06 ユウキャン 48歳 デリヘルドライバー
――やりがいですか?
(ねぇわ、そんなもん。車に人乗っけて運ぶだけだわ)
――そうですね。キャストの方を安全に安心して目的地までお連れして、「ありがとう」という言葉をいただいた時ですね。
(言われたことねぇわ)
――ダブルワークを選んだ理由ですか?
(店が火の車なんだわ)
――小さな中古車屋をやっているんですが、とにかく車が好きで、お客さんに乗ってもらうよりもやっぱり自分も運転したくて、で、どうせ運転するならそれでお金がかせげるんだったらいいなって。
(だから借金で首が回らねえんだわ)
――そうですね。車なら売るほどあるんで(笑)それが仕事に活かせるのも魅力的ですよね。
(もうほとんど二束三文で売っちまって残ってねーんだわ。もう火の車しか残ってねーんだわ)
――隙間時間から本格的にやってみるのでもいろいろ選べていいんですよね、
(もう本格的にやってんだよ。そろそろ、ヤバイ運び屋さんになるしかねーんだわ)
――1日の仕事の流れはですね(中略)
(なるべくラクそうなかんじで書けってなんだよ)
――車が好きなら、ぜひチャレンジしてほしいですね。社員さんもみんなごくふつうでいい人たちばかりで、未経験でも丁寧に教えてくれますよ!
(いやいや、昨日も1分遅れた新人をめっちゃ恫喝してたけどな)
――ありがとうございました。
あーあ。こんな嘘っぱちならそっちで勝手に書けよ。なんでおれにやらせるんだ。
おれが書いた原稿とやらはあとかたもなく修正されているというのに、確認してください、というメールが来た。
だから何を確認すればいいんだ。
ま、いいや。こんな駄文で1万円もらったし。
おれはSUVを走らせてキャストのお迎えに向かう。
……が、ユリコちゃん、か。
この子、前回時間通りにあがらなかったんだよな。
店長ブチギレてたし、次の送迎に遅れた俺までペナ取られたし。おれは、おれのせいじゃねーって言ったものだが、さらに逆ギレされた。
「そんなもん、お前が時間通りに引っ張ってくりゃいいんだよ!」
「あー、いいんですか? そんなマニュアルにないことやって、お客さんからクレーム入りますよ」
「もう入ってんだよ! 次の予約はよそからお試しで乗り換えてくれた太客だったんだぞ! どうしてくれるんだ!」
「あー、だから、それはキャストが遅れたからでしょ。おれのせいじゃないじゃないですか」
「うるせーんだよ。間に合うように走れや。なにちんたらやってたんだよ!」
「あー、安全運転を徹底しろってありゃなんですか?」
「あーあーうるせえって言ってんだよ! この下手くそドライバー!」
なにか店長が持っていたライターかなんかが飛んできたが、地面を叩いたのが跳ね上がったようだった。
「あー、今度は時間守るキャストをあててくださいよ」
おれはありったけの軽蔑の眼差しで店を出た。
サラリーマンには昔から向いていない。
はじめは大手のカー用品総合専門店チェーンで整備の仕事をしていた。車用品の新作をチェックして歩くのが趣味だったから、転職だと思っていた。だけど、毎週店長が店舗のノルマのことばかりを朝礼で言っていて、売り上げが足らないのは努力が足らないと、休み明けにいちばん聞きたくもない話をしていた。
努力というのは、お客が必要としている以上の整備をし、修理をし、できるだけ高い部品を勧めることだ。知識があればあるほど、無駄なメンテをしていることに苛立ちを感じていた。そのことをふとチーフに話した。いつもにこやかで従業員思いのひとだった。なんでも話せる人だった。いつの間にか俺は日常的にチーフに口をこぼしていた。それで、ある日店長に呼び出され、その愚痴をいくつか再生され、お前のような不平社員が売り上げを落としていると詰められた。おれはその日、会社を辞めた。たった一年だった。
そのあとはCMを打つような新興のチェーンに入社したが、似たようなものだった。現場はふつうだったが、マネージャーより上、幹部がイカれていた。30代で専務やら常務やら、たいそうな肩書がついてる連中は、業界紙のインタビューで業界に改革をおこすと息巻いて、ふるい時代の慣習を打破すると宣言した。そいつらがやっていたことは、保険会社とグルになった違法行為そのものだった。その上、世間に不正が大々的にバレて、事業停止に陥った。
サラリーマンはもういい。お自分は俺のできる範囲で仕事をしよう。
自動車整備工の資格で日雇いをしながら、宅配便の仕事をやりまくった。どっちも車に関われる。後者は業界ではいちばん給料がいい。ほとんどの時間、ひとりで荷物を運ぶだけ。実際、若いうちにここで金を貯めて独立資金にする者が多い。俺もそれを考えていた。8年たって、自分の店をもつことができた。32歳のときだ。
中古車ディラー「ユウキモーターズ」。
順調とはいえない滑り出しだったが、なんとか堪えて3年目を過ぎると軌道に乗った。
それからは仕事が楽しくて仕方なかった。
あまり日本では知られていない外車も仕入れていた。知る人ぞ知るディーラーになった。
まあ、それも昔の話だ。
※ ※ ※
ユリコちゃん、か。こりゃ当てつけだな。
意趣返しってやつだ。
世の中の「店長」はみんなクソだな。
たかだかデリヘルドライバーにくだらない理由で、よくあんなにキレられるもんだな。
おれも店長ではあったが、個人事業主だしな。
やっぱりサラリーマンはクソだ。
客の自宅近くに車を停める。時間の2分前。
きっちり時間管理のできているキャストはギリギリぴったりで出てくる。早すぎたらお客が喜ばないし、遅れたら店がブチ切れる。そのへんがうまくないと業界ではうまくやっていけない。
だが……。やはり、時間を過ぎても出てこない。
「ちっ」
思わず大きな舌打ち。誰もいないのに。
30分を過ぎた。
俺は店に連絡して、事情を話すことができた。
そもそも待っている必要もなかった。
もし延長ということになったなら、店から連絡があるはずだ。
ない、ということはユリコは店にも連絡していない。
まあまあ金の悪くない、この仕事をやめなくてはならない。
車が使えて、実入りのいい仕事はあるだろうか。
宅配便ができるほど体力はなさそうだ。
もう48歳だ。
車の中にいるときだけ、俺は社会から切り離されて、自由だ。
家の中にいる時よりも落ち着く。
音楽でもかけようか。
そう思った瞬間、ユリコが悠々と姿を現した。
おれは深くため息をついてから、ドアを開け、後部座席のほうに回る。
「あら、結城さんだったの」
なんでもないように言う。風俗をやっているようには見えない、素朴な見た目。服装も派手さがいっさいない。そこがウケているんだろうけど。
「あー、もしかすると、乗るのかい?」
おれは嫌味ったらしく言ってやった。次の送迎にはまたしても間に合わない。
だから一時間でも二時間でも待っていようと思った。
「乗せてくれると、うれしいんだけど」
「あー、ああ」
おれはドアを開けて、イギリス貴族のバトラーのようなしぐさで車内に促す。
「ありがとう」
まるで姫君のような優雅さで座席に乗り込む。
丁寧にドアを閉めると運転席に戻る。シートベルトをして、うしろを振り向く。
「あー、どちらまで?」
ふざけてそういう。その時、スマホが鳴り響く。いまごろ、店からだ。
ただちに停止ボタンを押してぶっちぎる。
「いいの?」
「あんたは?」
「スマホ? 電源もはいっていないわ」
「あー、最初からぶっちぎるつもりだったのか」
「あのお客さん。話が長いのよ。いつもと同じで、私に膝枕されながら、ずっと仕事に行きたくないって言ってたわ。会社では部長さんかなんかで、けっこうな立場なんだけど、私をお母さんか何かのように仕立てるの」
「まー、デリヘルの使い方は自由だ」
「そうね」
「ほかでも、やらかしてるんだろ?」
「そうね」
「あー、それでも指名が絶えないから、店もおお目に見ている」
「私、デリヘルやめようと思うの」
「へえー、どうだっていいね」
「あなたも私のせいで、嫌な目に遭うでしょうね」
「あ、いや、俺もさっき辞めた」
「そう」
「ああ。だから、どうでもいい」
「どうするの?」
「サラリーマンは会社の奴隷だ。自由がない。フリーターはさらに自由がない。時間と生活の奴隷だ」
「どうにもならないということ?」
「ああ。ならないね」
「幸せになってほしい」
「あー、もうすぐなれるさ」
「私のことじゃないわ」
「あー、なに勘違いしてるんだ。俺のことだ」
「そうなの? なにかやりたいことが?」
「あー、ああ、いまできた。旅をする」
「いいわね」
「ああ、どうせ死ぬ。やりたいことをやりたい」
「旅がしたかったのね」
「まー、行きたいところがあるわけじゃない。ずっと車を走らせていたいだけだ」
「私も連れて行って」
「……断る」
「そう……よね」
「俺は長く生きられない。新しい人間関係は邪魔なんだ」
「生きられない?」
「あー、病気さ。もうそれ以上は聞くな。で、適当に流しているがどこで下ろせばいい? 俺の残りの人生のためにはガソリンは貴重なんだ」
「うん。私も空想で旅をするわ。行きたいところはないけど。……ここでいい。ありがとう。長生きしてね、結城さん」
「ああ」
彼女の自宅がどこかは知らないが、繁華街だし、まだ電車もある。帰れるだろう。
ユリコが亡くなったのはそれから一週間後に知った。〈ひとり〉で旅出ったらしい。
俺が仕事をぶっちぎった店の客で、なぜだか仲良くなったガラの悪いやつに聞いた。グラサンにスキンヘッドのガラの悪いやつだったが、親身になって、「店長がヤクザの知り合いに頼んで、アンタをぶちのめそうとしている」と教えてくれた。実はいいやつだったし、なぜかそういう情報に詳しい。なんの仕事をしているのか不明だが。きっとガラの悪い仕事なんだろう。
ほんとうに旅に出たくなった。
店は完全に閉めて、売れるものは売って、いろいろと整理したら、出かけよう。
それから、しばらくして柄の悪い知り合いに忠告されていた「俺をぶちのめすために店長が依頼したヤクザ」に出会ってしまった。車のナンバーで捜索されていたようだった。やつらは俺をボコボコにしたあと、車に乗り込んで、専属のドライバーにした。最近、引退した老舗極道が関西のヤクザといっしょになって若返りした武州組とかいう連中らしい。そいつらも関西弁だった。その関西ヤクザの三人と顔見知りになってしまった。〈ゴンちゃん〉と呼ばれているやつがリーダーのようだった。翌日からゴンちゃん以外のどちらか一人が俺の車に乗っていて、軟禁状態になった。24時間誰かが車にいる。
ずっと無意味に走らされ、ときどき送迎のようなことをさせられて、トイレに行くにもついてくる。俺が車好きなのは、自由になれるからだったが、こんなことではステアリングを握る気力さえ失っていく。2日間、俺はやつらのお遊びに付き合わされた。これがお遊びなのかはわからないが。2日目にようやく眠ることが許された。
人生はクソだな。
翌朝、後部座席から蹴りを入れられて、起こされた。
振り向くと二人が乗り込んでいる。それからなんだかんだと電話で話している。
下手に出ていることから、このチンピラどものボスなんだろうと思った。
「おい、いまからここに行け」
と、スマホの画面を見せてくる。
あほか、近づけすぎだ。見えねーよ。
だが、だいたい場所はわかる。住宅街だ。
「あー、行ったらどうするんだ?」
「うるせえ、行けよアホンダラ、しばくぞ」
おつむが弱い人間の語彙力のない定型文で罵られても平気かと思っていたが、やっぱりむかつく。
サイドブレーキを下ろして、ゆっくりと進行させる。
目抜き通りを抜けて、少し坂を下がると、すぐに住宅街になった。意外と道は広い。
車の通りも人気もない。
「ここだ、ここだ、このへんで止めろ」
道の左側に寄せてゆっくりとブレーキを踏む。サイドブレーキを引いて、ステアリングを持ちながら、そのまま前を凝視する。何もない住宅街の朝。朝なのか。いま何時だ。
9時だった。
ひとりが車から降りて、何やら電話で誰かと話している。
そしてそのままどこかに歩いて行った。
残ったもう一人は、ビニール袋からコンビニおにぎりを出して、食べ始めた。
〈明太子〉だった。
バックミラーごしにそれをみた途端、腹がぎゅうっと鳴った。
途端、蹴りが入る。ドスンッ!
「腹鳴らしてんじゃねーよ!」
マジでバカかこいつ。腹が減ったら鳴るんだよ、人間は。バカが……。
「ほしかったら、おめぐみくださいって言うてみろや!」
「おめぐみください!」
おれはほぼかぶせるように言った。
同時に頭を二度三度叩かれた。
「やるかボケ、カス、失せろや」
失せていいなら失せるさ。なんでこいつらこんなに知能が低いんだろう。
そんなつまらない時間を1時間過ごした。
もうひとりが戻ってきて、
「こっちきたら、捕まえろって」
と言って急いで〈高菜おにぎり〉にかじりついた。
「じゃあ、降りとくか」
「いや、あっちにバイトが道ふさいどる。きったないホームレスやから、まっすぐくるやろ。俺らはサッとつかまえて、サッと乗せるんや」
なんかバカみたいな作戦の打ち合わせをしている?
捕まえるってなんだ。
さらに時間がたった。俺にはなんの説明もない。いや、サッと捕まえて、サッと乗せたら、サッと出発するのが俺の役目だろう。要するに、人攫いかなんかか。こんな住宅街で? 白昼堂々と?
「あ」
その時、バックミラーに見えたのは、女子高生だった。
黒髪のロングヘアー、左肩にバッグを抱えて、駆けている。遅刻でもしたのか。さわやかな一場面だった。
「おい、来たぞ」
「なんだよ、兄貴、なにやってんだよ」
〈明太子〉と〈高菜〉のふたりがそんな会話をしている。まさか、女子高生を拉致しようとしているのか。
女子高生は一旦左の道に入ったが、すぐに出てきて、こっちに向かっている。
やめろ。こっちにくるな。
次の瞬間、怪しいホームレスが路地から現れた。
そして、こっちの二人組が車から降りる。
女子高生は躊躇している間に、二人組に捕まってしまう。
だが、抵抗をしている。
これから、おれは拉致の手伝いをさせられるのか。
待てよ。いま、あいつらのどちらもいない。この2日間で初めて車内は俺だけだ。
エンジンをかける。ブゥオオン。
やった。これで解放される。このままどこか遠くに行って、このSUVは乗り捨てよう。それから、契約駐車場に戻って、最後に残した一台に乗り換えて旅に出るんだ。
「うぉっぉおおおおーーーーーーーーーーーーー!!」
絶叫が聞こえた。
怪しいホームレスのおじさんが二人組とくんずほぐれつしている。
どうした、ホームレス、何があった!?
「逃げろおおおおおおっっっっーーーーー!!」
ホームレスは気持ち悪いほどに不思議な絡み方で寝技に持ち込んでいる。複雑すぎて脱出できないようだった。
女子高生はその叫びを聞いて駆け出した。
まさか、助けたのか!?
〈高菜〉がおじさんを蹴飛ばし立ち上がり、女子高生の後を追った。
〈明太子〉はなかなかホームレスを振り解けない。膝蹴り、肘打ち、何度もダメージを与えて、ようやくふりほどく。しかし、もう女子高生も仲間の姿も見えない〈明太子〉は怒りにまかせてホームレスを蹴り始めた。ホームレスは亀のポーズでガードしている。
おれはどうすべきか考えていた。このまま走り出すべきか。どちらにしろパワースライドで後部座席のドアは閉めた。〈明太子〉は気づいていない。とりあえずこのままでいてもあいつがこの車に乗ってくることはもうない。あのホームレスを助けてやることもできないが。
さんざん痛めつけた後、疲れ果てたのか、〈明太子〉はフラフラとしながら、女子高生と仲間が去って行った方向に走り出した。
あいつ、本当に知能が低いな。車で追いかけたほうが早いだろうが。
「乗せないけどね。あはははは!」
おれは笑いながら、ステアリングをバシバシ叩いた。やったぜ。
さてと。あらためて旅に出るか。
と、その前に。
ゆっくりと車を降りる。
大の字で倒れているホームレスを見る。
髭が茫茫だが、意外と若く見える。けっこう気温が高いのにダウンジャケットを着てニット帽をかぶっている。
頬から内出血の兆しが見える。これ、あとで紫になるやつだ。俺と一緒だ。
でも、それほどではなさそうだ。
だって、笑ってやがる。
「あー、あんた、無茶するねぇ」
俺の口からも笑いが溢れた。
「さ、立てるか。おれの車に乗りな。早くしないと、あいつら戻ってくるかもだぜ」
肩を貸す。
「あんた、あいつらの仲間じゃないのか?」
「まさか。おれはただの送迎ドライバーだ。たったいまキャンセルになったみたいだし、こんな住宅街のど真ん中で落っこちてるホームレス拾って届けたほうが世のためだろ」
とりあえず、後部座席に押し込んで、運転席に戻る。
「あんた、その顔」
ホーレスが俺の顔を見ていう。そういえば、おれの顔もわりと腫れているな。
「ああ、なんかお揃いだな。なはははは。ああ、シートベルトしてくれ」
「その声、笑い方。話すときに〈あー〉って言う口グセ」
「ん?」
「結城くん?」
「へ?」
なんで俺の名前知ってる。というか、なんで「くん」づけなんだ。
「……ユウキャン?」
そう呼ばれたのは高校以来だ。
結城庵。俺の名前だ。
そして俺をユウキャンと呼んでいたのは高校時代仲の良かった三人組だけだ。
そうして、俺もその声に気づいた。
「トモ、なのか……?」




