。
前を行く背中へ視線を向けたまま、レイが声を落とす。
「……復元って、そんなすごいことできるんだね」
エリアも同じ背中を見つめた。
「驚いたわね。……でも、事情も知らない私たちが触れていいことじゃないわよ」
「……うん。そうだよね」
レイは小さく頷き、それ以上は何も言わなかった。風に揺れる緋月の白銀の髪が、列の先でゆっくりと遠ざかっていく。
研究所で見つかった100年以上前の資料。アルカナ・エルディアという女性の記録。そして、緋月自身から聞いた話。それらを踏まえて、アデルには教会へ報告しなければならないことがあった。
教会では月蝕の被害を受けた人々の保護を行っている。月界に入り記憶や認識に異常をきたした人々への対応も、その役割の1つだった。しかし、1度死亡し、その後復元されたという人の話はアデルも聞いたことがない。
街に着くと、アデルは真っ先に教会本部のある大聖堂へ向かった。
*
大聖堂の一室で報告を終えると、向かいに座っていた男性が書類へ目を落とした。
「……1度、亡くなられているのですね」
「はい」
「そして復元されたあと、100年以上にわたって生きていらっしゃる」
「ご本人から伺った限りでは、そのようです」
男性はしばらく考え込む。
「その方は、現在も皆さんと行動をともにしているのですね」
「はい」
「ご本人から直接、お話を伺うことはできますか」
「事情をお伝えすることはできます」
男性が頷いた。
「では明日、その方と一緒に来ていただけますか。お話をお聞きしたいのです」
「承知しました」
アデルが席を立つと、男性はもう1度報告書へ目を落とす。そこには、100年以上前に死亡したという女性の名前が記されていた。
アルカナ・エルディア。
*
翌日、アデルと緋月は大聖堂の奥にある一室へ案内された。
室内には数名の教会関係者が集まっている。長い机の上には古い記録と、昨日アデルが提出した報告書が並んでいた。緋月は空いている椅子へ腰を下ろす。
「お越しいただき、ありがとうございます」
昨日の男性が口を開いた。
「まず確認させてください。あなたは、アルカナ・エルディアという方で間違いありませんか」
「昔はそう名乗っていたわ」
「現在は緋月さん、と」
「ええ」
男性は記録へ視線を落とす。
「こちらには、アルカナ・エルディアという女性が100年以上前の事故で亡くなったと記されています」
「そうね」
「しかし、あなたは現在、こうして私たちの前にいらっしゃる」
「ええ」
男性が言葉を止めると、別の教会関係者が身を乗り出した。
「当時の記憶は今も残っているのですか」
「そうよ」
「ご自身が亡くなったときのことも?」
「それは覚えていないわ」
「では、復元されたあとは?」
「目を覚ましてからのことなら」
別の1人が記録から顔を上げた。
「あなたの残響は、月界に存在しますか?」
「たぶん」
「確認されたのですか?」
「それらしいものは見たわ」
筆記をしていた男性のペンが止まる。アデルの視線も、緋月の横顔へ向いた。
男性たちが顔を見合わせる。
「……難しい問題ですね」
最初の男性が呟いた。
「死亡の記録が誤りだったとは考えにくい。しかし、記憶も人格も継続しているとなれば、別人として扱うべきなのかどうか……」
「そもそも、同じ記憶を持っていることが同一人物である証明になるのでしょうか」
「ですが、それを否定する根拠もありません」
「復元されたというのであれば、元の人物とは異なる存在と考えるべきでは?」
「月界にその方の残響があるのなら、そちらこそが元のアルカナさんだという見方もできますね」
「では、以前の記憶も、その方が歩んできた人生も、すべて別のものとして扱うのですか」
誰もすぐには答えない。やがて、1人が別の資料を取り上げた。
「もう1つ、気になる点があります。身体に月界由来の変化が残っているということですが」
「ええ」
緋月が答える。
「周囲への影響は確認されているのでしょうか」
「今のところ、そのような報告はありません」
「しかし、危険がないと証明されたわけでもありませんね」
「そうですね」
沈黙が落ちた。
「……やはり、何もわからないまま野放しにするというのも」
1人の男性が口を開く。
「安全が確認できるまでは、こちらで保護するべきではないでしょうか」
「保護、ですか」
「必要であれば外出も制限することになるでしょう」
「しかし、それはいつまでです?」
別の男性が尋ねた。
「安全だと判断できる基準さえ、まだないのですよ」
「だからといって、何か起きてからでは遅いでしょう」
「それはそうですが……」
「我々には人々の安全を守る責任もあります」
議論は続いた。1度死亡した人物を、同じ人物として扱ってよいのか。復元された存在をどのように記録すればよいのか。周囲への危険性はないのか。安全性が確認できるまで行動を制限する必要があるのではないか。どの意見にも理由があり、そして、どの意見にも決定的な根拠はなかった。
緋月は黙ってそのやり取りを聞いている。
やがて、最初の男性がアデルへ顔を向けた。
「アデルさん。あなたは実際に、この方と行動を共にされたのですね」
「はい」
「その間、何か異常はありましたか」
「私が知る限り、周囲の方に悪影響が生じたことはありません」
「では、安全だと判断できますか」
アデルは少し考えた。
「いいえ。それだけで安全だと断定することはできません」
男性が頷く。
「では、アルカナ・エルディアという方と、現在の緋月さんについてはどうお考えですか」
アデルは隣に座る緋月へ視線を向けた。緋月も静かに見返している。
「……私には、わかりません」
室内が静まった。
「緋月さんがアルカナさんと同じ存在なのか、それとも別の存在なのか。私には判断できません」
アデルは続ける。
「ですが、今ここに緋月さんがいることは確かです」
男性たちは口を挟まず、耳を傾けていた。
「私たちと一緒に旅をして、言葉を交わして、ご自身の考えで行動していらっしゃいました」
「それはそうでしょう。しかし……」
「はい。わからないことが多いのは理解しています。調査が必要だということにも異論はありません」
穏やかな口調のまま、アデルは言葉を重ねた。
「ですが、何者なのかわからないという理由で、今ここにいる方を存在しないもののように扱うことには賛成できません」
緋月の視線が、わずかにアデルの横顔へ向いた。
「……では、危険性については?」
「調べる必要があると思います」
「調査が終わるまで自由に行動していただいてもよいと?」
「危険があるという根拠が見つかったのであれば、そのときに必要な対応を考えるべきだと思います」
アデルは1度言葉を切る。
「ですが、まだ何も起きていない段階で、ご本人の自由を奪うことには賛成できません」
男性は腕を組んで考え込んだ。
「……確かに、今のところ周囲に影響が出たという報告はないのですね」
「はい」
「ご本人も、こうして話し合いに応じてくださっている」
別の男性が頷く。
「そうですね。調査への協力をお願いすることもできるでしょう」
ややあって、最初の男性が緋月へ向き直った。
「緋月さん。あなたご自身のご意見は?」
緋月は少し間を置く。
「わたしは、わたしよ」
それだけだった。
男性はしばらく緋月を見つめ、やがて静かに頷いた。
「……そうですか」
*
話し合いは、もうしばらく続いた。
アルカナ・エルディアと緋月が同一人物なのかという問いには、結局、結論が出なかった。ただ、それを理由に行動を制限するべきではないという点では意見がまとまる。
「現時点で、あなたの行動を制限する必要はないと判断しました」
男性が告げた。
「ただ、周囲への影響がまったくないと確認できたわけではありません」
「そうでしょうね」
「今後も旅を続けられるのであれば、1つお願いがあります」
「なにかしら」
「立ち寄った町の教会へ、ご自身の所在をお知らせいただけませんか」
緋月が男性を見る。
「こちらでも引き続き調査を行います。必要な場合にご連絡できるようにしておきたいのです」
「ええ。……もうやっているわ」
「ありがとうございます。ご協力に感謝します」
男性はアデルにも顔を向けた。
「アデルさんも、ご報告ありがとうございました」
「いいえ。お役に立てたのでしたら何よりです」
2人は席を立った。
*
部屋を出ると、廊下の窓から午後の日差しが差し込んでいた。
「緋月さん、お疲れではありませんか?」
「平気よ」
「そうですか」
並んで廊下を歩く。しばらくして、緋月が前を向いたまま口を開いた。
「アデル」
「はい?」
「ありがとう」
アデルの表情がやわらぐ。
「どういたしまして」
そのまま、2人は大聖堂をあとにした。
*
その頃、王立境界院本部では、リゼットたちがカティアと向かい合っていた。机の上にミアについて調べた資料が広げられている。
「それで、何かわかった?」
レイが尋ねると、カティアは首を振った。
「残念だけど、まだね。調べる範囲はずいぶん広げたんだけど」
「やっぱり、ミアの記録は何もないの?」
「少なくとも、過去の記録は見つかっていないわ」
ミアはエリアの隣から机の上を覗き込んでいる。
「ミア、いないの?」
「記録の中にはね」
「ふうん」
少し考えたあと、ミアは別の書類を指さした。
「こっちにも?」
「ええ。こっちにも」
「そっかあ」
エリアがミアの頭を撫でる。
「これだけ調べても見つからないなんて、不思議ね」
「ええ。記録が残っていない理由も、まだわからないの」
カティアが答えた。
「ミアちゃん、他に何か思い出したことはない?」
エリアが尋ねると、ミアはあっさりと言い切る。
「ううん、ないよ」
「そっか」
「でも、みんなといたことは覚えてるよ!」
「ふふ。そうね」
エリアが目元をゆるめると、ミアも嬉しそうに足をぱたぱたと動かした。
リゼットは別の資料を手に取る。
「それで、最近の観測はどうなってるの?」
「それがね、少し気になることがあるのよ」
カティアは机の端に置かれた書類を引き寄せた。
「境界異常の報告が増えているのは知っているでしょう?」
「ええ」
「最近は今までとは違う種類の異常も確認され始めているの」
「違う種類?」
「月界では場所や距離がおかしくなることがあるでしょう。見えている景色が変わったり、同じ道を歩いているはずなのに思った場所へ出られなかったり」
レイが頷く。
「うん。何度かあった」
「でも、最近の報告はそれだけじゃないの。時間の前後関係までおかしくなっているらしいのよ」
リゼットが眉を寄せる。
「……時間?」
「ええ。観測された出来事の順序が合わない記録があるの」
「測定の誤りじゃなくて?」
「その可能性も調べているわ。でも、同じような報告がいくつも出ているのよ」
リゼットは資料へ視線を落とす。
「月界では時間の流れ方が違う場所もあるけど、それとは別なの?」
「少なくとも、今まで把握していた現象だけでは説明できないわね」
「……そう」
リゼットが考え込むと、レイが2人を見比べた。
「それって、ミアと何か関係あるの?」
カティアはミアを見る。
「まだわからないわ。ただ、ミアちゃんには過去の記録が見つかっていないでしょう?」
「うん」
「時間に関係する異常が増えているなら、何かつながりがある可能性は考えられるわね」
「じゃあ、調べたらミアのことがわかるかもしれない?」
「そうね。ただし、関係がない可能性もあるわ」
エリアが口を開く。
「もし関係があったとしても、ミアちゃんが何か異常を起こしているということではないんですよね?」
「ええ、もちろん。今は何か関係があるかもしれないというだけよ」
「そうですか」
エリアが頷くと、リゼットも資料を見つめたまま続けた。
「でも、調べてみる価値はありそうね」
ヴァンが椅子の背に腕を掛ける。
「で、その異常ってどこで起きてるの?」
「月界の通常調査区域内よ」
カティアが資料を指さした。
「ここ数回の観測で、異常が報告されている場所がいくつかあるの」
「じゃあ、行ってみようか」
レイの言葉に、リゼットが横目を向ける。
「簡単に言うけど、何が起きているかわからないのよ?」
「だから見に行くんだろ?」
「それはそうだけど……」
「リゼットも行くんでしょ?」
「当然よ」
ヴァンが口の端を上げた。
「じゃあ決まりじゃない?」
「まだ何も決まってないわよ!」
「今、決まりそうだったけど」
「ヴァン!」
2人のやり取りに、エリアが口元を押さえる。
「とりあえず、アデルさんたちが戻ってから相談しましょうか」
「そうだね」
レイはミアへ目を向けた。
「ミアはどうする?」
「行く!」
「まだ何も説明してないよ?」
「でもミアのこと調べるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ行く!」
レイが吹き出す。
「そっか」
エリアがミアの顔を覗き込んだ。
「怖くない?」
「レイもいるし、エリアもいるでしょ?」
「そうね」
「だから大丈夫!」
エリアはミアの頭にそっと手を置いた。
「じゃあ、みんなで行きましょうか」
*
しばらくして、部屋の扉が開いた。
「皆さん、こちらにいらしたんですね」
アデルだった。その後ろから緋月も顔を覗かせる。
「あ、アデル! 緋月!」
レイが手を上げた。
「どうだった?」
「無事にお話は終わりましたよ」
「そっか。よかった」
エリアも立ち上がる。
「緋月さん、大丈夫だった?」
「ええ。特に何もなかったわ」
ヴァンが振り返った。
「姉さん、教会に呼び出されたんでしょ?」
「ええ」
「それで?」
「いろいろ聞かれたわよ」
「……それだけ?」
「旅を続けてもいいそうよ」
ヴァンが眉を上げる。
「なんだか拍子抜けするくらい普通だね」
「そう?」
緋月が不思議そうに瞬きをすると、アデルが穏やかに口を挟んだ。
「教会としても判断が難しい事例でしたから、少し時間はかかりましたけれど」
「でも、問題はなかったんだよね?」
レイが尋ねる。
「はい。今後も必要に応じて協力していただくことになりました」
「へえ。よかったじゃん、姉さん」
「ええ」
緋月が頷いた。
リゼットが資料をまとめながらアデルへ声をかける。
「アデル。ちょうど次の調査について相談していたところなの」
「そうでしたか。何かわかったんですか?」
「まだわからないことばかりなんだけど、月界で時間に関係する異常が増えているらしくて」
「時間、ですか?」
「ええ。ミアの過去が見つからないこととも、何か関係があるかもしれないの」
アデルがミアを見ると、ミアは元気よく手を上げた。
「ミアも行くよ!」
「そうなんですね」
アデルの口元がほころぶ。
「では、私もご一緒します」
「ありがとう、アデル!」
レイが嬉しそうに答えた。エリアも頷く。
「アデルさんがいてくれるなら心強いわ」
「ありがとうございます」
その横で、緋月が立ち上がった。
「じゃあ、わたしはそろそろ行くわね」
「えっ?」
レイが振り返る。
「もう行くの?」
「ええ」
「せっかく戻ってきたのに」
「用事は済んだもの」
ヴァンが肩をすくめた。
「相変わらずだねえ、姉さん」
気にする様子もなく足元の猫を抱き上げる緋月に、ミアが近づいた。
「緋月、また会える?」
「必要があればね」
「じゃあ、またね!」
「ええ」
緋月は片手を上げて応え、そのまま扉へ向かう。
「あ、緋月!」
レイが呼び止めると、緋月は振り返った。
「なに?」
「気をつけてね!」
「あなたもね」
そう言い残し、緋月は猫と一緒に部屋を出ていった。
レイは閉じた扉を見つめる。
「……ほんとに行っちゃった」
「姉さんらしいじゃない」
ヴァンが手をひらひらと振った。
「まあ、そうだけどさ」
エリアがレイの肩に手を添える。
「また会えるわよ。連絡だってできるんでしょう?」
「うん。そうだね」
リゼットが資料を揃えながら声を上げた。
「それより、レイ。ちゃんと話を聞いてた?」
「聞いてたよ」
「じゃあ次はどこを調べるの?」
「月界!」
「それはわかるでしょう……」
「場所はリゼットが知ってるじゃん」
「もう!」
カティアが2人のやり取りに目を細めた。
「相変わらず賑やかね」
エリアが頷く。
「ええ。いつもこんな感じなんです」
ヴァンが立ち上がった。
「さて、行き先も決まりそうだし、そろそろ戻ろうか」
レイも椅子から立つ。
「うん」
ミアがそのあとを追いかけた。
「レイ、待って!」
「ほら、こっち!」
「2人とも、廊下は走らないの!」
エリアが声をかける。
「走ってないよ!」
レイとミアの声が重なった。
「……まったく、もう」
エリアは呆れ顔のまま、口元だけをゆるめている。
リゼットが大きく息を吐いた。
「……本当に、あの2人は」
アデルがくすりと笑う。
「元気でいいですね」
リゼットはもう1度ため息をつき、資料を抱えて2人のあとを追った。




