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05 遅れてきた誘拐犯

 ケンジは、スマホの地図アプリを見ながら、住宅街を彷徨っていた。


 まったく使い慣れていない。ときどきスマホを上やら下やらにひっくり返して、さらに自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。

「くそッ」

 自分の情けなさに腹がたつ。

 12年前から社会から取り残されているようだった。

 アメリカにいた時はただひたすら体を動かしていただけだし、日本に戻ってからはテレビも見なければ、人との交流もない。仕事先では無愛想で済ませているし、そもそも社会のことを知っている必要性がない。ただ淡々とすべき仕事をしていればいい。趣味といえば、引き続き総合格闘技マーシャルアーツの鍛錬だけだ。体を動かしていないと落ち着かない。スマホなんてものをじっといじっているヤツらが信じられない。信じられないが、世の中のほとんどはスマホをいじっている。それもまた信じられない。

 いつも知らない現場に行く時は〈チエちゃん〉が地図をプリントアウトしてくれる。

 一度、地図アプリを試したときも指の操作の仕方がわからずに苛立ってしまった。

 ケータイはこんなに難しくなかったというと、チエちゃんは「スマホのほうが簡単なんですけどね」と言った。そんなばかな。ボタンを押すだけのほうが簡単に決まっている。


 とにかく迷ってしまった。

 しかしまあ、そのうち着くだろう。

 オレは途中で地図アプリのなにかのボタンを触ったら点線で経路が出たのに気付いた。

「おっ」

 すると、突然、着信音が鳴り響く。

 慌てた。慌てたが、これは緑色のボタンを押せば通話になるのを知っている。「龍」と表示されている。オジキだ。

「ケンジ、女は回収したか?」

「いえ、オジキ、すみません。少し道に迷っていまして……」

「馬鹿野郎!!」

 スマホがぶっ壊れるんじゃないかというくらいの、ものすごい轟音が鳴り響いた。

「す、すみやせん!」

 これほどに怒鳴られたのは駆け出しの頃以来だ。

「もう家にはいない可能性が高い、すぐに探せ! 」

「え、いやオジキ、俺、その女の顔もわりません……」

「馬鹿野郎!!」

 耳がちぎれそうだ。

「てめえがのこのこしたせいで、〈ほかのヤツら〉に掻っ攫われちまうんだ!」

「ほかにも狙ってるやつらが?」

「そうだ。まだ間に合う! 不審な車、チンピラ、ヤクザ、それと女子高生、そこらんへにいたら手当たり次第、問い詰めろ!」

「へ、へい!」

「1時間後に報告しろ! 絶対にぬかるな!!」

 そう聞こえた瞬間、電話は切れた。

 まさか、そんな重い仕事だったとは。チクショウ、俺もカタギになって腑抜けたもんだ。いや俺がカタギを名乗っていいのかはわからんが。


 ともかく俺は駆け出した。念の為、さっき出た経路のほうに走ってみる。うまくいけば鉢合わせになるかもしれない。


 ラッキーだったのだろうか、ひとりチンピラと出くわす。そいつも何かを捜しているようだった。

「おい、テメェ何してやがる!」

 いきなり絡んできた。なんてこった。俺も同じセリフをはこうとしていたところだ。

 俺は黙って近づく。

「カタギじゃないな。何を捜してる?」

「あ? テメェーには関係ねえだろ」

「ものすごーく、関係ありそうなんだよ」

「テメェにかまってる暇なんかねぇんだよ!」

 チンピラは俺の足を蹴りあげようとした。俺は膝をあげてブロックすると、掌底を顎に入れた。

「ぐがっ!」

 やばい。カウンターでクリーンヒットしすぎた。

 チンピラはふらふらっと足がもつれて倒れ込む。

 俺はそいつの胸ぐらを掴んで引き起こそうとした。

「おい、お前の追ってるやつだが……」

 あれ、気を失っている? 頬を引っ叩いてみるがだめだ。

 万事休す。


 ※  ※  ※


 呼び出し音が続く間、気が気でなかった。

 そして呼び出し音が途切れると、今度は生きた心地がしなかった。

「おう」

「オジキ、すみません……」

 単刀直入に話し始めようとしたが、すぐに遮られた。

「そうか」

 予想と違って、落ち着いた声。落胆という感じでもない。

「もう手遅れかもしれねぇが、捜し続けろ。街で手がかりを探せ。情報を集めろ。何かわかったら連絡しろ。こっちも新しい情報が入ったら連絡する」

「あの、オジキ。その女子高生はなんで狙われてるんで……」

「真崎のオヤジの唯一の相続人だからだ。昨日から真崎のオヤジの顧問弁護士と連絡がとれねぇ」

 弁護士というと遺書かなにかを預かっていて……。その相続人が誘拐される……。誰に?

「ケンジ、お前はもうカタギだ。裏のことは知らなくていい。だが、オヤジの縁者……アユカワヒメという名前だ。その娘だけは絶対保護しなきゃならねえ。それだけ覚えておいてくれ」

 〈誘拐〉がいつの間にか〈保護〉に変わっていた。いや、はじめからそっちに近いような気がしていた。もし、その遺産をオジキが狙っていて、その女子高生やらが必要なら、もっと人を当てて有無をいわせない作戦をとっただろう。だから、これはオジキにも予想外だったということだ。

「……わかりました」

「ヒメちゃんにはなんの罪もねぇし、事情はなんにも知らねぇ、くっ」

 娘のその呼び方に、その悔しさに、ふたりの親密な関係性を感じる。だとしたら、はじめからそう言ってくれれば俺も本気で……。俺は本気じゃなかったのか? もしかしたらオジキは腑抜けた俺に刺激を与えようと〈拉致〉なんて言葉を使ったのか。

「オジキ、せめて狙っている連中が誰なのか教えてくれませんか?」

「……実ははっきりとはわかっていない。だが、俺の推測では……」

「……」

「……武州組だ」

「武州組っ!!」

 その名を聞いた途端、全身の血管が決壊したかのように熱いものがかけめぐった。

「落ち着け、ケンジ。事前に知っていたら。お前をこんなことに巻き込みやしねえ。だが、こうなったら仕方ねぇ」

「……」

「昔のことを忘れろとは言わねえ。だが、今回のこととは分けて考えろ」

「はい。大丈夫です」

 言いながら、それが嘘だとはっきりわかる。自分でもはっきりと。

 もう何年も胸の奥に沈んで、消えて無くなっちまったまのかと思っていた。

 とんでもない。あの時とまるっきり同じぶんだけ、残ってやがった。

 武州組――俺をハメやがった。俺からなにもかも奪った。

 だが、一拍おいて俺は言う。

「俺はもうカタギです」

「そうだ」

「オジキ、必ず仕事はやりとげます」

「ああ、頼む」

 通話が終わる。

 視界に街の景色が戻ってくる。

 日が暮れかかっている。

 一度深く息を吐く。


 さて、どうする?


 裏社会のことは裏の人間に聞くしかあるまい。

 大阪なら情報を持っている人間がすぐに思いつく。子分たちを使えばだいたいのことはその日のうちに分かっただろう。それくらい「界隈」というのは狭いものだ。だが、ここは東京だ。そして俺はもう極道じゃねぇ。人脈というものはつくらないようにしてきた。俺の身元が知られることはもうないと思うが、新しい人間関係もいっさいない。

 俺にはこの街で知り合いはひとりもいない。

 オジキを除いては。

 

 いや、そんなことはないな。


 俺は踵を返し、繁華街のほうに向かっていく。

 大通りの牛丼屋と最近できた抹茶専門店の間に細い道が伸びている。左右には看板が出ていて、まるで別世界。昔からここで営業をしている店舗ばかりだ。印刷屋、スナック、花屋、印象屋、文房店。いったい何十年もどうやって生計を立てているのかわからない。

 そんななが、比較的建物の新しい一角があって、そこは俺が仕事をもらいにくる「ソリダリエタ」だ。ここはオジキが代表を務めるNPO法人だ。とても言いにくい言葉なので、名付けたオジキ自身が「ソリダ」と縮めて呼んでいる。

 主に元ヤクザやホームレスの就労支援をしている。仕事の斡旋、就労の相談、ハローワークなんかにいけないと感じている人間がやってくる。ときどきホームレス相手の炊き出しも行っていて、俺も何度か手伝たっことがある。

 俺は押し戸を開いて、事務所に入る。受付には男、といっても後期高齢に近いおっちゃんとおばちゃんがぜんぶで三人、受付をしている。相談者はひとりのようで、のこりは暇なのか、お菓子を食べている。

 「いらっしゃい」

 おばちゃんのほうが言う。もうここでは顔馴染みだ。俺は会釈をする。

「チエちゃん、いる?」

 「いるわよ」

 「ありがとう」

 これ以上のコミュニケーションをとったことはない。おっちゃん、おばちゃんも何も聞いてこない。俺はよく顔を出すチェちゃんの客だ。

 俺はそのまま2階にあがる階段へと向かう。

 チエちゃんのデスクは部屋の奥だが入口を向いている。 

 応接用のデスクとソファがあり、あたかも所長、社長といった身分に見える。

 だが、地味な事務服にカーディガン、メガネにおさげ髪というのはいまどき見かけない昭和のOLみたいだ。


 「あら、ケンジさん?」

 少し驚いたようだった。仕事をもらいにくるなら朝、仕事の報告と報酬の受け取りは夜と決まっていた。

 いま、チエちゃんから仕事はもらっていない。

 「お休みじゃなかったんですか?」

 「俺に休みなんてないよ」

 「少しは休んでくださいよ。働き詰めじゃないですか」

 チエちゃんの本名は知らない。オジキがそう呼んでいるからそのまま呼んでいる。メガネに、髪をうしろに束ねている。年齢も知らない。ベテランのような落ち着きぶりだが、とても若くも見える。服装が地味なせいだろうか。このNPOの事務と経理を、いや運営そのものも全て担っているのがチエちゃんだ。オジキが「ソリダ」でなにかをしているのを見たことがない。

 「まさか、先生のお仕事ですか?」

 チエちゃんはオジキを先生と呼ぶ。なぜかは知らない。そして、下の階で就労支援なんかをやっているのに、俺だけはここに来てチエちゃんから仕事をもらう。週のはじめに来れば一週間分の仕事のスケジュールが渡される。基本的には3日以内、日雇いも多い。同じ現場のときもあるが、その場合はだいぶ期間をあけてからだ。俺を現場で「馴染まない」ようにしてくれている。俺の希望でもある。「友人のひとりぐらいできたっていいじゃないですか」とチエちゃんに言われたことがある。そんなものは必要ない。孤独がつらいとは思はない。俺は殺人者だ。戸籍が消され、偽物の身分でここにいる。存在してちゃいけないんだ。

 「かたくなですね。まるで働いていないことが怖いみたい」

 「……」

 「でもなんのために働いてるかってことですよ」

 「オジキのためさ」

 「そうなんですかねぇ」

 「まあ、そういうのはいいんだ、チエちゃん。今日は仕事のことじゃないんだ。ちょっと相談があって」

 「え!? ……えっえっえっ!? なんですか、なんですかぁー!」

 なんだこのきゃぴきゃぴとした感じは。やっぱりチエちゃんて若いのか。

 「そんなのはじめてじゃないですか!」

 「そ、そうやったか?」

 ものすごい圧を感じて思わず関西弁になってしまう。

 「そうですよ! 相談、なんでもどうぞ!! さあ、さあ、さあ!」

 「あの……実はさ。武州組について聞きたいんや……」

 「え!?なんで関西弁なんですか! あ、もともとあっちのひとでしたっけ? なんなんですか、今日は! はじめて見せてくれる顔ばかりじゃないですか! なんのご褒美ですか!」

 「え、ご褒美なん?……」

  だめだ、このままじゃまともに話せない。

 俺は大きく息をはいて、仕切り直す。

 「カタギのチエちゃんにこんなことを聞くのもなんなんだけど……」

 「いえいえ、私、こう見えても街の事情通、しかもウラでもオモテでもなんでもござれ」

 「そうなの」

 「はい。だってお客さん、じゃなかった〈相談者〉の方たちには〈元〉が多いのは知っているでしょう?」

 「そうだけど、元だろう?」

 「やめてからもね、そういう業界の話するのが好きな人いるんですよ。染み付いちゃってるんですかね。ともかく、そういう話を松本さんたちから聞いていると、この街の流れとかトレンドっぽいことはなんとなくわかるんですよ。いちおう、そういうこと知っとかなきゃいけないんで、私」

 松本さんというのはたぶん、下の階のおばちゃんのことだろう。名札プレートを見たことがある。

 「武州組というのは、名前に反して関西の組のはずだ」

 「あら、詳しいんですね。まあ、ケンジさんもそっちの業界で働いてたんでしたもんね」

 チエちゃんと話していると、裏社会というのも数百あるただの業界のひとつのような感じだ。

 「二年くらい前から、こっちにあった老舗っていうんですか? その人たちと一緒になって。親分さんがもう歳で引退してしまって、まだやるぞっていう人たちを引き取った?みたいな。なんだかんだで東京のほうが仕事が多いみたいなんで、ちょうどよかったとか」

 「なるほど」

 「あ、そうそう。それが最近、ホームレスの人たちをいっぱい勧誘してなんか仕事させているらしいんです。こっちの仕事相談が減っちゃって。営業妨害です」

 「手配師と張り合うんだ。チエちゃん……」

 「そりゃそうですよ。あっちはたぶん、てゆうか、絶対違法なやつですよ」

 「だろうね」

 「せっかくそういうのから縁を切りたいと思ってる人たちをたぶらかして、ひどいです」

 「あんまりそういう区別をしてないんじゃないか。ラクして金がいいのが一番だろうし、あとは、きっちりしたところで働くのが怖いというやつもいたな」

 どこかの現場で、ビール片手に勝手にそんなことを言ってくるやつがいた。


 ところで。その武州組の手配師というのは何か知らないだろうか。 


「それなら、ホームレスの人に聞いてみるといいんじゃないですか」

 チエちゃんが魔法で俺の考えを読んだかのように言った。


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