04 トモ 48歳 ホームレス
――乾電池をおめぐみください。単三電池がありがたいです。切れかかっている、いや、もう切れているだろう。そんな電池があったならば。ぜひお譲りください。いったい何ゴミに出せばいいのか、わからず、少なからず家の隅で邪魔になっている電池。私が最期まで面倒をみます――
ダンボールの片を二つばかり使って、そのメッセージは書かれていた。
その主はビニールシートにあぐらをかき、とくに通りすがる人とも目を合わさないが、時折、缶の箱から乱雑な金属音が聞こえる。ヒゲも髪もぼうぼうと手付かずのままに生い茂った男だ。もう暖かい季節だが、ウルトラライトダウンのジャケットを着て、その下にはひどく汚れたパーカーを着ていた。これまた薄汚いキャップをかぶったうえにフードをしている。手には指なしの手袋。
いかにもホームスといった出立ち。それが私。
「あなたの行く道に光あれ……」
私は電池をめぐんでくれた通行人に手を合わせ、おじぎをする。
繁華街のウラを根城にするホームレスである私は、日課として物乞いエリアに出張る。
今日も順調に電池が集まる。
ただし、本当に使えるのは20本に1本程度だ。投げ入れられる電池の多くが水没してるか、錆びた代物だった。
〈電池奉納ホームレス〉がSNSで少しバズってから、そうした割合になった。以前よりずっといい。母数が増えたぶんだけ、収穫は多くなったから、まったく問題はない。それに、面白がって、新品を入れてくる者も多くなった。
「アルカリ、マンガン、リチウム、イオン……この者に祝福あれ!!」
私は最大限の祝福を授ける司祭のように唱える。
このパフォーマンスは、ある時、思いつきでやったものだが、バズったらしい。
翌日から、このセリフを録画したいがための若者が次々とやって来た。
そのうちに〈電池奉納ホームレス〉の祝福はスマホの待ち受けにすると縁起がいいということになった。
電池は置き場所がないくらいに溜まった。なかにはモバイルバッテリーを奉納する者もいる。PES認証マークがついていない。危ない。
だが、1ヶ月もすると、電池奉納祭りは終わった。
収穫量はだいぶ減った。
しかたない、祭りはいつか終わるものだ。
それでも、電源は足りている。
私はベースサイトに戻ると、ボタン電池で動くバッテリーチェッカーで、生存している乾電池のコンディションを確かめ、本日のプレイ時間を考慮しながら、携帯型ゲーム機DSに接続し、起動する。
これは私の日課である「ユグドラシルの廃墟」の攻略だ。
無事に電源が入ると一安心する。
今日も冒険に出かけられそうだ。
このゲームは製作者のこだわりが強すぎて話題になった。中世だか近世だかのファンタジー世界を踏襲しているにもかかわらず、お手軽なお約束は排除し、徹底的な世界内のリアルを追求した。要するに都合のいいイベントを排除し、ある程度の合理性と現実性をプレイヤーが理解して達成できないと、詰む。
モンスターを倒して手に入れたものを換金するするところから、都合のいい換金所が存在しない。
攻撃が仕掛けた範囲によっては味方にダメージを与えてしまう。
魔法は社会情勢に影響がないくらいまでにひかえめにされている。
いちばんひどいのは、パーティーの人間関係が不安定になると、戦闘で不利になる。
それどころか、盗賊が金を奪っていなくなったり、聖女と狂戦士が駆け落ちしていなくなったり、聖女が好きだった聖騎士が闇堕ちして離脱するなど、魔王攻略以前の難易度を備えていた。
しかし、一部、熱狂したプレイヤーによってある程度の攻略法は発見された。そして、その通りに辿ればクリアすることは困難ではなかった。
しょせん、ゲームだ。
一時期、狂ったような中古価格がついたこのゲームも、いまでは、数百円で手放すものがいる。
私は、このゲームのわりと序盤で壁にソフトカードリッジを投げつけた部類の人間である。
だが、いまは愛おしむようにそれをプレイしている。
あれから何十年経ったのか。
私はいま50歳。たぶん。いや、まだだったか。
住所不定になってから、時を刻む必要もなくなった。
時間を必要とするのは、目的のある人間だけだ。
貴重な時間を惜しげも無く消費していた頃がなつかしい。
昔のゲームは攻略できないことこそが価値だった。それなのにプレイヤーはそれに挑んだ。そこに栄光があった。しかし、ゲームが大量つくられるようになると、みんな挑戦をやめた。手軽にストーリーを楽しめて、グラフィックも美しいものが人気を博した。ハードのスペックが上がるたびに、以前の理不尽な世界に挑戦するものはいなくなった。
そんなフェーズでローンチされた「ユグドラシルの廃墟」はキテレツを狙ったゲーム制作者の自己満足かあるいはクリエイティブはイカれていなければならないという信仰心なのか、いずれにしろ「クソだな」と当時思ったものだ。しかし、よく考えると、彼はロールプレイングというものを突き詰めすぎてしまったのではないかと思うようになった。
出会い、別れ、裏切り、浮き沈み、浅慮、深謀、成功、失敗……。
それは確実に人生のなかに存在する。
ゲームの世界で生きる擬似体験をする時に、それらは排除されていいのか? ゲームだからそれらのストレスは不要? 人生の大切な時間を使うのなら、ゲームも同じだ。苦労のない心地よい時間を過ごすだけがロールプレイングじゃないだろう。ならば、まるで人生にありそうなことを次々と試されるのも、ゲームの醍醐味であろう……!!
アホらしい。
だが、50年という人生の経験値を積んだ私が、いまこのゲームに向き合ったとしたら、いったいどれほどのことができるのか。どこに辿り着くというのか。
人生に攻略法など存在しない。あったら私はホームレスになどなっていない。
それを確かめたい。それにはDSを充電するための電池が必要なのである。
私の人生は明確で一切の迷いがない。
これが幸福ではないと誰に言わせよう。
いざっ!!
プゥーーーンッ
しかし、DSはその日、私の未来を見届けることもないまま、寿命を迎えたようだった。
※ ※ ※
今日が何月何日なのかはわからない。
それははじめ、ここちよかったが、社会の残り香が失せると、ただ意味のないものになった。
わかるのは日の出日の入りだけ。しかし、それに合わせて活動することもない。
「トモちゃん、最近、出てこないでどうした」
マッサンが私のベースキャンプを訪れて言う。
ブルーシートと段ボールでできたごく標準的なワンルーム。扉がないので当然ノックもない。プライバシーの侵害だが、ここではそんなことで事をあらだてる奴はいない。いまさらエロ本のひとつを発見されても、恥ずかしいことなんてなんにもない。
DSがオシャカになってから、私は無気力になっていた。
人生には目的が必要なのだとしみじみ感じた。
そして、新しい目的を探せるほどに私には人生がない。
そんなホームレスは寝ているに限る。
それは死んだも同然だ。
死んでいれば人生を悩むこともなかろう。
だが、村長であり、私の師でもあるマッサンは死に体に声をかける。
「たべてねぇえんだろ?」
「ああ……」
「だろうどおもっだ。缶詰、もっできたど」
「いいのか」
「賞味期限は3年過ぎてる」
「……まったく問題ない」
「俺っちのバーナーで火ぃ入れっからさ」
「なら……なおさら安心だ」
「お、食べる気ぃになっだが」
マッサンが笑顔になる。彼はおそらく70歳を過ぎている。とても人懐こい、そして世話好きだ。はじめて私がここに来た時も、あれやこれやシマのルールを教えてくれた。ゲームでいうところの「はじまりの村」の村長みたいなものだ。
だが、私は勇者でもなんでもない。姫も救わないし、世界も救わない。
この先に、何もなすことはない。
そんな私に貴重な缶詰を振る舞おうというのか。
焼き鳥缶だろうか。
もともとは塩味が好きだったが、ここに来てから甘ったるいタレ味が好きになった。
マッサンの自慢の宝具であるCB缶のバーナーに炙られた缶詰から、食欲を刺激する香りが私のベースに漂ってくる。
いますぐに近づいて嗅いでみたい衝動に耐える苦行がはじまる。
まったく、迷惑な話だ。他人のベースの前で、調理をするなどと。
「トモちゃん。そろそろひいだでわ」
マッサンは私をトモちゃんという。その愛称をつけたのは、あろうことか母親である。苗字が友田だから、家族みんなトモちゃんのはずであるにもかかわらず。だが母はそういうへんな人だった。父は「カズ」と下の名前で呼んだ。出鱈目である。
「いただこう」
私はホームレスのみなさんの行為に甘えっぱなしだった。
自分には価値がない。まっとうに暮らせない。自堕落をして、生活保護の受け方も知らない、したくない、それぞれの「世捨て」を望んだ人が集まる場所かと勝手に想像していた。
しかし、ここにはここのコミュニティがある。仕事もしているといえば、している。家がないだけだ。
いや、家ならある。この青い家が。
どこまでいっても人間は群れたがるのか。
上下関係、友人関係、縦も横もうまくいかなかったら、ここにいるはずなんじゃないのか。
そんな問いかけをするのも、ここに来て2週間程度で、プライオリティの最下位に堕ちた。
私は人生の意味を、私の過ちを、確認するために「ユグドラシルの廃墟」をプレイすることにした。しかし、それも叶わなくなった。呼びかけたら、面白がった若者がDSごとめぐんでくれることもあるだろうけれど、もはやそんな気分になれなかった。
まもなく50歳。セーブポイントがどこにあったかを探しても意味がないことはわかっていた。
「トモちゃん。さっちさ、ゴンつゃんが来でさ。急ぎの仕事があるんだって」
マッサンは缶詰のひとつを私に渡しながら言う。マッサンはあんまり歯がない。滑舌も悪い。だけど濁点が多い。どうしてだろう。
「急ぎ?」
我々はときどき日雇いの仕事をする。それがきついとき、やりたくない時は、紙やら缶やらを集める。しかし、これは競合が多いし、すごく頑張ったところで2000円程度にしかならない。日雇いとはいえ、仕事をしているほうがもちろん実入りがいい。ゴンちゃんは何者かは知らないが、ときどきちゃんとした日雇いの仕事を紹介してくれる人だ。この界隈では〈手配師〉と呼ばれている。最低時給も守られない、きつい、きたない、危険で誰もやりたがらない仕事がどこからかやってくる。言葉の通じない外国人より、我々ホームレスのほうが需要がある。なんだかんだで日本人は仕事に責任感があるそうだ。そういう発注者のほうは社会的責任は放置しているようだが。
「簡単な仕事だって」
「ふーん」
「でさ、やってみない?」
「え?」
私は自分を指さした。
「一時間くらいで一万円だって」
「マッサン、それ絶対やばい仕事だよ。やばいよやばいよ」
出川の真似をしたがスルーされた。
ゴンちゃんは何者かは知らないが、ときどき犯罪がらみにホームレスを活用しているんじゃないかと噂がある。裏社会とつながっているという噂だ。まあ、繋がっているんだろう。とてもまっとうな仕事とは思えない。
しかし、多くのホームレスは気にしない。金がもらえればなんでもいい。簡単な仕事ならなおさらだ。
私はそうは思っていない。
「トモちゃんじゃないとできなさそうなんだよね」
「マッサンはオレのなにを買っているんだ」
「まあ、あんたは、酒もタバコもギャンブルもやらない。稼いだ金をゲームだかに使ってる」
「そうだが」
「そんなやつらわしらのまわれにはいぬえ」
それは、私がみんなの仲間に入れてもらえていないということだろうか。その資格がないということだろうか。なんだか寂しい。
しかし、ホームレス仲間には定期的に髭を剃って、仕事をして、金のある時に銭湯に行って、健やかに過ごしているやつもいる。私よりよっぽどホームレスらしくない。まあ、そいつはとんでもないギャンブル狂だが。
私は髭を剃るのをやめている。この一年でいかにもホームレスのような髭面ができあがった。
なのに私はここでは認められていないというのか。
いや、私はもちろんホームレスになろうと思ってなったわけじゃない。
住む場所を失ったのは確かだが、はじめは◯バーイーツをしてネットカフェで過ごしていた。それも無意味なことに思えて1年ほどなにもせずにいたところ、完全に路銀が尽きて、公園のベンチで寝ていたところ、酔っ払いにボコボコにされた。
翌朝、マッサンと出会った。
「いくとごは?」
「ああ」
「ふむどごは?」
「ない」
「なら、ごい」
そうして、マッサンがまるで村長のようなこのムラに来た。
ホームレスのイロハを叩き込まれた。
「あんだみたいな若いのが、最近多い」
みんな少なくとも60は過ぎているらしい。しかし、俺もじきに50歳だ。たいして変わらない。
「まだやり直せるべ」
何を根拠に。
それにその意志があるかどうかの話だ。いまの私を否定してほしくない。
「ここでは心は自由でありたい。生活がどんなに不自由であろうと」
「あばば。あいがらず、おもろべぇなあ」
「残飯あさりはできても、炊き出しに並ぶのがいやだというやつもいる」
「あーひどぞれぞれだ」
「そういうことだ」
「げど1万円だ」
「だからだ。うそくさいんだよ」
「1万円だぞ」
「ならマッサンがやればいいじゃないか」
「わひが腰痛めてるのは知っとるだろ。それに足もづってる」
つまり、行けるなら自分で行きたいが、行けなくて困っていると。
そうだな。マッサンは体調が悪くいま稼ぎがほとんどない。なら、これは人助けか。
麗しの姫でなくても救えるものがあるのだと考えたら悪くない気がした。
「オレのギャラは1000円だ。あとまた缶詰が食べたい」
「ええど」
マッサンはほとんどない歯を見せて破顔する。
「で、どんな仕事だ?」
※ ※ ※
有名女子校内で〈ウラの品物〉を横流ししている女がいるのだそうだ。
話はぼやかされたが、違法薬物じゃないかと思う。学生の違法薬物問題はときどきニュースで見ていた。
いったいいまの学生はどこでそんな道に進んでしまうのか。裏社会と簡単につながりすぎじゃないか。
けしからん、が。それもこれも大人の責任じゃなかろうか。
私も含め、いったい、大人たちはなにをやっているのか。
どうやら、その不良女子高生は裏社会のルールを知らないので、〈ブツ〉をとりあげて説教しなくてはならないらしい。仕事というのは、その不良を見張ることだった。最近はチンピラも人手不足らしい。
私は路地にいて、道を塞ぐ役だった。
もし通ったら、そのまま足止めすること。
路地に入らなかったら、そのまま背後について、前方にいる仲間と挟み撃ちにする。
ワルとはいえ、たかだか女子高生だ。捕まえるにしてもおおげさすぎないか。
私はこの仕事の話を聞いてマッサンには悪いが、引き受けたふりをして従わないことをした。
クスリの回収もお説教も私がやる。その道すがら警察に連れて行ってやる。
私は勇者ではないが、良識のある大人だ。裏社会風のおしおきに加担するつもりはない。
一万円ごときで。舐めてもらっては困る。
※ ※ ※
その不良少女は私の目の前に現れた。
「やあ、お嬢さん、学校はどうしたんだ?」
と手を挙げて話しかけた。
何度か脳内で練習したが、声が上ずってしまった。
我ながらいろいろぎこちない。
クラスのなかではさまざまな役を演じていたが、学芸会は最悪だった。
そう、本番に弱い。
目が合う。
……いや、目を奪われた。
長い黒髪、大きくうるんだ瞳、白い肌のうえに蒸気をまとっている。
清楚、と生成AIに打ち込んだらでてきそうだ、そう思った。
清楚な女子学生が犯罪をしていると思えない、というのは危険だ。
私のような中年には目眩しだ。
いや、だが。
そんなことがあるだろうか、と疑わしい気持ちが大きくなりづける。
女学生は何もいわずにすぐに元の道に戻った。
おっといけない。
結局予定通りに私は路地を出て挟撃要員になってしまう。
しまった、あまりに躊躇しすぎた。
こうなったら、穏便に捕まってもらって、やつらが手荒な真似をしないよう手助けをしよう。
ところが、目の前で繰り広げられたのは、ひどく手荒な〈誘拐〉であった。
目の前に止まっているSUVに女学生を連れ込もうとしている。これは酷い制裁が待っているに違いない。
まずいまずい、まずい!!
私はなんてアホで平和ボケの世間知らずなんだ!
ホームレスなんてやってて、多少は社会のウラを見てきたつもりになってたんじゃないか。
くそっ、くそっ!!
最悪の未来が頭をよぎる。これがウラの住人同士のいざこざであっても片方は10代の子どもだ。
大人が見逃していい状況じゃない。
それに――。
やっぱりあの女の子が、クスリの売人なんかのようには見えない。
いまも声なき声のようなうめきをあげて、とてもひ弱な抵抗をしている。
レッドアリーマーに攫われるプリンセスのようにしか見えない。
「私は、私は! うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおーーーーーーーーっ!!」
気付いたら走り出し、チンピラの背後をタックルした。
うまくはまって転倒させた。すぐに立ち上がり、もう一人の胴も抱え込んで投げた。
少女と目が合った。
「逃げろぉぉぉぉぉぅぅぅう!」
※ ※ ※
口が切れている。呼吸をしようとして咳き込む。
体のあちこちがじんじんとする。
私は道の真ん中で仰向けになっていた。
あの後、ひとりはすぐに少女を追いかけて行った。
もう一人はその場に残って私を蹴り、殴り続けていた。
それほど長い時間ではなかっただろう、だが、痛みを軽減しようと頭を守り、体を丸くして、相手の意のままに暴力を受けている時間は永遠のように思えた。
しばらくすると、その男も少女の追跡に戻った。
ゴロッと体をひらくと日差しが目に入った。
「ははは」
おかしいな。何をやっているんだ私は。以前、酔っ払いにボコボコにされた時は悔しくて涙が出たが、いまは何か温かいものが込み上げてくる。やっぱり涙は出てくるが。
「あー、あんた。無茶するねぇ」
横から男の声が聞こえる。奴らが戻ってきたのかと思って焦ったが、違った。
しかし、よく見ると見覚えのある顔だった。




